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 カテゴリー 2020年05月

2020年05月29日

立教大学の要職教員がセクハラ、初期対応の誤りで総長が引責退任へ

Christian Today(2020年5月15日)

立教大学は15日、ハラスメントを行ったとして学内の要職者であった教員を懲戒解雇処分とし、初期対応を誤ったとして、郭洋春(カク・ヤンチュン)総長が来年3月末に任期を1年残して退任すると発表した。毎日新聞が関係者の話として伝えたところによると、ハラスメントの内容は学生らに対するセクシャルハラスメント。

立教大学の発表によると、教員によるハラスメントは2018年6月に発覚。副総長2人と教員が所属する学部が対応に当たり、教員は19年3月に要職を解任された。しかしその後、ハラスメントに関する調査があり、同年6月、初期対応を行った副総長2人が退任。当時の報道によると、2人は初期対応で誤りがあったとして、責任を重く受け止め辞意を申し出たという(関連記事:立教大学の副総長2人が退任、ハラスメントの初期対応で誤り)。

同年7月、教員による新たなハラスメントが発覚。同年10月から今年3月にかけ、教員のハラスメントに関する人事委員会や学外の第三者を交えてのハラスメント対応の検証を行い、3月23日に教員の懲戒解雇を決定した。第三者を交えての検証では、教員が学内の要職者であったことや、初期対応における判断の誤りが解決の遅れにつながったとする指摘があったという。

郭総長はこれを受け今月8日、大学を運営する学校法人立教学院の理事会で、ハラスメントを行った教員の任命責任と監督責任、また初期対応の責任を重く受け止め、任期途中での辞意を表明。理事会が同日、申し出を受理した。退任日が来年3月31日となるのは、新型コロナウイルスへの対応や次期総長選定のための手続きなどを考慮しての対応。

次期総長選は、7月に公示を行い年内に実施。12月の理事会で次期総長が決定する見込み。

毎日新聞や共同通信によると、ハラスメントが18年6月に発覚した際、郭総長が副総長2人に対応を指示。2人は学内の「人権・ハラスメント対策センター」に相談しないまま、教員が所属する学部内で調査を行い、同年12月に学部長による厳重注意処分とするのみにとどめた。郭総長はこれらの報告を受けた上で、教員を解任せずに要職にとどめたが、対策センターが19年3月、処分が軽過ぎると指摘。これにより、教員が要職から解任されることになったという。


2020年05月12日

下関市立大学が“無法地帯化”…安倍首相元秘書の市長、無審査で人事・教育内容決定を可能に

Business Journal, 2020年5月12日

下関市立大学が“無法地帯化”…安倍首相元秘書の市長、無審査で人事・教育内容決定を可能に

文=田中圭太郎/ジャーナリスト

 安倍晋三首相の元秘書である前田晋太郎下関市長が、「私物化」を進めている下関市立大学。昨年6月、経済学部しかない大学に、特別支援教育などについて研究する専攻科設置と、それに伴う教授ら数人の採用を、学内で定められた手続きを踏まず前田市長の要請で強引に決めた。

 この決定に教員の9割が反対すると、9月に前田市長は学内の審査がなくても教育研究に関することや、教員の人事・懲戒などを理事会の審理だけで可能とする定款変更の議案を市議会に提案。市長派の議員によって可決された。こうした「私物化」に、識者からも「見逃すことができない大学破壊だ」と声が上がっている状況を、前回の記事(『安倍首相元秘書の前田市長、下関市立大学を私物化…ルール無視し人事と教育内容に介入』)でお伝えした。

 4月に入り、この定款変更が有効になった。新型コロナウイルスの感染拡大で大学の授業はまだ始まっていないが、定款変更に伴う教育内容や人事、懲戒などの規程について審議が行われないまま新年度を迎えてしまった。しかも、副学長人事などが教員を無視して行われている。「無法地帯」状態とも言える下関市立大学の現状を、整理してみたい。

強引に採用した教授と市職員OBを副学長に

 下関市立大学の川波洋一学長は3月16日、大学に新たに2人の副学長ポストを置くことと、その人選について発表した。しかし、その内容に下関市立大学の教員のみならず、市長による大学の「私物化」に疑問を呈している市民も、呆れざるを得なかった。

 副学長の一人は、専攻科の教授に内定していた、ハン・チャンワン氏。前田市長が大学に採用を要請して、学内の教授らで構成される教育研究審議会の承諾を得ぬまま、強引に教授内定が決まっていた人物だ。しかもハン氏は、今年1月に、大学の経営側とも言える理事に任命されていた。

 下関市立大学には経済学部しかないが、ハン氏は特別支援教育の研究者である。大学の従来の教育分野とは関係ない人物が、市長の要請によって採用されただけではなく、副学長に就任してしまった。理事としても、教育研究を担当するという。あからさまなコネ人事に、「ここまでやるのか」と驚きを通り越して呆れる声があがっている。

 さらに、もう一人の副学長は前事務局長の砂原雅夫氏で、下関市の職員OBだ。学識経験者でもない人物が副学長に就任したことにも、「なぜ教育者でもない人間が副学長に就任するのか」と関係者は怒りを隠せない。こうした人事は、大学内の教員に事前に通知されることなく、報道機関に発表されたという。

 下関市立大学の理事長も、元副市長だった山村重彰氏が務める。理事会だけで教育内容も人事も決めることができて、なおかつ市長が強引に採用した人物と、市職員OBが副学長に就任することで、市長の意向を受けた大学運営が可能になってしまった。

市民団体が定款変更と専攻科設置の停止求める要望書

 副学長人事が発表される前から、教員OBや市民からは市のやり方に反発する声があがっていた。1月31日には下関市民会館で元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士、元文部科学省官僚の寺脇研京都造形芸術大学教授、作曲家・指揮者の伊東乾東京大学准教授によるシンポジウムが開かれた。3人は下関市立大学の問題点を指摘し、「見逃すことができない大学破壊」だと断じた。

 3月14日には、市民団体「下関市立大学“私物化”を許さず大学を守り発展させる会」が、大学の定款変更と専攻科設置計画の停止などを求める要望書を、下関市と市議会、それに下関市立大学に提出している。

 一方、学内では昨年12月に、前田市長や理事長の意向を受けて専攻科設置と採用人事を進めた学長の解任を教育研究審議会が議決した。この議決を受けて、学長選考会議で解任について議論したが、会議のメンバーが経営側3人、教員側3人の6人の構成だったことから、3対3で解任は不成立に終わった。

 こうした状況の中、3月をもって他の大学に移っていった教員も数人いるという。理不尽な決定の数々に対して、抵抗しなければならなかった状況に、疲れてしまったのではないだろうか。

 さらに、定款が変更されたことによる「教育人事評価委員会規程」「教員懲戒委員会規程」「教育研究審議会規程」など、新たな規程の案は審議されないまま。今後、大学でどのように物事が決まっていくのか、教員がわからないという異常事態になっている。

下関市立大学の今後に注視が必要

 新年度を迎えたものの、新型コロナウイルスの影響で、下関市立大学ではまだ授業は始まっていない。5月18日から遠隔授業を始める予定で、教員は授業の準備に追われている。

 一方で教員は、今後大学が正常に運営されていくのかどうか、大きな不安を抱えている。大学では教員全体の9割がハン氏の教授採用や定款変更に反対してきた。教員たちは、これから理事会によって一方的な懲戒処分など、強権的な弾圧が行われるのではないかと危惧している。

 その危惧には理由がある。すでにハン氏が、自分の採用に反対した経済学部の学部長と副学部長の2人に対し、「プライバシーの侵害」と「名誉毀損」があったとして損害賠償を求める民事訴訟を起こしているからだ。

ハン氏の教授、理事、副学長就任以外にも、首を傾げざるを得ない人事が次々と明らかになっている。専攻科設置に伴いハン氏とともに採用された数人のうちの1人は、専任講師と昨年9月の教育研究審議会で報告されていたが、准教授として採用されたことがわかった。さらに、専攻科の事務職員が不正に採用された疑いもあるという。

 下関市立大学は1956年創立の下関商業短期大学を前身として、1962年に4年生大学になり、経済学部だけの単科大学としてこれまで実績を積み上げてきた。安定した黒字経営で、学生の就職状況も良好で、地方の名門公立大学として知られている存在だ。

 しかし、昨年6月以降生じている問題は、その実績だけでなく、今後の教育にも大きな影を落とす可能性がある。下関市立大学の動向は、今後も注視すべきだろう。

(文=田中圭太郎/ジャーナリスト)

2020年05月02日

高等教育予算の大幅増額・学習権保障を求める共同アピール

学生,大学教職員のみならず,市民の方の賛同署名もお願います.
署名サイト⇒「政府に対して、学費無償化に向けて足を踏み出すことを求めます

高等教育予算の大幅増額・学習権保障を求める共同アピール

わたしたちは学生たちの「学費半減を求める」運動に賛同し、
政府に「無償教育の漸進的導入」に取り組むことを求めます

2020年5月1日

高等教育予算の大幅増額・学習権保障を求める大学関係者の会

 新型コロナウイルスの感染が広がるもとで、世界は深刻な不況に陥っています。日本でも企業の倒産や失業者の増大などが広がっています。

 感染の影響は大学や短期大学(以下、大学)にも及んでいます。新学期を迎えた大学では、新入生たちをキャンパスに迎えることができずに、オンラインでの授業をせざるを得ない状況です。教員たちはその準備に追われています。また、職員たちは学生たちの支援に力を尽くしています。

 同時に、わたしたちが直視しなければならないのは、学生たちもかつてない厳しい状況におかれているということです。とりわけ世界有数の高学費、そして貧困な奨学金制度のもとで学ぶ権利を奪われようとしている大勢の学生がいることです。

 高学費を学生自らが負担することは困難であり、家族が学費を負担することが一般的です。しかし、不況が深刻化するもとで家計の経済状況は急速に悪化しています。学生たちのアルバイトも営業の自粛などによってその機会が奪われています。一方で、オンライン授業にともなう支出の増大にも対応しなければなりません。

 わたしたちは、いま全国的に広がっている学生たちによる「学費半減を求める」運動は正当なものであると考えます。しかし、それは新型コロナウイルスの感染にともなう緊急避難的な要求にとどまらないものという認識をもつことが必要です。

 大学の教育は商品やサービスではありません。教育は高等教育までを含めて基本的人権の中核をなすものです。また、対面での授業はできなくなったとはいえ、大学は懸命にオンライン授業を行うなどして学生たちの学びを保障しようとしています。対面授業ができなくなったからといって、学費を引き下げるという論理は適切とはいえないでしょう。

 高等教育についても日本政府は「無償教育の漸進的導入」を国際社会に対して約束しています。このようなことからすると学生たちの要求は、国際水準に立ったものとして受け止めるべきです。ここで「無償教育の漸進的導入」とは、学ぶ権利を保障するために、(学費以外を含めて)教育費の負担を徐々に減らしていくということです。

 いま全国の大学では、①オンライン授業のための費用を大学が負担し、全学生に一律3~5万円程度を支給する、②学費納入期限の延長や分納の措置をとる、③(一部の大学では)独自の給付制奨学金を設ける、といったことが行われています。しかし、これは新型コロナウイルスの感染の広がりへの対応として不十分です。加えて、「無償教育の漸進的導入」という国際社会の到達点からしても大きな問題点があります。肝心の学費、とりわけ授業料は据え置かれたままであるからです。

 なぜ、このような状況なのでしょうか。学費が無償であったり低学費であったりする国では、日本のような「学費半減を求める」運動は起こらないのではないでしょうか。日本では、世界的に見ても高等教育(を含め教育)に対する公財政支出が貧困です。そのため学生や家族は学費負担の重さに苦しめられています。一方、大学は学費収入に大きく依存せざるを得ません。それは、とりわけ私立大学において顕著です。

 個別の大学で学生の経済的な困難に対する支援策を抜本的に拡充することには限界があります。また、財政的に一定の余裕がある大学であれば学生に対する経済的な支援は可能ですが、すべての大学がそのようなことができるわけではありません。

 いま求められているのは、高等教育予算の大幅な増額であり、すべての学生の学ぶ権利を保障することです。学費を引き下げ、給付奨学金の対象者の拡大などが急務となっています。そのためには、国民的な運動が必要です。大学関係者も連帯して社会に対してこのことを積極的に呼びかけていく必要があります。

 新型コロナウイルスの感染の拡大は、さまざまなシステムの限界を露呈させています。危機の状況にある現在だからこそ、未来を切り拓く若者たちに対する社会的な支援が必要です。わたしたちのアピールへのみなさまの賛同を心から呼びかけます。

井上 千一(大阪人間科学大学)   
岡山 茂 (早稲田大学)      
片山 一義(札幌学院大学)     
國本 真吾(鳥取短期大学)     
小池由美子(上田短期大学)     
小山 由美(日本大学)       
西垣 順子(大阪市立大学)     
藤原 隆信(筑紫女学園大学)    
細川 孝 (龍谷大学)       
堀 雅晴 (立命館大学)      
光本 滋 (北海道大学)      

事務局(連絡先)          
細川孝(hosokawa@biz.ryukoku.ac.jp)


コロナで困窮する大学生、国は救済してくれないのか あまりに少ない予算措置、このままでは大量の中退者を生むことに

JBpress:2020.4.30(木)

2020.4.30(木)
玉木 俊明

 令和2年度文部科学省補正予算(案)が発表された。GIGAスクール構想の加速による学びの保障への2292億円という大型予算、学校における感染症対策事業への137億円、学校等衛生環境改善(トイレ・給食施設等)への106億円といった比較的大型の予算も組まれている。

 ところが、国立大学における授業料減免(案)が4億円、私立大学等授業料減免等支援(案)が3億円でしかない。このコントラストには、唖然とするばかりである。

 国立大学の授業料減免の目的が、「新型コロナウイルスの感染拡大の影響によって、意欲のある学生が、経済的理由により修学を断念することがないよう、国立大学が行う授業料減免を支援する」となっており、私立大学授業料減免支援に関しては、「新型コロナウイルスの影響により家計が急変した家庭の学生に対して、授業料減免等を実施した大学等に対し、私立大学等経常費補助金により所要額の一部を補助(補助率1/2)」とある。

 国立と私立を合わせてわずか7億円である。これはあまりに少額であり、焼け石に水にすらならない。石はずっと焼け続けるであろう。ほとんどの学生にとって、この援助では役に立たない。
多くの学生はアルバイト収入なしでは生活できない

 国立大学の授業料は年間53万5000円、私立大学の学費は、文系で100万円を超え、理系で150万円を超えるのが普通である。

 そのため自宅生の比率が増え、私の学生時代には自宅か下宿かは通学に2時間かかるかどうかで決められたが、現在ではそれが2時間半になっている。

 今年度からはじまった高等教育無償化の対象となる世帯収入は、380万円であり、それは学生が高等教育を受ける機会をより広げたものの、十分ではないことは明らかである。私見によれば、せめて600万円にまで引き上げる必要がある。

 多くの学生は、決して贅沢な暮らしをしているわけではない。これは、学生と日常的に接触している私の偽らざる気持ちである。授業料は保護者に出してもらっているが、生活費は自分で稼いでいる学生は決して稀ではない。

 高校生の時から奨学金を借りており、大学卒業時には1000万円以上の借金を背負っている学生もいる。そういう学生は、たくさんのアルバイトを入れていたりする。たとえば、授業料を奨学金で支払い、生活費はアルバイトにより賄っているのである。貸与型の奨学金が大半を占める現在においては、そうして生活するしかなく、彼らには、卒業後、重い借金が課せられるのである。

 しかも、受験生人口が激減したため、私の学生時代だった1980年代とは違って、家庭教師や塾講師などのアルバイトで高賃金を得ることはきわめて難しい。学生のアルバイト先は、コンビニや飲食業が圧倒的に多い。そこに今回の新型コロナウイルスの蔓延で日本全国に緊急事態宣言が出されたために、学生のアルバイト先も急速に縮小しており、彼らが生活していくこと自体困難になっているのが現状である。

 その彼らに対する援助額が7億円しかないなら、「国はほとんど援助する気がない」とか「文科省は学生の学習権をかなり軽視している」と受け止められても仕方がないであろう。

 しかも、多くの私立大学側にも、生活に窮するすべての学生に対して、授業料を減免してあげるだけの経済的余裕はない。

教職員の負担も激増

 教員も、決して安楽な生活をしているわけではない。これまで動画配信やオンライン授業などまったく興味がなかった60歳代の教員も、突然それらを使った授業を余儀なくされ、膨大な時間をかけて試行錯誤している状態だ。

 教員は、自分のことだけを考えているわけではない。学生がちゃんとオンライン授業に参加できるためにはどうしたら良いのかと、絶えず悩んでいる。オンライン授業に参加できない学生が一人でもいることは、大学としてきちんとした教育を提供する義務を放棄しているということになるからである。

 さらに、外国人教員の中には、日本語があまりできない人がいるが、そういう人たちのために日本語のマニュアルを苦心惨憺して読み、英語やドイツ語やフランス語やイタリア語や中国語やロシア語などに訳すことに膨大なエネルギーをとられている日本人教員もいる。そのために土日返上で働いて、自分の授業の準備すらままならない有様だ。本当に倒れそうになって働いている同僚を見るにつけ、身体を壊さないかどうか心配になる。

 オンライン授業に慣れていないというだけではなく、これまでの対面形式の授業がいかに効果的・効率的であるかということを実感しながらも、どうすればそれに劣らない授業を提供できるのかと悩んでいるのが、平均的な教員の姿なのである。

 大学の職員も、在宅勤務状態にあり、以前ほどには効率よく働けない。しかし、緊急事態が発生したからこそ、確実に学生に、特に新入生に情報が伝わるよう、じつに苦労している。

 一番大変なのはこの春入学した新入生だろう。そもそも高校生から大学生になるだけで、生活は大きく変化する。これは、多くの読者にも経験があろう。それに加えて今回は、おそらくこれまで経験したことがないオンライン授業で大学の講義が始まる。新入生はかなり混乱するはずであるが、その混乱をできる限り抑えるべく、職員も尽力しているのである。

ほとんどの私学は授業料減免する体力ない

 国立大学においては、学生は授業料を大学に収めるのではなく、国庫に納める。そして国は、学生数などに応じて国立大学運営交付金が支給される。したがって、授業料そのもので運営されている、というわけではないが、国立大学も経営力が問われる時代になっていると言える。

 だが、私立大学の経営環境はそれ以上に厳しい。約4割が定員割れしているといわれ、そのような大学の中には、危機的な財政状況に置かれている大学もある。実際、すでにリストラ、賃金カットが進んでいる私立大学は、決して珍しくはない。定年の年齢が引き下げられた大学も少なくはない。任期制の教員は当たり前のことになった。教員の多くが、数年間の契約である場合すらある。このような傾向は、一般企業と同じである。

「豊かな私学」というイメージは、大規模私学の一部にのみあてはまるのである。多くの私学には、少数の学生だけならまだしも、多くの学生に授業料減免を実行する経済的余裕はない。

 仮に、収入が200億円程度で、そのうち授業料収入が100億円の大学があると仮定しよう。もし総額30億円の授業料減免をすることとし、それを教職員の賃金カットで補おうとすれば、専任教職員が500人というこの規模では普通の大学の場合、一人当たり600万円の賃金カットになる。これでは、教職員はとても生きていけない。十分な流動資産がある大学なら、賃金カットは不必要かもしれないが、そのような大学はほとんどあるまい。今回の文科省(案)は、それを理解しているとは思えないのである。

国は学生にもっと多くの財政的支援を

 もし、政府の方針通り、私立大学の学生には3億円の援助があったとしよう。しかし、文科省の指針を文面通り読むとするなら、授業料減免などをした大学の所属する学生しかこの特典に与かることはできず、それは恵まれた数少ない私学の学生に限定される。さらにそうした私学に通う学生の家庭は、むしろ比較的裕福だと推測される。であれば、文科省の政策は格差を助長することになり、明らかに間違っていると思うのである。

 政府のすべきことは、困っている学生に財政的支援をすることにほかならない。アルバイトで生活していた学生に対する給付金を支給することが必要なのである。そこに目を向けてくれるならば、国立と私立を合わせて7億円というような金額ではなく、最低でも数百億円単位となるはずだ。もちろん私立大学は、それに加えて、授業料減免の学生数を増やす取り組みもしなければならない。

 それで少なからぬ学生が退学しなくてすみ、日本社会は安定し、将来有望な若者の芽を摘み取ることがなくなるのならば、社会にとっても大きなメリットがある。このメリットを、わが国は、もっと重要視すべきではないか。

 このままいけば、就職氷河期のため正社員として就職できなかったロストジェネレーションと呼ばれる人々を再生産することになってしましかねない。いや、正確には「中退ジェネレーション」と呼ぶべきであり、彼らの境遇はさらに悪い。

 そうならないためにも、国は学生にもっと多くの財政的支援をすべきだと訴えたい。学生の学習権を保障することこそ、このような緊急事態における国家の責任ではないだろうか。