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2004年09月12日

ジョナサン・シェル、「グラウンド・ゼロからの手紙」

TUP速報369号(2004年9月11日)より

帝国なき帝国主義
ネーション誌連載コラム「グラウンド・ゼロからの手紙」
――ジョナサン・シェル

アメリカは、多くの人が、祝福または失望とともに言ったように、地球支配帝国なのだろうか、そうではないのだろうか? ブッシュ大統領が、前にイラクにおける「任務達成」を宣言する横断幕を掲げた空母エイブラハム・リンカーンに降り立ったときのように、共和党全国大会が開催されるニューヨークに舞い降りようとしているいま、この問がわたしたちに重くのしかかっている。

大統領のリンカーン着艦が、イラク戦争についての評価を求めるものだったのとまったく同じように、今回のニューヨーク着陸は、ブッシュ政権のもっと大きな地球規模の任務についての評価を求めている。(そう言えば、マンハッタン島は、北部が細く、中心街が膨らんでいて、巨大な航空母艦に似ていなくもない) 党大会をニューヨークで開催すると決めたのは、9・11の現場を舞台にした国家救世主の凱旋という演出を明らかに意図してのことである。だが、アメリカの目下の状況は、凱旋気分どころではなかった。大統領の政策は大量破壊兵器の拡散防止に失敗している。大統領のいわゆる「悪の枢軸」の構成諸国、イラク、イラン、北朝鮮では、いずれも何らかの形で政権の意に反したままの事態が進んでいる。イラクでは、アメリカはシーア派住民を解放するはずだったが、海兵隊がかれらと交戦中である。北朝鮮は核保有国になったと伝えられているし、イランもその方向に進んでいるようだ。アメリカの古くからの同盟関係も揺らいでいる。9・11の後、新聞の論説委員たちは「なぜ、かれらはわれわれを憎むのか?」と問いかけた。理由はどうであれ、その「かれら」は増殖し、世界の大部分に広がってしまった。

あまりにも多くの失敗を目にして、アメリカに世界帝国の肩書をつけるのには、少なくとも疑問の余地があると、先日、わたしは、拙著の編集者で友人のトム・エンゲルハートに宛てて書いた。(当記事は、わたしとエンゲルハートとの交換書簡の第3信を兼ねていて、ネーション研究所提供のすぐれたウェブサイト、トム・ディスパッチ・コムで公開している。前回分は、同サイト掲示板2004年8月欄で読める[*]) エンゲルハートは、これに応えて、700余りの米軍基地、怠慢な連邦議会、ほぼ5000億ドルに達する予算規模の軍事機構、地球を5分割する米軍司令部、宇宙空間覇権の野望、軍国主義化した二大政党など、説得力のあるアメリカの帝国資産項目を数多く列挙してみせた。
[TUP速報367号:交換書簡「帝国システム」(04年9月6日)
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/388 ]

だから、「アメリカは世界帝国勢力なのだろうか?」という問の答は、無条件にイエスであるに違いない。しかし、設問をちょっと変えて、「アメリカは世界帝国なのだろうか?」と問えば、答はすこし怪しくなる。ブッシュのアメリカは世界帝国の野望をはっきりと抱いているが、これに見合うだけの成果があったのだろうか?

この質問は、二つに分けたほうが、たぶんもっと適切になるだろう。ひとつは、アメリカは帝国の役割を果たす資格を備えているのだろうか、そして、世界はアメリカの帝国的な命令を受け入れる用意があるだろうか、である。世界の抵抗しようとする意志が、アメリカが押しかけようとする意志とほぼ同様に顕著であるのははっきりしている。アメリカは軍事的に強く、政治的に弱い(そして、経済的には灰色領域にある)とは、時どき言われていることである。それにしても、しばしば無敵と称されるほどのアメリカの軍事的な強大さについても、やはり疑問の余地がある。アメリカは確かに世界最大の軍備を保有してはいる。だが、アメリカが“枢軸”諸国を意のままに扱うのに、ものの見事に失敗したことに示されるとおり、軍事的なパンチ[打撃力]が望む結果を生んでいないとしたら、無制限の軍事的な“強さ”を自信たっぷりに語るのは、正しいことなのだろうか?

あるいは、わたしが信じるように、今日の世界の構造そのものに、軍事力の行使、あえて言えば帝国的征服に対して、抵抗し、または巧みにかわし、または無力化する傾向をもつ何かが織り込まれているのだろうか? “軍事力”じたいが弱くなったのだろうか? 大国が互いに向き合う世界システムの頂点では、すでに9カ国が保有する核兵器の存在のために、在来型の軍事的優越性は通用しなくなっている。アメリカは単一超大国を自称しているが、危機が突発すれば、核武装した中国やロシアに勝てるのだろうか? 核軍備がもたらす、相手側戦力を無効にし、対等にする力は、大国の間に目につくような火急の紛争がないので、(冷戦終結とともに、核兵器の影響力がただ消えてしまったかのようである)いわゆる「一極」世界で、注目されていないままである。だが、重大局面がもちあがるやいなや、厳密に軍事力の側面にかぎっても、一極支配の神話性が露わになるだろう。この点で、北朝鮮との対決は、この意味ですでに示唆的である。北朝鮮は(相当な規模の通常兵力に加えて)数個の核兵器を保有しているのではと相手に思わせるだけでも、単一の超大国であるアメリカからの攻撃を抑止するのに、おそらくじゅうぶんだったのだ。

帝国拡大に対する、もうひとつの同じように重要な障壁が、世界システムの底辺で作用している現地民衆による強力な抵抗である。20世紀に、世界の民衆が自国をみずから治めると主張した。民衆の叛乱は、大英帝国からソ連まで、すべての帝国に対して功を奏し、そのどれもが崩壊した。

世界システムの頂上における核による膠着状態、および底辺における普遍的な叛乱を前にして、どの帝国事業が成功しうるのだろうか? わたしたちが目撃しているものは、実際には、単にアメリカ帝国とその特定の植民地化標的との間の抗争ではなく、帝国の理念に対する、わたしの好きな言葉で言えば、征服しえぬ世界(いかなる帝国権力をも拒絶する意志と手段をもつ世界)の最終決戦なのかもしれない。

アメリカは、ひょっとすると帝国をもたない帝国勢力なのだろうか? アメリカ“帝国”は、去りゆく時代の巨大な残り物なのだろうか?

しかしながら、アメリカにおける世界帝国の野望の俄(にわ)か人気が、傲慢と権勢欲とによるものであることは、確かにそうだが、これだけに帰すべきでないことは認めようではないか。これは、道理に背いてはいても、時代の要請に対する反応でもあったのであり、反帝国主義者たちでさえも、これは避けられなかったものと同意するだろう。地球は壊れやすく、しかも経済的、生態的、デジタル的に一体化しつつある。状況の両面(壊れやすさと一体化)に対処するための世界政策が求められているのであり、帝国、特に世界帝国の理念が、歴史的にもっとも馴染深い形で、この要請に対する答を呈示しているのだ。これがひどく間違った答であることは、ブッシュの政策の全面的な失敗によって示されている。だが、ブッシュ政権を倒すだけでは、じゅうぶんではないだろう。真に世界的な政策の必要性(ある意味で、アメリカの出来の悪い帝国を招いた一因になった必要性)は満たされなければならない。

[筆者]ジョナサン・シェル(Jonathan Schell)=ネーション研究所ハロルド・ウィレンス記念平和フェロー。最近の著書:メトロポリタン・ブックス刊「The Unconquerable World(征服しえぬ世界)」、ネーション・ブックス2004年刊「Letters from Ground Zero: A Hole in the World(グラウンド・ゼロからの手紙=ネーション誌連載のコラム集 )」


投稿者 管理者 : 2004年09月12日 00:02

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