個別エントリー別

« 調査報告、国立大学法人学長の報酬 | メイン | 岐阜大、任期制案の提示 »

2004年09月27日

AcNet Letter 編集人、設置審への要望書提出についての意見交換

Academia e-Network Letter No 184 (2004.09.24 Fri)より
http://letter.ac-net.org/04/09/24-184.php

設置審への要望書提出についての意見交換の紹介
────────────────────────────
#(No 182【1】の編註で言及した意見交換全体の転載は断られた
ので、一般的な議論の部分だけ要約して掲載する。縦線が行頭に
ある部分が編集人のメール。最後に感想を付した。)
─【2-1】────────────────────────
To: admin@letter.ac-net.org
Subject: Re: 大学界有志から大学設置・学校法人審議会への緊急要望書について
Date: Fri, 17 Sep 2004 15:48:22 +0900

#(要約:この署名運動は、教科書採択運動と同様、好ましくない。
政治的圧力と運動とは同じでありえるので慎重さが必要。専門家の
判断にまずは委ねるべきである。)

─【2-2】─────────────────────────
| Subject: Re: 大学界有志から大学設置・学校法人審議会への緊急要望書について
| From: admin@letter.ac-net.org
| Date: Sat, 18 Sep 2004 13:44:25 +0900
|
| ご意見ありがとうございます。
|
| 教科書採択運動のような政治的圧力を批判できなくなるのではない
| か、あるいは、そういった運動を刺激して活性化させるのではない
| か、ということを懸念されてのご忠告と理解して良いでしょうか。
|
| しかしその懸念だけで、非専門家は専門家にまずは委ねるべきだ、
| ということを正当化することは可能でしょうか。もともと、厄介な
| ことはすべて専門家に委ねたい、というのが人の素朴な性向だと思
| いますが、それができないのは、日本の「審議会」の実情と、それ
| を支える「専門家」への不信感が日本社会に広く浸透しているから
| ではないのでしょうか。
|
| ところで、「専門家の判断にまずは委ねる」と「まずは」を入れて
| おられるのは、専門家の監視はもちろん必要だ、という趣旨かと思
| いますが、一旦専門家の判断に委ねた後に、どのような監視や是正
| が現実に可能である、と想定しておられるのでしょうか。
|
| 実際には「専門家の判断」に基いて施策が議会で承認され実行に移
| されるわけですが、実行に移された後で、それを正すには膨大な時
| 間と資金が必要でしょうし、しかも、行政訴訟はほぼ勝ち目がない
| ことはよくご存知と思います。
|
| 今回の首都大学東京設置の認可問題についていえば、現時点での認
| 可は、全く新しい種類の大学行政体制--教育基本法と調和しない体
| 制--の公認という面があると、高等教育の非専門家である私には見
| えるのですが、専門家としてどのように判断されておられるのか、
| この機にその点を御聞かせいただければ幸いです。そのような一面
| 的な見方だけで判断できるような単純な問題ではない、ということ
| であれば、総合的にどのように評価されるのか、をぜひお教えくだ
| さい。
|
| なお、「運動と政治的圧力とが同じでありえる」という点について。
|
| 目的のある「運動」は、行政に影響を与えることを目指すという意
| 味で「政治的」であることは当然のことではないでしょうか。こう
| いった特定の施策にかかわる政治的行為を広汎に認めるのが民主主
| 義体制の基盤なのではないのでしょうか。(その意味では、教科書
| 採択運動は、形式上に問題があるわけではない、というべきではな
| いでしょうか。)
|
| 一般人による選挙以外の政治参加を悪とし批判する風潮が定着して
| しまった日本の現況は、民主主義が完全に空洞化してしまったこと
| を意味しており、たいへん危険なものと感じております。
|
| ーー
|
| しかし、良心的な専門家が、非専門家の皮相的な批判や皮相的な視
| 野からの主張への対応に時間や労力を奪われ、時間をかけて問題を
| 分析し本質を見ぬき冷静に判断し解決策を見出すことが困難になる、
| という状況は十分想像できます。今回の要望書はそういう種類の雑
| 音となっている、という苦言なのでしょうか。
|
| AcNet Letter 編集人


─【2-3】─────────────────

To: admin@letter.ac-net.org
Subject: Re: 大学界有志から大学設置・学校法人審議会への緊急要望書について
Date: Fri, 17 Sep 2004 17:47:38 +0900

#(要約:(1) 大学設置者として知事が権限を持つ限り,大学の
構想として問題はあっても,設置基準に照らして違法でなければ,
認可されるべきである。教育基本法はこうしたケースの判断基準
になるような具体性はない。認可手続きにないような運用で判断
してはならないし要求もすべきでもない。審議会はこうした署名
に影響を受けてはいけない。

(2)認可後,具体的な運用が教員人事等で問題を含んでいる場合に
は個別の訴訟が成り立つ。

(3)首都大学構想はおかしいが、そのおかしさを是正しようとする
方策がすべて正しいわけではない。 )

─【2-4】─────────────────────────

| Subject:Re:大学界有志から大学設置・学校法人審議会への緊急要望書について
| From:admin@letter.ac-net.org
| Date:Sat,18 Sep 2004 13:44:25+0900
|
| ご返事ありがとうございます。いくつか驚いたことがあります。
|
| ーー(a)ーー
|
| #(略)
|
| ーー(b)ーー
|
| もう一つは、設置審は違法かどうかを判断することを超えては何も
| してはならない、というご指摘です。
|
| 文部科学省令「大学設置基準」を見ても、いくつかの数値的な基準
| 以外は、ある意味でどうとでも判断できるものばかりです。もしも、
| 数値的基準に合っているかどうかだけで判断しているのであれば、
| 文部科学省の方々で十分できる作業であり、(教員の質の審査とい
| うことは別にすれば)設置審は間違いがないかどうかを確認するだ
| けの存在になるのではないでしょうか。
|
| しかし、同省令の第一条をみれば、学校法教育法その他の法令に設
| 置案が従っているか、どうかも重要な審査内容としなければならな
| いことは明らかです。教育基本法や学校教育法のように行政の大き
| な指針を与えるものは、裁判では有効ではないとしても、施策の吟
| 味を諮問される者には、施策と教育法体系の趣旨とが調和するかど
| うか、という点も、吟味の際の重要な論点の一つとなるのではない
| でしょうか。教育基本法は、そういうことによりが生かされるべき
| ものではないのでしょうか。
|
| もちろん、そういう視点での議論が慣習上まったく行われていない
| こと誰で思っていますが、それは、現状はそうであるということに
| すぎないものであり、審議会が事務局にすべてを委ねず、本来の義
| 務である、独立した審議を展開すれば、当然無視できない視点なの
| ではないでしょうか。
|
| ーー(c)ーー
|
| もう一つ納得できなかったのは「大学の構想として問題はあっても,
| 設置基準に照らして違法でなければ,認可されるべきである。」
| 「首都大学構想はおかしいが、そのおかしさを是正しようとする方
| 策がすべて正しいわけではない。」などと言われる点です。#(編
| 註:直前の引用部分は上の要約に合せて修正。)
|
| このような大学の設置は、昨年7月以前には法的に不可能であったこ
| とはよくご存知だと思います。こういうおかしい大学の設立を法的
| に可能としたのは地方独立行政法人法ですが、公立大学については
| 独立行政法人でも良いというこの法律の背景となった公立大学協会
| の見解は「専門家」の検討の結果に基くものと記憶しています。
|
| 首都大学東京は独立行政法人としてはノーマルな組織です。首都大
| 学東京がおかしい、あざとい、と言われますが、そういう大学が出
| 現する可能性は高いことは自明でありながら、専門家の方々は、地
| 方独立行政法人法を容認したのではないでしょうか。その意味で、
| 首都大学東京の出現は専門家も十分に責任があることではないでしょ
| うか。こういった点についての専門家の「責任」というものをどの
| ようにお考えなのか、ぜひお聞きかせください。
|
| 国立大学や公立大学の独立行政法人化問題について、高等教育研究
| 者全体が、沈黙したことは、多くの大学関係者にとって深い不信感
| を残しています。ぜひそういった不信感を少しでも解消するように
| していただきたく思います。
|
| ーー(d)ーー
|
| もう一点、「専門家の誤判断」への歯止めとしては訴訟しか考えて
| おられない、ということにも驚きました。通常の人にとり訴訟は余
| 程のことがなければとれる手段ではなく、また、なかば公的な組織
| 全体の問題については、訴訟で解決などできないことは誰でも知っ
| ています。もしも専門家の方が、問題があれば司法があるではない
| か、というように考えておられるとすれば、たいへん残念なことで
| す。
|
| 辻下 徹

─【2-5】─────────────────────────

To:admin@letter.ac-net.org
Subject:Re:大学界有志から大学設置・学校法人審議会への緊急要望書について
From:.....
Date:Mon,20 Sep 2004 11:04:11+0900

#(要約:(1) 設置審としては不認可という判断を出そうとしても、
運動に影響されたと見られるので出しにくくなる可能性もある。も
しも不認可となったら圧力に屈したと見られ政府の介入を招く可能
性もある。

(2) この種の運動は認可・不認可の判断に影響を及ぼさない。善意
の行動だから常に正しいというわけではない。

(3) 大学の自治を擁護する活動には敬意を表するが視野の狭さが気に
なる。(b,c,d) にあるような意見を持つのは自由であるが、世界はそ
のようにできていない。しかし、説得しようとは思わないので返答は
期待していない。)

─【2-6】─────────────────────────

| To:...
| Subject: Re: 大学界有志から大学設置・学校法人審議会への緊急要望書について
| From: admin@letter.ac-net.org
| Date: Mon, 20 Sep 2004 23:43:28 +0900
|
| ご返事ありがとうございます。これ以上の議論は余り意味がないと
| 思いますので止めますが、ご意見は、おそらく、少くない大学人の
| 考えを代表するものと感じますので重要なものと思います。できれ
| ば、以下のように転載させていただきたいのですが、どうぞご許可
| くださいますようお願いいたします。

───────────────────────────

#(【2-6】これに対しては断りのメールをいただいたので、以上
のように一般的部分のみ紹介した。

最後のメール【2-5】(3)にある、「視野の狭さ」の指摘について
はある程度自覚しているので反論しないが、専門家として行政か
ら種々の諮問を受ける数千人の大学人が持つ責任は「過小評価」
されていることは主張したい。種々の行政活動に協力することは
専門家としての使命の一部であると思うが、政府の意図や種々の
非本質的な因子は排除し専門家として検討し問題の本質を見ぬき
判断を下すのでなければ、その「使命」は果されない。本業の合
間の限られた時間的・精神的資源しか割けない状況が多いであろ
うから、そのような「使命」に言及することは机上の空論かも知
れないが、その使命を果すことで、多くの人々の健康が損われる
ことを事前に防げたり、高等教育システムが徐々に劣化していく
ことや、学問の多様性が次第に失われていくことを食いとめたり
もできることもある。

また、最後のメール【2-5】(1)では、今回の署名運動があったた
めに、審議会が首都大学東京を不認可と答申したくてもできなく
なる可能性もあるとは考えないか、とあった。大声で主張すると
逆効果になることもある日本社会の現実に言及したものとも思う
が、メールは、署名運動に影響を受けたと批判されることを避け
るために審議会が専門家としての判断を変える可能性がある、と
言っていることにもなる。署名運動があっても審議が影響を受け
ないことが普通と思うが、それがきっかけで新しい論点からの実
質的議論が行われることもあるだろう。それは審議会の「独立性」
と何も矛盾するものではないし、むしろ、そうあるべきではない
だろうか。(編集人)


投稿者 管理者 : 2004年09月27日 00:12

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://university.main.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1910

コメント