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2005年04月06日

不起立教員の思い

日本民主法律家協会
 ∟●澤藤統一郎の事務局長日記(2005年04月05日)

不起立教員の思い
 

この時期、「日の丸・君が代 日記」となってしまうことをお許しいただきたい。
本日、3月の都立校卒業式での国歌斉唱時不起立を理由とする処分者52名のうち、36名が都人事委に審査請求申し立て。私も、代理人として立ち会う。引き続き都庁記者クラブで記者会見。

申立人を代表して、4人の教員が自分の思いを述べた。不利益を覚悟したうえで、教育者としての良心に忠実であろうとする真摯な決意に胸を打たれる。起立・不起立が教員としての価値を決めるものとは思わない。しかし、不起立を貫くことの困難さには想像以上のものがある。葛藤を経、自己との闘いを経ての不起立者には、敬意を表せざるをえない。

「私は、今年定年です。定年後の再雇用として勤務先も決まっていた。しかし、不起立で再雇用は取り消されてしまった。教員として、教壇に立ちたい思いを断たれてしまい残念でなりません。
私は昨年は不本意ながら起立しました。今年も直前まで迷っていました。私が不起立を決めたのは、校長や教頭の言からです。生徒に不起立あれば、式を中断して生徒に指導し起立を確認してから式を再開する、というのです。私は激怒しました。そのような子どもの自主性を踏みにじる教育を許すことはできない。子どもをふたたび戦場に送るな、という戦後教育の原点はどこに行ってしまったのか。抗議のために初めての不起立を貫くしかないと決意したのです」

「私は、君が代斉唱時に到底立つことができません。私の思想が起立できないように形成されているからです。不起立は、自分の人格を否定することなのです。たまたま2回目の不起立ですが、今後も不起立が続くことになります。私は42歳ですが、定年まで教員を続けることは困難かと弱気にならざるを得ません。
どうしても起立できないという生徒がいます。その生徒には、自分の信念を貫いて欲しいと思います。その生徒のためにも、教師である自分が強制に屈するわけにはまいりません」

「私は歴史の教師です。生徒には歴史を教え、歴史の学習を通じて教訓を汲み取るように指導しています。どうしてドイツはナチスの台頭を許したか。国民一人ひとりが、自分にいろんな言い訳を取り繕って、抵抗を避けたからです。ナチスに反対する行動を起こさなかったからです。歴史の教訓は、不合理には反対の行動をおこすことを求めています。
私は、歴史を学ぶ者の努めだと思って不起立に踏み切りました。これが2度目です。都政や都教委には、歴史の教訓を学んで、よく反省していただきたいと願っています」

「私は3度目の処分で、減給6か月です。この処分を受けた人は4人います。次は停職、そして研修センター送りだ、と脅されている人もいます。
私は養護学校の教員でこの仕事に生き甲斐を感じ、生徒と別れたくはないと強く思っています。しかし、このままでは教育は戦争に奉仕するものになり、学校は兵士を作る場になってしまいます。そのとき障害者は無用のものとして厳しい受難のときを迎えます。私の不起立は、そうしてはならないという思いからです。
私は、不起立という行為を罰せられているのだとは思えません。抵抗という思想が罰せられているのだと思います。到底納得できません。」

都政のトップに、教育委員会に、この悲痛な叫びが届くだろうか。真面目に耳を傾けてもらいたい。

[関連ニュース]

君が代不起立、処分者53人に=都教育庁

(時事通信4/05)

 東京都教育庁は5日、卒業式で君が代を起立して斉唱しなかったのは職務命令違反に当たるとして、地方公務員法に基づき小学校の男性教諭1人を戒告処分とした。同庁は3月末、不起立の教員ら52人に対し停職などの懲戒処分を行っており、処分者はこれで53人になった。


投稿者 管理者 : 2005年04月06日 00:00

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