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 カテゴリー 2017年07月

2017年07月31日

同志社大学の不当解雇問題、浅野健一氏の定年延長に不正過小評価するための捏造か

人民新聞(1622号)2017/7/27

浅野健一氏の定年延長に不正過小評価するための捏造か

同志社大学の不当解雇問題

2017/7/27 1622号, 社会・文化運動

文責・編集部

 2014年、浅野健一氏は、同志社大学大学院で定年延長が拒否され、解雇されたのは不当として、教授としての地位確認などを求めて裁判を起こした。一審京都地裁判決で主張を退けられたが、始まったばかりの控訴審では、大学院の委員会が定年延長を許可しないと結論付けた際、判断材料になったとみられる浅野氏の研究業績が捏造されたものだった、との疑惑が新たに浮上した。

 きっかけは、控訴審にあたって浅野氏の代理人が、同志社大学が行った評価方法が適切だったかどうかを都留文科大学の早野慎吾教授に検証依頼したことによる。浅野氏の評価資料を作った中心は、同大学の小黒純教授。その資料には、浅野氏を過小評価するためのあり得ないほどの間違いが記載されていた。

 以下、早野教授が検証した結果である。まず、資料冒頭に、「(浅野氏に)大学院の教授の水準を満たす研究はない」と書かれている。浅野氏は、大学院担当教授として文科省が行った業績審査に合格判定されているので、明らかな間違いだ。文科省の審査に合格した教員(いわゆる○合教員)は、非常に少ない。

 「CiNii Articlesに基づく」との前置きで、「1994年4月以降、査読により本学外の学会で認められた論文は1本もない」とある。CiNii Articlesとは、国立情報学研究所が提供している学術論文検索用のデータベースサービスのことで、そもそも、CiNii Articlesに査読付か否かの検索機能はない。学術論文には、査読付とか審査付と呼ばれるものと、そうでないものがある。査読付論文とは、審査者が査読を行い合格した論文で、査読なしの論文よりも学術的価値が高いと評価される。また、雑誌の種類にもよるが、国内で発表された論文よりも海外(表記は主に英語)で発表された論文の方が、学術的価値が高いとされる。浅野氏は「Japan and America's War,” Harvard Asia Quarterly, Autumn 2001」など、海外で発表された査読付論文が5編ある。浅野氏に審査付論文が1本もないというのは、明らかな間違いである。

 さらにCiNii Articlesの検索結果として「(浅野氏が)2009年から2013年9月において発表されたのは、いずれも査読なしで、単著の論文は1本、大学院生との共著の論文2本、研究ノート2本のみ」と記されている。早野教授がCiNii Articlesで「浅野健一」「2009年~2013年」という条件を入力して検索すると、57件検出できた。筆者の目の前で検索したので、間違いない。単著53編・共著4編である。53編の単著を51編と間違える程度は起こりうるが、53編を1編(資料では1本と表現)と間違えることはあり得ない。ここまで来ると、間違いではなく「捏造」の可能性が高いと早野教授は判断している。

 さらに資料には、「研究論文の基本的作法が守られていない」「理論矛盾、私的体験の一般化」「大学院教授として品位にかける表現」など、誹謗中傷以外の何ものでもない内容が羅列されている。「浅野氏の業績を極端に過小評価させるための捏造書類を元に出された委員会決議は、すぐにでも撤回されるべきではないか。これを許すと大学自体が崩壊する」と、早野教授は警鐘を鳴らしている。

 なお、大学と小黒教授にこの原稿を送って疑惑の回答を求めたが、回答はなかった。

常葉大短大部不当解雇事件、東京高裁判決 懲戒解雇無効 2審も支持

中日新聞(2017年7月20日)

懲戒解雇無効 2審も支持
東京高裁判決 常葉学園准教授訴訟

 刑事告訴したことを理由に懲戒解雇されたのは不当解雇だとして常葉大学短大(静岡市)の男性准教授が、運営する学校法人常葉大学に対し、解雇無効などを求めた訴訟の控訴審判決が東京高裁であって。大段亨裁判長は解雇の無効と解雇後の給与の支払いを認めた1審判決を支持し、原告、被告双方の控訴を棄却した。判決は13日付。
 准教授は2012年、学園内の補助金不正受給問題を調査していたところ、学園側からパワハラを受けたとして、学園理事長らを強要罪で静岡地検に刑事告訴し、不正受給を内部告発した。その後理事長らは不起訴処分になり、学園は2015年に、信用を損ねたとして男性准教授を懲戒解雇した。
 今年1月の1審、静岡地裁判決は「刑事告訴は、就業規則の懲戒解雇事由に該当しない」と判断していた。控訴審判決で大段裁判長は「懲戒解雇が内部告発に対する報復であることは否定できない。解雇は相当ではない」と指摘した。解雇による精神的苦痛に対する慰謝料請求は認めなかった。
 准教授は本誌の取材に対して「学園側の反省はない。組織性を問う内部告発が委縮する」と述べた。常葉学園の担当者は「判決は非常に遺憾だ。上告するかどうか検討したい」と語った。


常葉大学パワハラ被害訴訟、学園「上告の方針」

■静岡新聞(2017年7月20日)

常葉大学パワハラ被害訴訟
学園、「上告の方針」

 パワハラ被害の告訴をしたことで懲戒解雇されたのは不当だとして、常葉大学短期大学部の40代の男性が常葉学園(静岡市葵区)を相手取り、処分の無効確認などを求めた訴訟で、同学園は19日、原告と被告双方からの控訴を棄却し、懲戒解雇の無効を認めた1審静岡地裁判決を維持した東京高裁判決を不服と判断し、最高裁に上告をする方針を固めた。学園の関係者が明らかにした。
 同学園の幹部は「判決は著しく不当なので納得できない。裁判所には「再度審理」をしてもらいたい」と話した。控訴審判決では告訴自体は懲戒の理由にはなりえると認めた一方で、解雇は重きに失するなどと判断していた。


2017年07月26日

奈良学園大学解雇事件、提訴報告

民主法律協会
 ∟●奈良学園大学事件・提訴報告

奈良学園大学事件・提訴報告

2017年05月15日

弁護士 西田 陽子

平成29年4月25日、被告学校法人奈良学園(以下、「被告法人」という。)によって同年3月31日をもって解雇・雇止めされた(以下、「本件解雇雇止め」という。)奈良学園大学教員8名が原告となり、奈良地方裁判所に提訴した。また、提訴の約2週間前である同年4月13日に、原告らは、奈良県労働委員会に対して、被告法人による不当労働行為に対する救済申立て(支配介入、不利益取扱い)を行った。

本件は、被告法人が過去に起こした不祥事等により、奈良学園大学ビジネス学部・情報学部の後継学部として設置する予定であった現代社会学部の設置申請を取り下げざるを得なくなり、現代社会学部の設置が不能の場合にはビジネス学部・情報学部の募集を継続するとしていた付帯決議を削除し、両学部教員を整理解雇する方針に急遽転換したという事案である。

原告らは、奈良学園大学教職員組合を結成し同法人と団交を続けていたが、議論は平行線であった。その後、奈良学園大学教職員組合の組合員は、奈労連・一般労働組合に個人加入し、労働委員会におけるあっせん及び団体交渉を続けた。しかし、被告法人は、労使双方が受諾した「労使双方は、今後の団体交渉において、組合員の雇用継続・転退職等の具体的な処遇について、誠実に協議する」というあっせん合意に反し、「事務職員への配置転換の募集に対するお知らせ」と題する書面を配布したり、本件解雇雇止めの通知を一方的に送付したりした。

本件のもう一つの特徴は、被告法人が、現代社会学部設置の計画が頓挫した後も、社会科学系の学部である「第三の学部」の設置を模索しており、これを一方的に凍結して原告らに対して本件解雇雇止めの通知を行った後、再び「第三の学部」の設置を検討し始めたということにある。この事実は、原告ら組合員を排除する目的の表れであり、また、解雇回避努力を尽くしていないことの表れでもある。

原告らの専門性を活かす場としての教育・研究センター(仮称)の設置についてまともに検討しなかったこと、他学部への配置転換を認めなかったことなども、被告法人が解雇回避努力を尽くしていないことの裏付けとなる。

さらには、被告法人は、既に本件解雇雇止めを通告されていた原告らに対して、平成29年3月下旬になって、突如非常勤講師として出講することを打診したが、その後撤回した。当該打診は、被告法人にとって原告らを解雇雇止めする必要性がないどころか、被告法人の大学運営にとって不可欠の人材であることを示している。

以上のような事実関係を前提に、訴状においては、①原告らに対する解雇及び雇止めの本質は、組合嫌悪の不当労働行為に他ならないこと、②だからこそ、整理解雇の4要件(要素)も満たしていないことを、主張した。

訴状提出後、同年4月25日午後1時より、佐藤真理弁護士、山下悠太弁護士、原告らが記者会見を行い、被告法人による不当労働行為及び整理解雇の不当性を訴えた。原告である川本正知教授は、記者会見において、被告法人が欺瞞的大学再編を推し進め、その大学再編を口実として、大量の不当整理解雇をおこなったことに対する経営責任が厳しく追及されなければならない、また、特定の教員の解雇を目的とした学部・学科廃止は絶対に許されることではない、と述べた。また、川本教授は、労働運動に対する不当きわまりない攻撃であり、労働三権の否定であって、これはまさに、憲法の保障する基本的人権の侵害であることも主張した。

杜撰な経営を行ってきた被告法人によって、被告法人の発展に寄与し、正当な組合活動を行ってきた原告らの権利が脅かされるようなことがあってはならない。組合の粘り強い団交の結果、被告法人は、ついに、原告らを非常勤講師として雇用する意向を示した。

本件は、執筆者にとって初めての本格的な労働事件である。先輩弁護士の背中から大いに学び、原告らとともに熱意をもって戦うことで、早期に事案が全面解決されることを切に望む。

(弁護団:豊川義明、佐藤真理、鎌田幸夫、中西基、西田陽子、山下悠太)


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奈良学園大学教職員組合、「不当解雇撤回に向けての私たちの闘い」

奈良学園大学教職員組合
 ∟●不当解雇撤回に向けての私たちの闘い

経過(概要

不当解雇撤回に向けての私たちの闘い

2017年4月

はじめに

 学校法人奈良学園(理事長:西川彭(ちかし)、元奈良県教育長、以下奈良学園)は、幼小中高大の各種学校を持つ学校法人です。この3月末に奈良学園大学で教員の不当な大量解雇が強行されました。この暴挙について以下に概要をお伝えします。

大学再編における欺瞞と既存学部教員約40名の大量リストラ

 奈良学園は奈良産業大学の学部再編を計画した時、既存のビジネス学部と情報学部を「現代社会学部」とし、また新たに「人間教育学部」と「保健医療学部」を設置するという3学部体制を構想しました。既存学部の大学教員の所属先として「現代社会学部」を作る条件で、既存のビジネス・情報の2学部の学生募集を停止したのです。

 しかし、奈良学園は、平成25年8月、文部科学省への学部設置認可申請過程で多くの欠陥を指摘され、「現代社会学部」の設置に失敗しました。奈良学園は、約40名の新規教員を大量採用し、平成26年4月に新たに「人間教育学部」と「保健医療学部」の2学部を設置し、奈良産業大学を奈良学園大学と名称変更しました。その一方で、「現代社会学部」の設置に失敗した結果、失敗の責任を負うべき理事会によって旧奈良産業大学の時から勤務している約40名の教員の大量リストラ計画がもちだされました。

許しがたい奈良学園のやり方

 奈良学園は、「現代社会学部」ができなければビジネス学部・情報学部の2学部が存続すると約束していましたが、現代社会学部の設置に失敗するやいなや、約束を反故にして大量リストラ計画をもちだし、「警備員なら雇ってやる」と脅迫しビジネス学部・情報学部の既存教員の退職を迫ってきました。

 奈良学園の騙し討ちのような対応は法的にも、道義的にも許されず、ましてや教育機関が行うことではありません。

不当解雇は絶対許さない

 最近10年間で300億円超の設備投資を行いながらも、現時点で法人として無借金で約200億円超の流動資産を持っております。また、大学をさらに拡充させる構想をもっております。このような経営危機とはほど遠い状況で大量の教員を解雇するなど前代未聞です。

 大学では、様々な形で教員を活用することができ、現にどこの大学でもそうしています。実際、奈良学園もこれまでに解雇を行った前例はありません。

 奈良学園の現理事会は、前理事会の不祥事の結果、正常化路線を掲げつつ誕生し、学園全ての児童・生徒・学生・教職員を大切にする「人間中心主義」を理念としてとなえ続けていますが、この解雇はこの理念を自ら蹂躙する行為です。西川理事長と理事会は教育機関を運営する資格はありません。

 奈良学園は、長年にわたって奈良学園の高等教育を支えてきた教員を徹底的に排除しました。強行された不当解雇に対して、私たちは断固闘います。

闘いの現状

 私たちは、3年間にわたって理事会の経営責任を追及し、全教職員の雇用をまもるために闘ってきました。これに対して理事会は誠実に対応することはなく、組合から既存教員の所属先として提案した「教育・研究センター」設置案もまともに取り上げることもしませんでした。そのため昨年11月私たちは奈良県労働委員会に奈良学園の不当労働行為の「救済」を申し立て、審議が続いております。

 その審議中であるにもかかわらず、ついに3月末教員の不当な大量解雇が強行されました。これに対して4月25日には8名の組合員が奈良地裁に解雇の撤回をもとめて提訴しました。

 現在、私たちは裁判および労働委員会の救済の二本立てで闘っております。
 詳細は、本ホームページの「裁判」「労働委員会」のページをご覧ください。

以上

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2017年07月21日

大学教員を腐敗させる教員人事システム、同志社大学では「捏造」業績評価

『紙の爆弾』2017年8月号

大学教員を腐敗させる教員人事システム、同志社大学では「捏造」業績評価

取材・文 早野慎吾

 昨年末のこと、弘中惇一郎・山縣敦彦両弁護士より、浅野健一氏の研究業績を検証してほしいとの依頼があった。
 浅野氏といえば同志社大学の名物教授で、メディア学専門の著名な学者である。メディア学が専門でない筆者も浅野氏の著作『犯罪報道の犯罪』(一九八四年、学陽書房)は知っている。それに浅野氏はすでに博士課程(博士後期課程)担当教授なので、今さら業績を調べてどうするのかと思ったが、どうも浅野氏の研究業績等に問題があるとして、社会学研究科委員会(大学院の教授会。以後、教授会)決議で定年延長を拒否されたとのことである。
 そこで第三者としての客観的な立場で、同志社大学が行なった評価方法が適切だったかどうかを検証してほしいというのである。
 数日後、浅野氏の研究業績と教授会が審査に使った「浅野教授 定年延長の件 検討事項」(以下「検討事項」)などが送られてきたが、「検討事項」には、唖然とするほど摩訶不思議なことばかりが書かれていた。
 浅野氏の業績と「検討事項」を精査していくと、浅野氏を同志社大学から追放する陰謀ともとれるカラクリが見えてきたのだ。
 単純なカラクリなのに、なぜそれがまかり通るのか。本稿では浅野氏の事例から、大学人事のシステムの問題点について考察する。

外部審査と内部審査

 「検討事項」の冒頭には、「(浅野氏に)大学院の教授の水準を満たす研究はない」と書かれている。浅野氏の正式な職名は、同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授。おまけに、文部科学省が行なった博士論文の指導のための業績審査で合格判定を受けているので、その「検討事項」の記述は明らかに間違いである。
 大学院で学位論文が指導できる教員になるには、文科省が行なう外部審査か、大学内で行なう内部審査で合格判定を受けなければならない。文科省が判定する外部審査のハードルは内部審査より高く、合格判定を受けた教員は○合(マルゴウ)教員と呼ばれる。大学院設置には、学位を出すために○合教員が必要となる。○合がいないと学位をだせないので大学院設置許可が下りないからである。
 大学院が設置されれば、あとは大学の内部審査(いわゆる身内審査)で判定できるので、文科省で不合格判定を受けた教員たちに合格判定をだして学位論文の指導をさせる。
 送られてきた裁判記録によると「検討事項」を作成した中心人物はA氏。浅野氏によれば、そのときA氏は修士課程担当になったばかりとのことである。大学院には修士課程と博士課程があり、修士課程修了後に、研究者を目指す学生が博士課程に進学する。博士課程のある大学院は、修士課程を「博士前期課程」、博士課程を「博士後期課程」とする場合が多いが、同志社大学も博士前期課程・後期課程としている。修士課程担当になったばかりの教員が、博士課程担当の○合教員に「大学院の教授の水準を満たす研究はない」と評価するのだから、驚きだ。
 「検討事項」には、次に「CiNii Articlesに基づく」との前置きで、「1994年4月以降、査読により本学外の学会で認められた論文は1本もない」とある。「CiNii Articles」とは、
大学共同利用機関法人国立情報学研究所が提供している学術論文検索用のデータベースサービスのことである。
 そもそも、CiNii Articlesには査読付かどうかの検索機能はないので、査読付か否かの判断はできない。それなのに査読付論文が「1本もない」とする記載は明らかな誤りである。この間違いがA氏の故意によるものであれば〝捏造〟であり、CiNii Articles機能を知らずに間違えたのならば、研究業績を審査する能力が疑われる。
 学術論文には、査読付(審査付、レフェリー付)と呼ばれるものと、そうでないものがある。査読付論文とは、審査者が査読を行ない合格した論文で、査読なしの論文よりも学術的価値が高いと評価される。また、雑誌の種類にもよるが、国内で発表された論文よりも海外(表記は主に英語)で発表された論文の方が、学術的価値が高いとされる。浅野氏は〝Japan and America's War,〟 Harvard Asia Quarterly, Autumn 2001など、海外で発表された査読付論文が5編ある。
 また、「検討事項」には「(浅野氏が)2009年から2013年9月において発表されたのは、いずれも査読なしで、単著の論文は1本、大学院生との共著の論文2本、研究ノート2本のみ」と記されている。これは「CiNii Articlesに基づく」とあるが、筆者がCiNii Articlesで「浅野健一」「2009年?2013年」という条件を入力して検索をかけると五七件がヒットした。単著五三編・共著四編である。五三編の単著を五一編と間違える程度は起こりうるが、五三編を一編(「検討事項」では1本と表記)と間違えることはあり得ない。ここまで来ると、間違いでなく「捏造」の可能性が高い。

大学人事における「研究業績」とは

 さらに「検討事項」には、「論文の内容には、客観的根拠がない推測による記述が多く含まれ、学術論文として不相応」と記されている。このA氏の「検討事項」こそ「客観的根拠がない推測」(もしくは捏造)と思うのだが、具体的に何を根拠に「推測による記述が多く含まれる」としたのか不明である。「研究論文の基本的作法が守られていない」「理論矛盾、私的体験の一般化」「大学院教授として品位にかける表現」なども書かれているが、ここまで来ると難癖以外の何ものでもない。「月刊誌、週刊誌等に掲載された記事は学術論文ではなくエッセイ」など、研究者とは思えない記述もある。月刊誌か週刊誌かなどは、刊行間隔の違いにすぎず、学術論文か否かと関係ない。有名な総合科学雑誌Nature(505,641647)に掲載された小保方晴子他のSTAP細胞の論文も、Natureが週刊誌なのでエッセイとなってしまう。もちろん、エッセイならあれほどの大問題にはなっていない。
 とにかく、浅野氏の業績を極端に過小評価させるための間違った書類を元に出された教授会決議はすぐにでも撤回されるべきである。
 大学の教員人事には審査基準内規があり、筆者が知る某国立大学の審査内規では、主たる審査項目を「研究上の業績」として、諸活動(「学会における活動」「教育的活動」「社会における活動」)を考慮することになっている。鹿児島大学大学院連合農学研究科ではウェブに大学院の教員資格審査の基準が公表されており、研究業績(副指導教員で審査付き論文一二編以上等)が判定基準となっている。研究業績以外で判定される場合もあるが(後述)、一般的には研究業績が最大の判定基準となる。
 当初、「検討事項」は、恣意的な間違いでない可能性もあると思っていたが、A氏が法廷でも間違いでないと証言したので、その可能性は否定された。
 浅野氏の例は、教員人事で最も重要な研究業績を間違った内容で極端に過小評価させ、さらに「品位に欠ける」などの難癖までつけている。そのような報告をもとに決議した教授会決定は、あまりに瑕疵が大きい。そのような理不尽が通ってしまうシステムが教授会にはある。

「教授ころがし」と「当て馬公募」

 一般の感覚では、大学の人事で捏造が通るはずなどないと思われるかもしれないが、そうでもない。さすがに捏造は少ないが、インチキは日常茶飯事で起きる。
 大学の教員採用人事は、まず学科とか講座とよばれる少人数の組織で行なわれる。近年は公募することも多いが、公募でもインチキは行なわれる。
 選考者(採用審査をする者)がある知り合いを採用したい場合、その人に応募させる。ここまでは、不正でも何でもない。しかし、明らかにほかの応募者の研究業績が優れている場合、「担当授業と専門が合わない」との魔法のことばを使って業績の多い応募者を外す。教授会には、論文数や年齢だけが報告されるので、「専門が合わない」と言われれば、他人は口を挟むことはできない。
 筆者の知る某国立大学では、そのような人事の結果、単著の論文が一編もなければ共著でファーストオーサー(代表者)すらない応募者が、多くの応募者の中から准教授として採用されたケースがある。なんと応募者の業績の半数に、選考者が共著者として名前を連ねている。選考者は自分でまとめた論文を自分で審査して、名前だけ共著者に連ねている応募者を採用したのだから、インチキそのものである。
 そのような手法で、ある教員グループは、それぞれの大学の教授ポストを回すので、筆者は「教授ころがし」と呼んでいる。たとえば、某国立大学の理科教育の歴代教員の経歴を確認すると、みんなH大学大学院出身で、さらに元H大学附属学校の元教諭(つまり小中高の教員)たちである。
 一般に教授会では、他学科(他講座)の人事には口出ししないという暗黙のルールがある。他学科の人事に干渉すると、自学科の人事で干渉されることになるから黙っているのである。結局、人事担当の学科決定が教授会でそのまま可決される。密室での決定が、ほとんど審議されることなく、そのまま決定・承認されるシステムである。
 浅野氏のケースは、このシステムが悪用された例と言える。捏造資料をもとに業績不足と報告されたとしても、あえてそのことに異議を唱える教員などいない。そこに書かれたことが捏造であるかどうかなどは関係なく、教授会で報告されたがどうかが全てである。A氏が作成した「検討事項」に学科全体が加担しているかどうかはわからないが、そのようなシステムの教授会では、学科で定年延長拒否が決定した時点で、浅野氏の定年延長はなくなったといえる。
 筆者が聞いたある私立大学では、公募で純粋に選考した人事に、他学科がクレームを付けて潰すこともあるという。それが嫌でお互い干渉しない暗黙のルールを作るのだが、すると自分たちのご都合主義が横行する。浅野氏の話によると、浅野氏が属していた学科(専攻科)では、優れた業績の応募者をことごとく外し、ある教員の関係者ばかりを採用していたとのことである。
 公募はその名の通り、公に募集をかけることを指す。しかし、公募したとの名目を得るために行なわれる「当て馬公募」と呼ばれるものがある。前出の某国立大学では、准教授から教授に昇進させるために公募が行なわれた。教授職を公募して、その准教授に応募させて教授として採用する。もちろんその公募で外部からの応募者が採用されることはない。そのことを情報公開していれば問題ないが、そうはしない。一般社会からすると信じ難い行為であり、どうして、そこまでして公募採用の形式が欲しいのか理解に苦しむところであるが、得てしてインチキを行なう者は形式だけは保とうとする。
 大学教員の公募は、国立研究開発法人科学技術振興機構が提供している研究者人材データベースJREC-INに公開される。研究者を目指す人はそこで公募情報を知る。某国立大学は、やたら厳しい条件を加え、募集期間を短く切って、JREC-INで公募をかける。そのような状況なので応募者は少ないが、真剣に大学教員を目指している人にとっては、非常に迷惑な話である。
 厳しい条件に、募集期間が短い公募は、「当て馬公募」を疑うべきだ。逆に極めて曖昧な条件の場合も、審査過程で恣意的に処理される可能性が高い。

資格審査の抜け道

 先ほど、大学教員には研究業績が重要と述べた。それでは研究業績のない元官僚やスポーツ選手が大学教授になれるのはなぜか。
 それは、文科省大学設置基準「教授の資格」第十四条に「五.芸術、体育については、特殊な技能に秀でていると認められる者。六.専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者」の項目があるからだ。この項目は、オリンピックのメダリストのように技能に秀でているものの、研究業績のない人材を教員採用するのに必要な項目であるが、官僚の天下りを容易にしてしまう。
 前出の某国立大学では新学部設置の際、経済産業省からの役人を学部長に採用している。天下りは文科省だけの話ではない。人事をスムーズにするルールは、エゴが働けばご都合主義の人事を許すことになる。すべて、諸刃の剣といえる。
 このようなご都合主義の教員人事がまかり通っている状況では、必死に研究業績を積んだ人材に職場が与えられず、選考者に都合のよい人ばかりが採用されることになる。また、浅野氏のように優れた研究業績をもつ研究者が、人間関係から職場を追われることもある。
 この教員人事システムが、優秀だが選考者には都合の悪い人材を排除するのに利用されているのは明らかで、これが大学教育の腐敗に繋がる。大学教員人事に、干渉ではなく検証するシステムを導入する必要がある。検証システムがあれば、浅野氏の例は防げたと考えられる。このことを話したら、某国立大学名誉教授のC氏は、「自分たちのインチキを通したいから、誰も検証システムをつくらないのですよ」と答えた。

編集部より
 浅野氏の「地位保全裁判」について、編集部が同志社大学に対し、「検討事項」の内容に〝捏造〟がみられることをどう考えるか、浅野氏の業績評価を見直すつもりはあるか、などについて質問したが、大学からは回答を得られなかった。なお、浅野氏の定年延長拒否の判断が下された当時の同志社大学学長は村田晃嗣氏で、安保法案に支持を表明、一五年七月の衆院特別委で、法案に肯定的な意見陳述を行なった人物。現在は松岡敬学長。
 ちなみに「検討事項」には、浅野氏が職場にいたことによるストレスで、「帯状疱疹」「突発性難聴」に罹った教員がいる、とも書かれていた。帯状疱疹はウイルスを原因とする疾患であり、ここにも「客観的根拠がない推測」が見られる。

早野慎吾 (はやのしんご)
都留文科大学教授(社会言語学)。宮崎大学准教授を経て現職。自らも大学によるでっち上げ事件の被害にあったが、最高裁で無実が証明された。


2017年07月20日

同志社大学を「追放」された浅野健一氏の裁判闘争は大阪高裁へ

進歩と改革(2017年5月号)

同志社大学解雇事件について,フリー・ジャーナリスト田中圭太郎氏が,『進歩と改革』2017年5月号に当該裁判の状況に関する論文を掲載した。

「同志社大学を「追放」された浅野健一氏の裁判闘争は大阪高裁へ
一審の京都地裁は手続きの瑕疵は「判断せず」,浅野氏の訴えを棄却-」
http://university.main.jp/blog/bunsyo/20170500%20shinpo%20to%20kaikaku.pdf

2017年07月17日

常葉大短大部不当解雇事件控訴裁判・勝訴、労働組合法人全国大学人ユニオン「声明」

声明「静岡地裁に続いて東京高裁でも「不当解雇」が認定された学校法人常葉学園は、巻口勇一郎先生をただちに職場に復帰させるとともに、学園の民主的運営を図れ」

静岡地裁に続いて東京高裁でも「不当解雇」が認定された学校法人常葉学園は、
巻口勇一郎先生をただちに職場に復帰させるとともに、学園の民主的運営を図れ

2017年7月16日 大学オンブズマン・巻口勇一郎先生を支援する全国連絡会
労働組合法人全国大学人ユニオン執行委員会
      

 東京高等裁判所は2017年7月13日、常葉大学短期大学部・巻口勇一郎准教授が学校法人常葉学園(以下、当局)に対し、「労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する」などとする判決を出した。巻口先生と当局の控訴はいずれも棄却されたが、静岡地裁で認められた巻口先生の基本的な主張は維持されている。

 当局は昨年10月に巻口先生を「普通解雇」するという不当な行為を行い、賃金と研究費の支払いを停止しているが、高裁判決にしたがって巻口先生をただちに職場に復帰させるとともに、学園と設置する学校の運営を民主化するよう求める。言うまでもなく大学、そして学校法人は極めて高い公共性を有している。法令順守は当然のこと、倫理性においても高い見識が求められるからである。

 当局は「不当解雇」を行ったうえ、裁判費用を学園財政から支出することは二重の意味において許されない。私立大学の財政は学生の学費に依存するだけでなく、国庫助成(私学助成)も投入されている。本来、自らの非を認めさえすれば簡単に済む話であった。地裁、高裁の裁判に多額の費用を支出したことは、決して社会的な支持を得られることはないであろう。

 巻口先生の支援の輪は静岡県内の大学や労働組合などにも広がっている。それは、当局の対応がいかに不当であるかの証左である。当局が今後も不当なことを繰り返すのであれば、社会的な信頼をさらにいっそう失ってしまうことを懸念する。

 巻口先生の裁判は、表面上では一人の大学教員の身分(雇用)を争うものであるが、本質的には大学の公共性を厳しく問うものである。この点を最後に指摘するとともに、われわれは、学校法人常葉学園の経営を今後も厳しく問うていく決意を表明する。