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2004年09月18日

沖国大米軍ヘリ墜落事故・緊急シンポジウム、「アピール文」

「沖国大米軍ヘリ墜落事故・緊急シンポジウム」に寄せてより転載

主催・沖縄の大学関係者・市民による緊急シンポ実行委員会
日時・2004年9月20日(月曜日)午後1時30分〜6時
場所・沖縄国際大学3号館105教室

「沖国大米軍ヘリ墜落事故・緊急シンポジウム」に寄せて

 2004年8月13日、宜野湾の市街地をかすめながら、沖縄国際大学キャンパスにアメリカ海兵隊のCH53大型ヘリが墜落した事故によって、私たちは、軍事基地と隣り合わせで生活しなければならない沖縄の現実とその恐ろしさをあらためて思い知りました。
 1995年9月4日、アメリカ軍兵士による少女暴行事件が起き、沖縄の人々が激しい怒りとともに米軍基地撤去を求めて立ち上がったとき、日米両政府はあらゆる手を尽くしてその正当な要求を踏みにじりました。沖縄県知事が軍用地使用に関する代理署名を拒否したとき、日本政府は軍用地特措法の改定という、日本国憲法の条文と精神に真っ向から対立する、文字通り例外的な法規によって沖縄県に屈服を強いました。また沖縄県が普天間基地の2015年の返還期限の設定を求めたとき、アメリカ政府はこれを認めず、その代替として名護市辺野古沖に海上基地建設を計画し、今後もアメリカが沖縄を世界的軍事戦略の要として使用し続けるという方針を固持しました。さらに、周辺事態法の成立とともに日米安保体制は強化され、サミットや天皇来訪などにより沖縄社会の分断が画策されました。
 そして2001年9月11日の出来事が起き、アメリカはアフガニスタンで、続いてイラクで戦争を開始し、日本政府はこれを支持し、拡大された安保条約によってさえも正当化できないはずのこれらの戦争のために在日米軍基地を使用させることを認め、さらにテロ特措法、イラク特措法を成立させました。そして、いまや日本全体を例外状態に置くことによって自衛隊の海外派兵を強行しました。今回の事故はまさにイラクでの戦争遂行のための訓練中に起きたものであり、アメリカ軍はもはやそのことを隠そうともしていません。
 過去10年のこのような出来事の推移を想起するとき、軍事優先の論理が沖縄に押しつけられることが、有事立法をはじめとする日本の安全保障体制の構造変化、さらに地域的・地球的な構造変動と深く結びついているということに無自覚であり、基地を抱えることで頻発する沖縄における人権侵害への日本社会の無関心に対する沖縄の人々の憤りはいかばかりか、私たちは深く思いを致さざるをえません。そして、今回の事故に続く日々、オリンピック報道やプロ野球問題に誤魔化され、事態の深刻さにほとんど気づくことさえなかった日本社会の無様な現状に、言い知れない不快と恥辱を覚えます。さらに、宜野湾市と沖縄国際大学の自治をまったく無視して事故機の撤去作業を強行し、その後の現場検証を阻害し、情報公開を怠っているアメリカ軍に対し、市民として、そして大学に関係する者として強い怒りを抱きます。
 日本社会が、軍事主義によって沖縄で引き起こされている問題に無関心であることは、日本の過去を見つめる眼、歴史理解の欠落と無関係ではありません。19世紀後半以来、日本が隣接諸民族諸地域に対して加えた侵略と植民地支配、戦争に対する「過去清算」はまともになされたとは到底言い得るものではなく、むしろ逆に、ネオ・リベラリズムの風潮のなかでは、積極的に忘却を目論む動きが活発化しています。1990年代後半以降、沖縄についても、「琉球処分」、沖縄戦、そしてそれに引き続く米軍占領の歴史、復帰をめぐる諸矛盾等にあえて触れることなく、日本にとっての「癒しの島」沖縄を積極的に消費するという文化編制が強化される傾向にあります。そして、沖縄で軍事優先の論理が強いられるごとに、その傾向はますます顕著になっているように思われます。過去の忘却とすり替えは、日本が沖縄を含めた隣接諸民族とまともに対話していく回路を狭め、歪ませ、さらに軍事主義への抵抗力を低下させています。
 今、アメリカ一極支配の世界を支持して「反テロリズム」戦争に加担し続けるのか、それとも、より公正な、より平等な、より自由な、より平和な「もう一つの世界」の構築を目指す全世界の人々の努力に合流し、「過去の克服」をめざして、東アジアの地域の人々とともに軍事的緊張を乗り越える闘いを創造するのか、この決定的な歴史的岐路にたって、私たちは断固として後者の道を選択しなくてはなりません。9月12日、この沖縄国際大学グランドでおこなわれた3万人集会に続く本日のシンポジウムは、その先頭を沖縄の人々が進もうとされていることを示しています。
 私たちもまた、日本社会を卑劣な惰眠から揺り起こし、その悲惨な政治状況に風穴を開け、日本における反戦・反基地の闘いを再活性化するとともに、普天間基地の即時撤去と、そして、辺野古沖への新たな基地建設の即時白紙撤回を求め、ボーリング調査を阻止すべく海上抗議行動を続ける人々の闘いを自らの闘いとして位置づけ、新たな場を開き、結びつきを作り出し、言葉を発明し、行動を編み出していきたいと思います。そして、私たちは、「基地問題」を「沖縄問題」としてすり替えて理解するという虚構の論理から脱却し、主体的に問題解決の道を探り当てる努力を怠ってはなりません。私たちがもし辺野古沖への新たな基地建設を阻止することができなければ、第二次世界大戦後、さまざまな矛盾をはらみつつも日本で取り組まれてきた反戦平和運動、民主主義や人権を求める運動、環境や教育、国際理解の実践、そして、大学人あるいは知識人が築いてきた理念や議論の土台とその成果が、すべてもろくも崩れ去るだろうということを自覚しなければなりません。
 最後に、大学を以上のような作業のために開いていくこと、そのことを通してネオ・リベラリズム的な大学破壊に抗し、大学の自治を再構築していくことは、大学に関わる者に固有の役割であることを銘記したいと思います。そして、忘却に抗い、対話から学び、言葉にもっと力を与え、学びをさらに進めて、未来に道をつなげたいと思います。本日集まられた皆さんに、心より連帯のご挨拶をお送りいたします。

沖国大米軍ヘリ墜落事故、緊急シンポジウム

投稿者 管理者 : 2004年09月18日 01:47

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