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2005年05月06日

東京都立大学の現況-地方自治体の大学への介入

だまらん
 ∟●首大フラッシュ[05/05/05]

[05/05/05] 日本独文学会研究叢書032(2005年4月25日発行)「ドイツ語・第二外国語教育の聞きとドイツ語教師の姿勢」に保阪靖人氏による 「東京都立大学の現況 --- 地方自治体の大学への介入」(pp.3-19)が掲載された。早稲田大学文学部での学会(5月4日~5日)の折りに,無料配布。

東京都立大学の現況 --- 地方自治体の大学への介入

保 阪 靖 人(東京都立大学)

0. はじめに
 「大学改革」という言葉をもうこの 10 年以上聞かない日はない。法人化によってさらに拍車がかかっている。国立大学における「教養部解体」からも 10 年以上たち、文学系の縮小は誰の目から見ても明らかであり、教員側もそれに抵抗してないし、市民からのサポートを得られてないのが現状である。
 文部科学省の支配下になく、地方交付税も受けていない東京都が運営する都立の大学は、「教養部解体」の声からも無縁で、数年前までのんびりとしていたと言える。このような状況においていきなり出てきたのが、都立の大学の解体、特に文学科の全廃であった。この大学破壊が都庁側からどのように進められてきたのか、そして大学・教員側がどのように対処してきたのかを記すことはそれなりの価値があると考えている。なお、年表は末尾に付けるので、参照されたい。

1. 前史
 1999年4月に石原都知事が誕生し、 2000年12月に「東京構想 2000」が発表された。すでに1999年に「大学を私学に売却」、「スタンフォードのような大学に」という発言をした都知事は「東京構想 2000」の中で、高校教育の改革と並んで、大学の改革に言及している。「新東京人」の育成や、多摩地区の技術系・芸術系の大学の推進、産学公の連携推進などが中心であり、実学志向ははじめからあったものの、どのような大学にするかの理念はそれほど明確なものではなかった。大学統合で、人員[=定数]を削減することが既定の方針であり、それと改革が結びついていることは自明であった。職員については 22 年間(2001年11月時点)に 141名の削減をおこなってきて、ほぼ半減にしてきたことからも明かであろう。
 この時点では、大学側と都側の間で協議機関が設けられ、都側の主導であることは否めないものの、大学側は意見を反映させてきた。この間に都側は東京都立大学の格付けを下げ、二級事業所にし、人事などに口出せる体制にして、その管理を教育庁に預け、それから東京都大学管理本部を2001年7月1日に設置するという形で、制度的に外堀を埋めていく。これらの動きは全く知らされない形で巧妙に行われていて、ただでさえ動きの鈍い教員は全く対処できていない。 2001年11月の『東京都大学改革大綱』(東京都大学管理本部発表)が一方的に出され、民主的とは言えない形であったが、これに沿った形で話し合いを積み上げて行く。ここで明瞭になのは都立の四つの大学の統合であり、それによって 2割の教員の削減になるという方針であった。 2003年4月に石原都知事が再選される。都側との協議は2003年7月末まで行われた。
 2003年8月1日に石原都知事は記者会見で「新大学の構想」を発表する。この構想は全く教員(都立大学総長を含む)には知らされていないものであった。この構想で、人文学部の教員の定数は139名から、110名になるはずだったのが、 139名から、64名(助手の処遇は不明)と半減になることになる。また、学部は次ページの表 (1)のように形を変えることになる。
 この新構想は、学部構成・キャンパス配置からして全く異なるものであり、管理本部単独で練り上げられたものとは考えられない。都立の四大学の教員の一部がこの構想に絡んでいたことは内容から見て十分に考えられる。
(以下、省略)


投稿者 管理者 : 2005年05月06日 00:11

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