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2004年10月26日

第2部迫るバブル崩壊(2)乱立のツケ重く―“自転車操業”も限界に(大学激動)

日本経済新聞(2004/10/24)

 定員三百人に対し、新入生二十二人――。今春、定員の七%しか学生が来なかった大学がある。山口県萩市の萩国際大学は、開校した一九九九年度から定員割れが続く、定員充足率ワーストワンの大学だ。
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 地域初の四年制大学誕生に地元の期待は高かった。山口県と萩市は四十億円の補助金を出し、市長も理事に加わった。だが期待は無残にうち砕かれ、初年度の新入生は二百五人。ピークの二〇〇二年度でも、四学年合わせた学生数は六百五十一人と定員のわずか半数。しかもその六割が留学生といういびつな構造になった。留学生頼みの安易な運営は、相次ぐトラブルや入管の審査厳格化で行き詰まる。今春の留学生は四人に急減した。
 この間、大学経営は迷走に迷走を重ね、既に理事長は三人目、学長は五人目。トップは猫の目のように変わった。常勤教員は十四人と開校時の半数に減り、負債は三十億円を超す。
 大学存亡の危機を前に畑地正憲学長は、今春、教育内容の刷新に踏み切った。目玉は、プロゴルファーの倉本昌弘氏を客員教授に招いたゴルフ文化コース。さらに来春は、国立の山口大学と連携し観光経営、会計事務情報の二コースを新設する。カリキュラム編成や講義・ゼミの担当を山口大教授らに“委託”する奇策で勝負をかける。
 だが、畑地学長が「恒常的な定員割れ大学の再建は並大抵ではない。軌道に乗せるのに三年、実をあげるまで五年はかかる」と言うように、一度定着したイメージの払しょくは容易ではない。
 環境が厳しいのは同大だけではない。山口県に私大は六校あるが、今春、定員を確保できたのは一校のみ。さらに中四国地区の私大全体が定員割れで、日本私立学校振興・共済事業団によると、今春、中四国の定員充足率は九五・五%。全国で最低だった。
 「大都市の大学へ学生が流出し、中四国ではすでに五、六年前から全入時代に入っている」(広島経済大学の石田恒夫理事長)。大学の自助努力にも限界がある。
 定員割れした大学から逃げ出す教員も増え出した。昨春、中国地区の私大から東海地区の私大に移った助教授は、かつての職場の内情を打ち明ける。
 「欠員数が倍々ペースで増え、ボーナスもカットされた。冷房はなく、暖房は旧式の石油ストーブ。教員は転職先探しで浮足立ち、かつての同僚の大半は転出した。学生たちの多くはあきらめ顔だった」。在籍学部は既になく、「こちらへ来て年収は二倍。東海と中国とでは、天国と地獄」と苦笑する。
 確かに東海地区の定員充足率は一〇七・〇%と全国五番目。だが、ここでも難がある大学には、受験生の容赦ない審判が下る。
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 愛知県の内陸部にある新城市に今春、初の四年制大学、愛知新城大谷大学が誕生した。社会福祉を前面に時代のニーズをつかんだはずが、ふたを開ければ定員百人に入学者は六十一人。大手予備校では「内陸部で通学が不便なことなどが敬遠された」と分析する。
 同大の中久郎学長は「今は本当に厳しい時代」と嘆息する。開校早々の非常事態に、教員十五人全員に一人四校、一校四回の高校訪問を課し、巻き返しを図る。
 今春、私立大五百三十三校のうち、百五十五校で定員割れが起きた。十五校は半数にも届かなかった。
 それでも大学は増え続け、生き残りという名の我慢比べが続く。

投稿者 管理者 : 2004年10月26日 00:29

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