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2017年07月31日

同志社大学の不当解雇問題、浅野健一氏の定年延長に不正過小評価するための捏造か

人民新聞(1622号)2017/7/27

浅野健一氏の定年延長に不正過小評価するための捏造か

同志社大学の不当解雇問題

2017/7/27 1622号, 社会・文化運動

文責・編集部

 2014年、浅野健一氏は、同志社大学大学院で定年延長が拒否され、解雇されたのは不当として、教授としての地位確認などを求めて裁判を起こした。一審京都地裁判決で主張を退けられたが、始まったばかりの控訴審では、大学院の委員会が定年延長を許可しないと結論付けた際、判断材料になったとみられる浅野氏の研究業績が捏造されたものだった、との疑惑が新たに浮上した。

 きっかけは、控訴審にあたって浅野氏の代理人が、同志社大学が行った評価方法が適切だったかどうかを都留文科大学の早野慎吾教授に検証依頼したことによる。浅野氏の評価資料を作った中心は、同大学の小黒純教授。その資料には、浅野氏を過小評価するためのあり得ないほどの間違いが記載されていた。

 以下、早野教授が検証した結果である。まず、資料冒頭に、「(浅野氏に)大学院の教授の水準を満たす研究はない」と書かれている。浅野氏は、大学院担当教授として文科省が行った業績審査に合格判定されているので、明らかな間違いだ。文科省の審査に合格した教員(いわゆる○合教員)は、非常に少ない。

 「CiNii Articlesに基づく」との前置きで、「1994年4月以降、査読により本学外の学会で認められた論文は1本もない」とある。CiNii Articlesとは、国立情報学研究所が提供している学術論文検索用のデータベースサービスのことで、そもそも、CiNii Articlesに査読付か否かの検索機能はない。学術論文には、査読付とか審査付と呼ばれるものと、そうでないものがある。査読付論文とは、審査者が査読を行い合格した論文で、査読なしの論文よりも学術的価値が高いと評価される。また、雑誌の種類にもよるが、国内で発表された論文よりも海外(表記は主に英語)で発表された論文の方が、学術的価値が高いとされる。浅野氏は「Japan and America's War,” Harvard Asia Quarterly, Autumn 2001」など、海外で発表された査読付論文が5編ある。浅野氏に審査付論文が1本もないというのは、明らかな間違いである。

 さらにCiNii Articlesの検索結果として「(浅野氏が)2009年から2013年9月において発表されたのは、いずれも査読なしで、単著の論文は1本、大学院生との共著の論文2本、研究ノート2本のみ」と記されている。早野教授がCiNii Articlesで「浅野健一」「2009年~2013年」という条件を入力して検索すると、57件検出できた。筆者の目の前で検索したので、間違いない。単著53編・共著4編である。53編の単著を51編と間違える程度は起こりうるが、53編を1編(資料では1本と表現)と間違えることはあり得ない。ここまで来ると、間違いではなく「捏造」の可能性が高いと早野教授は判断している。

 さらに資料には、「研究論文の基本的作法が守られていない」「理論矛盾、私的体験の一般化」「大学院教授として品位にかける表現」など、誹謗中傷以外の何ものでもない内容が羅列されている。「浅野氏の業績を極端に過小評価させるための捏造書類を元に出された委員会決議は、すぐにでも撤回されるべきではないか。これを許すと大学自体が崩壊する」と、早野教授は警鐘を鳴らしている。

 なお、大学と小黒教授にこの原稿を送って疑惑の回答を求めたが、回答はなかった。

2017年07月21日

大学教員を腐敗させる教員人事システム、同志社大学では「捏造」業績評価

『紙の爆弾』2017年8月号

大学教員を腐敗させる教員人事システム、同志社大学では「捏造」業績評価

取材・文 早野慎吾

 昨年末のこと、弘中惇一郎・山縣敦彦両弁護士より、浅野健一氏の研究業績を検証してほしいとの依頼があった。
 浅野氏といえば同志社大学の名物教授で、メディア学専門の著名な学者である。メディア学が専門でない筆者も浅野氏の著作『犯罪報道の犯罪』(一九八四年、学陽書房)は知っている。それに浅野氏はすでに博士課程(博士後期課程)担当教授なので、今さら業績を調べてどうするのかと思ったが、どうも浅野氏の研究業績等に問題があるとして、社会学研究科委員会(大学院の教授会。以後、教授会)決議で定年延長を拒否されたとのことである。
 そこで第三者としての客観的な立場で、同志社大学が行なった評価方法が適切だったかどうかを検証してほしいというのである。
 数日後、浅野氏の研究業績と教授会が審査に使った「浅野教授 定年延長の件 検討事項」(以下「検討事項」)などが送られてきたが、「検討事項」には、唖然とするほど摩訶不思議なことばかりが書かれていた。
 浅野氏の業績と「検討事項」を精査していくと、浅野氏を同志社大学から追放する陰謀ともとれるカラクリが見えてきたのだ。
 単純なカラクリなのに、なぜそれがまかり通るのか。本稿では浅野氏の事例から、大学人事のシステムの問題点について考察する。

外部審査と内部審査

 「検討事項」の冒頭には、「(浅野氏に)大学院の教授の水準を満たす研究はない」と書かれている。浅野氏の正式な職名は、同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授。おまけに、文部科学省が行なった博士論文の指導のための業績審査で合格判定を受けているので、その「検討事項」の記述は明らかに間違いである。
 大学院で学位論文が指導できる教員になるには、文科省が行なう外部審査か、大学内で行なう内部審査で合格判定を受けなければならない。文科省が判定する外部審査のハードルは内部審査より高く、合格判定を受けた教員は○合(マルゴウ)教員と呼ばれる。大学院設置には、学位を出すために○合教員が必要となる。○合がいないと学位をだせないので大学院設置許可が下りないからである。
 大学院が設置されれば、あとは大学の内部審査(いわゆる身内審査)で判定できるので、文科省で不合格判定を受けた教員たちに合格判定をだして学位論文の指導をさせる。
 送られてきた裁判記録によると「検討事項」を作成した中心人物はA氏。浅野氏によれば、そのときA氏は修士課程担当になったばかりとのことである。大学院には修士課程と博士課程があり、修士課程修了後に、研究者を目指す学生が博士課程に進学する。博士課程のある大学院は、修士課程を「博士前期課程」、博士課程を「博士後期課程」とする場合が多いが、同志社大学も博士前期課程・後期課程としている。修士課程担当になったばかりの教員が、博士課程担当の○合教員に「大学院の教授の水準を満たす研究はない」と評価するのだから、驚きだ。
 「検討事項」には、次に「CiNii Articlesに基づく」との前置きで、「1994年4月以降、査読により本学外の学会で認められた論文は1本もない」とある。「CiNii Articles」とは、
大学共同利用機関法人国立情報学研究所が提供している学術論文検索用のデータベースサービスのことである。
 そもそも、CiNii Articlesには査読付かどうかの検索機能はないので、査読付か否かの判断はできない。それなのに査読付論文が「1本もない」とする記載は明らかな誤りである。この間違いがA氏の故意によるものであれば〝捏造〟であり、CiNii Articles機能を知らずに間違えたのならば、研究業績を審査する能力が疑われる。
 学術論文には、査読付(審査付、レフェリー付)と呼ばれるものと、そうでないものがある。査読付論文とは、審査者が査読を行ない合格した論文で、査読なしの論文よりも学術的価値が高いと評価される。また、雑誌の種類にもよるが、国内で発表された論文よりも海外(表記は主に英語)で発表された論文の方が、学術的価値が高いとされる。浅野氏は〝Japan and America's War,〟 Harvard Asia Quarterly, Autumn 2001など、海外で発表された査読付論文が5編ある。
 また、「検討事項」には「(浅野氏が)2009年から2013年9月において発表されたのは、いずれも査読なしで、単著の論文は1本、大学院生との共著の論文2本、研究ノート2本のみ」と記されている。これは「CiNii Articlesに基づく」とあるが、筆者がCiNii Articlesで「浅野健一」「2009年?2013年」という条件を入力して検索をかけると五七件がヒットした。単著五三編・共著四編である。五三編の単著を五一編と間違える程度は起こりうるが、五三編を一編(「検討事項」では1本と表記)と間違えることはあり得ない。ここまで来ると、間違いでなく「捏造」の可能性が高い。

大学人事における「研究業績」とは

 さらに「検討事項」には、「論文の内容には、客観的根拠がない推測による記述が多く含まれ、学術論文として不相応」と記されている。このA氏の「検討事項」こそ「客観的根拠がない推測」(もしくは捏造)と思うのだが、具体的に何を根拠に「推測による記述が多く含まれる」としたのか不明である。「研究論文の基本的作法が守られていない」「理論矛盾、私的体験の一般化」「大学院教授として品位にかける表現」なども書かれているが、ここまで来ると難癖以外の何ものでもない。「月刊誌、週刊誌等に掲載された記事は学術論文ではなくエッセイ」など、研究者とは思えない記述もある。月刊誌か週刊誌かなどは、刊行間隔の違いにすぎず、学術論文か否かと関係ない。有名な総合科学雑誌Nature(505,641647)に掲載された小保方晴子他のSTAP細胞の論文も、Natureが週刊誌なのでエッセイとなってしまう。もちろん、エッセイならあれほどの大問題にはなっていない。
 とにかく、浅野氏の業績を極端に過小評価させるための間違った書類を元に出された教授会決議はすぐにでも撤回されるべきである。
 大学の教員人事には審査基準内規があり、筆者が知る某国立大学の審査内規では、主たる審査項目を「研究上の業績」として、諸活動(「学会における活動」「教育的活動」「社会における活動」)を考慮することになっている。鹿児島大学大学院連合農学研究科ではウェブに大学院の教員資格審査の基準が公表されており、研究業績(副指導教員で審査付き論文一二編以上等)が判定基準となっている。研究業績以外で判定される場合もあるが(後述)、一般的には研究業績が最大の判定基準となる。
 当初、「検討事項」は、恣意的な間違いでない可能性もあると思っていたが、A氏が法廷でも間違いでないと証言したので、その可能性は否定された。
 浅野氏の例は、教員人事で最も重要な研究業績を間違った内容で極端に過小評価させ、さらに「品位に欠ける」などの難癖までつけている。そのような報告をもとに決議した教授会決定は、あまりに瑕疵が大きい。そのような理不尽が通ってしまうシステムが教授会にはある。

「教授ころがし」と「当て馬公募」

 一般の感覚では、大学の人事で捏造が通るはずなどないと思われるかもしれないが、そうでもない。さすがに捏造は少ないが、インチキは日常茶飯事で起きる。
 大学の教員採用人事は、まず学科とか講座とよばれる少人数の組織で行なわれる。近年は公募することも多いが、公募でもインチキは行なわれる。
 選考者(採用審査をする者)がある知り合いを採用したい場合、その人に応募させる。ここまでは、不正でも何でもない。しかし、明らかにほかの応募者の研究業績が優れている場合、「担当授業と専門が合わない」との魔法のことばを使って業績の多い応募者を外す。教授会には、論文数や年齢だけが報告されるので、「専門が合わない」と言われれば、他人は口を挟むことはできない。
 筆者の知る某国立大学では、そのような人事の結果、単著の論文が一編もなければ共著でファーストオーサー(代表者)すらない応募者が、多くの応募者の中から准教授として採用されたケースがある。なんと応募者の業績の半数に、選考者が共著者として名前を連ねている。選考者は自分でまとめた論文を自分で審査して、名前だけ共著者に連ねている応募者を採用したのだから、インチキそのものである。
 そのような手法で、ある教員グループは、それぞれの大学の教授ポストを回すので、筆者は「教授ころがし」と呼んでいる。たとえば、某国立大学の理科教育の歴代教員の経歴を確認すると、みんなH大学大学院出身で、さらに元H大学附属学校の元教諭(つまり小中高の教員)たちである。
 一般に教授会では、他学科(他講座)の人事には口出ししないという暗黙のルールがある。他学科の人事に干渉すると、自学科の人事で干渉されることになるから黙っているのである。結局、人事担当の学科決定が教授会でそのまま可決される。密室での決定が、ほとんど審議されることなく、そのまま決定・承認されるシステムである。
 浅野氏のケースは、このシステムが悪用された例と言える。捏造資料をもとに業績不足と報告されたとしても、あえてそのことに異議を唱える教員などいない。そこに書かれたことが捏造であるかどうかなどは関係なく、教授会で報告されたがどうかが全てである。A氏が作成した「検討事項」に学科全体が加担しているかどうかはわからないが、そのようなシステムの教授会では、学科で定年延長拒否が決定した時点で、浅野氏の定年延長はなくなったといえる。
 筆者が聞いたある私立大学では、公募で純粋に選考した人事に、他学科がクレームを付けて潰すこともあるという。それが嫌でお互い干渉しない暗黙のルールを作るのだが、すると自分たちのご都合主義が横行する。浅野氏の話によると、浅野氏が属していた学科(専攻科)では、優れた業績の応募者をことごとく外し、ある教員の関係者ばかりを採用していたとのことである。
 公募はその名の通り、公に募集をかけることを指す。しかし、公募したとの名目を得るために行なわれる「当て馬公募」と呼ばれるものがある。前出の某国立大学では、准教授から教授に昇進させるために公募が行なわれた。教授職を公募して、その准教授に応募させて教授として採用する。もちろんその公募で外部からの応募者が採用されることはない。そのことを情報公開していれば問題ないが、そうはしない。一般社会からすると信じ難い行為であり、どうして、そこまでして公募採用の形式が欲しいのか理解に苦しむところであるが、得てしてインチキを行なう者は形式だけは保とうとする。
 大学教員の公募は、国立研究開発法人科学技術振興機構が提供している研究者人材データベースJREC-INに公開される。研究者を目指す人はそこで公募情報を知る。某国立大学は、やたら厳しい条件を加え、募集期間を短く切って、JREC-INで公募をかける。そのような状況なので応募者は少ないが、真剣に大学教員を目指している人にとっては、非常に迷惑な話である。
 厳しい条件に、募集期間が短い公募は、「当て馬公募」を疑うべきだ。逆に極めて曖昧な条件の場合も、審査過程で恣意的に処理される可能性が高い。

資格審査の抜け道

 先ほど、大学教員には研究業績が重要と述べた。それでは研究業績のない元官僚やスポーツ選手が大学教授になれるのはなぜか。
 それは、文科省大学設置基準「教授の資格」第十四条に「五.芸術、体育については、特殊な技能に秀でていると認められる者。六.専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者」の項目があるからだ。この項目は、オリンピックのメダリストのように技能に秀でているものの、研究業績のない人材を教員採用するのに必要な項目であるが、官僚の天下りを容易にしてしまう。
 前出の某国立大学では新学部設置の際、経済産業省からの役人を学部長に採用している。天下りは文科省だけの話ではない。人事をスムーズにするルールは、エゴが働けばご都合主義の人事を許すことになる。すべて、諸刃の剣といえる。
 このようなご都合主義の教員人事がまかり通っている状況では、必死に研究業績を積んだ人材に職場が与えられず、選考者に都合のよい人ばかりが採用されることになる。また、浅野氏のように優れた研究業績をもつ研究者が、人間関係から職場を追われることもある。
 この教員人事システムが、優秀だが選考者には都合の悪い人材を排除するのに利用されているのは明らかで、これが大学教育の腐敗に繋がる。大学教員人事に、干渉ではなく検証するシステムを導入する必要がある。検証システムがあれば、浅野氏の例は防げたと考えられる。このことを話したら、某国立大学名誉教授のC氏は、「自分たちのインチキを通したいから、誰も検証システムをつくらないのですよ」と答えた。

編集部より
 浅野氏の「地位保全裁判」について、編集部が同志社大学に対し、「検討事項」の内容に〝捏造〟がみられることをどう考えるか、浅野氏の業績評価を見直すつもりはあるか、などについて質問したが、大学からは回答を得られなかった。なお、浅野氏の定年延長拒否の判断が下された当時の同志社大学学長は村田晃嗣氏で、安保法案に支持を表明、一五年七月の衆院特別委で、法案に肯定的な意見陳述を行なった人物。現在は松岡敬学長。
 ちなみに「検討事項」には、浅野氏が職場にいたことによるストレスで、「帯状疱疹」「突発性難聴」に罹った教員がいる、とも書かれていた。帯状疱疹はウイルスを原因とする疾患であり、ここにも「客観的根拠がない推測」が見られる。

早野慎吾 (はやのしんご)
都留文科大学教授(社会言語学)。宮崎大学准教授を経て現職。自らも大学によるでっち上げ事件の被害にあったが、最高裁で無実が証明された。


2017年07月20日

同志社大学を「追放」された浅野健一氏の裁判闘争は大阪高裁へ

進歩と改革(2017年5月号)

同志社大学解雇事件について,フリー・ジャーナリスト田中圭太郎氏が,『進歩と改革』2017年5月号に当該裁判の状況に関する論文を掲載した。

「同志社大学を「追放」された浅野健一氏の裁判闘争は大阪高裁へ
一審の京都地裁は手続きの瑕疵は「判断せず」,浅野氏の訴えを棄却-」
http://university.main.jp/blog/bunsyo/20170500%20shinpo%20to%20kaikaku.pdf

2017年03月31日

同志社大学解雇事件、京都地裁判決のP18~23「当裁判所の判断」

浅野教授の文春裁判を支援する会
 ∟●京都地方裁判所・地位裁判判決のp18~23

京都地方裁判所・地位裁判判決のp18~23
「第3 当裁判所の判断」

(注)支援会は、京都地方裁判所・地位裁判判決のp18~23「第3 当裁判所の判断」を文字にしました。堀内裁判長ら3人の書き残した判決の一字一句は歴史に残ります。歴史の審判に耐えられる「判断」だったかは、今後明らかになります。
日本国憲法「第六章 司法」の「第七十六条」3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあります。堀内、髙松、築山各裁判官は、良心に従い、権力から独立して、証拠に基づいた公正な判断を行ったかどうか、上級審で明らかになるでしょう。

〔 第3 当裁判所の判断
1 争点(1)ア(被告大学院教授は,就業規則10条1項,同附則1及び48年理事会決定により,原則として定年が延長されるか)について
(1)認定事実
前前提事実,証拠(乙6ないし12,37,56,76ないし80,証人冨田安信)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。

ア 就業規則10条1項,同附則1及び48年理事会決定に基づく被告大学院の大学院教授に係る定年延長は,研究科委員会又は研究科教授会の審理を経て,最終的には,被告の理事会で決定される。
研究科委員会又は研究科教授会の審理は,各研究科長からの定年延長の提案を受けて行われるが,その具体的手続は統一的な定めはなく,被告大学院社会学研究科を含む被告大学院の複数の研究科では,定年延長に係る審議の時期,審議資料,審議の方法,決議要件等の具体的手続につき,それぞれ申合せ等を設けており,ごく近年に設けられたものもあるが,古いものでは昭和61年(乙9),平成2年(乙8)に決定された申合せもある(乙6ないし12,76ないし80)。

イ 原告が所属していた社会学研究科でも,平成19年3月7日,「社会学研究科の人件に関する申合せ」(乙12)において定年延長についての申合せがある。社会学研究科の各専攻は,この申合せに従い,専攻会議において,各専攻に所属する定年延長対象者の定年延長を提案するか否かを決定する。その際,対象者の研究業績,教育実績及び学内の運営面での貢献度等,プラス面のみならずマイナス面も含めて総合的に考慮して決定することとされており,決定後は,各専攻の教務主任等から,研究科長に対し,定年延長の必要がある教員を報告する。上記報告を受けた研究科長は,社会学研究科の研究科委員会に対し,定年延長の議題を上程する。
社会学研究科の研究科委員会は,上記研究科長の議題上程を受け,対象者の定年延長の可否を「余人をもって代えがたい」か否か,又は,定年延長が特に必要であるか否かという観点から審議の上,議決する。研究科委員会で定年延長の議決がなされた者については,さらに理事会で審議が行われ,最終的に決定がなされる(乙56,証人冨田安信)。

ウ 平成22年3月末及び平成23年3月末の渡辺教授の定年延長を提案するか否かについて行われた被告大学院社会学研究科委員会の審議において,原告は,渡辺教授は定年延長の条件である「余人をもって代えがたい」大学院教授ではないと主張して,同教授の定年延長の提案に異議を述べた(乙37,証人冨田安信)。

(2)ア 原告は,就業規則10条1項,同附則1及び48年理事会決定について,被告に定年延長制度が設けられた趣旨に照らすと,被告大学院教授においては,満65歳を迎えても,70歳までは,原則として,1年度ごとに定年が延長されるという意味に解釈すべきである旨主張する。
しかしながら,定年延長制度が設けられた趣旨が原告の述べるとおりであるとしても,就業規則1の「大学院に関係する教授にして本法人が必要と認めたものに限り」との文言,及び,48年理事会決定の「1年度ごとに定年を延長することができるものとし,満70才の年度末を限度とする。」との文言は,被告が,大学院教授で満65歳を迎えた者につき,必要性があると認めた場合には,定年年齢を,満70歳を限度として1年度ごとに延長することができることを意味すると解するのが自然であり,上記の原告の解釈は,これらの文言に反することが明らかである。
さらには,上記(1)で認定したとおり,被告大学院の研究科では,原告が所属する社会学研究科を含む多数の各研究科委員会,研究科教授会において,定年延長の審議についての具体的な申合せが存在することからすると,各研究科では,この申合せにしたがって実際の審議が行われているものと解されるのであり,また,現に,原告自身,渡辺教授の定年延長の審議に際して,「余人をもって代えがたい」との条件を満たしていないと主張して議論したのであり,これらのことは,定年延長が原則となっていたとの原告の上記解釈と相容れない。

イ 原告は,①専攻及び研究科委員会における定年延長の審議に先立ち,10月中旬ころまでに,各学科及び専攻は,定年延長候補者を組み込んだ形で,次年度の開講科目及び担当教員を決定していることや,②昭和51年3月末から平成25年3月末までの間に被告大学院を退職した被告大学院教授のうち,1度以上定年延長された者は93.1%であること,健康上の理由や自ら被告大学院教授以外の道を選択したなどの特段の事情がないにもかかわらず,定年延長がされなかった教授はないことをもって,満65歳となっても定年延長されるのが原則となっていたことを示す事実であるとする。
しかし,①については,次年度の開講科目及び担当教員の決定は,これを踏まえて,教室の割り付けや時間割の割り付け等の作業,シラバスや大学案内等の印刷物の準備も必要となることからすると,定年延長者の確定を待たずに全体の準備を早期に開始する必要のあることがらと解することができること,そもそも定年延長の対象となる大学院教授の数も限られ,その後の専攻,研究科委員会及び理事会の審議で定年延長がなされなかったとしても,いったん決定された開講科目,担当教員,教室の割り付けや時間割の割り付けの,関連部分のみの変更(休講)で足り,全体について改変が必要となるとも解されないことからすると,早期に定年延長対象者を含み次年度の開講科目及び担当教員決定されたからといって,そのことは,単に便宜上にすぎないものということができ,このことが当然に,当該定年延長対象者の定年延長が原則であることの証左ということはできない。
②については,単に審議の結果として定年延長となった者が多数であるというにすぎず,また,定年延長がなされなかった者について定年延長がなされなかった事情が全て対象者側の意向であることをうかがわせる客観的な証拠は何ら存在しないのであるから,これをもって,定年延長対象者の定年延長が原則であることの証左ということもできない。

2 争点(1)イ(原告と被告との間の労働契約の内容として,原告は,原則として定年が70歳まで延長されるか)について
原告と被告とが労働契約を締結した平成6年当時,原告の主張するような,定年延長を原則とする実態があったことを認めることのできる客観的な証拠はない。したがって,そのような実態があったことを前提として,これが労働契約の内容となったとの原告の主張は,その前提を欠き,認めることができない。

3 争点(1)ウ(被告大学院教授は,原則として定年が延長されるとの事実たる慣習が存在するか)について

(1) 上記1で認定したとおり、就業規則附則1及び48年理事会決定の文言は,被告が,大学院に関係する教授で満65歳を迎えた者につき,必要性があると認めた場合には,定年年齢を,満70歳を限度として1年度ごとに延長することができることを意味すると解するのが自然であり,さらには,被告大学院の研究科では,原告が所属する社会学研究科を含む多数の各研究科委員会,研究科教授会において,定年延長の審議についての具体的な申合せが存在することからすると,各研究科では,この申合せにしたがって実際の審議が行われているものと解されるのであり,また,現に,原告自身,渡辺教授の定年延長の審議に際して,「余人をもって代えがたい」との条件を満たしていないと主張して議論したのであり,これらのことからすると,被告と被告大学院教授との間において,満65歳に達した後も70歳までは定年延長が原則となっていたとの事実たる慣習があったと解することは困難であるといわなければならない。

(2)ア 原告は,被告大学院教授のほとんどの者が定年を延長されている等と主張するが,前前認定のとおり,これは審理の結果としてそのような事実があるということにすぎず,定年延長がなされなかった者について,その理由は明らかではない以上,これらをもって,事実たる慣習の根拠ということはできない。

イ 原告は,被告大学院において,次年度開講科目と担当教員が,暫定的とはいえ10月中旬頃までに決められていることから,後の定年延長審議が形式的で実質を伴わないものであることが,被告大学院における共通認識となっており,研究科委員会での定年延長の承認は形式的なものにすぎず,過去に実質的な定年延長審議は行われたことがない旨主張するが,10月中旬頃の決定は,原告も主張するとおり,あくまで暫定的なものであって,10月中旬頃に次年度開講科目と担当教員が暫定的に決定されるからといって,直ちに後の定年延長審議が形式的で実質を伴わないものであるということにならない。また,前記認定のとおり,少なくとも過去2回,社会学研究科の研究科委員会において,定年延長の可否を巡って異議が出され,定年延長の可否を巡って実質的な審議が行われていることが認められるものであるから,上記の原告の主張は認められない。

ウ さらに原告は,定年が延長される際に新たな労働契約の申し込みと承諾が存在しないとも主張しているが,定年が延長されない者に対しては送付されることのない「新年度授業時間割ご通知」,「個人別時間割」及び「出講案内」が,定年延長が理事会で決定された者に対しては送付されるのであり,特に「個人別時間割」には,個々の教授の次年度における担当科目,担当クラス,時間割及び教室等が具体的に記載されているのであるから(乙53の1ないし5),これらの書類を送付することは定年を延長することを前提とした行為であるといえるのであり,これらの書類を送付することをもって,被告から,定年が延長される予定の被告大学院教授に対し,1年間の定年延長を内容とする新たな労働契約の申込みの意思表示がなされたと解することは不自然とはいえず,また,被告大学院教授がこれに対して異議を述べず,その結果,労働契約の締結があったものとみなされるのが定年が延長される3月31日ないしはその直前であったとしてもそのことをもって,契約の不存在をうかがわせることはできない。

4 結語
以上によれば,原告について,満65歳に達した後の3月31日に特段の事情がない限り定年延長がなされるということはできず,したがって,就業規則10条1項,48年理事会決定に基づき,原告は,平成26年3月31日の経過をもって定年退職をしたものであるから,その余について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がない。したがって,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

京都地方裁判所第6民事部
裁判長裁判官   堀 内  照 美
裁判官      高 松  み ど り
裁判官      築 山  健 一 〕
(了)

同志社大学解雇事件、判決に怒りの声―支援者の傍聴・判決文の感想

浅野教授の文春裁判を支援する会
 ∟●判決に怒りの声―支援者の傍聴・判決文の感想

判決に怒りの声―支援者の傍聴・判決文の感想

以下は、判決後、支援会と浅野教授に寄せられた傍聴者と支援者のメッセージです。

〔 先生が絶対に勝って、教授に復帰すると思っていたので、信じられない。判決に腹が立っている。一緒に傍聴した夫は判決の日、誕生日だったが、ずっと判決に怒りを感じていて、ケーキを口にしなかった。 〕(氏本デリアさん)

〔 この問題の発生段階から見てきました。京都地裁で不当に裁かれたこの問題は、二審の大阪高裁では必ず逆転できると信じています。 〕(鹿砦社・福本高大さん)

〔 今回の判決文では、学校法人同志社側の主張が全面的に認められ、浅野先生の主張は一切聞き入れてもらえませんでした。怪文書、指導中の学生がいたことについての言及もなく、プラス面とマイナス面がきちんと考慮されたというような書き方になっていません。こんな判決では、本当にきちんと審議がされたのか疑問です。

この事件は、「定年延長の審議」をかさに着た不当解雇事件です。大学院教授以外の教職員が65歳で定年になるという制度を悪用して、浅野先生が65歳になった時期を見て、追放したのです。もし、65歳以前に解雇すると、さすがに裁判で負けるので、そのタイミングを狙ったのです。裁判所はそれを見抜くことができなかったのでしょうか。非常に残念です。判決は手続きの問題しか取り上げていませんが、専攻・学科の先生たちの私怨に基づく行動を問題にしていません。

同志社側は定年延長について「本法人が必要と認めたものに限り」認めると主張しました。一度雇用したということは、一度は、浅野先生が同志社に必要だと認め、20年間雇用したということです。同志社はいつのまに浅野先生に対する見方を変えてしまったのでしょうか。浅野先生のような人を追い出しては、どんどん小粒の大学になっていき、やがては日本全体が委縮していくでしょう。

同志社のホームページには、いまも新島襄の遺言である「同志社に於ては?儻不羈なる書生を圧束せず務めて其の本性に従い之を順導す可き事」という言葉が掲げられています。同志社は、この言葉を嘘にだけはしてほしくないと切に願います。 ](寺西心さん)

〔 裁判の結果には、落胆して、ことばもありません。これからも、微力ながら、先生の教壇復帰の支援のお手伝いをさせていただければとおもいます。 〕(大内健史さん=17年4月同大大学院哲学専攻入学予定)

〔 あの判決文はないですね。不当そのものです。大学との裁判は10パーセントの非があれば負けると言われているそうですが、それが出てしまいました。作戦ミスもあったのでしょうが、判決文を読む限り裁判長に問題があったと思います。おそらく最初から敗訴前提でいないと書けない内容です。逆に緻密な判決文ではないので、控訴理由書は書きやすいと思います。高裁では私も協力します。](早野慎吾・都留文科大学教授)

〔 定年延長を認めないことに対する慰謝料請求をすべきだった。判決は、大学院教授の定年延長は法的権利とは言えないという法理論で書いている。渡辺教授と似た研究教育分野なので両方認める必要はないと判断したと考えた可能性もある。 〕(森野俊彦弁護士=元福岡高裁部長判事)

〔 原告の請求の趣旨にどうして慰謝料を追加しなかったのでしょうか。そもそもそのような議論があったのでしょうか。慰謝料請求をしていれば浅野教授を嫌って追放しようとしたことが 争点になっており、裁判所も判断せざるを得ないところです。判決の争点にならなかったのは、争点設定しなかったからではないかと思います。一審は、形式的な法律論争になってしまっている。だから合意がないとか慣習がないとの形式論で敗訴している。浅野先生を嫌悪し大学から追放しようという意図の有無が争点となっていない。控訴審ではこのあたりを争点にすべきではないかと思います。 〕(高田良爾弁護士=京都弁護士会)

〔判決は確かにひどい内容ですね。私も、訴状で当然にしていると思った慰謝料請求していないのが不思議でした。いずれにしても判決を早急に検討して、今から約2ヶ月弱で、控訴理由書を作成する必要があるので、一審の審理を振り返り、新たな理論を構築したい。 〕(山下幸夫弁護士)

〔 敗訴大変残念です。判決を読みましたが、ひどいですね。文春裁判から続く構造的な問題にまったく触れず、被告の主張する手続き論だけで判決を出しているように思いました。控訴審は浅野先生が逆転勝訴されることを祈っております。 〕(森類臣・元院生=立命館大学コリア研究センター専任研究員)

〔 判決文も読みましたが、酷い判決ですね。この裁判長は、事実認識のやり方に根本的な問題があるか、それとも証拠を正確に論ずるのが面倒くさいので権威主義に従い楽をしたかどちらかではないかと疑います。傍聴席の支援者が「税金泥棒」とおっしゃっていましたが同感です。〕(人権と報道・連絡会メンバー)

〔判決を読みました。大変悔しい結果でした。

定年延長を拒否されたために困る学生がいるかいないかについては、判決文中に言及がありませんでした。ナジ・イムティハニさんへの指導復活について斟酌されないとは思いもよりませんでした。

法廷戦略が根本から間違っていました。(依頼人の主張に耳を傾けなかった)武村・小原・橋本各弁護士は弁護過誤で訴えられても反論できないです。

〈2 前提事実 (5)本件退職扱いに至る経緯 ア イ〉を読むと、研究科委員会へ議案の提案ができるのは、専攻教務主任である浅野健一教授だけだということすら、堀内裁判長には伝わっていなかったようです。イで「小黒教授が議長となり」と言及されていたのは本当に残念でした。

この箇所については、堀内裁判長の責任であって、地位確認裁判弁護団の責任ではないと思いました。証人尋問で冨田さんのウソに気づいていなければおかしかったです。小黒さんの証人尋問が無かったのも痛いです。

喧嘩過ぎての棒千切りになってしまうのですが、定年延長された者の比率93.1パーセントや74.9パーセントのデータを調べるために時間をかけたのは(時間が限られている)原告側には損だった気がいたしました。

時間が限られていることが重要です。せめて昨年の今頃に判決が出ていればと思わずにはいられませんでした。 

汗水たらして定年を迎えた院教授の追跡調査をしても、定年延長の慣習が確立しているということを立証できなければ、徒労です。

定年延長対象者の次年度の3年ゼミ募集に関し、64歳の時に3年ゼミの募集をしていて、かつ定年延長を拒否された事例の有無を明白にすべきでした。

慰謝料の請求をしなかったことに疑問を呈する法律家がいるのは当然でしょう。イヤガラセをされたから慰謝料を請求します。イヤガラセの有無が争点になれば、①渡辺さんが浅野先生との裁判に過去に負けた腹いせに定年延長を拒否して、浅野先生にガツンと一発お見舞いするというイヤガラセ②3年ゼミの募集をしているのに定年延長を拒否されたら困る学生が出るというイヤガラセ③全く落ち度が無いナジさんが博士号を取得できずにインドネシアに帰国せざるを得なくするイヤガラセ④学振の「DC2」特別研究員に内定している矢内さんに指導できる教授をいなくさせるイヤガラセ⑤研究科委員会で怪文書を配布したイヤガラセ―というように争点をいくらでも広げることが出来ました。戦いやすかったように思えます。

お元気で。](神奈川県在住の会社員)

〔 Chin Up, Asano-san. Horiuchi "Hirame" Judge is a total disgrace. Yoshi Tsurumi. 〕(霍見芳浩・NY州立大学名誉教授)=「浅野さん、気を落とさず頑張ってください。堀内“ヒラメ裁判官”はまったく恥ずべき存在です」=(浅野訳、ヒラメ裁判官とは、人事面で冷遇されることを恐れ、最高裁総務局の意向をうかがいながら権力者に都合のよい判決ばかりを書く「心の卑しい」裁判官のことです)

〔 すぐ報告が来なかったのでこれはダメかと思っていましたが、残念ですね。3年半も苦労したのにと思いますが、現在の司法制度はこんなもので、大きな進歩は期待するべくもありません。浅野君は誤った判決に苦しむ人たちと日頃接触しているから、この状況は覚悟の上と思います。 今後は、この判決を少しでも改めさせるために戦い続けるか、あるいは健康その他を配慮して別の局面で社会の進歩に貢献するか、慎重に考えて下さい。

以前同志社でお話しした時、

1. 日本の少子高齢化、労働力不足、年金不安などを考えた時、定年制は不適当で

労働能力と意欲のある人の労働継続を認めないと日本経済は立ち行かないと申しました。高齢者の雇用継続裁判では、政府の呼びかけもあって次第に労働者に有利 な判決が出るようです。研究者の場合頭脳労働ですから、元気で優秀な研究者には70歳まで働いてもらう例が多くなっています。

2. 良い研究をするためには、大幅な自由と安定が必要です。何十年も大学院教   授として勤務した研究者を実質少数者の判断によって馘首してよいものでしょうか。

よくわかりませんが、もしこれがレッドパージの一種なら、大学として大問題。他の大学にも影響が及びます。  

3. 以前に、浅野君は多大な業績があるのだから、著書、編書、訳書などの詳しいリスト、それらに対する学界、マスコミ界などからの書評、影響、国際的な学者としての活躍、その他を丁寧にまとめて冊子を作り、それを大学、学生、図書館、マスコミ、卒業生たちに配布してはどうか、と言いました。そうすれば同志社に浅野ありという認識が次第に広がるでしょう。裁判で負けても、アカデミックな評価で勝てば、学問の都市京都では価値があるでしょう。

先日はたくさんの資料をありがとう。健康は心配ですが、筆力回復で安心しました。明治学院大学の盗聴事件など初耳です。どこでも問題が多いので、情報は有難い。

近年福沢諭吉は批判されているが、慶応義塾の目的は「日本国中における気品の泉源、智徳の模範たらん」という彼の言を忘れぬように。ではいずれまた。 ](白井厚慶應義塾大学名誉教授、浅野教授のゼミ指導教授)

[  3.1.反動不当判決について

「原告の請求をいずれも棄却する」

裁判長堀内が蚊の鳴くような声で呟いた瞬間、これは夢だと思った。正常な論理的判断力と倫理観を備えているであろう判事が下すはずのない決定であるから。しかし直ぐにそれが現実なのだという認識を受け入れざるを得なかった。そしてはらわたが煮えくりかえり、満腔の怒りが込み上げてきた。気づいたら私は傍聴に駆けつけた同志達と、反動不当判決を糾弾していた。デタラメな判決を述べた堀内は逃げ隠れてしまい、「最後まで理由を読み上げろ!」という我々の抗議を無視し続けた。最終的に事務官たちは我々を暴力的な方法で排除しようとしていた。

報告集会で配布された判決言渡原稿を読み、尚一層怒りが湧き上がってきた。証人調べの発言内容も原告側の提出文書も何1つ考慮も反映もしていないものであり、被告側(弁護士も教職員も誰1人来ていなかった)のウソとデマを鵜呑みにしたものであった。最初から結果ありきで作ったとしか思えない代物で、こんなふざけたもののために費やされた原告の時間と労力、そして将来を握り潰された学部生、院生、留学生たちの悲痛な思いを考えると非常に悔しい思いで一杯だった。

堀内自身が理を解さぬトンデモ判事だったのか、政治的な意向を汲んでの事か或いは両者か知る由もない。しかし二審大阪高裁では必ず、逆転勝訴を勝ち取る事をそれ以外はありえないと私は信じている。その為にも多くの人に同志社の悪辣卑劣な蛮行を知らせ、裁判の支援体制を拡大し、より広範な運動にしていかなければならないと、決意をあらたにした。 ](鶴見太郎さん)

〔  今回の判決は、非常に悲しい結果となってしまいました。誰がどう見ても不当な解雇であり、悪意に満ちた単純な追放劇でしかないのに、どうしてこのような非人間的な判決が書けるのか、不思議でなりません。裁判官たちは、公正に事実を見る気がなく、最初から浅野さんのことを偏見で見ていたのだろうと私も疑っています。

一方で、今回の京都地裁の判決に、大勢の支援者が全国から集まっていたことは素晴らしいと思いました。若い世代も浅野さんの支援のために夜行バスなどを利用して京都に来ており、非常に頼もしく、嬉しく感じました。裁判所に入ってきた裁判長が、空席のほとんどない傍聴人席を見渡して言葉をなくし、とても驚いた表情でいたのが忘れられないです。私も、京都に近い場所に住んでいたなら、これまでの裁判にもっと頻繁に傍聴に訪れることができたのにと後悔しました。控訴審では、できる限り傍聴に訪れ、裁判の行方や裁判官の様子を間近で見守りたいです。

判決後の報告集会では、控訴審に向けて意義あるお話を参加者の皆様から伺うことができましたし、浅野さんご自身の固い決意にも感銘を受け、正義のために私も支援し続けたいと改めて思いました。ただ、今現在、インドネシアの国立ガジャマダ大学文学部日本学科で助教(専任講師)をしているインドネシア人留学生(インドネシア政府奨学生、社会学研究科メディア学専攻博士後期課程)ナジ・イムティハニさんですが、同志社大学から14年6月に、一方的に「14年3月に遡って退学」とされて以降3年近く、指導放棄の状態にあり、失意の底にいます。今回の判決で、ナジさんはさらに打ちのめされたことでしょう。ナジさんは予定の博士号を取得できなかったため、インドネシア教育文化省の命令で、2月からの新学期ではガジャマダ大学の授業を担当できなくなっていると聞きました。

私も浅野さんもナジさんを励まし続けていますが、本人は「自分や浅野先生をこのような目に遭わせた同志社大学を許せない。もう関わりたくない」という気持ちも強いようです。それでも、彼が日本の大学で博士号を取得する可能性は、同志社大学でしか残されていないのですから、なんとか、ナジさんには控訴審でも陳述書を提出して一緒に闘ってほしいと願っています。

ナジさんは昨年11月末に同志社大学へ再入学の申請を行い、今年1月25日付で松岡敬学長から再入学許可の通知を受けています。浅野先生が復帰すれば、博士論文を書き上げられる可能性が大きく広がっています。

報告集会では皆様からナジさんへの伝言を預かりましたので、それはすでにメールで伝えてあります。ありがとうございました。もし、皆様のなかにナジさんに直接コンタクトが取れる方がいたら、ぜひとも彼に励ましのメールなどを送ってほしいです。浅野さんには純粋な気持ちの支援者が大勢いること、ナジさんの境遇に共感する仲間が日本にいることをもっと伝えてほしいです。同志社大学に「見捨て」られた状態で、インドネシアで孤独に過ごすナジさんを思うと、私も悲しみと申し訳なさでいっぱいです。2009年に大きな夢を抱いて日本に留学しただろうに、このような結果になり、恥ずかしいです。

私自身、インドネシアの大学院に留学していた時に、ゴルフ場建設の反対運動をする村を訪問したことで地元警察から呼び出され、事情聴取を受け、一時、身柄を拘束されました。その時にはインドネシアの大勢の友人・知人が警察とかけあってくれ、留学先の大学も私のことを全力で守ってくれましたので、その後は無事に修士課程を修了するまで滞在することが出来ました。インドネシアでのそうした過去を思うと、今の同志社大学や京都地裁の対応は、あまりにもナジさんの現状を無視し、踏みにじっています。

控訴審では、絶対に負けられません。大阪高裁での闘いでは、一人でも多くの方の傍聴を呼びかけていきたいです。浅野さんの完全勝利を信じ、これからも支援したいです。 ](大石薫さん)

〔 学内の反浅野グループが仕組んだ追放劇だったのに、その忌まわしい実態には目をつぶり、定年延長の原則はなかった、定年延長の慣習はなかったなどと、

表面的な理由で判決文を巧みにカムフラージュし、原告の請求を退けた不当な判決だ。定年延長対象の大学院教授のうち、90%以上が延長を認められている実態を無視し、その実態を単なる結果の数字に過ぎないと判示するなど、被告側の立場を一方的に斟酌しており、到底納得が行かない。これでは公平、公正な判断とはいえない。今回の確認訴訟の本質は、浅野氏の業績を無視し、追放劇を画策した者達の動きに対する正義の告発であった。そこを裁判所が素通りしたのは、なんとなく意図が感じられ、容認しがたい。 〕(戸田邦信・元共同通信バンコク支局長、米国在住)

〔 不当な判決に抗議し、先生の控訴審でのご奮闘をお願いします。 〕(山内正紀「進歩と改革」編集長)

(続く)

同志社大学解雇事件、京都地裁不当判決 教授ポスト剥奪を合法化

浅野教授の文春裁判を支援する会
 ∟●同大の教授ポスト剥奪を合法化した不当判決、“ヒラメ”裁判官・堀内照美裁判長の蛮行

同大の教授ポスト剥奪を合法化した不当判決
“ヒラメ”裁判官・堀内照美裁判長の蛮行

浅野健一・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授は3年前の2014年3月末、20年間務めてきた教授ポストを、村田晃嗣学長(当時)執行部、渡辺武達教授(70歳定年退職後、2015年4月から名誉教授)ら同じ専攻・学科の教員6人、冨田安信社会学研究科長(当時)らの闇討ち・暗黒裁判によって剥奪されました。浅野教授が2014年2月3日に学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部教授)を相手に起こした「地位確認等請求訴訟」の判決が3月1日(水)午後1時10分、京都地方裁判所第6民事部(堀内照美裁判長、髙松みどり右陪席裁判官、築山健一左陪席裁判官)であり、堀内照美裁判長は「原告の請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は原告の負担とする」との主文を言い渡しました。 

傍聴した支援者、浅野教授らからの報告をもとに、3・1判決について、以下報告します。

堀内照美裁判長が政治的判決、3月10日付で控訴

堀内裁判長は、3年間の審理で行われた証拠調べを無視して、被告同志社の代理人、小國隆輔・多田真央両弁護士(大阪・俵法律事務所)の詭弁と冨田安信・研究科長(当時、産業関係学教授)の偽証を「証拠」として認め、同大による忌まわしい不当解雇を正当化しました。

堀内裁判長らは西日本トップ私大の同大の犯罪を免責し、形式論だけで浅野教授の地位を奪った同大当局の共犯者になりました。判決文の「当裁判所の判断」は4ページ半しかありません(注)。冤罪事件、公安事件の認定のようで、被告側の主張をすべて「不自然ではない」などと採用、原告側の証拠については「証明がない」と切り捨てた極めて政治的な判決です。これは昨年11月24日の東京地裁(辻川靖夫裁判長)による城﨑勉さんのジャカルタ事件の刑事裁判での「初めに有罪ありき」判決に酷似しています。辻川判決は被告人に偏見を持ち、直接証拠が何もないのに「推認」だけで有罪としました。

堀内裁判長ら裁判官3人は御用裁判官です。裁判官というのは巨大な権力を持っています。黒を白と言い切れるのです。しかし、誤った判決は高裁、最高裁で改めなければなりません。大学教員の位置がこんな理不尽な方法で剥奪されるのを許してはなりません。堀内氏は、安倍晋三首相の御用学者、村田晃嗣学長(当時)体制の御用裁判官でした。

浅野教授は一審敗訴の場合、控訴すると決めており、判決言い渡し後に判決文を入手して、被告代理人の荒唐無稽なウソだらけの主張をコピペしたふざけた判決だと知り、判決報告集会で、「残念な結果になったが、新たに構成する弁護団と元学生・支援者と共に、大阪高裁で逆転勝訴を目指す」と表明しました。

3月15日が控訴期限でしたが、浅野教授の控訴審代理人は3月10日、京都地裁へ控訴状を送りました。裁判所が控訴状を受理してから50日以内に控訴理由書を大阪高裁へ提出しなければなりません。控訴審の弁護団は山下幸夫(東京弁護士会)、高田良爾(京都弁護士会)、山縣敦彦(第二東京弁護士会)の各弁護士です。山下弁護士は対冨田裁判、山縣弁護士は対渡辺裁判、怪文書5人裁判の代理人です。高田弁護士は岡山大学医学部教授解雇事件の原告代理人をしています。岡山大事件は、全国大学事件情報のHPに載っています。浅野教授の事件もHPに掲載されています。http://university.main.jp/blog/ 

一審の弁護団は3月9日、大阪の武村二三夫弁護士事務所で約2時間、判決検討会を開き、控訴審弁護団に助言などをしてくれることになりました。

教授の労働権、学生の教育権を蹂躙した裁判官

浅野教授の解雇・追放を主導したのは、メディア学専攻の渡辺教授、同僚4人(小黒純・竹内長武・池田謙一・佐伯順子各教授)と社会学部メディア学科の河﨑吉紀准教授(浅野ゼミ2期生)です。この7人を背後で操ったのが安倍晋三首相に近い村田晃嗣学長(15年11月の学長選挙で完敗、現法学部教授)、尾嶋史章副学長(当時、現社会学専攻教授)ら当時の大学執行部です。同志社大学教職員組合(浅野教授は1997年度の委員長)は浅野教授の解雇を「大学の自治、学部の自治に介入できない」という理由で取り上げませんでした。浅野教授は「組合を脱退していない」(佐藤純一書記、組合が65歳以降も嘱託書記として再雇用)状態ですが、「個別事案の裁判は支援しない」(佐藤書記)浅野教授に通告しています。組合は大学執行部の共犯者です。

堀内裁判長は、小黒氏を「議長」と認定し、専攻会議の決定がなく、社会学研究科委員会(教授会)において前例のない無記名投票を強行したなどの手続き上の重大な瑕疵を見ず、最初から「棄却」ありきの判断を示しました。定年延長は労働契約ですが、毎年3月中旬にすべての教員(嘱託講師を含む)に送られてくる「出講案内」「個人別時間割表」の送付が、労働契約の「申し入れ」で、送られてきた定年延長対象者が黙っていれば「承諾」だという被告代理人の主張を認めました。同大では次年度のゼミの仮登録を12月から1月に行い、教員に対し、次年度のシラバスの提出を1月上旬に求めています。新学年が始まる約10日前に定年延長の労働契約が結ばれるというのはあり得ません。

原告の浅野教授と弁護団、支援者は1975年以降、65歳になったすべての大学院教授を調査し、浅野教授のように、専攻や研究科委員会で拒否されたケースはないことを証明したのに、それは「たまたまそうなっただけ」で、「65歳で定年退職」「65歳以降の定年延長は慣習にはなっていない」(権利ではない)と判断しました。浅野教授が解雇された後の、大学における教育指導に関しては、全く言及していません。大学の実態を知る人なら、定年延長が3月下旬に決まるなどという見解は荒唐無稽だとすぐわかるでしょう。大学にとって一番重要なのは、「科目」を教え、学生の指導をすることですが、堀内裁判長は指導教授を失った博士後期・前期の学生のことを忘れてしまっています。

同大において、大学院教授は70歳まで教授を続けるという慣行があるのは周知の事実です。浅野教授は13年10月に、日本学術振興会(文科省)の科学研究費の申請を行っていました。14年4月から2年間の研究で、テーマは「尖閣(釣魚島)・竹島(独島)領土問題に関する日本・中国・韓国のマスメディアによる取材・報道の検証」でした。博士後期課程2年生だった矢内真理子氏の学振「DC2」特別研究員の受入研究者(指導教授)を14年4月から16年3月まで行うことが13年9月に内定していました。矢内氏の研究テーマは「東電福島原発事故とメディア」でした。ロシアのペテルスブルク大学を卒業した学生が日本政府奨学金で14年8月来日し、15年4月から2年間、浅野教授が受入研究者(指導教授)となって指導することが13年8月には決まっていました。彼女の研究テーマは「外国人刑事事件と日本の新聞」でした。

浅野教授の科研の応募、学振研究員・国費留学生受入はすべて学長を通じて文科省・学振に対して申請・認可が行われています。同大が浅野教授を14年4月以降も雇用するという前提がなければ、学長がこれらの書類に署名・押印するはずがないのです。同大では教職員も学生・保護者も、大学院教授の定年は70歳と考えています。

また、同大では大学院教授は、67~68歳になったころから博士後期課程の学生を受け入れません。博士号を取るには、後期課程に入ってからどんなに早くても3年はかかるからです。

学部のゼミの募集でも、大学院教授は70歳まで教授を続けるという前提があることが、3・4年連続履修で卒業論文指導も兼ねる本ゼミ(演習)の募集をしなくなるのが、69歳の時だということでも分かります。浅野教授が64歳だった12年1月、3・4年生連続履修のゼミの募集を行い、4月に13人が登録しました。浅野ゼミ20期生で、15年3月に卒業予定でした。退職予定の教員のゼミは退職の2年前からゼミ募集をやめます。4年次に教員がいなくなるためです。渡辺教授が3年ゼミの募集をやめたのは、14年4月です。渡辺氏は69歳になっており、15年3月末に70歳定年退職するためでした。

堀内判決のように、大学院教授も65歳が定年で、定年延長は慣行ではないというのなら、65歳の時点で科研の応募はできないし、ゼミ募集は64歳の時にできなくなるはずです。堀内裁判長は同大の60歳代前半の教授の指導を受けている学生に、「あなたの先生はいつ退職するか」と聞いてみればいいのです。大学院へ進もうと思っている学生なら、100%が「70歳までいる」と答えるでしょう。

被告同志社の水谷理事長(法人と大学施設部長は16年8月に産廃事件で有罪確定)も、4月から総長に就任する八田英二・元学長も定年延長中です。水谷理事長と八田新総長の所属する神学研究科、経済学研究科はどういう「審議」を行って、定年延長を認めたのでしょうか。両教授には博士後期課程の学生はいるのでしょうか。両教授の所属する研究科委員会で、どのように、「研究業績、教育実績及び学内の運営面での貢献度等、プラス面のみならずマイナス面も含めて総合的に考慮した」か知りたいところです。

支援者30人に驚く堀内裁判長、被告席は無人

原告側は平方かおる弁護士と浅野教授が出廷。被告の代理人、小國隆輔・多田真央両弁護士と裁判を欠かさず傍聴してきた冨田氏と松隈佳之・社会学研究科事務長は姿を見せませんでした。

法廷に、同大社会学部メディア学科4年生の2人、鶴見太郎さん(2013年、同大文学部哲学科卒)、氏本義隆さん・氏本デリアさん(浅野ゼミ14期生の両親)、庄司俊作・同大人文科学研究所教授、新谷英治・関西大学文学部教授、福本高大・鹿砦社編集部員、田中圭太郎・元大分放送記者、園良太・人民新聞記者、大石薫・元上智大学インドネシア語講師(博士後期課程学生ナジ・イムティハニさんの博論翻訳協力者)、元京都府立高校教諭(広島大学大学院生の時、中国新聞に被疑者写真と間違えて掲載された報道被害者)、大道さん(映像ジャーナリスト)、京都大学学生(京都大学新聞編集員)、高田良爾弁護士(京都弁護士会)、元浅野ゼミ聴講生の会社員、元会社員ら30人が傍聴してくれました。

堀内裁判長は入廷した際、傍聴席に30人を超す浅野教授の支援者がいることに驚き、傍聴者を見渡した後、着席しました。傍聴席を埋め尽くした支援者は、裁判長がか細い声で、「請求棄却」を言い渡した瞬間、「不当判決だ」「ふざけるな」「許さないぞ」などと大声で抗議しました。傍聴人全員が怒りの声を発したため、訴訟費用に関する主文はほとんど聞き取れない状態でした。堀内氏と書記官、裁判所職員が「静かにしてください」「静粛に」などと制止しましたが、「こんな判決のために3年以上もかけたのか」などとプロテストの合唱は止まりませんでした。本来なら、裁判長は傍聴人に退廷を命じるのですが、30数人全員が声を上げていましたので、何もできず、憮然とした表情で、「それでは閉廷します」と告げて立ち上がりました。浅野教授は堀内氏を睨みつけ、「あんたは税金泥棒だ。村田晃嗣一派の御用裁判官だ」と言いました。敗訴の場合、閉廷後にそう言うことを決めていました。「3年もかけて解雇正当化か。恥を知れ」と非難しましたが、堀内氏は浅野教授に目を合わさず、しばらく呆然として傍聴席を見て、姿を消しました。堀内氏は「静かにしなさいよ」と言ったようですが、傍聴人の怒号でほとんど聞こえませんでした。

閉廷後、鶴見さん、大道さん、園さんが書記官ら裁判所職員に「堀内裁判長はなぜ判決理由を読み上げないのか。傍聴人にはなぜ浅野教授の請求を棄却したか分からないではないか」などと抗議。職員は「裁判は終わったので退廷を」と制止しましたが、「堀内裁判長は出てこい」「司法は強い権力の犬か」などと抗議を続けました。3人の抗議は約25分間続き、裁判所総務課長ら職員が10数人現れ、裁判所から退去命令が出そうになった午後1時40分に全員が法廷から出ました。

堀内氏は傍聴席からの罵声を全身に浴びて、インチキ判決を出したことを恥ずかしく思ったでしょう。学生、市民に説明のつかない判決内容でした。予想した中で、最悪の内容でした。あなた、そこまで言うかと呆れる内容です。

四国から来てくれた支援者は「3年間闘った末にこんな形になって悲しいし、怒りをおぼえる」と言っていました。支援者の中に、涙ぐんでいる人が何人もいました。浅野教授は「3年半、ずっと応援してくれた支援者のことを一生忘れません」と話しました。

控訴審で正義の判決を―支援者が報告集会

判決後の午後1時50分から3時半まで、地裁の隣にある京都弁護士会館3階の「大会議室1」で判決報告集会が開かれました。メディア学科4年の寺西心さん(13年度1年浅野ゼミ)が司会を務めました。

まず、原告の浅野教授が次のようにコメントしました。

「3年1カ月も要して、こんな結果になり、怒りを感じている。浅野教授の追放を共謀した連中と、大学から大金をもらって弁護してきた悪徳弁護士が喜んでいると思うと、本当に悔しい。

残念な判決だが、ある程度覚悟していた。まず裁判官たちが悪かった。堀内氏は裁判の途中から浅野教授に対し冷たい態度だった。昨年9月の証人尋問で、裁判官3人から浅野教授に質問が全くなかった。真実を究明する気がない。左陪席は手続きの瑕疵に理解を示していたが、裁判長は最初から強い偏見を持っていた。冨田氏と小國弁護士が、浅野教授の支援者に裁判所内でビデオカメラらによって無断撮影されたというウソを告げ口して、1年間も法廷警備が行われ、同志社が大阪の暴対弁護士(淺田法律事務所の米倉正美・小谷知也両弁護士)を雇っていることも発覚した。堀内裁判官は公安当局のような目で浅野教授を見ていた。

次に、一審弁護団は『特段の事由のない限り、希望する大学院教授は70歳までの定年延長が認められており、浅野にはそれを拒む特段の事由は全くない』ということを証明すれば勝てるという立場だった。浅野教授は、それだけでは勝てない、私怨を持つ渡辺グループが小黒教授を工作員にして悪意をもっていやがらせで定年延長制度の不備をついて追放した経緯を強調すべきだと要請したが、中途半端に終わった。

浅野教授が解雇される1年前に、大学院ビジネス研究科の山口薫教授が2年目の定年延長を拒否されて裁判を起こしたが、同じ京都地裁第六民事部で、定年延長は慣行にはなっていないとして敗訴し、確定しているのが、影響したと思う。山口教授の事件の判決を言い渡したのは、堀内裁判長の前任者だった。定年延長を慣行と認めた日本大学判決もあるが、弁護団は最初、使わなかったのも不利に働いた。

判決は、同僚6人の悪意、村田晃嗣学長(当時)と冨田氏が嫌がらせで浅野教授を排除したことを見て見ぬふりをした。万死に値する蛮行だ。控訴審では一審の闘い方を検証し、新たな理論、証拠で闘い、必ず逆転勝利したい。皆さんの引き続きの支援をお願いしたい」

次に各地から参加した支援者が感想を述べました。

那覇から駆け付けた大石薫さんは「ナジさんの博論執筆のために、日本語とインドネシア語の翻訳の手伝いをしています。浅野さんとは30年前に浅野さんが共同通信ジャカルタ支局長だったころからの知り合いで、浅野ゼミの沖縄合宿では毎年、学生さんと交流してきた。ナジさんが博士号を取るためには、浅野さんが教授に復帰することしかないのに、教授としての地位を認めない司法判断はおかしい」と訴えました。次に、京都大学の学生が「浅野教授は日本のジャーナリズムの改革にとって大切な教員で、他大学の学生、一般市民にとって必要だ」と話しました。1年生の時に浅野ゼミだった寺西さん(3月21日に卒業予定)は「浅野先生は最も熱心で、勉強ができると思ってゼミを選んだ。大学はなぜ浅野先生を追放したのか。控訴審も支援したい」と述べました。

裁判所から判決文正本を受け取って、判決文を読んでから報告会に合流した平方かおる弁護士は次のようにコメントしました。

「私たちは、同大教職員の定年は65歳だが、大学院教授に関しては70歳まで1年ごとに定年が延長されるという慣行があり、特段の事情がない限り、すべての大学院教授に認められてきたのに、浅野先生には特段の事情もないのに認められなかったのは、不当、違法だと訴えたのだが、裁判所は、大学院教授の定年延長について、事実たる慣習もなかったし、労働契約の内容にもそのことは入っておらず、解雇権の乱用を判断するに至らないと判断した。

就業規則の付則、理事会通達などの規定の文言は、同大の教職員は65歳で定年になっており、当分の間、法人が必要とする大学院教授は定年が延びるとしており、原則として70歳まで延長されるというのはこの文言に反するとした。原告側の私たちは、文言上は65歳であっても、これまでに65歳を迎えた大学院教授の実態を見ると、健康で定年延長を希望する院教授には例外なく延長が認められてきたことを証明し、70歳定年が慣行になっていると判断すべきと主張してきたが、被告は形式的にすぎない就業規則などの文言を根拠に、法人が個々の大学院教授の定年延長に関し、実質的に審議が行われてきたと認めた。大学院教授の93%が定年延長になっているとしても、それは慣行にはなっていないし、労働契約時にも明示されていない。

また、浅野先生の場合、審議の結果たまたま定年不延長になっただけで、定年延長される権利があるわけではないと判示した。

実際の定年延長される教授の手続きとして、65歳で定年延長のための労働契約を結び直す手続きが明確になされなければならないと私たちは主張したが、判決は被告法人側が主張した通り、新年度の出講案内と個人時間割表を送られてきたことを労働契約の申し出とし、定年延長対象の教授がそのまま授業をすると承認することで、労働契約の申込みとするという手続きを認定した。この申し込みと承諾は、毎年3月中旬に、定年延長対象者以外の教員、嘱託講師に一斉に送られる書類で、定年延長の雇用手続きになっていないのだが、定年延長しない人には送っていないので、それを契約とするのは不自然とは言えないと判断している。

浅野先生の場合、研究科に行くまでの専攻における審議の過程の瑕疵などは全く論じていない。浅野先生は研究科で定年延長が拒否され、法人(理事会)では審議もされなかったのに、審議がなされたとみなした。

今日から2週間後までに控訴するかどうか決めなければならない」

庄司教授が「こちらの主張が認められず、被告の主張がほとんど認められた。準備書面を振り返ると、大学の自治が壁になったとは言えないと思うがどうか。ビジネス研究科の山口薫教授の2回目の定年延長が拒否された事件の裁判で、大学院教授の定年延長は慣行にはなっていないという判決が確定しているが、その影響はあるか。定年延長制度は就業規則の付則で、必要な大学院教授に認めると書いてあるだけで、慣行、権利ではないという判決だが、原告側は1976年以降に65歳を迎えた大学院教授のリストをもとに、希望する大学院教授の全員が定年延長されていることの立証ができたのに、判決は、93%が認められているだけで確立した慣習というのは否定されたが、なぜなのか」と質問。

平方弁護士は「大学の自治、裁量という論理ではなく、定年延長は権利ではないし、手続きに問題はないという判断だ。山口薫教授裁判に判決の、同大において、定年延長に関し事実たる慣習は存在していないという判断と同じだ。院教授のリストをもとに全員が認められてきたと証明したが、判決(21ページ)は何の理由も示さずに、客観的な証拠がないと言い切っている」と答えた。また、「定年延長に関し、各研究科委員会で審理しているとした上で、原告の浅野先生が渡辺武達教授の定年延長に関し、2回異議を申し出て、研究科委員会で審議したことを根拠に、審議があると認定した」と話しました。

庄司教授は「日本大学国際関係学部の教授の定年延長拒否事件の確定判決では、65歳を超えた教授に、2年、2年、1年ごとに定年延長が認められているのは、確立した慣習と認定され、教授が全面勝訴している。教授会で定年不延長を決めたことは、大学・学部の自治とは言えないという判断だ。浅野先生のケースと類似の事案だと思うが、日大裁判の判決と違う判断が出たのはなぜか」と質問しました。

平方弁護士は「日大裁判の場合と違うのは、大学側が65歳以上の教授の定年延長を前提として認める表明が様々にあった。その前提が違うと思う」と答えました。

これに対し、庄司教授は「同大でも大学院教授は70歳が定年と教授も大学も認識している。定年延長があるので国公立大学から50歳代に移籍してくる教授も少なくない。学生に対しても、大学院教授は65歳で退職せず、5年間は大学にいるという前提で動いており、日大と同様だ」と強調しました。浅野教授も「大学院教授は64歳の時、学部の本ゼミ(3年ゼミ)を普通通り募集している。定年延長を慣行としているからで、審議の結果、3月に定年延長するかどうかが決まるというなら、もし定年不延長になった場合、次年度はいないわけで、3年生が4年生になった時に担当できなくなるので、64歳の時に3年ゼミの募集はできないはずだ。渡辺教授の場合も、69歳の2014年度になって初めてゼミの募集をやめている。15年3月に70歳で定年退職するので、4年生の時にいないからだ。他の学部でも同じだ。また、大学院と学部で受験生に配布する案内文書、ネットのHPの教員一覧に65~69歳になった教授の一覧が載っている。次年度いないかもしれない教授を、何の断りも付けずに載せるはずがない。同大と日大に違いはない」と反論しました。

13年度に浅野ゼミ1年生だった須賀達也さんは「このような判決を出すのに、こんなに長い期間が要されているのが理解できない。浅野先生の定年延長が拒否される過程を実際に見た私には、きちんと審議がなされたとは思えない。控訴審、最高裁と続くと思うが、裁判が終わった時に、先生は70歳ということになりかねない」と話しました。

元会社員の山田健吾さんは「去年2月から病気でしばらく傍聴できなかったが、今日は来ることができた。3年かかったから、裁判所から和解勧告が出ると思っていたが、こういう一方的な判決で驚いている。高裁では逆転してほしい。5人裁判、対冨田教授裁判の一審で、名誉棄損を認めさせ勝ってほしい」と激励してくれました。 

田中圭太郎さんは「大学の実態に合わない形式的な判断に終わった。これなら3か月か半年で裁判を終えることができたはずだ」と話しました。

新谷教授は「浅野ゼミのイベントに参加して、浅野さんのゼミは生き生きと活動しているのを見て、同じ大学教員として学ぶところが多かった。ぜひ教授に復職してほしい」と話しました。 

テレビ朝日報道部記者(ゼミ14期生)の父親の氏本義隆さんは「息子が4年間世話になった。どうしてこういう結論が出るのかと悲しくなる。毎回法廷で傍聴することしかできないが、控訴審も傍聴して支援したい」と話しました。

平方弁護士は「2週間以内に控訴し、控訴審に向けて心を一つにして闘ってほしい。引き続き支援をお願いしたい」と語りました。

「院教授70歳定年」まで残りは2年

浅野教授は地位裁判の前の2013年12月27日に地位保全の仮処分を申し立て、解雇後の14年5月15日に棄却されています。地位裁判だけで3年1カ月もかかっています。一審不当判決で、大阪高裁、最高裁まで争いが続くことになり、さらに1年かかることは必至です。訴訟費用もかかります。浅野教授は今年7月27日に69歳になります。上級審で地位が確認されても、定年延長で教鞭をとる期間は1年かゼロになります。被告の同志社と、俵法律事務所の弁護士たちにとって、時間が長くなるほど、「浅野がいなくても何の支障もない」という状態をつくれるのです。浅野教授を追放した教授たちは、浅野教授をまるで犯罪者、ストーカー扱いして、「浅野のいないメディア学専攻」でぬくぬくと生活しています。浅野教授が同大教職員に問い合わせたり、取材したりすると「すべて社会学部の松隈事務長を通してください」という通知が全教職員に出ています。小國弁護士(同大法科大学院嘱託講師)は「原告が大学に取材しているが、すべて代理人を通すように」というファクスを浅野教授の代理人へ送っています。65歳で定年退職した教員が、大学に近寄るな、学生に連絡するな、取材も問い合わせもするな、などと通告していいのでしょうか。

17年4月から、小黒・池田両教授はゼミを休むようです。専任教員二人が同時に3年ゼミを開講しないというのはあり得ないことです。「ジャーナリズムのことをきちんと教える教員はいない」とメディア学科3年生は嘆いています。

この判決は、裁判官たちが「悪意・嫌がらせに基づく65歳定年退職」という形で不当解雇の経緯を見ず、「西日本トップ私大の裁量、大学の自治に司法は介入しない」という理屈で逃げ込んだのだと思います。大学は「権力」です。

支援会は、大阪高裁の控訴審では、メディア学専攻と社会学研究科における定年不延長決定の手続きに重大な瑕疵があることなどを論証していけば、必ず逆転勝訴判決を勝ち取れると確信しています。その場合、冨田氏と同僚5人が13年8月段階から同志社の代理人の弁護士(複数)と相談しながら、10月16日まで、浅野教授に定年延長は確実と思い込ませ、10月28日に「定年延長拒否通告」を突然通告し、専攻会議(議長は専攻教務主任の浅野教授)の議決を経ず、10月30日と11月13日の研究科委員会で「専攻で決まった」とウソをついて定年延長拒否を議決した経緯を証明していくことが大切です。彼らの行為は、学部の自治などでは全くなく、何の権限もないのに、好き嫌いで浅野教授を排除したことが明白になると思います。控訴審、最高裁で浅野教授が勝った場合、不法行為で浅野教授を解雇に追い込んだ人たちには責任を取ってもらうしかないでしょう。

それから、浅野教授の地位裁判一審判決の結果とは関係なく、浅野教授が14年4月1日から同大の教壇に立てなくなっているのは不当です。堀内判決は、浅野教授が就業規則どおり65歳でめでたく退職したのだというのですから、学校法人が14年4月1日に13年度の浅野ゼミ(3年、20期生13人)を強制解散させ、小國弁護士らが浅野教授に「大学構内への立ち入り禁止」「指導していた学生への電話・メールでの連絡の禁止」を通知してきたことは不当、違法ということになります。3年間も浅野教授の大学院と学部の10科目(15年度から院の2科目だけ小黒氏が担当)を担当者未定・休講にしていることの妥当性も問われると思います。

浅野教授と同大の学生有志は4月から、3年間休講になっている科目の授業再開を強く望んでいます。学生有志は判決後も、松岡敬学長と水谷理事長に、緊急要望書を提出する予定で、今、署名を集めています。

浅野教授は「週刊金曜日」2月17日号に、怪文書5人裁判における小黒氏の法廷証言を批判する記事を書いています。また、ジャーナリストの佐竹純一さんが2月27日、人民新聞HPに怪文書裁判に関する記事をアップしています。

http://jimmin.com/2017/02/25/post-1270/

「同志」がいない同大―野田正彰さんが自主ゼミで講演

判決の夜、同大今出川キャンパス・良心館306番教室で精神科医の野田正彰・元関西学院大学教授を招いて、自主ゼミ「浅野健一ジャーナリズム講座」(第11回)が開かれました。コーディネーターは田中圭太郎・元大分放送記者。

野田さんは講演の冒頭で地位裁判判決について話しました。

〔 まず、今日、不当判決が出た大学院社会学研究科メディア学専攻の浅野健一さんの地位裁判についてお話しします。

浅野さんの定年延長を審議した2013年10月30日の社会学研究科委員会で配布された

「浅野教授定年延長の件 検討事項」と題した審議資料(怪文書)を読んだときにびっくりしました。

一つは、大学院の教授として採用しておきながら、20年も経ってから、教授としての能力がないっていう判断をするというのは、じゃあこの間は何をしていたんだろうという話で、めちゃくちゃなことを書いているなあと思った。

それから、そう言っている教授たちのメンバーを見て、他の教授の名前は全然わからないけれど、遊女の研究を講義している佐伯順子の名前が載っていたから、なんじゃこらあと思ったんですね。同志社の腐れようの象徴みたいなものです。(そういう)メンバーですよ。

もちろん大学で遊女の研究をやってはいけないわけではないですけれど、少なくとも日本の社会の中で遊女というのはどういう位置に置かれていて、それが社会の人間とどう関わっているのかという研究をしていればいいけれど、彼女のやっているのは、面白おかしく、80年代の大学で軽薄短小の講義をするのがひとつのファッションみたいな、その延長になっている人が、浅野さんが一生懸命に現代のジャーナリズムの批判をしてきたわけですけれど、それに対して「教授としての一定基準のレベルに達していない」とよく言うなと思いました。

あと、審議資料文書を読んでいると、最後の方にある「職場環境面」「[要点]学科内の職場環境を極めて不正常にさせている」根拠の一つに、「専攻科の各教員は常時強いストレスにさらされている。文書送付等が顕在化しているときは勿論、その後も長く続く恐怖感。これによる突発性難聴や帯状疱疹などの発症」と書いてありました。浅野さんが職場にいるせいで、ヘルペスになったとか、突発性難聴になったとか、これにはまあびっくりしました。この大学の教授は、最低限の教養もないんだなあと思いました。浅野さんがヘルペスをうつすぐらいの能力があったらですね、川向こうの(京都大学にある)iPSの研究所と同じく、同志社も浅野ウイルスを抗体にする研究所を作ったらいいくらい大変なことなんですけれど。平気でそういう、言っていることが本当だと思っているんでしょうね。ヘルペスがウイルスであることを知らない人の物だと思うんです、あの文章は。その程度の人が社会学部の教授になって、この大学の、最低限の教養もなしに、自ら辞表を出すべき人ではないかと思いました。

突発性難聴についてもですね、これは原因不明だから突発性と書いてあるのですよ。浅野さんが原因だったら、浅野さんの教室の、左前の人ばっかりが難聴になるというのなら、あっちの方から耳を傾けていると悪い声が聞こえたというのなら、まあ皮肉としては面白いけれども、どうもそういうことでもないらしい。

とりあえず、嫌なやつだということを書いているだけです。それをそう書くならいいですよ。しかし、最低限の高校生くらいの知識すらない人が大学教員で、恥ずべきことだと思います。

2004年1月の自衛隊のイラク派兵の時に、時の女性の外相、川口順子をよんで、劣化ウランを使ったときですよ。村田晃嗣教授(法学部教授、13~16年同大学長)が彼女をよんで早々に講演会やったんですね。そのときに劣化ウランの問題を提起した学生とかをここの職員も動員して会場からつまみだすということをやったそうです。それを聞いて、最低な大学だなと思いました。

今日も来るときに「良心館」に行くのかと。不愉快な名前のところにいかなきゃならないなあと思ったんですよ。私は前から同志社の名前のつけ方が気に食わない。それから名前以上に入ってくると建物が気にくわない。こんなにピカピカな贅沢な建物で、いったい社会の矛盾を考えるような学生が育つのだろうか。これは明らかに土地の地上げで金儲けした不動産会社と組んで、大学がそのお金でこういう建物をボンボン作っていますよね。そのことを大学も学生も問題にできなくて、挙げ句の果てには川口を呼んで喜んでいるという印象を持ちました。

もちろん私は、関学にいたので、五十歩百歩の大学で、西の方から同志社の悪口を言えるほどのことはないけれども、しかし、五十歩百歩でいえば、ここまで落ちぶれていないぞという感じがしましたね。

きのう娘が久しぶりにご飯を食べに来たので、明日久しぶりに同志社に行くんだって言って、からんでですね。「同志社大学っていう名前がついている学校に行ったんだろう」って。私の娘は経済学部(八田英二教授=元学長で4月から総長=のゼミ)を出て、総合政策の大学院を出た。「いったい志はあったのか、言ってみなさい」と言ったんですね。同志社でしょう。「同志だから、志を共にしようとする人と出会ったか言え」って言ったら「友だちはいっぱいいた」と言ったんですよ。友だちと同志とは違うだろうと。そうしたら怒ってきょうはご飯食べないと言われてしまいましたけれど。

でも皆さん、本当に考えてください。名前が泣いているんじゃないでしょうか。同志社です。志をもって、日本のシステムの中で、廃仏毀釈の動きがあるなかで、キリスト教の志を持って作ろうとした大学がいったい何をやっているんだろうという感じがします。私は国立大学だけれど唯一キリスト教によってつくられた北海道大学(医学部)を卒業しています。同志社よりも私の大学の方がずっとキリスト教的だったなあと思うことでして、もうちょっとちゃんと志を持って欲しい。名前だけ良心館と付けたという思いです。 ]

(続く)

同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件の概要

浅野教授の文春裁判を支援する会
 ∟●同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件の概要

同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件の概要

☆闇討ち・暗黒裁判だった浅野教授追放

浅野健一・同志社大学(以下、同大)大学院社会学研究科メディア学専攻教授は2014年3月末、学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部教授、以下同志社)による定年延長拒否=解雇という形での“だまし討ち”“暗黒裁判”で不当解雇されました。浅野氏は14年2月3日、同志社を被告とし、京都地方裁判所第6民事部(堀内照美裁判長)に従業員地位確認等請求訴訟を起こし、これまで15回の口頭弁論が開かれ、今年3月1日(水)午後1時10分、京都地裁203号法廷で判決の言い渡しがありました。堀内裁判長は請求を棄却しました。浅野氏は判決は不当として、3月10日付で控訴しました。大阪高裁で控訴審が行われます。判決については、浅野支援会のHPを参照ください。

浅野氏は1972年に慶應義塾大学経済学部を卒業、同年4月から一般社団法人共同通信の記者となり、社会部、千葉支局、外信部で記者やデスクとして働き、ジャカルタ支局長などを歴任しました。

浅野氏は94年3月末に共同通信を退社し、同年4月から2014年3月末までの20年間、同志社が運営する同大大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程(旧・大学院文学研究科新聞学専攻)及び同大社会学部メディア学科(旧・文学部社会学科新聞学専攻)において教授の職にありました。1998年に大学院文学研究科新聞学専攻(2005年に社会学研究科メディア学専攻と改称)博士後期課程が設置されましたが、その際、文部省(当時)による教員審査で、博士論文の指導が可能な「D○(マル)合」の資格が認められています。設置が認可された博士後期課程にはジャーナリズム、コミュニケーション、情報文化の三つのコースが設けられ、浅野氏はジャーナリズム分野の責任者となりました。

浅野氏は村田晃嗣学長(15年11月の学長選挙で敗北し16年3月辞任、法学部教授)とメディア学専攻の同僚である渡辺武達教授(2015年に70歳で定年退職、現在名誉教授)が中心となった“闇討ち”の暗黒裁判で同大から暴力的に追放されました。1951年以降、すべての大学院教授に認められている定年延長を社会学研究科委員会(教授会)において前例のない無記名投票で拒否され、「65歳で退職」という形の極めて巧妙なやり方の不当解雇でした。

浅野氏は「65歳定年」で、同志社総長から感謝状をもらって退職した形になっていますが、実際は同志社大学からの完全追放でした。20年間も大学院教授・学部教授を務めたのに、名誉教授にもならず、70歳まで任用可能な他の雇用形態(特別任用教授、客員教授、嘱託講師など)での再雇用もありませんでした。

浅野氏の定年延長を審議した13年10月30日の社会学研究科委員会(35人の専任教員で構成)で、浅野氏の同僚4人(小黒純・竹内長武・池田謙一・佐伯順子各教授)は「浅野教授の定年延長 検討事項」と題したA4判・2枚の文書(作成者名、作成日時なしの怪文書)を配布しました。根拠を示さない一方的な非難・中傷を列記した文書でした。「研究者としての能力に問題」「学生本位の教育がなされていない」「御用組合、デマなどの用語を使っている」……。「専攻科の教員がストレスにさらされ帯状疱疹を発症」などという非科学的言いがかりさえありました。

小黒氏は16年12月20日、京都地裁へ提出した陳述書で、浅野氏が13年度の「新聞学原論Ⅰ」の講義概要で、朝日新聞の11年10月15日の社説を引いて、〈「大本営発表」報道だったとあっさり認め自省した〉と書いたことを取り上げています。

〈(社説では)「大本営発表」になっていないか」という「厳しい批判にさらされている」と述べられているにとどまり、自らの報道が「大本営発表」になっていたと認めてはいませんので、明らかな誤読か、意図的な曲解と考えざるをえず、研究者・教育者として極めて不適切〉

この後、小黒は、浅野氏が〈自らの主義・主張、政治的信条を前提とした授業が行われていると推認され、院生・学生本位の教育ではない〉と非難しています。

しかし、 依光隆明・朝日新聞記者(元・東京本社特別報道部長)は「福島原発事故に関する朝日新聞の取材・報道は“大本営発表”になっていたというのが朝日社内の一致した感覚だと思う。私たちが『プロメテウスの罠』(11年10月~16年3月)の連載を始めた原点も、その反省の上に立ってのことだ」と話しています。

小黒氏らは、日本に国際標準のジャーナリズム創成を目指す浅野研究室を破壊するために、同大における定年延長制度の不備を利用して、浅野氏の追放を強行したのです。

浅野氏は地位確認訴訟の他、16年3月13日、渡辺氏と怪文書作成の4教授(小黒・竹内・池田・佐伯各教授)を相手に、京都地方裁判所第3民事部(久保田浩史裁判長)に名誉毀損・損害賠償請求訴訟を起こし、4月13日に結審の予定です。浅野氏は、さらに、5人と共謀して研究科委員会で規定にない「可決要件3分の2の無記名投票」(新任採用教員採用の際の要件)で定年延長を拒否する議決を強行した冨田安信・前社会学研究科長(産業関係学専攻教授)を被告とする損害賠償請求訴訟を神戸地裁民事4部(石原和孝裁判官)に起こしています。

☆矛盾に満ちた院教授だけの定年延長制度

浅野氏の不当解雇の経緯と現状は次の通りです。

同志社の教職員の定年は65歳ですが、同大には、「同志社が必要とする大学院教授」だけは70歳まで定年延長(1年ごとに更新)されるという制度があります。博士後期課程の博士論文指導ができる教授を確保するために1951年に「当面の間」として導入された制度が66年間も続いています。同大の定年延長制度は、大学院教授は65歳で退職せず、試験監督などの雑務が減ったうえで、65歳時の賃金が保証される「私たちから見れば『夢のような制度』」(勝村誠・立命館大学政策学部教授)で、これまで定年延長を希望する大学院教授に自動的に認められてきました。同大の大学院教授の65歳時の年収は1700万円を超えています。5年間の定年延長で退職金も増えますので、70歳で定年退職する大学院教授と、65歳で退職する非大学院教授との生涯賃金は約1億円違います。このように、同大の定年延長制度は、大学院教授だけの特権であり、大学院教授ではない教員(一般教養科目担当、外国語・体育担当、研究所)にとっては差別的制度で、同志社大学教職員組合でも古くから問題になっていました。「院教授の特権を認めて差別的で、職場の風通しを悪くする同大独自の定年延長制度は根本的な改革が必要」(社会学専攻・板垣竜太教授、2012年度同志社大学教職員組合委員長)で、1997年度の大学組合委員長の浅野教授も同じ見解を持っていました。

☆同僚4教授の妨害と前代未聞の教授会での投票で定年延長拒否

しかし、浅野氏の定年延長を、「大学院教授としての適性に欠ける浅野には認めない」と「メディア学専攻」教授4人が密室の会議で決め、大学執行部が容認したため、教壇に立てなくなりました。

浅野氏は13年7月に65歳になりました。同年10月16日までに決まり、冨田研究科長に提出された14年度開講科目には「浅野教授の講義」(大学院5、学部12科目)が明記されていました。全国の受験生に配られた14年度版大学案内には、浅野氏と浅野ゼミ出身でメディアに就職した卒業生の写真が掲載されていました。14年度の大学院案内にも浅野氏の科目が載っていました。これらはいずれも、「浅野教授の定年延長」を前提としたものでした。

ところが10月29日、浅野研究室に小黒教授名義の「浅野教授の定年延長を提案しない。渡辺教授の定年延長は提案する」旨の文書が投函されていました。「メディア学専攻」6人のうち、浅野、渡辺教授を除く4人で10月25日に決めたということでした。

10月30日、「社会学研究科委員会」(35人の専任教員のうち31人が出席)が開かれ、浅野氏以外の5人(渡辺教授を含む)の定年延長が各専攻から提案されて承認されました。冨田研究科長は、浅野氏は「専攻会議では拒否されたが、浅野先生自身が自身の定年延長を来防しているので、私から提案する」と議題にしました。浅野氏の退席後、冨田研究科長とメディア学専攻の教授4人が怪文書を配布しました。11月13日、研究科委員会で浅野氏の定年延長が継続審議されました。定年延長は承認事項だったため可決要件の規定が全くなく、冨田研究科長が独断で「3分の2の賛成で可決」と提案し投票、「否決された」と浅野氏に通知しました。

渡辺教授とそのグループは03年8月から、「浅野教授がセクハラをした」と学内の委員会に申し立てたり、それを「週刊文春」に垂れ込みして書かせたりしてきました。それが全部虚偽だったことは、浅野氏が起こした対文春、対渡辺教授の名誉毀損訴訟2件で浅野氏が全面勝訴(両裁判の確定判決では、渡辺氏が証拠にしたメールなどを改竄し、同大の信用を失墜させたと認定)したことにより、証明されています。

今回の定年延長妨害も「渡辺グループ」が画策し、安倍晋三首相に近い村田学長、尾嶋史章副学長(村田氏の側近、社会学専攻教授)らが追認しました。「メディア学専攻」が定年延長を提案しなければ、目障りな浅野氏を排除できます。名誉毀損の被害者を追放し、加害者を〝延命〟させる卑劣極まりない工作でした。

被害者は浅野氏だけではありません。浅野ゼミの院生・学生が新年度から希望のゼミを失いました。浅野氏は京都地裁への地位保全仮処分申し立て(13年12月27日、14年5月に却下)の陳述書で、こう書いています。

《私の研究の原点は、「声なき声」、少数者、被抑圧者の立場に立つことです。生きた学問に忠実で、象牙の塔に籠らない学者、学生たちと真に人間的につきあう教授、何よりも人間として今何が必要なことかを教える人になろうと努力してきました》

新島襄が創った「官ではない民の学園」の同大は、こんな研究者・教育者を追放する大学なのでしょうか。

地裁裁判の審理で、同大では大学院教授の場合、70歳定年が制度化していること、浅野氏のような事例は皆無であることが明白になりました。浅野氏の定年不延長を大学院メディア学専攻の同僚(後輩)4人が密室で「決定」し、それを専攻会議の議決を経ていないのに、冨田研究科長が「専攻で決定した」とウソをついて、研究科委員会、大学執行部が「研究科・学部の自治」「定年延長は各研究科の審議事項」(村田晃嗣学長=当時)として追認(黙認)したのが「浅野ケース」です。

定年延長をめぐる労働裁判はこれまでいくつかありましたが、日本大学国際関係学部で教授会において定年延長を拒否された教授が勝訴するなど、大学側がほとんど敗訴しています。

同大の現役学生有志が14年7月以降、浅野氏の教壇復帰を求める要望書を大学と同志社に計5回提出しています。また、学生有志が14年9月から、自主ゼミ「浅野健一ジャーナリズム講座」を同大内で開催しています。浅野氏の闘いは日本におけるジャーナリズム教育研究の拠点を取り戻す活動でもあります。浅野氏の三つの裁判の行方に注目ください。

☆浅野ゼミOB・OG、現役学生らが支援

浅野氏の三裁判については、浅野支援会HPを読んでください。

http://www.support-asano.net/index.html

また、浅野ゼミの20年の歩みはゼミのHPをご覧ください。

http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html

浅野氏の雇用闘争では、以下の4団体が支援しています。

「浅野先生の教壇復帰を求める会」(大内健史・代表幹事、同志社大学文学部2016年卒、mr.ootake@gmail.com)

「浅野先生を守る会」(吉川幸祐会長=同大政策学部2015年卒astrophysik928@gmail.com、木平良史事務局長=同大法学部卒)

「浅野健一ゼミ・OBG会」(馬場尚子会長、bbnaoko@gmail.com)

「浅野教授の労働裁判を支援する会」(山際永三代表・〒168-0064 東京都杉並区永福4-3-2、電話 03-3328-7609、eizoyama@asahi.email.ne.jp)

2017年03月22日

田中圭太郎氏【ルポ・大学解雇】同志社大学の名物教授が「突然の退職」を通告されるまで

『現代ビジネス』(2017年3月21日)【ルポ・大学解雇】同志社大学の名物教授が「突然の退職」を通告されるまで
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51247

2017年02月21日

同志社大学・浅野教授定年延長拒否事件について-概要とサイト紹介-

 同志社大学大学院から不当な処分を受けた権利侵害事件について,原告教授から事実経過と裁判に関して寄稿の依頼を受けた。本HPでは,はじめに同事件の概要と支援団体のホームページを紹介したい。(2017年2月21日,ホームページ管理人)

 この事件は,浅野健一同志社大学大学院社会学研究科メディア専攻教授が,2014年3月末,学校法人同志社大学から定年延長拒否という形で不当解雇された事件である。原告の浅野教授は,2013年12月,学校法人同志社大学を相手取り京都地裁に地位保全の仮処分を申し立てた。しかし,残念ながら仮処分の決定がでなかったため,現在,京都地裁に本訴を提訴している。

 定年延長拒否の経緯は,以下のようである(引用は山口正紀「同志社大学が浅野教授を『追放』-「私怨」による定年延長妨害を容認した大学当局-」『進歩と改革』(2014年7月号)より)。

 同志社大学では,大学院教授について65歳の定年を超えても満70歳まで毎年定年を延長できる制度がある(その手続きとして,専攻会議が研究科委員会に候補者を提案し,同委員会が承認する。承認されれば大学の理事会に提案され,決定される)。「この制度によって,定年を希望した大学院教授は従来,ほぼ自動的に定年が延長されてきた。浅野さんの属する社会学研究科でも,定年延長を希望している教授が延長を拒まれた例はなく,浅野さんも自動的に定年延長されるものと思っていた。」

 ところが,定年延長を審議する研究科委員会では,一部教員により浅野教授を「排除するため」「一方的人格攻撃の怪文書」が提出され,定年延長が否決された。浅野教授への人権侵害は今に始まったことではない。同大学院メディア専攻内では,一部教員により「2005年11月の『週刊文春』を使った『セクハラ疑惑』でっち上げをはじめ、浅野さんに対して様々な攻撃が繰り返されてきた」(その内容は,正確を期すため上記『進歩と改革』を参照されたい-引用者)。これらの攻撃に対して,浅野教授は名譽毀損訴訟を起こし,全面的に勝訴してきた(例えば,2010年3月対文春名譽毀損訴訟・全面勝訴,2013年2月「セクハラ疑惑」をつくった同僚の教授に対する名譽毀損訴訟・全面勝訴)。2013年の「定年延長妨害」は,そうした攻撃の延長線上にある。

 学校法人同志社は,こうした「私怨」による「定年延長妨害」を認めた。これに対して,浅野教授は,2014年2月,「従業員地位確認等請求訴訟」を京都地裁に提訴した。京都地裁では,これまで15回の口頭弁論が開かれ,今年3月1日(水)午後1時10分,203号法廷で判決の言い渡しがある。

なお,浅野教授の裁判については,支援する会等のHPが作成されている。
浅野教授を支援する会
http://www.support-asano.net/index.html
人権と報道・連絡会
http://www.jca.apc.org/~jimporen/

また,浅野教授の雇用闘争では、以下の4団体が支援している。
■「浅野先生の教壇復帰を求める会」(大内健史・代表幹事、同志社大学文学部2016年卒、mr.ootake(at)gmail.com)
■「浅野先生を守る会」(吉川幸祐会長=同大政策学部2015年卒astrophysik928(at)gmail.com、木平良史事務局長=同大法学部卒)
「浅野健一ゼミ・OBG会」(馬場尚子会長、bbnaoko(at)gmail.com)
「浅野教授の労働裁判を支援する会」(山際永三代表・〒168-0064 東京都杉並区永福4-3-2、電話 03-3328-7609、eizoyama(at)asahi.email.ne.jp)