全国
 カテゴリー 2021年04月

2021年04月15日

北大前総長解任訴訟で驚きの展開、北大「名和前総長のパワハラはなかった」で解任理由が崩壊

リアル・エコノミー(2021/04/12)

 北海道大学前総長の名和豊春氏(67)の解任を巡る取り消し訴訟の一環として、名和氏など原告側が求めた(名和氏の)パワハラに関する文書が、北大側に存在しなかったことが明らかになった。9日の個人情報不開示取り消し訴訟で、北大側はパワハラに関する文書不存在を認めたことで分かった。これによって学内規定に基づく文書が存在しない中、「パワハラ」がひとり歩きして名和氏の解任に至ったことが明らかになった。

 名和氏は、北大総長選考会議による調査委員会の報告を基に、ハラスメントなど不適切な言動があったとして文科省から昨年7月に解任された。その後、名和氏は文科省と北大を相手取って解任取り消し訴訟を提起。また、北大に対して、自身のパワハラに関する個人情報不開示処分の取り消しを求めた訴訟も同時に提起していた。

 9日、個人情報不開示処分取り消し訴訟の第2回弁論が行われ、北大側は当初の「文書が存在するか否かを含めて不開示」との主張を一転、文書そのものが存在しないことを陳述した。このことによって、学内規定に基づく「パワハラ」被害や相談・調査、認定はなかったことになり、解任の根拠とされた「パワハラ」が存在しなかったことになる。

 北大側は、こうした文書の存在がなかったにも関わらず名和氏の解任を実行したもので、学内規定に基づかない解任だったことが明確になった。今後は、総長選考会議の調査報告書に記載されたハラスメントに関する記述の正当性が問われることになる。

 名和氏は、「2年半にわたって戦ってきたが、やっと自分が(パワハラを)やっていないことが認められた」と話した。弁護団長の佐藤博文弁護士は、「北大のパワハラ文書不存在は、総長解任取り消し訴訟の重要なターニングポイントだ。北大で正式にパワハラ認定していないのに、なぜパワハラがひとり歩きしたのか。北大は学内外に向けてパワハラ報道等を否定すべきだったのに何もせず、今日まで放置した。本体の解任取り消し訴訟の手続きの問題として、重要な問題になっていくだろう」と話している。


2021年04月11日

追手門学院大学・元学長ら2教授懲戒解雇事件、控訴審で原告「勝利和解」!

大阪高裁での「和解」について(2021年4月3日「田中君を支える会からのお礼と報告」を一部抜粋・加筆)

大阪高裁での「和解」について
(2021年4月3日「田中君を支える会からのお礼と報告」を一部抜粋・加筆)

 田中君は落合正行さんとともに 2015 年 10 月 25 日に追手門学院大学を懲戒解雇されました。2015 年 12 月 28 日に大阪地裁に懲戒解雇撤回を求める裁判を提起し、2020年 3 月 25 日の一審判決での勝利ののち大阪高裁で控訴審が続いていましたが、2021 年3 月 24 日に和解が成立し、5 年半に及ぶ裁判が終結しました。
 田中君は控訴審でも断固とした勝利判決を得て被告に真摯な謝罪を求めたいと考えていたことから、謝罪表明がなされずに和解することに「主観的には納得のいくものではなく、苦渋の決断であり、断腸の思いです」と語っていますが、客観的には完全な「勝利和解」と言える内容でした。
 懲戒解雇が撤回され、定年退職まで教授職の地位が確認されたことなど、まさに勝利であり、みなさまと共に喜びたいと思います。
 なお、和解にあたって下記(1)~(4)以外は「正当な理由なく、第三者に口外しない」とされたことにより、詳しくご報告できないとのことです。

(1)1審原告落合正行及び 1 審原告田中耕二郎に対する懲戒解雇及び普通解雇の意思表示が撤回されたこと。
(2)1審原告落合が、平成 31 年 3 月 31 日をもって定年退職したこと、及び、同退職時点において追手門学院大学心理学部教授の地位を有していたこと。
(3)1審原告田中が、令和 2 年 3 月 31 日をもって定年退職したこと、及び、同退職時点において追手門学院大学経営学部教授の地位を有していたこと。
(4)本件訴訟が訴訟上の和解により終局したこと。


2021年04月05日

下関市大・飯塚靖先生の理事解任に抗議し撤回を求める 「大学自治」の恢復を求める会が声明

■長周新聞
 ∟●下関市大・飯塚靖先生の理事解任に抗議し撤回を求める 「大学自治」の恢復を求める会が声明(2021年4月4日)

 下関市立大学の学部長を務め理事でもあった飯塚靖教授が、昨年秋におこなわれた大分でのシンポジウム「大学の権力的支配を許すな!」のなかで同大学の現状をのべ、大学運営の在り方について憲法や法律に照らして疑義があると指摘した後、同大学から理事を解任されたことをめぐって、3月25日に『「大学自治」の恢復(かいふく)を求める会』が全国の大学関係者65人の連名で抗議声明を発表した。以下、その内容を紹介する。

◇-----声明-----◇

 昨年10月18日、「大学の権力的支配を許すな!」(主催「大分大学のガバナンスを考える市民の会」)のテーマで、シンポジウムが行われました。このテーマは、一昨年大分大学でおきた学長の不当な権限行使が、現在問題となっている学術会議会員の任命拒否とも通じることがらであり、大学のあり方として見過ごすことができない、との認識から設定されたものです。そして、今、全国の大学で学長権限が強化され、大学が強権的に支配されつつある現状を、大学の自治・学問の自由の点から考えることとし、全国的な状況と大分大学の事例及び下関市立大学(以下、「同大学」という)の事例の報告をメインに討議がなされました。

 ところが、このシンポジウムで同大学の事例を報告された飯塚先生が、その後ほどなくして、理事を解任されました。解任の理由は、「地方独立行政法人法」第一七条二項の「役員たるに適しないと認めるとき」に該当するとのことです。しかし、飯塚先生の報告は、同大学で起きた事態や同大学の規程が、法律や文科省の通知に照らして疑問があることを、教員・研究者として学問的見地から報告されたものです。この報告について、理事としての資格を理由に、「役員たるに適しない」とされる理由は全くありません。

 既に、飯塚先生は、それまで同大学で起きている事態の問題点を学内で指摘されていました。そもそも、大学の運営に憲法や法律に照らして疑義がある場合に、それを是正するために発言することは、教員・研究者そして理事としても当然の行動です。まして、理事の忠実義務に違反するものでないことはいうまでもありません。仮に、理事長が法律や重要な法慣行に抵触することを行っている場合や、行おうとする場合に、それを諫めずに、ただ従順に理事長に従うとすれば、むしろそのような態度こそが理事の忠実義務に違反するものというべきです。

 また、公的機関である大学の運営に関し、理事として問題点を指摘することは、大学の運営に携わる者として当然の責任であり、忠実義務の核心をなすものです。言葉を変えれば、理事長の方針に反対の立場を表明した理事を理事長が解任することは、イエスマンだけの理事からなる理事会にすることであり、多様な意見を出し合って妥当な結論を導き出すという合議体本来のあり方を損ない、理事長独裁体制になることを意味します。

 言うまでもなく、大学は、学問研究の場として自由な討論が保障されなければなりません。そのことは大学の管理運営についても同様であり、憲法が保障する学問の自由として、「大学の自治」が制度的に保障される趣旨が及ぶものといえます。その意味で、今回、飯塚先生の理事解任は、理事長の権力的な支配を強化する象徴的な出来事であり、同大学のこのような措置は憲法上の問題としても重大なものです。

 加えて、今回は、「理事」としての行動ではなく、休日における「個人」としての学外の市民団体の集会での発言が問題にされています。勤務時間外の学外での個人的な言動をもって、「役員たるに適しない」として責任を問うことは、憲法で保障された、思想・表現の自由の侵害であり、この点も厳しく批判しなければなりません。

 さらに、同大学で生じている事態は、現在、全国の大学においてガバナンスが強化されている状況において、大学本来の使命を無視した権力者によって大学が支配されれば、大学がどのように破壊されていくかを示す最先端の事例としてとらえることができ、このような大学当局の姿勢を厳しく批判し、同様のことが起こらないようにしなければなりません。

 以上のことから、私どもは、飯塚先生の理事解任に強く抗議し、撤回を求めます。以上

2021年3月25日
「大学の自治」の恢復を求める会


変貌する下関市立大学への危惧、2年間で3分の1の教員去る 前田市長ごり押しの教員採用が契機

■長周新聞
 ∟●変貌する下関市立大学への危惧、2年間で3分の1の教員去る 前田市長ごり押しの教員採用が契機(2021年4月4日)

 市長や政治家、市幹部職員OBの介入による私物化や独裁的な大学運営が問題視されてきた下関市立大学で、今年度末に12人の教員が退職することが明らかとなり衝撃が走っている。昨年度の退職者も合わせると、2年間で17人が大学を去ったことになる。全教員が50人前後しかいないのに3分の1がわずか2年で去っていき、退職後の教員補充は数人にとどまっている。一昨年から前田市長がごり押しした教員の採用をめぐって、学内で定められた手続きを経ることなく決定したのを機に、今年度はさらに理事会や学長権限を強めた独裁的な大学運営に拍車がかかり、嫌気がさしたり精神的に疲弊させられた教員たちが他大学へ転出していく動きが加速している。大学に在籍する学生からは「とりたい専攻の先生がいない」「ゼミ定員が14人から18人に増えて、少人数教育とはいえない状況」という声も上がっている。下関市立大学でいったい何が起こっているのか、取材してきた記者たちで状況を集中してみた。

 A 独法化以後の下関市立大学をめぐる問題は多々あったが、この数年で特に変質に拍車がかかったのは、2019年5月末以後、前田晋太郎市長が当時、琉球大学に在籍していた韓昌完(ハン・チャンワン)教授とその研究チームを下関市立大学に迎え入れようと専攻科設置に向けて動き出したことが発端だった。

 通常なら専攻科設置は大学内で何年にもわたって議論を重ねて進めていくものだ。なぜか? 大学の将来像を描きながら、それを支えるスタッフや教員が一丸となって建設していくからで、みなの共通の合意なり意志が欠かせないからだ。ところが前田市長の意向で唐突に動き始め、教育研究審議会も経ずにハン教授と研究チームの女性2人の採用を決めた。6月には大学で専攻科設置と教員採用が動き始め、寝耳に水だった教員たちは驚いた。経済の単科大学にいきなり教育学部の専攻科を設置するわけで、「小学校教員の免許がとれるなど初等教育の基盤のうえでの専攻科設置なら理解はできる。だが今回の専攻科設置はわかりやすくいえば市大に宝塚劇団をつくるのと同じぐらいあり得ないこと」(大学教員)ともいわれていた。学術的な専門性がない市長の思いつきや一存で、大学の教員採用や専攻科設置が決まるなど、大学の常識からしてあり得ないことで、これに対して9割の教員が撤回を要求する事態に発展した。

 下関市立大学ではこれまで教員人事や教育・研究内容について、教授会や教育研究審議会などに権限があり、客観的な評価に基づいた厳正な選考がおこなわれてきた。ところが今回の専攻科設置や人事については、その審議などまったく経ぬままで、それに対して教員が反発すると、人事や教育内容などについてすべて理事会で決定できるように定款変更議案を同年9月議会に提案し、ろくな審議もなく自民党多数の議会が採決した。

 この定款変更によってたがが外れたように大学運営はさらに暴走を始めることとなった。ルールを逸脱したことが問題視されたら、ルールそのものを変えてしまえばいいじゃないか! をやったわけだ。まるで安倍晋三の解釈変更とそっくりなのだが、この定款変更によって大学運営の在り方は大幅に変化した。2020年1月にはハン教授を市立大学の外部理事に任命し、4月からは新たに副学長ポストをもうけて、ハン教授と事務局長の砂原雅夫(市役所元総合政策部長)を副学長に任命した。

 B 市役所の幹部職員OBが副学長というのも、役所関係者のなかでは「通常なら学位もない者が“おこがましいことです…”といって本人が断るだろうに、砂原さんは就任しちゃうんだ」「公務員としては一丁上がりで、次はどこを目指しているんだろうか?」と驚きの面持ちで語られていた。事務局長ポストも市役所退職者としては大概な高給取りの天下り先ではあるが、学長に次ぐ地位に就いたということでどよめいていた。大学理事長には江島市長時代の副市長だった山村氏が前田市長の任命でポストを得て、山村&砂原コンビでいわゆる「大学改革」が始まったのだ。理事長、学長、副学長2人の報酬だけで6000万円というから、一般の市民からすると驚きだ。「市役所を退職してもそんなに高給なイスがあるんだ」と--。

 C 昨年度と今年度末で17人も転出していったのは、やはりこの1、2年の大学運営の在り方への反発が主因だ。「なぜ先生たちは辞めるのか?」と尋ねると、「もうやってられない…」と疲れ果てた感じで胸中を吐露する人も少なくなかった。懲戒をちらつかされたり、物言えば唇寒しで精神的にも参っていたり、昔の自由闊達だった頃の市立大学の先生たちのイメージとはほど遠い重い空気が覆っている。それ自体、市立大学の変貌ぶりを示していると思う。侃々諤々(かんかんがくがく)で自由に意見をのべ、時として感情的にぶつかることはあっても、議論が終わればみんなで飲みに行くとか、カラっとした空気が昔はあったという。立場にかかわらず、思ったことをのべる自由は保証されていたし、そんな熱い議論のなかから下関市立大学をみんなで盛り上げてきたという自負みたいなものを語る元教員は多い。

 ところが、ここ数年は上意下達で意見をのべることすらはばかられ、息苦しいと教員の多くが口にしている。大学としては言論の自由とか、民主的な組織運営が生命線だと思うのだが、如何せん体制上も教員に発言権がなくなってしまっている。かつて在籍していた先生たちが見たらさぞかし驚かれると思う。携帯に「下関市立大学は大丈夫なのか!」と連絡してくる元教員や転出された教員の方もいるのだけど、この間の顛末を話すとみな仰天している。「植田(元事務局長・市役所OB)・松藤(元理事長・市役所OB)も大概だったが、私たちが在籍していたときよりひどくなっているじゃないか!」と   。

 A 2020年度に入って、とりわけハン教授を招聘してからの変化がとくに大きいと誰もが指摘している。なぜそんなにとり立てられるのか意味がわからないのだけど、赴任半年で「副学長」「経営理事」「大学院担当副学長」「相談支援センター(ハラスメント相談含む)統括責任者」「国際交流センター統括責任者」「教員人事評価委員会委員長」「教員懲戒委員会委員長」を兼任するようになった。教員人事も教員の懲戒もすべて握ることになり、異常な権限集中がおこなわれたのも特徴だ。

 同年5月には『教員採用選考規程』を変更し、第一一条(雑則)に、「学長は、教員採用に関し、全学的な観点及び総合的な判断により必要があると認めた場合は、この規程によらない取り扱いをすることができる」と規定した。つまり教員の採用については公募、面接試験、教授会や教育研究審議会の業績審査なしで、学長の権限で採用を可能とするものだ。そして新規程によって6人の教員が採用された。2019年度に採用が決まったハン教授を含むチーム3人を合わせるとその関係者は9人になる。一方で在籍する教員らは、新たに採用された人物が、どんな研究や業績を残してきたのかも知らされぬまま、「採用決定」というメールにて事実を知らされるという状態だ。

 C 「学問の自由」「大学の自治」といわれるが、それは公平で客観的な人事方法にあらわれてきた。学長の判断で人事が決まること自体、学術的世界の常識とかけ離れているのだが、規程変更でそれさえも可能になった。

 教員の一人は「新しく教員を採用する際、私たちも事前にその人たちの論文を読む。文体からその人の癖とか性格などが見える。だから採用の審査を通じて、その人の基本的なことがわかるようになっていた。ところがそれを“スピーディーな人事が必要”といって学長権限で次々に採用する。新しく採用された人物がどんな人かもまったくわからないままだ。私立大学であっても教員採用について教授会の審査や意見聴取をするのがあたりまえだ。公立大学を名乗るならなおさらだが、在籍する教員が知らないうちに学長の判断で採用されるなど、もはや大学ではない」と語っていた。

 別の教員は「採用される場合、私たちはまな板の鯉状態だ。これまでの経歴や論文などをすべてさらけ出さなければならない。市立大学は採用規程が厳しいことで有名で、私たちは100人のなかから選ばれている。そのなかで教育や研究の質が担保されてきた」と語っていた。

 そうした厳しい採用規程で選別された教員たちによって下関市立大学の教育の質も担保されてきたわけだが、学長なり大学上層部の一存によって採用が決まっていく方式へと変貌したのだ。これは回り回って学生たちに響いていくから、教育の質がどうなっていくのかが心配でならない点だ。

大学院でも学長の判断で教員任命

 A この4月から新たに大学院の新領域として教育経済学領域をもうけたのだが、フタを開けてみれば一般選抜(口述試験のみ)で選ばれた合格者は、市役所OBの砂原雅夫氏(下関市立大学副学長、事務局長)や安倍派の旅館経営者、ハン教授がつくるH財団が住所をおく市大の元経営審議委員のメンバーやその関係者も合格者に含まれており、お友だちや関係者ばかりであることが話題になっている。

 さらに教育経済学領域の大学院の教員メンバーも、ハン教授と研究グループの女性2人、その後採用された韓国人准教授2人、そして4月から着任する男性教授(前任校は岡山理科大学)の6人だ。通常ならば大学院の教員になるのは厳正な資格審査等が必要になるが、今年2月には「大学院教員資格審査規程」の変更をおこない、学長が認めれば大学院への任命が可能になった。つまり教える側も教えられる側もハン教授の界隈の人たちということになり、いったい何が始まるのだろうか? と不思議がられている。しかし、こればかりは始まってみなければ良いものなのかどうかも周囲にはわからない。「大学院の教育経済学領域でどんな教育や講義がおこなわれるのかは、彼らの関係者以外はまったく他の人の目にふれることができない状態になる」と危惧する教員もいた。

 B 別の教員は「大学院で教鞭をとることを許されるというのは、私たち大学教員としては嬉しいことだ。大学研究者としての経歴や論文、実績について厳正な資格審査や検証を経て認められてようやくその資格を得ることができるからだ。ところが今回の規程変更で、学長の判断だけで大学院の教員として任命できることになった。何の専門性もない学長の一存でなぜ決められるのか。長期的に見れば大学としての名声も落ちていくし、何よりも専門性が失われていくことが一番心配だ」と話していた。

 体制上は学長権限が強まっているのだけど、川波学長の存在感よりもハン副学長の存在感の方がはるかに上のような印象すら受ける。鳴り物入りで招聘されて、来るなり理事や副学長はじめとしたポスト・権限を総なめにするかのように与えられて今に至る。市長の私物化人事とはいえ、これほどまでに持ち上げられる意味が第三者からするとよくわからないのだ。しかし、前田市長をはじめとした下関側の関係者がことのほか大先生のように持ち上げているから、下関市立大学がこんなことになっているのだ。それで教員がみな逃げていくというのでは本末転倒にも思えるが、結果的に嫌気がさして辞めていく人が後を絶たない状況なのだ。

 A 教員が大量に辞めてしまったことで、授業のカリキュラムやゼミの体制などが危ぶまれている。そりゃ五十数人の教員のうち2年で17人も辞めていったのだから、無理が祟るのも当然だ。穴埋めで誰でもいいから雇ってしまえみたいな格好になってしまうと、これまた教育の質にも直結してしまうから心配なのだ。学生たちからすると学びに来ている訳で、ゼミを担当していた教員がいきなり辞めていったり、おかげで選択肢が狭まったり、そんなはずじゃなかった事態でもあると思う。

 こうした事態を招いたことについて、前田晋太郎やその仲間たち、下関市議会はどう責任を負うのだろうか。下関市立大学を崩壊させているではないかというのが率直な思いだ。やはり教員というのが大学にとっては人財であって、人材ではないことを物語っているように思う。材料ではなく財産なのだ。

 C 下関市立大学は公立ということで、他大学の受験に失敗した学生なども多く入っていた。一度目標を失いかけた学生に対しても、新しい目標設定をさせて卒業させる、そういうセーフティネットを支える教員がいた。ところが教員がやめていき、補充されたのはハン教授のグループの9人。市民の税金を元手にする公立大学のあり方として、市長やその周囲のお友だちのために予算が投入されるのが妥当なのかどうかも問われている。

 他大学の教授たちとも話になるのだが、いわゆる大学の人事の暗黙の了解として“自分よりアホはとるな”というのがあるそうだ。上下関係をつくってしまうと学問、研究にもよからぬ影響が及ぶもので、自分の教え子や後輩といった学閥関係や地縁、血縁がからむ人事は避けるべきというのがルールとしてあるのだという。公表している経歴を見ると、この間に下関市立大学で採用された教員の多くが、ハン教授の学閥や同窓や教え子などだ。いったいこの先どんな大学にしようとしているのだろうかと思う。下関市が税金を投入している大学なのだから、しっかり議会にも報告させなければならない。私物ではないのだから、役所OBなり大学上層部の勝手でしょという訳にはいかないのだ。最大の責任は前田晋太郎にある。

 B 大学では教員たちが疲弊しきっている。物いえぬ空気が強まり、鬱屈した思いを抱えながら吐き出せず、吐き出せば懲戒になるのではないかといった恐怖政治が敷かれているからだ。不自由で非民主的というのは、人間を萎縮させ、創造的で能動的な思考を阻害し、息苦しさがつきまとう。時として人の顔つきまで変えてしまう。そうではなく自由で創造性に満ちた、のびのびとした環境が学問や研究には大切だ。しかし、その環境が日本全国の大学でも奪われつつある。下関市立大学の変貌はその最先端を行っているようにも思えてならないが、昨今の大学改革なるものの普遍性と特殊性を包含していると思う。その行き着いた先が教員の大量流出・退職で、「そして誰もいなくなった…」というのではお粗末極まりないとも思う。世界的に認められる優れた論文が減っていると問題になっているが、昨今の「大学改革」なるもののおかげで、日本の学術世界が萎縮し展望のない状況に追い込まれていることが原因だと思う。

 A 一下関市民からしたら、勤労学生たちを集めて夜間大学から出発し、今日まで築き上げてきた郷土の大学に何してくれているんだという思いもあるが、下関市立大学である以上、その実情について関心を寄せて見守っていきたいと思う。そして「おかしい」と思ったことについては、「おかしい!」と自由に意見をのべることこそが、下関市立大学への愛情だと思う。2年で17人の教員が辞めるなど、よっぽどだというのが率直な感想だ。

2021年04月03日

東北芸術工科大学アカハラ訴訟、原告「人格攻撃」謝罪して

しんぶん赤旗(2021年3月31日)

Document_20210331_0001.jpg