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2016年03月08日

全大教、「馳浩文科大臣の国旗・国歌についての介入発言を批判するとともに、大学の自律的判断を呼びかける」

全大教
 ∟●「馳浩文科大臣の国旗・国歌についての介入発言を批判するとともに、大学の自律的判断を呼びかける」

「馳浩文科大臣の国旗・国歌についての介入発言を批判するとともに、
大学の自律的判断を呼びかける」


 馳浩文部科学大臣は、岐阜大学の森脇久隆学長が入学式・卒業式で国歌斉唱をしない方針を述べたことに関し、2月21日、記者団に対し、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べたとされ(2月22日付朝日新聞)、また、2月23日の定例記者会見でも「君が代を斉唱することは、私は望ましいと思っている」「日本人として、特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」(文部科学省ホームページに掲載の動画から)と改めて考えを述べた。

 馳大臣のこの一連の発言は、大学、とくに国立大学への不当な介入であり、予算編成権や国立大学法人の中期目標を指示する権限をもつ大臣として不適切なものである。私たちはこれに強く抗議する。

 昨年(2015年)、安倍晋三総理大臣、下村博文前文部科学大臣が国会質疑のなかで、国立大学の式典における国旗・国歌が「正しく実施」されるべきとし、それが「適切な対応が取られるよう要請」すると発言したことに対し、私たちは、「政府はあらためて、国民の思想信条、内心の自由を尊重すること、大学の運営については大学内の議論にもとづく民主的運営、「大学自治」を守ることに立ち返る」ことを求めた(2015年4月22日付け声明「政府の国旗・国歌「要請」方針に抗議するとともに学長・国立大学協会は自律的判断にもとづく行動をすることを求める」)。その後、下村大臣(当時)は、2015年6月16日に国立大学長・大学共同利用機関長等会議において、全国の国立大学長に対して「要請」を行った。

 今回の、馳大臣の一連の発言の問題点を次のように考える。
 第一に、馳大臣は、本来大臣に権限のないことを承知で大学に対して不用意な介入をしているという問題である。
 馳大臣は2月23日の記者会見の中で、「高等教育機関には学習指導要領がないので、教育活動等について強制的、命令的に指示・命令するようなものではない」とし、「大学の執り行う教育活動について、自主的に適切に判断いただければよい」と述べている。文部科学大臣にはこうした件に関して大学に対して指示・命令する権限が無いと表明せざるをえないのである。この点に関しては、昨年6月に下村博文前文部科学大臣が直接国立大学の学長に対して文部科学大臣の立場として正式に「要請」を行ったこととの比較においては、大臣の立場をわきまえた発言ともいえる。
 高等教育機関に学習指導要領が定められないのは、大学に対して、大臣たりともそこで執り行われる教育活動については介入してはならないということの、制度上の表現なのである。このことは最大限尊重されなければならないことを改めて強調しておく。

 第二に、大学における多様な個人の思想・良心の自由を尊重していない点である。
 馳大臣は、21日の記者団への発言で「学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」と語ったとされ、また23日の記者会見では、「私が学長だったら、日本社会の多くの方にご支援をいただいて、高等教育に臨む、あるいはおかげざまで卒業します、社会に出てそれぞれの道を歩みます、というのであれば、君が代を斉唱するのが私としては望ましいと思う」と述べている。これは、学長を通して、馳大臣個人の「私」の思想・信条をすべての学生・保護者に求めていることであり、問題である。とくに大学は多くの留学生がおり、また今後ますますグローバル化していくべき時である。多様な意見や背景をもった人々が集う場としての大学を理解し、尊重する姿勢が求められる中での、大臣の発言は重大であることを認識すべきである。
 なお、私たちは、小・中・高校の学習指導要領に国旗掲揚・国歌斉唱を「指導するものとする」と明記され現場においてその指導が強制される現状そのものが、教育現場における思想・良心の自由を侵害しているものとして、今回の大学における国旗・国歌の取り扱いへの介入と同様に非常に重大な問題であると認識していることを改めて明らかにしておく。

 第三に、国が教育の機会を提供し条件整備を行う責任を負っていることを自覚した発言をすべきである。
 馳大臣は、大学で学ぶにあたって公的資金の投入がなされていることを、国旗掲揚、国歌斉唱を求めることの根拠の一つとしている。
 大学は言うに及ばず、教育には、すべての国において、多かれ少なかれ公的な資金が投入されている。馳大臣がいうように、このことが社会的合意にもとづいて行われていることはそのとおりであるが、それを「支援」と言い切ってしまうことは重大な誤りである。
 教育は、日本国憲法第26条第1項ですべての国民に対して保障する「権利」である。国民に保障された権利を実質化するために、国がその機会の提供、条件整備を行わねばならず、その方法の一つが公的資金の投入である。日本は、国際的に見れば遅れてはいたが、2012年に国連国際人権規約の高等教育漸進的無償化条項の留保を撤回したのであり、政府は、高等教育を受けようとするものへの無償化に向けた取り組みを具体的に進めていくべき立場にある。それを、保護者・学生が「支援」を受けていると一方的に位置づけし、感謝の念を表すこと、そしてその方法について軽々に述べたのである。問題のある発言と言わざるをえない。
 付言すれば、高等教育への公財政支出は、OECD諸国最低レベル(対GDP比で0.5%であり、OECD諸国のうち統計のある32カ国中31位(2012年))であり、そのことを熟知する立場の大臣が、公的支出の投入をもって国旗国歌の要請の根拠とすることもまた「恥ずかしい」。

 馳大臣は、これら国旗・国歌に関する一連の発言に先立つ1月10日には、石川県において新聞社会長との懇談の中で、国立大学法人に対する運営費交付金に関し、学長等の学内選考において意向投票を行っている大学に対しては交付金配分を厳しく評価する、と発言したと報じられてもいる(1月11日付富山新聞)。これもまた、大臣の権限を恣意的に発動する意志を示すことによる不当な大学への介入であり断じて許されるものではない。
 今回、岐阜大学の森脇久隆学長が、今春の式典において従来からの慣例である愛唱歌を唄うこと、そして「君が代」斉唱を行わないことを、自律的な判断として明確にしたことについて、高く評価し、敬意を表する。
 私たちは、それぞれの大学が毅然として自律的な判断を積み重ねていくこと、そしてすべての大学人がそのことに責任をもって自覚的に参加することを呼びかける。

2016年3月7日
全国大学高専教職員組合中央執行委員会

2016年02月07日

全大教、声明「大学教員の処分手続きおよび内容の適正化を求めます-大学教員の身分保障は学生の教育権を保障し学問の自由を守るために必要なものです-」

全大教

(声明)大学教員の処分手続きおよび内容の適正化を求めます- 大学教員の身分保障は学生の教育権を保障し学問の自由を守るために必要なものです -

最近、国立大学において、教員が長期間の停職など重い懲戒処分を受け、なかには解雇されるという事件が立て続けに発生しています。これらの事件の中には、処分手続きが不十分、あるいは処分内容が恣意的と疑われる事案が含まれています。

たしかに、大学教員による研究不正や、学内外における犯罪行為・社会通念上許されない行為が発生する場合もあり、そうした事案に対しては、身内をかばうということでなく、厳正な審査の上で公正な処分が行われなければならないのは当然です。

しかしながら、不十分あるいは恣意的な手続が疑われる事案が発生する背景には、学校教育法の「改正」(註1)によって、相当数の大学において、教員の不利益処分や懲戒を含む教員人事事項が教授会の審議事項から外され、さらに大学によっては、教員の処分に学長・役員会の意向が直接反映されやすくなるよう人事委員会(あるいは懲戒委員会)等の構成等が変更されている、などのことがあります。学長・役員会が、社会からの非難を恐れ、あるいは学内の政治的思惑から、厳正・公正な調査と審査を経ずして処分権を発動しているのではないか、また、処分の量定において過度の厳罰主義に陥っているのではないか、と疑われる事例もみられます。
私たちは、こうした傾向に危惧を覚えます。

恣意的、不公正な審査によって教員が不当な処分を受けるといった事態は、それが教員本人の身分・労働条件についての重大な問題であるとともに、教育を受ける学生の教育権の問題でもあります。現に教育を受けている教員の突如の変更や、かつて教育をうけた教員に対する理不尽な処分による名誉の毀損は学生にも及び、学生の人生にとっても非常に大きな不利益となります。
軽々に教員の身分が不利益に変更されることがまかり通ることは、学問の自由に触れる問題です。それは、教育、研究内容を萎縮させ、そのことは学術全体の歪みにつながっていきます。

私たちは、国立大学においては教育公務員特例法の対象外となった現在でも(註2)、教員の身分に関わる審査は、教員代表が構成する教育研究評議会において慎重な審査が行われることが必要であり、学長・役員会はその審査を最大限尊重すべきと考えています。その審査は、必要かつ十分な事実調査の上になされなければならず、それは厳正であり専門的見地からなされるよう、公正な構成をもつ調査委員会においてなされていなければならないと考えています。
国立大学法人においては、現在でも学校教育法によって、教授会において教員人事について審議することが求められており、国立大学法人法により教育研究評議会の審議事項であることを確認されなければなりません(註1及び註3)。こうした厳正・公正な手続きが、慎重に進められたうえで、適正な処分が行われるように求めます。

大学自身が、自ら社会に対して責任をもって説明をすることができる十分な自浄機能を持ち発揮し続けることが、社会からの付託にこたえることであり、学術を守り育てる責任を果たすことであると確信しています。
学長・役員会には、こうした考えを共有し、ともに大学・学術を守っていくことを求めます。

2016年2月4日
全国大学高専教職員組合中央執行委員会

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1)2015年の学校教育法の「改正」によって教授会の審議事項に関する定めがなされた。その中でも、同法第93条第2項第3号の「教育研究に関する重要な事項で、教授会の意見を聞くことが必要なものとして学長が定めるもの」の一として、同法の施行通知(文部科学省)で「学校教育法第93条第2項第3号の「教育研究に関する重要な事項」には,教育課程の編成,教員の教育研究業績の審査等が含まれて」いると明示されている。

2)教員の身分に関わる決定については、かつて、国立大学が法人化される以前は、教育公務員特例法によって、「転任・降任・免職」については、「評議会の審査の結果によるのでなければ、意に反して転任・降任・免職されない」、「懲戒」については、「評議会の審査の結果によるのでなければ懲戒処分を受けない」、と、いずれも評議会の審査が要件であった。
法人化によって、国立大学教員の身分が非公務員となった。このことにより自動的に、教育公務員特例法の適用の対象外となった。
しかし、公務員法制の適用から外れたことで、ただちに教員に対するこれらの不利益処分を教員代表機関の審査に付す必要性がなくなったわけではない。
教育公務員特例法によって、教育に携わる公務員である国立大学教員の身分が「特例」とされていたのは、公務員一般の身分と同等に任命権者の意思によって処分を受けることは大学の自治を侵害し学問の自由を危うくすることにつながりかねないので、それを排除するために、人事権を大学に、しかも専門的見地から十分に審査するために、教員組織である(教育研究)評議会に置いたものである。この法の趣旨は現在でも非常に重要であり、大学においてはそれぞれの自治の判断で、組織的に十分な審査を進めることを旨とし、教育研究評議会における審議を実質的に十分に行うことを定めて、実施していくことは必要である。

3) 国立大学法人法では、教育研究評議会についてその審議事項の一として、第11条第4項第4号に「教員人事に関する事項」をあげている。この「教員人事に関する事項」には当然ながら懲戒に関することも含まれている。にもかかわらず、実際の運用でそのようになっていない大学があり、このことは重大な問題であると考える。さらには、教育研究評議会の構成が、専断的大学運営を行う学長の意向に沿う形で、教育研究に関する重要事項を審議するに相応しい公正な構成とはいえない状況にさえなっている国立大学法人も見受けられる事態は、大きな問題である。


全大教、声明「法と事実を枉(ま)げる高裁、地裁の不当判決に抗議し、徹底審理と公正な判断、また国立大学法人労働者の労使自治確立を改めて強く求める」

全大教

(声明)
法と事実を枉(ま)げる高裁、地裁の不当判決に抗議し、徹底審理と公正な判断、また国立大学法人労働者の労使自治確立を改めて強く求める

全国大学高専教職員組合中央執行委員会

2016年2月4日

 2012 年途中から約2年間にわたって、国立大学、高専、大学共同利用機関で働く教職員の賃金の一方的な減額が行われた。この賃下げが政府の国立大学法人制度、独 立行政法人制度の枠を超えた法的根拠なき要請と無法な運営費交付金の減額、これらに安易に追従する法人側の対応によって引き起こされた不当な措置であった こと、もともと例外的に認められるにすぎない就業規則変更による労働条件不利益変更の要件を充たさない違法無効な措置であったこと、震災復興財源捻出を賃 下げ実施及び運営費交付金減額の理由としながら、賃下げ実施後の各法人及び政府の財政運営はその説明を裏切るものであったことは、これまでに発表した声明 等(*1)でも明らかにしてきたし、全大教が全国闘争として取り組んでいる全国11の未払い賃金請求訴訟(*2)のたたかいの中で、ますます現実に明らかになってきている。

 ところがこの間、裁判所は国立大学法人等に求められる自主的・自律的な経営や労使自治による労働条件決定の原則を事実上骨抜きにするかのような誤った法解 釈と事実認定を通じて、違法無効な賃下げを行った法人側、ひいてはそのような措置を行わせた政府を救済する判断を下してきた。
 
 昨年後半に出された二つの第一審判決(高エネルギー加速器研究機構事件2015年7月17日水戸地裁土浦支部判決、富山大学事件2015年12月24日富山地裁判決)の うち、前者では法人財政に占める運営費交付金の割合が高いことを理由に政府の要請に反する措置は困難であったとして、また逆に法人財政に占める運営費交付 金の割合が相対的に低い後者では、中期目標・中期計画に基づく施設整備の必要性や剰余金の使途の拘束性などを著しく過大に見積もることを通じて、賃金の不 利益変更を行う「高度の必要性」を肯定した。いずれの判決も、それ以前に出された3判決(国立高専機構事件2015年1月21日東京地裁判決、福岡教育大学事件2015年1月28日福岡地裁判決、京都大学事件2015年5月7日京都地裁判決)と 同じく、単に労働者の生活と権利を軽く扱うだけでなく、各法人が自主的な経営努力と健全な労使自治に基づいてその設置目的を果たすことを求めた国立大学法 人等の制度趣旨を否定しかねない点でも不当な判決である。また、高エネ研事件の判決については、労働協約の拘束力の軽視、賃下げに並行して行われた退職金 減額の不利益の甚大さや退職給与の持つ賃金の後払い的性質の軽視とい、点でも看過しえない不当性をもつ。
 
 我々は、先行する訴訟の判断や国立大学法人等と政府との関係への通俗的な理解に寄りかかったこれらの地裁判決に抗議するとともに、なお続行する第一審訴訟で各地の地方裁判所が裁判官の独立と良心にかけて、公正な判断をすることを強く求めるものである。
 
 上に挙げた5つの第一審での不当判決に対しては、いずれも原告団がこれを不服として控訴し、審理は高等裁判所に移された。そのうち2つの事件について、原 告側からの証人申請の却下、新たな主張立証のための弁論続行の申入れの却下、さらに弁論再開申立の却下など一方的かつ強権的な訴訟指揮がされる中で、控訴 審判決が出されている(福岡教育大学事件2015年11月30日福岡高裁判決、国立高専機構事件2016年1月13日東京高裁判決)。

 これら判決の内容は、上に述べたような審理を尽くそうとしない訴訟指揮のあり方が判断にそのまま現われたものであった。第一審判決をほぼ丸ごと肯定し、原 告側の控訴審での追加的な主張・立証――原判決での法人の中期計画に関する事実認定の誤り、法人財務諸表等に基づけば賃下げ回避は可能であったとの専門家 の意見、原判決は労働法令の従来の解釈を逸脱するものであるとの専門家の意見など――を原判決と同様な論理立てで切り捨てるのみで、良くも悪くも控訴審独 自の判断はほとんど見当たらない。つまり、それぞれの事件の第一審判決の不当性がそのまま維持されたものであった。
 
 我々は、裁判を受ける権利を十分保障せず、控訴審の審理を一方的に打ち切って第一審の不当な判断を擁護したこれら高裁判決に抗議するとともに、現在続行中 の京都大、高エネ研の各控訴審訴訟、これから開始される富山大の控訴審訴訟で、裁判所が徹底して審理を尽くし、第一審の不当な判断を覆すことを強く求める ものである。

 我々が給与臨時減額措置に対する未払い賃金請求訴訟を全国闘争として取り組む目的の根本は、さきの声明でも述べた非公務員化、法人化された国立大学法人等 の運営と労使関係を支える次のような当然の基本的原理を確認し、かつ大学・高等教育の現場、労使関係の現場においてこれらを現実のものにすることにある。「国 立大学法人等は、高等教育を行い学術研究を推進するというその設置の目的を果たすべく、国の中期目標・中期計画を通じた関与や事業実施に必要な財政措置を 受けながらもみずから自律的な経営判断を行う当事者能力をそなえた、独立した経営体である。そこで働く労働者の権利は、労働基準法、労働契約法等の一般労 働法制のもとで適切な保護を受けるものであり、その中での労働条件の決定は労使間の自治によって行われなければならない。国立大学法人等のこうした自主 性・自律性、そのもとでの労使自治、また高等教育機関に保障されるべき自治の精神に基づいて、独立行政法人通則法など関係法令の規定が解釈され、そのもと での政府の措置が規律されなければならない。」 全大教は、これらの基本的原理の確認の上に立って国立大学、高専、大学共同利用機関でらくすべての労働者の生活と権利を擁護するために、法廷の中でも、またそれぞれの職場や地域社会など法廷の外でも、たたかいを継続する決意を表明する。


2015年07月14日

全大教、声明「賃金臨時減額訴訟に対する三地裁の不当判決に抗議し、教職員の労働者としての権利保障と労使自治の確立を改めて訴える」

全大教
 ∟●賃金臨時減額訴訟に対する三地裁の不当判決に抗議し、教職員の労働者としての権利保障と労使自治の確立を改めて訴える

賃金臨時減額訴訟に対する三地裁の不当判決に抗議し、
教職員の労働者としての権利保障と労使自治の確立を改めて訴える

2015年7月11日

 2012年度から約2年にわたって行われた国立大学、高専、大学共同利用機関で働く教職員への不当な賃金臨時減額措置に対し、全大教は第44回定期大会で未払い賃金請求訴訟の全国闘争を宣言した。これまでに加盟組合が組織した11の原告団、600人を超える原告が各地の裁判所に提訴し、すべての加盟組合、共闘団体、市民等の支援を受けて裁判闘争がたたかわれている。この裁判闘争は、不当に減額された賃金を取り戻し組合員の不利益を回復するにとどまらず、法人化によって非公務員となった教職員の労働者としての権利がどのように保障されるのかを問う権利闘争として、歴史的意義を有するものである。

 全国11の訴訟のいずれでも、原告団、弁護団の取り組みによって、教職員の労働条件や教育・研究条件が劣悪なもとでさらにその上にのしかかった賃下げの不利益の苛烈さ、法人側の主張する経営上の必要性が法人の財政運営上の問題としても、法人の国との関係の問題としてもまやかしであること、法人側が早期の臨時減額実施に固執し労働組合との誠実交渉義務を果たさなかったことなど、今回の賃金臨時減額措置に労働契約法第10条による労働条件不利益変更の合理性がいかなる点でも認められないことが公開の法廷で明らかにされてきたし、現在進行形でまさに明らかにされつつある。自ら強行した不利益変更についてその合理性を立証する法的責任を負う法人側は、その責任を法廷の場でも果たそうとしていない。

 しかるに、今年の前半に相次いで出された三つの地方裁判所の判決では、次に示すように、主に賃金の重大な不利益変更に足る根拠として要求される「経営上の高度の必要性」を甚だしく安易に、また原告・被告の主張・立証内容を離れた裁判所の独自の論理によって認定することを通じて、原告の請求を棄却する不当な判断を下した。

・(国立高専機構事件・東京地裁2015年1月21日判決)機構にとって中期目標の達成、中期計画の実施と、それらに対する文部科学大臣の評価は存立に関わる問題だと認定。中期計画に「教育環境の整備・活用」として定められた施設、設備の整備の実施のため機構戦略経費が計上されており、中期計画を達成する観点から人件費削減を考慮せざるを得ない状況にあったとした。また、赤字決算に陥った場合の手立ては翌年度の概算要求での運営費交付金の増額要求しかなく、政府が要請した給与臨時減額を実施しないことで生じた赤字の補填要求が認められるとは考えにくいとした。

・(福岡教育大学事件・福岡地裁2015年1月28日判決)運営費交付金は前年度の算定額や毎年度の所要額をベースに定められ、物件費を支出抑制すれば次年度以降の交付額が削減される方向に作用し法人にとって財務状態の長期的悪化を招くと想定されるとして、財務上の健全性を保つため人件費を一時的に減額する必要性があったと認定した。また、国の交付金を主たる財源としながら国の要請に従わず、役職員給与の減額をしなければ、国や一般国民からの非難を受け、事業活動に悪影響を及ぼす可能性があるとした。

・(京都大学事件・京都地裁2015年5月7日判決)独立行政法人通則法63条3項及び職員給与規程附則の「当分の間、俸給表の月額及び手当の額は国家公務員の例に準拠」との規定を公的性格を有する法人としての国民に対する責任として教職員賃金を国家公務員給与に準拠すべきことを定めたものだと認定した上で、このような規定がある以上国家公務員の給与臨時減額が行われたことのみによっても賃金減額の一定の必要性が生じていたとした。加えて、国から国家公務員の給与減額に沿う対応が明確に要請されており、減額を実施すべきでない特段の事情は見出せない以上、賃金減額を実施すべき高度の必要性が存在したとした。

 これらの地方裁判所の判断は、これまで判例法理によって形成され、労働契約法に結実してきた労働条件の不利益変更に関する判断の枠組みを歪めた不当なものである。また、国立大学法人、大学共同利用機関法人、独立行政法人(以下「国立大学法人等」という。)の自主的・自律的な事業運営や、非公務員化された国立大学法人等教職員の労使自治による労働条件決定のために設けられている諸制度の理解をも誤ったという点で重大な過誤を含んだものである。

 もし、これらの判決の判決理由中での認定に従うならば、国立大学法人等はそれぞれの中期目標期間中、渡し切りの運営費交付金とその他自己収入を自らの経営判断で効果的に使用してその設置目的を最大限に果たすべく適切に運営することができないし、国立大学法人等の使用者は労働者との対等な交渉を通じた自治によって教職員の労働条件を適切に決定することができないことになろう。また、国立大学法人等で働く教職員は、政府の一片の要請や法人の収入の減少の見込み、はては国家公務員の給与改定が行われたことのみを理由に、労使の十分な交渉も合意も経ることなく労働条件の切り下げを甘受させられることになろう。このような不当な判決を容認することは断じてできない。

 国立大学法人等は、高等教育を行い学術研究を推進するというその設置の目的を果たすべく、国の中期目標・中期計画を通じた関与や事業実施に必要な財政措置を受けながらもみずから自律的な経営判断を行う当事者能力をそなえた、独立した経営体である。そこで働く労働者の権利は、労働基準法、労働契約法等の一般労働法制のもとで適切な保護を受けるものであり、その中での労働条件の決定は労使間の自治によって行われなければならない。国立大学法人等のこうした自主性・自律性、そのもとでの労使自治、また高等教育機関に保障されるべき自治の精神に基づいて、独立行政法人通則法など関係法令の規定が解釈され、そのもとでの政府の措置が規律されなければならない。

 全大教は、国公立大学、高専、大学共同利用機関の自主性・自律性と自治を守り、そこで働く教職員の権利を守るために、三地裁の不当な判決への批判を広げ、控訴審でこれを覆す取り組みを強めるとともに、あとに続くすべての訴訟で公正な判決を求め、たたかいを継続する決意を表明する。


2015年04月23日

全大教、声明「政府の国旗・国歌「要請」方針に抗議するとともに長・国立大学協会は自律的判断にもとづく行動をすることを求める」

全大教
 ∟●声明「政府の国旗・国歌「要請」方針に抗議するとともに長・国立大学協会は自律的判断にもとづく行動をすることを求める」

(声明) 政府の国旗・国歌「要請」方針に抗議するとともに
学長・国立大学協会は自律的判断にもとづく行動をすることを求める

2015年4月22日

 2015年4月9日の参議院予算委員会で、松沢成文委員(次世代の党)が行った国立大学の入学式・卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の実施率が低いとして政府の対応を求める質問に対し、安倍晋三総理大臣は「(国立大学が)税金によって賄われているということに鑑みれば新教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべき」、下村博文文部科学大臣は「国旗掲揚・国歌の斉唱が長年の慣行により広く国民の間に定着していること、平成11年8月国旗国歌法が施行されたことを踏まえ、各大学で適切な対応が取られるよう要請していきたい」とそれぞれ答弁した。さらに、4月10日閣議後の記者会見で下村文部科学大臣は「各国立大学において適切な対応がとられるよう、これから国立大学の学長が参加する会議等において要請することを検討している。各大学に対して、国会における議論の内容や国旗・国歌の意義を踏まえ今後の入学式等における国旗・国歌の取り扱いについて検討していただくよう要請していきたい」と述べた。
 4月9日の安倍総理大臣の答弁には非常に重大な問題がある。
 第一に、国立大学に対する税金投入を理由に政府の方針に従うことを求めている点である。これでは、国立大学は常に時の政府の方針に忠実に従わねばならないことになり、大学としての自主性や、大学の構成員の議論にもとづいた民主的運営が一切保障されない。
 第二に、教育基本法の規定を根拠としている点である。国旗・国歌に対する態度は個人の内心の自由に関わる問題である。だからこそ、国旗国歌法はその審議過程で個々人への強制はしないという答弁が繰り返され、そのことを前提に制定された経緯がある。安倍総理の答弁は、2006年に改正された教育基本法の第2条第5項「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を根拠にしたものと思われるが、日本国憲法を踏まえれば、この条文を政府が特定の行為を強制・奨励・禁止することを求めているものと解釈することは許されない。しかも安倍総理の答弁は、同じ教育基本法の第7条第2項で大学について「自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」とあることを無視している。
 下村文部科学大臣の4月10日の発言は、文部科学省が国立大学の学長に対しこの問題で直接に対応を要請するとしている点できわめて重大である。2004年の国立大学法人化以降、文部科学省は、運営費交付金の配分を決定する権限と、文部科学省内に置かれた国立大学法人評価委員会による評価の権限をてこに、国立大学の運営に関して歴然とした圧力をかけ続けてきた。今回、文部科学省は各国立大学の入学式・卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱状況の調査を行っており、こうしたことは各国立大学にとってはさらなる圧力として機能しうる。文部科学省からの「要請」とこれに基づく「調査」が行われた2012年からの最大9.8%の「給与臨時減額」にあたって、多くの国立大学法人の執行部は教職員に対して、文部科学省の要請は実質上の強制であると主張し、賃金切り下げを強行したのであった。
 学術は時の政府や国家権力から自由であるべきとして「学問の自由」が保障されるとされ、そのために国立大学にかぎらずすべての大学に「大学の自治」が保障されてきた。大学内で学生と教員の自由な活動が保障されるからこそ、最高学府として社会に貢献する成果をあげることができる。
 大学は、多様なバックグラウンドにもとづく、思想信条や国籍など多様なアイデンティティをもつ個人がそこに集い、談論風発の中で切磋琢磨しあう場である。もしも個人の尊重よりも組織や国家の論理が尊重されるようであれば、そのような場で先端的な学問が切り拓かれ、あるいはグローバルな人材が育つはずはない。
 政府はあらためて、国民の思想信条、内心の自由を尊重すること、大学の運営については大学内の議論にもとづく民主的運営、「大学自治」を守ることに立ち返るべきである。
 大学は、たとえ政府のこうした言動があったとしても、大学内での議論を重ね、あくまで自主的な判断によって今後の行動を決定していかねばならない。そうした態度こそが大学本来の力を発揮し、社会に貢献していくことにつながることを改めて確認するべきである。国立大学の執行部と、国立大学の学長の団体である国立大学協会には、政府のこうした不当な要請に屈することなく毅然とした態度で政府に抗議するとともに、学内の民主的議論にもとづく行動を取ることを求める。
 全大教は、そうした大学の構成員、大学自治の担い手の集団として、学内の民主的議論の中で、政府の不当な要請に屈することのない責任ある国立大学の一翼を担っていく覚悟であることを表明する。


2015年01月21日

全大教、未払い賃金請求訴訟の東京地裁不当判決に対する声明

全大教
 ∟●独立行政法人国立高等専門学校機構を被告とする未払い賃金請求訴訟の東京地裁不当判決に対する声明

独立行政法人国立高等専門学校機構を被告とする未払い賃金請求訴訟の東京地裁不当判決に対する声明


2015年1月21日
全国大学高専教職員組合(全大教)中央執行委員会
同      弁護団


 本日、東京地裁民事11部(佐々木宗啓裁判長)は、国立高専機構が2012年7月1日に教職員賃金を平均8.2%引き下げたことに対し、全大教高専協議会の原告282人が2012年11月27日、労働契約法10条に違反する就業規則の一方的不利益変更であるとして未払い賃金請求と損害賠償を求めた裁判において、原告らの請求を全て棄却する不当判決を言い渡した。
 国立高専機構が設置する国立高等専門学校は全国に51校あり、日本の未来を担う若者に技術分野を中心とした教育と、研究を行っている。国立高専は2004年4月に独立行政法人化され、非公務員とされた教職員6,000人には民間労働者と同様に労働法・労働契約法が適用されている。
 国立高専機構の賃金引下げは、国家公務員の臨時給与特例法(平均7.8%、一時金は9.77%)に準じて、組合の合意を得ず一方的に就業規則を変更し実施したものである。
 同様の賃下げに対する未払い賃金請求訴訟は、本件以外に福岡教育大学、高エネルギー加速器研究機構、山形大学、富山大学、福井大学、京都大学、新潟大学、高知大学、電気通信大学を相手におこなわれており、これらは、国立大学法人制度、独立行政法人制度のもとでの賃金決定及び労使関係のあり方を問う初めての全国的な裁判として歴史的な意義をもつものである。
 判決は、賃金減額により原告個人らが被る不利益は相当に大きいとし、原告らの生活やその子の教育及び高専教育に影響を与えたことは認めた。しかし、判決は、高専機構に営利企業と異なる責務や中期計画達成の必要性を過度に重視し、安易に高度な必要性を認定した。また、高専機構が行った予備費の増額や一学科300万円の物件費の留保などを口実にして安易に相当性も認めてしまった。さらに、団体交渉に関しても、高専機構の主張をうのみにし、高専機構が交渉を中途で打ち切ったことに関して一方的に組合に責任を転嫁している。以上によって、就業規則の不利益変更の合理性があると決めつけた。
 労働法・労働契約法の解釈と事実認定のいずれにおいても誤った判断に基づく判決であり、原告らの主張を退けたことは極めて不当である。
 全大教は、労働基本権が保障された独立行政法人制度・国立大学法人制度のもとで労使交渉による労働条件決定の原則を確立し、教職員の生活と権利を守り、教育・研究条件を充実させるためいっそう奮闘する決意を表明するものである。

2014年12月03日

全大教、第26回教研集会記念講演「市民社会と学術・大学-大学とは何かを考える-」

全大教
 ∟●全大教時報「Vol.38-No.5」より

記念講演

専修大学法学部教授、元日本学術会議会長
広渡 清吾

市民社会と学術・大学-大学とは何かを考える-

 全大教でお話をさせていただくことになりました。私は以前、国立大学に勤務しており全大教の組合員でありましたし、現在は私大教連傘下の専修大学教員組合の組合員です。今日のタイトル、「市民社会と学術・大 学jは書記長の長山さんからいただいたのですが、このタイトルの下で何を 話そうかと考え、サブタイトルを付け、「大学とは何かを考える」としました。
 ご承知のように、安倍政権の下で「戦後レジーム脱却J型の改革が進行しています。「戦後レジームからの脱却」は安倍さん自身のキーワードですが、 憲法の観点からすると、ほとんど反動的改革と言わざるを得ない。昨年 12 月、特定秘密保護法が成立させられました。行政機関の長が特定するとそれ が秘密となり、それに近づいたり漏らしたりすると懲役 10年。これが法治 主義の下での法制度のあり方かということで、非常に大きな議論が起こりま した。集団的自衛権を 9条の強引な解釈変更で認めるという問題も同じです。
 一言でいうと、安倍政権の政策と閣僚のパフォーマンスは憲法的なタガが外れている。今年(2014年)6月に大学のあり方に介入する学校教育法・国立大学法人法の改正が成立しました。これも、タガが外れた一つの見本です。 しかし、こういうときに情勢対応型の議論をしているだけでは全体の見通し がつきにくいので、back to the basic、基本に帰り、大学とは何かに立ち返っ て考えてみよう、これが今日の報告の趣旨です。
 そこで、「学術」と「市民社会」という 2つの視点からアプローチして、 大学のあり方を「大学の社会的責任」というコンセプトに集約させて考えて みたい。後で申しますが、「大学の社会的責任」は改正法の施行について文科 省が出した「通知」の中にも出てきます。「大学の社会的責任」をめぐって、 原理原則から議論を戦わせる土俵ができたというわけです。

……以下,省略……

2014年11月27日

全大教、声明「高専機構・文科省不当労働行為事件に対する都労委の不当な命令に抗議します」

全大教
 ∟●声明「高専機構・文科省不当労働行為事件に対する都労委の不当な命令に抗議します」

高専機構・文科省不当労働行為事件に対する都労委の不当な命令に抗議します

2014年11月26日

 2014年11月21日、東京都労働委員会(房村精一会長)は、2012年7月12日に全大教が提起した不当労働行為救済の申立てに対し、申立てを棄却する不当な命令を下しました。
 独立行政法人国立高専機構は、「国家公務員の給与臨時特例」準拠を理由として教職員の平均8.2%も賃下げの給与臨時減額を組合(全大教高専協議会)に提案しておきながら、その経営上の必要性の説明や代償措置の協議を誠実に行うことなく、2012年6月22日、わずか三回目の団体交渉で交渉を打ち切り、2012年7月1日に賃下げを強行した上、その後もこの件に関する団体交渉を拒むという団交拒否の不当労働行為を働きました。
 文部科学省は、国立高専機構、国立大学法人に対し、執拗に賃下げ実施を要請することを通じて国立高専・国立大学の労使関係に介入し、労働組合の活動に支配介入する不当労働行為を働いたほか、この支配介入行為によって国立高専・国立大学労働者の使用者の立場に立っているにもかかわらず、全大教からの団交申し入れを拒否する不当労働行為も働きました。
 こうした事件に対し、今回の命令書に示された都労委の判断は、次のような重大な問題を含むものであり、到底認めることはできません。
(1) 都労委で高専機構が行った主張を鵜呑みにし、交渉を組合の要求通りに誠実に行ったかのように高専機構の行為を善意に解釈することで、高専機構を救済していること。高専機構の説明や資料提供は、内実を伴わない形ばかりのものであったことは準備書面で指摘したとおりである。
(2) 団体交渉における高専機構側の説明について「発言は抽象的であったとみえなくもない」としながら、組合がさらなる追及をしていないことを理由に不問に付すなど、使用者の誠実交渉を審査すべき労働委員会が、組合の交渉姿勢を問題にするという不当な論理を展開していること。
(3) 団体交渉が約1ヶ月にも満たない期間でかつわずか三回しか行われていないにもかかわらず、団体交渉が「行き詰まりの状態に達していた」「法人が、さらに交渉を1か月延長しても、その間に進展する可能性は少ないとみて、団体交渉を打ち切ったことはやむを得なかった」と何の根拠もなく判断していること。さらに、組合からの次回交渉の申し入れに対し、機構が7月実施を受け入れる前提でなければ交渉に応じないと不当な条件を付け、実質的に交渉を拒否したことについては、何ら判断していないこと。
(4) 文科省の支配介入及び団交拒否について、国(文科省)は「法人の給与等支給額の決定について、影響力を有していると認められる」としながら、十分な根拠もなく、組合員の労働条件決定について「現実的かつ具体的に支配決定することができる地位」にないとして、労組法上の使用者にあたらないと判断していること。

 都労委の決定に強く抗議するとともに、今後とも国立高専・国立大学における正常な団体交渉と労使自治の原則の確立を求めて運動していくことを表明します。


2014年10月02日

国民全体の刺益に奉仕する大学-学問の自由・大学自治の意義を聞い直す-

全大教
 ∟●全大教時報 (Vol.38No.4 2014.10)

国民全体の刺益に奉仕する大学
-学問の自由・大学自治の意義を聞い直す-

全国大学高専教職員組合 中央執行委員長
名古屋大学大学院教育發達科学研究科 教授
中嶋 哲彦

はじめに一本稿の課題一

 今年6月、学校教育法と国立大学法人法が改正された。これは政府及び設置者による大学・高等教育に対する支配介入をこれまで以上に強化し、あるいは「学問の自由」と「大学自治」を徹底的に換骨奪胎しようとするものだ。政府がこの法律改正に込めた政治的意図を実現させないことが、これからの課題だ。その意図が実現するようなことになれば、大学・高等教 育の劣化と国策遂行手段化は言うまでもなく、大学・高等教育に従事する者 の労働条件の劣悪化を防ぐことはさらに難しくなるし、教育者・研究者・医療従事者及びこれらの支援者としての良心に反する職務に従事させられかねない。
 政府はこれを「大学のガパナンス改革jの一環と位置づけており、今後は 中期目標・計画、運営費交付金、法人評価などの既存の制度や、「ミッションの再定義」に基づく組織改編の誘導と組み合わせることで、いわば国立大学の国策大学化を推し進めようとしている。その狙いが、(1)「イノベーティブjな産業創出のための研究開発と、(2)グローパル人材・競争力人材育成に、 大学・高等教育を動員することにあることはすでに指摘してきた。しかし、 今日的状況を踏まえれば、(3)「戦争する国」と「軍事技術・武器輸出で稼ぐ 経済」を支える軍事研究の促進を加えなければならず、(4)後期中等教育改革 に連動する大学再編(具体的には、大学の種別化、とりわけ非「研究大学j の職業訓練重点化=非高等教育機関化)も遠くない将来の課題とされていると見るべきだろう。
 このような高等教育をめぐる情勢分析や課題提起に対して、全大教は組合員の労働条件の改善に専念すべきであり、政治的問題を取りあげることは組合員拡大を阻害するものだとの批判もある。しかし、大学職員の労働条件の維持改善やその前提となる職場としての国公立大学の現状は、上記の大学政策と不可分の関係にある。また、民間労働者の労働条件が総体として劣悪化している現状にあって、国公立大学の職員の労働条件が相対的には高水準にあることを踏まえれば、全大教運動は全勤労者の労働条件改善の取り組みと連帯するとともに、それぞれの職場で国民全体に奉仕する研究教育医療の発展に努め、それを阻害する政策にははっきりと反対していかなければならないだろう。そうすることではじめて、単組・全大教の要求に対する国民的支持を獲得し、相対的に高水準な労働条件に対する同意を得ることができるのではないだろうか。
 小論では、学問の自由・大学自治を出発点にして、全大教運動の在り方をやや原理的な視点に立って考察する。

……以下,略……

大学教員への年俸制適用

全大教
 ∟●全大教時報 (Vol.38No.4 2014.10)

大学教員への年俸制適用

岡山大学法学部 教授
藤内 和公

はじめに

 文部科学省による「国立大学改革プランj発表(2013年 1 月)以来、各大学でこの問題が活発に議論されている。年俸制を導入するか否か、 導入する場合にどのように制度設計するかは、各大学で自主的に決定すべき ことであり、団体交渉で議題として取り上げられることになる。そこで労使 合意が成立すれば法的紛争は少ない。以下では、法的問題が生じうるであろ う、大学側から一方的に就業規則改定を通じて導入される場合を主に念頭に おきつつ、教員に適用されている現状および将来につき、論点を整理し法的 課題を検討する。

……以下,略……

2014年04月11日

全大教、「大学自治を破壊する学校教育法改正に反対します」

全大教
 ∟●全大教新聞、第298号(2014年4月10日)

大学自治を破壊する学校教育法改正に反対します

 中央教育審議会大学分科会(会長・安西祐一郎氏)が2月12日付で「大学のガバナンス改革の推進について (審議まとめ)」を公表しました。その中では。学校教育法を改正することで教授会の権限を大幅に制限すべきとし、また。学長・学部長の選考過程に教職員が投票などの方法で参加することも否定しています。
 全大教中央執行委員会は、3月9日付で声明を発表し、「審議まとめ」の撤回を求め、学校教育法を「改正」して教授会権限を制限することに反対する立場を表明しました。
 声明を紹介し、「審議まとめ」の危険な性格とそれに対する全大教の立場をお知らせします。声明全文は全大教HPからご参照下さい。
 全人教は今後、広く大学人、市民とともに、今国会に提案するとされている学校教育法改正に反対する運動を行っていきます。

「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)』の撤回を求め、学校教育法の「改正」に反対する(声明の骨子)

※多様性を損ない国民の学ぶ権利の危機をまねく:
「ガバナンス改革」の目的は、国策としての国際競争力強化に奉仕する大学をつくり上げること。「審議まとめ」の大学改革では、大学の教育・研究が経済的利益と経営効率に従属させられ、知と価値の多様性が大きく損なわれてしまうだろう。

※大学自治は不可欠:
学問の自由、そのための大学自治権の保障は、国民全体が学問の自由と高等教育を受ける権利を享受することの保障のため。学校教育法において、大学の蹴要事項を審議するために教授会を置<と定めた背景は、この憲法からの要請を法律上確認したもの。

※大学自治は歴史的・国際的に認められてきたもの:
ユネスコの勧告の中で、学間の自由を保持するためには大学自治の保障が不可欠であることが強調され、これが国際的基準。「審議まとめ」による改革では、日本の大学は国際的には大学とは呼べない人材育成機関になってしまいかねない、

※権力に從俗した学長専制体系でなく、真の学長のリーダーシップ確立を:
日本の大学が抱える問題点の多くは,政府・文科省の誤った政策に基づいた大学の誘導・統制に起因、2004年の国立大学法人化以降、混乱と疲弊が激化している。学長・学部長を大学構成員皆が支持する真のリーダーとして選出することが、今こそ必要。

 中央教育審議会は「審議まとめ」を撤回し、健全な大学運営がなされるような支援方策を打ち出すべき。
 大学自治の根幹といえる教授会の位置づけの変更をめぐる学校教育法改正の動きは重大。法案が提出された場合には、憲法で保障する学問の自由との関係の観点から、国会における徹底した審議が必要。
 全大教は、学校教育法改正を含む「ガバナンス改革」に反対する。学ぶ権利と多様な学問を守り保障するために、危機感を共有しこれらを守る運動をともに行っていくことを。ひろく大学人、市民に呼びかける。


2014年03月11日

全大教、声明「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」の撤回を求め、学校教育法の「改正」に反対する

全大教
 ∟●【声明】 中央教育審議会大学分科会「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」の撤回を求め、学校教育法の「改正」に反対する

【声明】 中央教育審議会大学分科会「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」の撤回を求め、学校教育法の「改正」に反対する

2014年3月9日
全国大学高専教職員組合中央執行委員会

 中央教育審議会大学分科会が2014年2月12日付で、「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」(以下、「審議まとめ」という。)を公表した。この「審議まとめ」には、大学の重要事項を審議するために設置されている教授会の権限を、学校教育法を改正することで大幅に制限すべきだとの提言が盛り込まれている。また、大学・学部における教育・研究等が民主的かつ効果的に行われるようにするために、学長・学部長の選考過程に教職員が投票などの方法で参加する、という仕組みを否定することも書き込まれている。これらにより学長の「リーダーシップ」を強化し、「大学のガバナンス改革」を推進するというのである。

「審議まとめ」の「改革」は多様性を損ない国民の学ぶ権利の危機をまねく
 学長のリーダーシップ強化と教授会権限の縮小を内容とする「ガバナンス改革」の目的は、グローバル人材の育成と経済的利益に直結しやすい研究開発を通じて、国策としての国際競争力強化に奉仕する大学をつくり上げることにある。「審議まとめ」にそって大学改革が実施されれば、大学の教育・研究が経済的利益と経営効率に従属させられ、「役に立たない」と判断された教育・研究領域は統廃合の対象となり、大学の命である知と価値の多様性が大きく損なわれてしまうだろう。大学は、人々の知に対する多様なニーズに応えるだけでなく、いまはまだ自覚されていないニーズにも応えようとする努力を通じて、その知的活力を維持し発展させていくものである。国際競争力強化という単一のニーズに対応するだけでは、大学が大学であり続けることさえできなくなってしまいかねない。

権力から独立し多様な学問分野を維持し育てるために大学自治は不可欠
 日本国憲法に保障された学問の自由には、研究者個人の学問研究の自由、研究成果公表の自由、教授の自由が含まれている。また、大学は学問の中心として、歴史的にも時の権力から独立して学問研究と高等教育を行うための自治権を保障されてきた。これは大学および大学教員への特権付与ではない。大学の自治を保障しなければ、国民全体が学問の自由と高等教育を受ける権利を享受することができなくなってしまうからにほかならない。学校教育法において、大学の重要事項を審議するために教授会を置くと定めた背景は、この憲法からの要請を法律上確認したものである。

大学自治は歴史的に培われ国際的に認められてきた大学の基礎である
 「審議まとめ」が描く大学像は、歴史的に社会が育て培ってきた大学の本質に対する重大な挑戦である。国連のユネスコは、1997年に発表している「高等教育教員の地位に関する勧告」の中で「学問の自由の適切な享受(中略)には、高等教育機関の自律性が必要」と述べ、学問の自由を保持するためには大学自治の保障が不可欠であることを強調している。これは大学制度に関する確認された国際的基準である。「審議まとめ」はこの国際的基準に反して、大学を国策としての国際競争の手段に変えようとする重大な誤りを犯している。このようなことをすれば、日本の大学は国際的には大学とは呼べない人材育成機関になってしまいかねない。

権力に従属した学長専権体制でなく、真の学長のリーダーシップ確立を
 今日、日本の大学が抱える問題点の多くは、1950年代後半以降、とくに1990年代以降、政府・文科省が誤った高等教育政策・科学技術政策に基づいて大学を誘導・統制してきたことに起因している。国立大学についていえば、2004年の国立大学法人化以降、運営費交付金の削減による恒常的な窮乏状態に置かれ、学内では学長裁量による恣意的な予算配分や組織改編が強行されて混乱と疲弊が激化している。
 学長・学部長を大学構成員皆が支持する真のリーダーとして選出することが、今ほど切実に求められたときはなかっただろう。「審議まとめ」はこのことを直視することなく、「学長のリーダーシップ」という美辞を弄して、政府・文科省に従属する学長専権体制の構築を急がせようとしている。
 「審議まとめ」の致命的な誤りは、会社や行政機関と同様の官僚主義的な組織をモデルに「学長のリーダーシップ」を理解していることにある。学長のリーダーシップは本来、外在的・制度的に付与されるものではなく、大学構成員の教育・研究を基盤とし、かつ大学構成員からの自発的同意に支持されて成り立ち、その場合にだけ有効に作用するものであることが、「審議まとめ」ではまったく理解されていないのである。

教育公務員特例法解釈の誤り、憲法からの要請にもとづく学長・学部長選出を
 「審議まとめ」は、国立大学教員が法人化により教育公務員特例法の適用を受けなくなったことを理由に、同法に定める教授会による学長・学部長選考は国立大学法人には適用されないと主張している。教育研究評議会・教授会において学長・学部長を選出する仕組みは、元来、学問の自由・大学自治を基盤とする憲法からの要請に対応するものである。教育公務員特例法の規定は、公務員人事制度の例外として、この要請に基づく学長・学部長の選出ルールを公務員法制に埋め込んだに過ぎない。つまり、かつて国立大学において構成員の投票によって学長・学部長を選出してきたのは、教育公務員特例法が定めていたからではなく、憲法からの要請に基づくものであった。「審議まとめ」はこのことをまったく理解せず、上記の憲法からの要請に反する方法による学長・学部長選出を押しつけようとするものであり、これには何の正当性もないと言わなければならない。

 中央教育審議会は「審議まとめ」を撤回し、歴史的に育まれてきた大学の本質と、本質を守るための組織運営の形態について理解を深めた上で、健全な大学運営がなされるような支援方策を打ち出すべきである。
 今後、この「審議まとめ」でしめされた法令改正が国会の場ではかられる事態となるであろう。とくに、大学自治の根幹といえる教授会の位置づけの変更をめぐる学校教育法改正の動きは重大である。もし法案が提出された場合には、憲法23条で保障されている学問の自由との関係の観点から、国会における徹底した審議が行われなければならない。
 全大教は、安倍政権による一連の「大学改革」の中でも、この学校教育法改正を含む「ガバナンス改革」を最も危険で重大なものであると認識し、これに反対する。学ぶ権利と多様な学問を守り保障するために、危機感を共有しこれらを守る運動をともに行っていくことを、ひろく大学人、市民に呼びかける。


2014年03月08日

全大教、国立大学改革プラン、年俸制、ガバナンス改革等をめぐり文科省会見を実施

全大教
 ∟●全大教新聞、297号

政府予算、国立大学改革プラン、年俸制、ガバナンス改革等をめぐり

 国立大学改革プランでは「人事・給与システムの弾力化」として年俸制の導入が,「改革加速期間」(2015年度末まで)に全国で1万人の数値目標を伴って謳われています。
 また、中教審大学分科会は、2月12日に「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」を決定しました。
 こうした状況を受け、全大教は2月26日に文部科学省との会見を実施しました。
 対応者は豊岡国立大学法人支援課長ら。全大教側は森戸副委員長ら9人でした。

…(略)…

教授会自治の破壊、暴走する学長・執行部を止められない仕組みの導入「大学ガバナンス改革」

 文科省は「中教審で方向性が示されたので、行政としては課題とされたことについて今後内部で検討していくこととなる」として、法令改正等の詳細については明らかにしませんでした。今後の見込みとして、法令改正を
 今国会に提案するのであれば、3月半ばに法案をまとめるロ程になるであろうとの見通しをしめしました。


2013年12月24日

全大教、(声明)文部科学省の「国立大学改革プラン」の撤回を求める

全大教
 ∟●(声明)文部科学省の「国立大学改革プラン」の撤回を求める

(声明)文部科学省の「国立大学改革プラン」の撤回を求める

2013年12月23日 全国大学高専教職員組合中央執行委員会 声明

 文部科学省は、11月26日に「国立大学改革プラン」を発表した。
 このプランは、「ミッションの再定義」による各国立大学の強引な特徴付けと、「機能強化の方向性」として国立大学を事実上ランク付けするとともに、種々の財政誘導策によって、文部科学省が考える方向へ一方的に「大学改革」を進めさせようとするものである。政府が、大学を産業政策の中に組み込み、産業競争力強化の観点だけに立った「大学改革」を行わせようとするものである。
 大学は時の権力から独立し、学問の自由が保障されるもとで、社会全体に奉仕する責務を負っている。大学の自治という組織原理がそのことを支えている。大学が社会と関係しつつ、大学が自主的な判断で社会に貢献していくということが大切なのであって、国が方向性を決め強引に強要していくものではない。こうした施策が実施されていけば、大学の活力、批判力をなくし、結果として社会の活力が低下し、また権力の暴走を抑止する力が弱まるといった、歴史的にも重大な事態が危惧される。

 2004年に国立大学法人制度がスタートし、10年が過ぎようとしている。このプランは、国立大学法人法にもとづくものではない。法人法に定められている中期目標という制度とは無関係に、文部科学省という「官」が、国会と大学を無視して、国民の監視の届かないところで勝手に定め、実行しようとしているものである。国立大学は文部科学省のものではなく、国民のものである。教育を行政に従属させるやり方は、第2次大戦の反省に立ち、政府から独立した立場から教育を担ってきた大学の位置づけに反するものである。
 国立大学法人化以降、国立大学は運営費交付金削減による財政難と制度の不備とで苦しめられ続けてきた。そのなかで教職員は必死の思いで教育と研究にたずさわってきたが、産出できる論文数は減少し、丁寧な学生への教育も困難になってきた。文部科学省は法人化の負の側面、政策の失敗を認めようとせず、そのつけを大学と国民に押し付けようとしている。
 このプランは、グローバル化の中での国家戦略に偏向し、成熟社会の中での国民の福祉という視点が全く欠落している。「国際化」「理工系の充実」は重要であるが、限られた資源の中でそうした方向ばかりを重視し、他を切り捨てる姿勢は、学生、国民のニーズにも背くものである。
 このプランには学生の姿は全く出てこない。このプランを描く文部科学省の目には学生の姿は目に入っていない。あるのは、国が国際競争の中で勝ち抜いていくためのコマとしての「人材」を、大学がどう効率的に養成するかという観点のみであって、学生が学び、成長し、それぞれの力で社会に貢献するという、そういう人生に対し、大学がどのように役に立つようになっていくか、という観点が全く欠落したものである。
 このプランの中には、国立大学を3つの方向性で種別化していく考えかたが示されている。全国に86ある国立大学は、それぞれの地域において、総合的に知と文化を担うべき立場として地域の期待をうけ、地域に貢献してきている。子どもたちを都会に出さずとも、身近にある国立大学で教育を受けさせることができる地方大学の存在は、地域にとってかけがえの無いものである。その大学が、国立大学の中にあって限定的な「方向性」を規定されることは、教育の機会均等を侵し、地域の発展にとってマイナスとなるものである。それぞれの大学が、文部科学省が決めた「ミッション」に特化していくことは、それぞれの大学中にある分野の多様性を失わせ、そのことは国全体の学術の活力を失わせることにつながる。大学を文部科学省が決める方向性で縛り付ける発想は、大学というものの普遍性、大学が有する普遍的価値に対する理解が欠落していると言わざるを得ない。
 さらにこのプランでは、「人事・給与システムの弾力化」として、法人の教職員の人事の仕組みに文部科学省が介入する姿勢を明確に打ち出している。こうしたやり方と、描かれている中身は、大学に混乱をもたらし、教職員の中に過度の格差をうみだし、今後大学で教育と研究に真剣に携わっていこうとしている若手のためにならないばかりか、その将来に不安を与えるものである。シニア層の教員を若手・外国人に振り替えるとして、シニア層を狙い撃ちにしている。大学という知と文化を支える組織においては特に、この年齢層の教員の重要性が高い。この面でも、このプランは不適切なものである。
 このプランは、「ミッションの再定義」、運営費交付金の配分、大学評価、第三期目標をてことして、文部科学省が考える方向への「改革」を強要するものに他ならず、行政の暴走であるとともに、大学の自治を破壊し、国立大学の責任と自主性を蔑ろにするものである。
 中央教育審議会大学分科会がまとめようとしている「ガバナンス機能強化」とあいまって、このプランは、国立大学という国民共有の財産を、取り返しのつかないまでに毀損するものである。

 全大教は、これに反対し、文部科学省が「国立大学改革プラン」を撤回したうえで、大学の自治にもとづく、自発的な改革を見守り、支援することを強く求めるものである。


2013年12月06日

全大教、「ミッション再定義」による文部科学省の大学自治への介入に抗議

全大教
 ∟●全大教新聞、294号(12月)

 2012年6月に文部科学省が発表した 「大学改革実行プラン」の中に位置づけられていた「ミッションの再義」は、先行する教員養成と医学、工学の3分野の作業が終了し、その概要が「国立大学改革プラン」言月26□)に含まれました。
 当初、「国立大学が自主的・自律的に自らの機能の再構築により機能強化を図る」とされていましたが、特に教員養成分野においては、文部科学省が求める「項目立て」と「数値目標」を強制的に書き入れさせるという介入を行ってきました。全国の教育学部へ教職大学院を一律に設置させるという強制や各大学の自主性を無視し。「強み」や「特色」「社会的役割」を踏まえない改革や数値目標の強制は、国民への不利益を招きかねない事態になると考えられます。法定手続きを経ることなく行政の判断のみで事を進める文部科学省に、大学自治および大学の自主性・自律性を尊重する姿勢を強く求めます。

運営費交付金、補助金を通した誘導の教化すすむ

 2013年3月1日に文部科学省が発表した、「国立大学改革強化推進補助金」(2012年度)の選定結果では、国際的な知の競争が激化する中で、大学の枠を超えた連携の推進や個性・特色の明確化等を通じた国立大学の改革を推進するとしています。
 なかでも秋田大学では、「国際的資源の世界的教育拠点形成及び次世代型学部運営の体現」として、国際資源学部の新設を機に、「次世代型運営スタイル」が採用されるとされています。教授会の役割を、学生の入学・卒業・試験・厚生補導に限り、教員採用・昇任・予算等の重要事項は、学外の関係者(民間企業の専門家・研究者)も含む「連携運営パネル」で行うこととするなど、これまでの教授会自治を蔑ろにした学部運営のスタイルがとられることになっています。
 また、京都大学では、「グローバル化に対応した教学マネジメントの組織改革」の一環として、国際高等教育院の設置が進められています。そこにはいくつもの重大な問題を含んでいます。これまで行われてきた教養教育改革の議論とは関係なしに、教養教育とグローバル化を推進する「教育院」の設置が突然に提案され、従来教養教育を担ってきた部局の教授会の反対を押し切って設置が決定されたこと、また、新規に外国人教員IOO人を採用するとしており、そのための文科省からの補助金による人件費支給は一年目だけで、二年目以降は各部局の定員ポストを供出させて雇用継続するとしていること、さらに、社会的な要請に対応するとして、従来の部局を学長の決定権のもとで教員人事を行う教員組織と教育研究組織に分離するという全学組織改革を提案してきていることなどです。

 11月26日(火)、文部科学省は「国立大学改革プラン」を公表しました。第3期中期目標期間に目指す国立大学の在り方として、各大学の機能強化のためとして、◆教育研究組織再編のための資源配分の見直し、◆スパーグローバル大学の創設、◆留学生支援、◆ベンチャー支援・理工系人材育成、◆人事・給与システムの弾力化、◆ガバナンス改革(学長リーダーシップの強化)を掲げています。


2013年12月04日

全大教、声明「特定秘密保護法の制定に反対する」

全大教
 ∟●特定秘密保護法の制定に反対する

特定秘密保護法の制定に反対する

2013年11月28日 全国大学高専教職員組合中央執行委員会  声明

 政府・与党は今国会に「特定秘密の保護に関する法律案」を上程し、会期中に可決成立させようとしています。多くの国民、有識者、団体が反対の声を上げ、福島県議会も全会一致で「慎重な対応を求める」決議しているにもかかわらず、さる11月26日には衆議院の委員会で強行採決の上、同日夜の本会議に緊急上程されて衆議院を通過するなど、今国会で成立する危険性が高まっています。
 この法案は、①政府が防衛、外交、特定有害活動の防止、テロリズムの防止などに関する情報であるとして「特定秘密」に指定した情報は、政府の判断で30年間または60年間にわたって主権者である国民にも秘密にし、②その情報を漏らした者や知ろうとした者を厳罰に処するというものです。しかも、何が「特定秘密」に指定されているかさえ、国民には知らされません。さらに、③「特定秘密」を扱う人やその周辺の人々を、政府が調査・管理する「適性評価制度」を導入するとしています。
 これにより、「特定秘密」を取り扱う公務員やその周辺の人々が調査・管理されてプライバシーが侵害されたり、国民に真実を解明し報道しようとする人々が取り締まりの対象とされその活動が萎縮させられたりするおそれがあります。また、自衛隊の海外派遣、米軍基地、原発の安全性や被爆、外交交渉の進捗状況などの重大な事柄ほど「特定秘密」に指定される可能性が高いため、国民の知る権利や主権者としてこの国の将来を選択する権利が侵害されるおそれがあります。また、国会議員の国政調査活動さえ制約され、国民主権の有名無実化が懸念されます。
 この法案にはジャーナリストや言論人が早くから反対の声を上げていますが、実際には大学や研究所で学問研究に従事する私たちもまた、真っ先に管理や取り締まりの対象にされる可能性があります。
 「特定秘密」の指定は政府の判断に任されますから、大学や研究所の研究者は、自分の研究内容や調査対象が「特定秘密」に指定された場合、秘密を扱う者として「適性評価制度」の対象にされかねません。また、「特定秘密」を漏らしたり知ろうとしたりした者として処罰されることにもなりかねません。しかも、何が「特定秘密」に指定されているかさえ分かりませんから、「特定秘密」に指定されていそうな事柄の研究には自己規制を強いられることになりかねません。さらに、仮に刑事告訴されても、「特定秘密」の指定そのものの妥当性を問うこともできないし、弁護士の弁護活動さえ「特定秘密」を知ろうとする行為として処罰されかねません。
 全大教中央執行委員会は、特定秘密保護法案が国民の知る権利・学問の自由を侵害し、国民主権の否定につながるものとして、その制定に強く反対し、廃案を求めます。


2013年11月27日

全大教、有期雇用研究者から無期転換権を事実上剥奪する研究開発力強化法「改正」に反対する

全大教
 ∟●有期雇用研究者から無期転換権を事実上剥奪する研究開発力強化法「改正」に反対する

有期雇用研究者から無期転換権を事実上剥奪する研究開発力強化法「改正」に反対する

2013年11月20日 全国大学高専教職員組合

 労働契約法に定める有期雇用労働者の無期転換権について、研究開発力強化法を改正して有期雇用研究者に関する特例条項を設けることは、研究者の不安定雇用増大をもたらすものであるから、この特例条項の新設には同意できない。
 労働契約法(2012年8月改正、2013年4月施行)第18条は、有期雇用契約で働く労働者が同一の使用者の下で5年を超えて働いた場合、当該労働者の申し出により使用者は期間の定めのない雇用契約に転換しなければならないことを定めている。これは、使用者が労働者に短期間の有期雇用契約を繰り返し締結させることで、使用者の都合で切り捨てやすい労働力を確保しつつ、労働者には長期にわたる不安定雇用を強いている現実を改善するため、雇用契約が通算5年を超える有期雇用労働者に無期転換権を付与するものである。この改正は長期にわたる有期雇用の削減を目的としている点で評価できる反面、有期雇用契約の締結自体には何ら規制を設けていないなどの問題点も抱えている。
 国立大学法人では、任期付き職員の雇用期間が5年を超えて無期転換権が発生することのないよう、雇用期間が5年を超えない措置を講ずるなど、法の趣旨を逸脱した運用が広がっており、全大教はその改善を求めてきたところである。
 今般、自由民主党が準備している研究開発力強化法改正案には、無期転換権を取得するまでの期間を研究者については10年とする特例条項が盛り込まれている。これは、国立大学法人などの使用者が、10年もの長期間にわたって研究者を有期雇用契約で働かせることを可能にするものである。これは、一般労働者には5年で無期転換権が付与されるにもかかわらず、研究者にはその2倍もの期間にわたって不安定雇用を強いてもよいとするものだ。使用者にはたいへん都合がよいが、研究者はこれまで以上に不安定な労働と生活が強いられることになる。
 このような雇用形態を許せば、研究者は安定した家庭生活を営むことさえ難しくなってしまう。また、このような不安定雇用を強いられる研究職に、優秀な人材を確保することもまた困難になるだろう。また、これを許せば、現在期限の定めのない雇用契約で雇用されている研究者のポストにも有期雇用契約が拡大し、研究者の労働環境が全体として劣化するおそれがある。
 この法改正の背景には、国際競争力向上のための経済・産業界の要請に応える研究開発や人材育成を大学等に担わせようとする第二次安倍政権の成長戦略がある。しかし、これは経済・産業界の流動的な要請に追随するあまり、基礎的・基盤的な教育研究をおろそかにし、研究者を使い捨てにするプランでもある。教育研究には常に長期的視野をもって臨むことが必要であり、それなしには日本社会の発展を展望することは困難である。研究者の教育研究能力は、安定した労働と家庭生活が確保されてこそ、最大限に発揮されるものであることが再認識されなければならない。
 研究者から労働と生活の安定を奪い、日本の教育研究を劣化させかねない研究開発力強化法「改正」に反対する。


2013年10月30日

全大教、「ミッションの再定義」による文科省の大学自治への介入に抗議

全大教
 ∟●「ミッションの再定義」による文科省の大学自治への介入に抗議

「ミッションの再定義」による文科省の大学自治への介入に抗議

2013年10月30日 全国大学高専教職員組合 中央執行委員会

「ミッションの再定義」、大学自治への国家権力の介入の意思が顕著に
 昨年2012年6月に文部科学省が発表した「大学改革実行プラン」の中に位置づけられ「作業」が続けられてきた「ミッションの再定義」は、今年9月末までに、先行する教員養成、医学、工学の3分野の「作業」が終了しつつあり、その結果は10月中に文部科学省から公表されるとされています。
 「ミッションの再定義」自体、その作成の主体は大学なのか文部科学省なのか、その「作業」を通じて何を行うのか、その結果はいかに取り扱われどのように活用されるのか、など不明な点ばかりの中で進められてきました。文部科学省の説明も、「それぞれの専門分野の強みや特色、社会的な役割」(たとえば、文部科学省高等教育局「『ミッションの再定義』について」2012年10月11日)を明らかにするという程度の曖昧なものでした。
 先行する3分野の「作業」が大詰めを迎え、結果の取りまとめが行われつつある現在、「ミッションの再定義」を利用する形で大学の運営に直接的に介入する文部科学省の姿勢が明らかになってきています。
 大学は、大学自治という、国家権力から距離をおいた自主性が担保される下で、運営の方法を判断しながら、社会的な要請に応える努力を行っています。そして、国立大学法人法という法律で定められている国立大学法人制度の下でも、その目標の設定と評価の基準は「中期目標」という形で国民にしめすこととされています。今回、「ミッションの再定義」では、法定された手続きでもない行政の判断のみにもとづいて、国立大学に対する異常な介入が行われています。

先行3分野=教員養成・医学・工学の中でも、介入が顕著な教員養成系分野
 「ミッションの再定義」にあたって、文部科学省は、当初、「国立大学が自主的・自律的に自らの機能の再構築により機能強化を図る」(文部科学省高等教育局「『ミッションの再定義』について」2012年10月11日)としていたことを自ら否定するごとく、「作業」を完全に主導するかたちで結果を取りまとめようとしており、その結果の活用を通じて、国立大学を統制しようとする意思を顕にしています。
 第一次の対象とされた3分野の中で、とりわけ厳しい「作業」を強いられたのが、教員養成系分野(教員養成系の教育学部および単科教員養成系大学。以下「教育学部」と呼びます)でした。文部科学省は当初、大学の運営方針はあくまで各大学の自主的な計画と目標設定が尊重されるのが大前提だと説明していました。ただ国税を投入していることに鑑み、「社会的要請」との整合が取れているかどうかを、文部科学省と各大学で「御相談」するとしていました。ところが実際には、2013年9月までに実施されてきた、文部科学省の高等教育局専門教育課教員養成企画室が担当してきた「作業」の中で、各大学の自主性を尊重せず、文部科学省の求める例示通りの項目立てとし、文部科学省の求める値を強制的に書き入れさせるという、介入を行いました。そこには、以下にあげる多くの問題があります。

(1)教職大学院の設置を全国の教育学部に一律に強制することはあってはならない

 第一に、すべての教育学部に対して、教職大学院の設置を「ミッションの再定義」の中に目標として盛り込ませたことです。中教審は、答申「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」(2012年8月28日)の中で、初等中等教育の教員の資質向上に関する方策について、「教職大学院制度を発展・拡充し、全ての都道府県に設置を推進」するとしていました。文部科学省は、この政策目標を実現するために、今回の「ミッションの再定義」を利用し、全教育学部にこれを盛り込ませたのでした。
 初等中等教育の教員の養成と資質の向上に関わっては、免許取得にかかる修業年限や教員免許の種別化などの問題など、国民的な議論が十分になされたとは言えない状況です。免許取得年限を延長することは、教員になろうとする者に就学の負担を重くすることにつながり、ひいては教員の資質の向上に逆行することにもなりかねないことも大きな問題であり、解決されなければなりません。こうした中で、現段階で教職大学院を設置させる方針が全教育学部に一律に押し付けられることは受け容れられません。また、国立大学教育学部に教職大学院を設置するとすれば、現行の教育学研究科(教職大学院ではない従来型の修士課程)との関連の整理、教職大学院が専門職大学院として位置づけられており実務家教員比率に縛りがある中で教員の学部教育との兼任を含む組織の柔軟な運用に関する整理等、解決しなければならない問題は山積しており、一律に設置を強制できる段階ではありません。かつて、教職大学院と同じく専門職大学院として文部科学省がリーダーシップをとって2004年にスタートさせた、法科大学院の多くが、修了生の合格率や定員充足率の面で多大な困難に直面し、その被害を被っているのは学生です。教職大学院も同じ道を歩む可能性が大きいと考えざるを得ません。これらの問題があるからこそ、教職大学院を設置するかどうか、設置するとしてその時期や運営の方法をどのようにするかは、大学自治の問題として、それぞれの大学、国立大学法人が責任を持って自主的に決定しなければならないのです。

(2)大学におけるカリキュラム編成とその具体化の自主性を無視した数値目標の強制

 第二に、文部科学省は、「学校現場で指導経験のある大学教員」(以下、「実務経験教員」という。)の比率に関する数値目標の設定を一律に強制しました。教育学部の中で、カリキュラムあるいは教育プログラムのうちで担当する部分によっては、実務経験をもつ大学教員であることが望ましい場合もあります。しかし個々の教員に実務経験を求めるかどうか、そして組織の中で比率について数値目標を設定するか、設定するのであればいくらにするか、といったことは、あくまでそれぞれの大学の自主的判断に任されるべきことです。そこに、国立大学法人やそれぞれの学部の責任も生じるのです。文部科学省は、「財務省や一般国民に対する分かりやすさ」を重視し、数値目標に拘泥して、教育学部運営の実情とはかけ離れた目標を押しつけています。

(3)これまでの教育学部の努力にもとづく「強み」「特色」「社会的役割」を踏まえない改革の強制

 さらには、今回の「ミッションの再定義」では、文部科学省は、各都道府県の教員採用者数に占めるシェアの数値目標を一律に求め、一定以上であることを強要しました。これまで、文部科学省は教育学部の成果を測る指標として、学生定員に占める教員採用者数の比率を使ってきており、それを上昇させることを求めてきました。このこと自体大きな問題でしたが、今回の指標に関する大きな方針転換は、現場に大きな混乱をもたらすものです。
 また「ミッションの再定義」の中で文部科学省は、いわゆる「新課程」(ゼロ免課程)を廃止することを強制しています。「新課程」が、設置から四半世紀の間に、専属教員の雇用やカリキュラム改善の努力を経て、それぞれユニークな課程として成熟してきていることは、入試倍率の高さなどからも明らかです。文部科学省の役割は、「新課程」の廃止を強制することではなく、すでに地域社会で市民権を得て、志望者や卒業生を受け入れる地域の期待の高い課程を学科へと再編することを支援し、より一層の充実を図ることです。
 上述のとおり、文部科学省は今回の「ミッションの再定義」を利用して、いくつもの点で、国民にとっての不利益を招きかねない国の政策を一律に押し付けているというほかありません。こうした手法はあってはならないことです。

 いまこそ文部科学省に、大学自治および大学の責任、自主性を尊重する姿勢を求めます
 国立大学の法人化は、国民の財産である国立大学を維持し発展させるための、国の予算的な責任を免除し、国立大学への予算措置を「裁量的経費」として、毎年減額の対象とできるようにしてしまいました。国立大学法人法が制定される際の国会の附帯決議では「法人化前の公費投入額を踏まえ、従来以上に各国立大学における教育研究が確実に実施されるに必要な所要額を確保するよう努めること」とされたにもかかわらず、その後政府は、国立大学法人制度の下で、運営費交付金や種々の補助金を削減し、また競争資金化し続けてきました。その中で、文教政策に責任を負うべき文部科学省は、財務省や政府・与党の顔色をうかがい、彼らの受けのよい短期的・定量的な指標だけで測れるような「大学改革の成果主義」に走っていると言わざるを得ません。
 今回、「ミッションの再定義」によって発生している事態は、2004年に導入された国立大学法人制度のひずみを顕著に現わしています。そのことは、安倍政権の下で、今、打ち出されている、性急な「大学のガバナンス改革」要求や「国立大学の人事・給与システムの抜本改革」要求と共通したものであり、これらのいずれもが、大学自治を損なうことで、大学が、大学の責任において社会において果たす役割を損なうものに他なりません。とくに、全国の国立大学一律に押し付けられる組織改編や数値目標は、組織規模の点で余裕のない地方大学により重くのしかかり、その存立さえも危うくするものです。
 全大教は、文部科学省が大学自治に対する介入を中止し、それぞれの大学が責任をもって、社会の要請と向き合いつつ自主的に改革を進めていくことへの支援の制度・予算を求めます。