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2017年09月07日

宮崎大学による「ハラスメント捏造」その悪辣手法

紙の爆弾9月号

 二〇一六年十月十八日、筆者が以前勤務していた宮崎大学から嫌疑をかけられたハラスメント事件での無実が最高裁で確定した。この事件は、その後、宮崎大学(以後宮大)に文科省の指導が入るという異例の事態になり、ハラスメント捏造事件として、現代ビジネス(一七年三月二十八日付)、週刊金曜日(同三月三十一日付)、西日本新聞(同五月三日付)、朝日新聞(同五月十日付)などで大きく報道された。石原俊「日本の大学をぶっ壊した、政官財主導のガバナンス改革」(現代ビジネス同五月十二日付)でも無理筋のでっち上げ事件として紹介された。
本件は、一二年六月、筆者が女子学生の「裸写真」を、指導学生の卒論に無理矢理入れさせたなどの虚偽発表を宮大行い、全国的に報道された。ハラスメントは一四項目で、一項目に数件あり、三〇件を越えるハラスメントが捏造されている。その詳細は三月二十八日付の現代ビジネス(田中圭太郎)を参照されたい。
本稿では、宮大がどのようにハラスメントを捏造し、筆者を陥れたのかを、証拠保全で宮大から押収した証拠資料をもとに検証する。

捏造組織の「特別調査委員会」

事の発端は、一二年二月二十四日に筆者のゼミ生である女子学生Aが精神疾患で自殺したことから始まる(筆者は同年二月七日に卒論成績を出している)。Aに関しては、彼女を最初に診察した宮大附属安全衛生保健センター(以下、センター)医師、およびセンターが紹介したクリニックの佐藤医師から、①詳細な記録を付けること ②Aを一人にしないこと ③Aには二人以上で対処すること ④紐、ライター、カッターを渡さないことなどを指示されていた。センターとは、Aの件で頻繁に情報交換していた。
Aは発病前から友人関係などでトラブルを抱えており、「○○とは会いたくない」との要望も多かったが、発病後は暴力的になることも多かったので、筆者がAと会う際は、医師の指示通りゼミ生のBとC(ともに女子)のどちらかが同席していた。Aが特に避けていたのがゼミ生Dなので(理由の記載は控える)、ゼミ時間をずらして二人が会わない配慮をしていた。Bのゼミの様子を知っているのは筆者とゼミ生IとTの3人だけであった。
Aは、Bと「学部重点経費(学生・院生の研究プロジェクト)」に「癒やし宮崎の映像表現」(以下「学生企画」)で応募を企画していた。途中、筆者のゼミ生ではない学生四名が加わったが、その一人が、竹川昭男准教授のゼミ生e(ゼミと無関係な学生は小文字表記)である。eが学生企画でまとめた冊子が「『裸写真』の掲載された卒論」とされ、さらには自殺したAの卒論に捏造され、ハラスメント事例とされた。「裸写真」は「学生企画」で撮影されたものだった。
この「学生企画」の責任者(認可者)は兒玉修学部長(当時)で、記者会見で虚偽発表をした人物である。なお、会見の内容は裁判で名誉毀損が認定され、多額な慰謝料が国民の血税や学生授業料から支払われている(兒玉は本事件後、副学長に昇進している)。
 本捏造事件を行った中心は「特別調査委員会」(以後「委員会」)なる組織だ。メンバーは原田宏・岩本俊孝・石川千佳子の3名。しかし、この「委員会」の設置自体が学則上、極めて根拠に乏しいように思われたので、弁護士を通して大学当局にその根拠を質問すると、大学当局は「根拠規定や条項は存在しないが、学長の権限(裁量)によって設置された」(原田宏名義一二年三月十九日付)と回答してきた。この文書から、この時点ですでに宮大が学則無視の状況にあったことがわかる。学長権限は国立大学法人化で強化された。法人化後、宮大の学長は全て医学部教員で、独裁体制に拍車がかかっていると推測される。
 この原田名義の書類に「委員会」の目的は「亡くなった学生の卒論指導上、教員として適切な指導がなされたのかどうか、又、その経緯・写真の必要性を調査」と記されている。つまり、「委員会」の目的は、Aの卒論指導を調査することであるが、実際に行われたのは、Aとは関係のないハラスメント事項の捏造であった。石川(当時教務長)は大学側代表として法廷(証人尋問)で「自殺したAのことは全く調べていない」、さらには「(Aの発病時から対応をしてきた)センターにも全く連絡をしていない」と証言している。大学側にとって、センターがケアをしていたのに自殺が起きたと外部に知られると困るからであろう。「委員会」の本当の目的は、Aの当時の状況を明らかにすることでなく、最初から筆者を懲戒解雇することにあった。筆者はAの入院の必要性をセンターに再三伝えたが、Aの主治医(宮大医学部教授)は入院させなかった。さらに、Aの入院を主張したセンター医師が筆者の前に、やはりセクハラ嫌疑で懲戒解雇になっている。そこから、本件は医学部(Aの主治医)を守るための捏造事件だった側面が強いと推測できる。医学部絶対主義の思想である。

特別調査委員会の手法

 石川らはAの卒論ゼミに同席していたBとCを一切調査せず、代わりに彼らが調査したのは、「Aから会いたくないと言われた」「Aのゼミは知らない」と自ら証言しているゼミ生Dと、そのDが連れてきた学生f・gとeらである。fとgの二人も、自殺したAから「会いたくない」と伝えられた人物で、もちろん筆者のゼミとは関係ない。筆者の知るところでは,「委員会」が本件で最も利用したeも、Aとトラブルを起こしていた。
結果として「委員会」は、Aに対してやましいところのある学生らを利用したのだ。学則無視の姿勢を終始貫く「委員会」が使った手法を整理する。

(1)関係者を調査せず、悪意ある伝聞証言を多数集めて虚偽報告書を作成
学生調書には伝聞であることが記されているが、石川作成の報告書ではすでに直接的関係者のごとく扱われ、実際にAの様子を知るBやCの存在は審議会等には全く報告されていない。さらには、「裸写真」の撮影に関しても証言したのはeだけで、代表者のBや他の撮影当事者が委員会の調査を受けると申し出ても拒否している。
実は、ハラスメント認定をした時点では、卒論(とされた「学生企画」の冊子)や「裸写真」の事情聴取をeに対しても行っていなかった。つまり、誰一人当事者を調査していないにも関わらず、「事情聴取した殆どの学生等からの多くの具体的証言を得ている」と言った虚偽事項で報告書がまとめられ、大学執行部を欺くに至っている。しかし、そのような調査委員を任命したのは他ならぬ大学執行部であり、大学執行部が「報告」と「検証」のチェック機能を全く理解していなかったことの帰結だ。ちなみに、その虚偽報告の直後、つまり当事者を全く調査していない段階で筆者の懲戒解雇が決定している。

(2)ハラスメント申立書そのものを捏造
一二年三月十一日付けのハラスメント申立者は、D・f・gの3名。ハラスメント項目として「指導学生への就職妨害、屈辱的発言、漫画掲載、卒論指導上の資料提供の渋りと不当な要求、学生等の写真の雑誌への無断掲載、学生の裸体写真の撮影と卒論掲載、飲酒を伴い女子学生と2人だけで研究室に居るよう強要」等と羅列されている。これらの内容はDとfの調書に基づくと書かれているが、実際、Dとfの調書には書かれていない項目ばかりだ。
これらの事実から,石川らがあらかじめ話を作り上げて、学生らに証言させたと考えられる。マスコミは、eが「裸写真」の卒論でハラスメント申し立てをしたかのように報道したが、実際、eは何ら申立てをしていない。またeの事情聴取が行われたのは、ハラスメントが認定(懲戒解雇決定)された約三週間後の四月十七日である。eは宮大とDに利用されただけだが、ありもしない「裸写真」を撮られたレッテルと、裁判で偽証した事実を一生背負っていくことになる。申立者として名前のあるgの聴取日も、ハラスメント認定から約1ヶ月後だ。
申立書には、学生の直筆サインもなければ捺印もない。作成日も三月十一日でなく三月二十三日で、ハラスメント認定会議の直前に農学部事務のパソコンで作成されていることが判明している。明らかな捏造である。

(3)「無理矢理」「しつこく」「嫌がるにも関わらず」等の付加。
大学側が出してきたハラスメントに関する質問項目には、「H23年度卒業生に東京の方へ就職するようしつこく勧誘したか」「H23年度卒業生に自分の卒論指導を受けるように無理強いしたか」「H23年度卒業生に対して、卒論用の資料を渡さず、学生を困らせたか」「半裸の写真を学生が嫌がるにも関わらず卒論内に入れるよう指導したか」等である。すべて「無理矢理」「しつこく」「嫌がるにも関わらず」等が加えられている。
 就職関係の質問項目への筆者の確認に対し、辻褄合わせに大学が言ってきたのは、筆者が「東京でビルを建て会社を始めるので、そこに就職するように複数の学生をしつこく誘った」とのことだ。筆者はビルも会社も持っていない。ゼミ生は、ほぼ全員が大学院に進学し、就職を勧誘する余地がなかったのが実態だ。
 卒論指導を無理強いしたとのは、大学側の主張では「H22年の夏、eをAと共同で卒論を書くように無理に勧めた」とのことだ。eは筆者と学科が違う竹川ゼミの学生で、eを知ったのもH23年だ。大学側がハラスメントを立件するため、eの卒論を筆者と強引に関連づけようと企んでいたことがわかる。eの陳述書には「誘われたが断る理由もないので了承した」と書かれているだけで、「無理に」など、どこのも書かれていない。石川らの捏造である。ちなみに「誘われた」こと自体が虚偽だ。
 卒論用の資料を渡さないという件は、学生の調書にもこの件は全く書かれておらず、石川らの完全な捏造と言える。大学側がハラスメントを認定した後に、Dとeが大学側に口裏を合わせた証言をしているが、そもそもDとeはAの卒論ゼミは知らないと証言しており、証言の矛盾は覆いようもない。結局、最高裁判決後も具体的にどの資料が問題にされたのか全くわからないままだ。
 「裸写真」の卒論に関しても、eの調書に「嫌だった」「無理矢理」「写真を入れるよう指導を受けた」等は一切書かれていない。調書には「(eが)自分で卒論を早野研究室に持っていったが、そのままだった」と書かれているだけだ。筆者が知らないうちに勝手に研究室に置いていかれたのだから、「そのままだった」のは当たり前だ。石川らによって「嫌がるにも関わらず」「裸の写真を入れるよう指導した」が加えられて、マスコミに発表された。ちなみに「裸写真」とは、eの陳述書に「白衣をまとい、それ以外は何も身に着けていない」と書かれているが(その陳述書は宮大代理人[大迫弁護士]が書いたもの)、以下の写真の通り、裸ではない。ここからもeが大学側に利用されただけとわかる。

宮崎大学が裸体と発表した写真

(4)具体的なことを聞いたらハラスメント認定
 前記(3)で述べたように、荒唐無稽な質問項目ばかりなので、「思い当たらないので、いつ、誰に対して何をしたのか教えてください」と回答したら、「『誰が、いつ、何処で』など具体的なことを問うてくること自体極めて不自然なことであり、自ら関与していると考えられる。」(ハラスメント調査結果一二年三月二十七日付)としてハラスメント認定された。おそらくナチスドイツでも、もう少しまともな理由を付けてくると思われる。

(5)時系列を無視
 調書を取る前に、ハラスメント事項をつくる。ここまでなら悪質企業でもしそうだが、宮大ではハラスメントを認定してから、その根拠となる調書を取っている。質問項目が抽象的なのはこのためで、筆者が何か答えたら、それに合わせて捏造する予定だったことがわかる。ハラスメント申立書も、ハラスメント事項を先につくって、後付けで学生から調書をとる。ハラスメント申立書や学生調書の杜撰さは、すべて書き換える前提であったからと考えられる。おそらく証拠保全が入らなければ、日時や内容を一切変えて書類を偽造していたであろうと推測できる。
eに対するセクハラも、最初は二月中旬と言っていたが、「二月中旬は東京に出張中」と伝えると、eに確認したら 二月二十日だったと変え、「二十日は一日県庁で仕事」と伝えると、今度は、二十一日だった変える。このように、何度も日にちを変えて、筆者が証明できない日を探ってきた。飲酒を強要したと件も、筆者が出張の日ばかりだった。

(6)吹き込みと口裏合わせ
 石川作成の学生調書には、石川がどのような質問をしたかが全く書かれていない。誘導尋問を隠すために使われる手法だ。Aの自殺後、Aの状況を調べるはずの最初の調書が「早野教員についての学生からの事情聴取」(一二年二月二十九日付)となっている。最初から、筆者を陥れる前提であったことがわかる。「委員会」設置から3週間で懲戒解雇を決定するには、最初から懲戒解雇前提でないとできない。
 先ほどの就職に関して、fは「eが就職に誘われていた」と証言し、そのeは「自分は誘われていないがAが誘われていた」と証言している。言っている内容はバラバラである。石川は法廷で「自分からは質問していない。学生が勝手に言った」と証言して、すべての責任を学生に押しつけているが、誘導尋問していることは明らかだ。法廷で大学側に学生を事情聴取した際の録音の提出を求めたが、大学側は録音をとっていないと言い張った。かなり強引な誘導尋問があったと考えられる。
Dの調書には石川らと連絡を取り合って「学生たちと情報を共有」すると書かれているので、「委員会」とDが口裏を合わせていたことは間違いない。eは法廷で「Aの死後、eに話を聞いて考え方が変わった」と証言しており、fの調書でも多くがDから聞いたと書かれている。Dが中心となって学生らに嘘を吹き込んだと考えられる。吹き込んだ側のDは大学側の証人(同行)として証人尋問の日時も決まっていたが、出廷しなかった。
 一二年四月九日に、「裸写真」の撮影参加学生から連絡があった。その学生によると、石川らは「早野がAを自殺に追い込んだので許してはいけない。ぜひ協力してほしい」と話したらしい。その学生は事情聴取を受けたが誘導に負けずに「私は最後まで抵抗しました」と電話で伝えて来た。しかし、その学生の調書はない。おそらく、この時点で当事者から調書を取ると「委員会」の虚偽が明るみに出ると判断して、当事者の事情聴取を一切拒否しだろう。石川から撮影参加者らに「あなた方の調査はしない」と連絡が来たのは、その学生の事情聴取後だ。また、原田らは学生らの自宅まで行って証言をお願いしていたことが裁判資料でわかった。学生の虚偽証言だけが、大学側の頼りだったわけだ。

(7)目的・権限無視
 「亡くなった学生Aの卒論指導を調査する」はずの委員会が、Aへの卒論指導に同席していたBとCの調査を拒否しているだけで業務放棄であるが、逆に、権限のないハラスメント調査(捏造)をしだす。ハラスメントならば、学則上、ハラスメント委員会が調査しなくてはならないが、すべてのハラスメント調査の報告を特別調査委員会が行っている。この学則無視の越権行為を許したことが石川らの暴走を許すことになった。

一日で卒業できる宮崎大学
 「根拠規定や条項は存在しない」特別調査委員会が設置された段階で、すべての捏造が可能となる。今回は前記の(1)~(7)にまとめたが、それらの手法を使うと荒唐無稽な話ですらハラスメントが捏造できてしまう。国立大学法人化後の学長独裁がどれだけ危険であるか、大学人は認識しなくてはならない。
 宮大は、正式な書類でも竹川ゼミ所属のeを、筆者のゼミ生に捏造した。そのeの卒論指導に関してもとんでもない主張をしている。
eは、筆者のゼミは受けていないが打ち合わせがあったと証言している(おそらく言わされている)。その打ち合わせは、eの調書によると四回ほど「三分だけで、その後はAだけとメールでするようになった。」とある。具体的にはどの様な打ち合わせであったか不明だが、これを宮大は卒論指導だったと主張してきただ。
四×三分で合計一二分。しかも、打ち合わせ相手は筆者でなくAである。卒論は六単位なので、宮大では、学生同士で一二分打ち合わせをしたら六単位認められると主張したことになる。仮に卒業単位が一三〇単位とすると、約二六〇分(三コマ)で卒業できることになる。このことを当時の学長(菅沼龍夫)と副学長(原田・岩本)が裁判で主張したのだから驚きだ。宮大執行部に大学としてのプライドはない。
これだけ荒唐無稽な主張でも、裁判では、組織(大学)対個人となり、個人が圧倒的に不利になる。ある法学者から、個人に一〇%の非があれば、大学が勝訴すると言われたことがある。大学は組織として捏造などしないという先入観が、一般や裁判官にあることが原因だ。本誌前号では、大学組織ではインチキが日常茶飯事で起きていることを述べたが、大学社会は一般企業よりも暗黒社会なのだ。(文中・一部敬称略)

早野慎吾(はやのしんご)
都留文科大学教授(社会言語学)。宮崎大学准教授を経て現職。


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