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2005年04月09日

ある大学の死、都立大学教員はいかにやぶれていったか

だまらん(2005年4月8日<NEWS>)

下記の転載は,ポーカス博士こと,元都立大の岡本先生の転出した後の「だまらん」ページだと思います。

『世界』5月号(4/8発売)に、初見 基氏による 「ある大学の死:都立大学教員はいかにやぶれていったか」(PP.165-173)が発表された。

(冒頭部分を引用)

 2005年4月6日、東京都による新大学「首都大学東京」(以下「首大」)の入学式が開催されるという。この大学は、既存の都立四大学を廃学し、≪まったく新しい大学≫を標榜して設立されることになっている。
 東京都による新大学構想をめぐる、都立四大学、とりわけ東京都立大学教員側からの抵抗については、本誌掲載の川合康氏による報告をはじめ、すでに多くの文書が公表されている(本稿も参照した重要な典拠は末尾に挙げる)。ここでは、首大設置が文部科学省によって認可される以前に執筆された川合報告を踏まえつつその後の経緯を念頭に置き、都立大学人文学部を中心とした動向についての個人的な見解を記す。その基調は、東京都を批判した教員側の<敗北>を見据えたものになる。
 <敗北>という現状認識に対しては、いや、闘いは一定の成果をおさめ、いまは新大学を<良い大学>にすべく努める段に入っている、と主張する向きもあることは承知している。だが筆者の立場は、そうした<転戦>を肯(うべな)わず、内実・手続きともに首大構想を拒否し、そこに動員されることに抗(あがな)うものであることをあらかじめ明示しておく。
 以下ではまず、都立大学側が後退を強いられ敗北に到る事実経過を述べる。そして次に新大学構想の問題点を簡単に挙げ、最後に敗因をなすだろう教員内の様相を示す。
 なお本稿の記述内容はあくまでも個人の観点からのものであるが、少なからぬ部分を首大就任を拒否した教員たちと共有できるものと考える。

コメント: これまで「首大構想」の問題点を指摘する論考と は一線を画し,都立大学(特に人文学部)の教員がどのようにして東京都側 とのやりとりで後退していったかが生々しく指摘されている。「生活保守」 と「思考停止」が支配的になってしまえば,「大学の理念」など守れるべくもない。


投稿者 管理者 : 2005年04月09日 00:22

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