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2004年11月02日

第2部迫るバブル崩壊(5)都心回帰ラッシュ(大学激動)

日本経済新聞(2004/10/29)

学生争奪「理念だけでは」

 「せっかく東京の大学に入ったんだから一年生から都心に通いたかったんです」と長野県出身の女子学生(19)が歓迎すれば、茨城県出身の男子学生(19)は「都会の大学に入ったつもりが、地元と変わらなかった」と振り返る。埼玉県朝霞市の校舎に通う彼ら東洋大の一、二年は来春、二十八年ぶりに東京・白山のキャンパスに戻る。
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 朝霞の約八千人を迎えるため、東洋大は巨額の設備投資をし、十六階ビルなど新校舎を建設した。もちろん「大学全入時代」をにらんだ戦略。志願者の半数を埼玉と東京在住者が占めるが、菅野卓雄理事長は四年間通しで都会に通う魅力と交通の便の向上で「神奈川はもちろん地方も射程に入れ、他校と奪い合うパイ自体を大きくしたい」と意気込む。
 かつて大学は、手狭な都会から郊外や地方へと展開し続けた。東京・八王子には一九六三年の工学院大を皮切りに、二十一大学・短大が進出した。だが今や流れは逆だ。戸板女子短大が今春、八王子キャンパスを閉じ、三十九年ぶりに東京・三田キャンパスに統合するなど都心回帰が強まる。
 きっかけは工場等制限法が二〇〇二年に撤廃され、都心に高層の大学校舎を建設できるようになったこと。チャンスができたのは、かつて様々な理由で郊外移転をあきらめた大学も同じだ。
 明治大の納谷広美学長は「都心にとどまったのは幸いだった」とほくそ笑む。東京・神田駿河台に残った手狭で老朽化した校舎を、次々と近代的なビルに建て直す。「土地と財政的な余裕があればもっと敷地を広げたい」。駿河台では日本大も敷地を買って再開発に着手しており、納谷学長は「相乗効果でかつての学生街のにぎわいを復活したい」と期待する。
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 対照的なのが二十六年前、この地区から文系四学部が八王子に移った中央大だ。志願者の減少傾向が続く中、北村敬子副学長は「広大な敷地が手に入るなら都心に戻りたい」と打ち明ける。
 中央大の看板は法曹養成だが、東大と首位を争った司法試験の合格者数は移転後、他大学に徐々に抜かれ、最近六年間は五位に甘んじる。
 「司法試験に目を向ける大学が増えた結果」と原因を分析するが、「都心で働くOB弁護士が気軽に立ち寄り後輩の試験対策に力を貸す。そんな光景が見られなくなった」(北村副学長)。
 学生確保の点ばかりではない。教授らが学会や他校、官庁の審議会に出向くのに八王子は半日仕事。結局、今春開校した法科大学院は東京・市谷に置いた。大東文化大、都立大、筑波大も、本体は郊外だが、法科大学院は千代田区や新宿区などに進出した。
 都心回帰で思わぬしっぺ返しを受けた大学もある。
 「協定違反だ。補助金は返してほしい」。今春、平安女学院大に撤退通告を受けた滋賀県守山市の幹部はおさまらない。
 大阪府内で短大を経営する学校法人が、守山市に大学を開校したのは四年前。誘致に成功した市は大学を核とした街づくり協定を結び、約二十五億円の補助金を出した。だが開校してみると毎年定員割れ。苦しむ大学側は来春、大阪にキャンパスを移す道を選ぶ。
 そして今週。今度は在学生(21)が、移転で遠くなりすぎ、就学する権利を奪われると、卒業まで移転しないよう提訴。泥沼化しつつある。
 人気とりばかりで理念がない――こんな批判に都心移転を決めた私大の学長は打ち明ける。「理想を持って大学を経営するのは大事なこと。だが学生が集まらず、大学そのものが消えてしまっては元も子もない」
 全入時代まで二年半。大学は理想と現実のはざまで悶々(もんもん)とする。


投稿者 管理者 : 2004年11月02日 01:19

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