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2005年01月04日

還暦を迎えた「戦後日本」

JANJAN(1/03)

…… 今年の元日社説では全紙の問題意識が奇妙なほど一致しました。それは「戦後60年」という発想です(朝日は「戦後」に直接的な言及はありませんが、文中に「戦後60年にしてアジア諸国で語られる新たな共同体」とあります)。還暦を迎えた「戦後60年の日本」は、どんな課題を抱え、これからどうしたらいいか、という観点から論議を展開しているわけです。

 各紙の論旨はきれいに二つに対立しました。それは現行憲法の基本理念を尊重する「戦後日本の平和主義」を否定するか、肯定するかということです(カッコ内は社説からの引用。原文のまま)。

【否定派】

◇読売=「“守旧”思考は、文字通り『戦後』の数年間に、連合国軍総司令部(GHQ)の大がかりで巧妙な検閲・言論統制、マスコミ操作によって培養された『戦後民主主義』の残滓(ざんし)である。現行憲法の作成・制定過程そのものが最重要の言論統制対象だった。GHQが作成した現行憲法前文は、『平和を愛する諸国民』を信頼しさえすれば国の安全は保てるとする趣旨になっている。これに『戦力放棄』の九条二項が重なり、世界の実像とはかかわりなく一国平和主義が貫徹できるかのような『戦後』的幻想を生んだ」

◇産経=「戦後日本の進歩主義的思想、無防備平和論、戦前の歴史全面否定などの潮をせき止め、今の流れをつくったのは紛(まが)う方なく東西冷戦構造の崩壊と、これに続く湾岸戦争の勃発(ぼっぱつ)、それに昭和の終焉(しゅうえん)であった」「湾岸戦争は自衛隊の国際的役割が論議される契機になった。『よい戦後』と『悪い戦前』に単純二分化されていた昭和という時代も通史として眺められるようになり、そこには『悪しき戦後』も存在し、同時に『良き戦前』も存在したという複眼史観が根付いていった」

【肯定派】

◇毎日=「戦後60年になる。平和主義も還暦を迎えた。危うくなった懸念もあるが、とりあえずこの快挙は喜び誇るべきである」「60年という稀有(けう)な長期間にわたり幸せの日々を重ねてきた日本」

◇東京=「『悲しみと苦しみのただ中にありながら、なんと多くの日本人が平和と民主主義の理想を真剣に考えていたことか!』(ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』岩波書店)。その中からいまの憲法が生まれ、米国の圧力にもかかわらず、半世紀以上も改定しないことで、自分のものにしたのです。国権の強化、軍部独走、そして数百万の生命の犠牲など、戦前への深い反省があったからです。国民主権、戦争放棄、基本的人権尊重のもと、私たちは六十年の間、戦火に巻き込まれず、他国民を殺害せず、生活を向上させました」

◇宮日=「ここに敗戦から一年後の一九四六(昭和二十一)年八月十五日付の宮崎日日新聞(当時は日向日日新聞)の社説がある。『太平洋戦争は聖戦ではなかった。それはアジア民族を奴隷にするための戦争であり、他国を侵略すると同時に自国民をも奴隷にする戦争であり、人類と文明に対する破壊戦であった』 『日本の人民は大本営の嘘から解放され、戦争に駆り立てた軍、官、財閥から解放され、縛られてきた悪法律から解放された。軍国主義日本が世界民主主義に徹底的に敗れたというのが日本敗戦の真の意味であった』(現代仮名遣いに書き換え)
 この時期、現在の日本国憲法は草案段階に入っており、衆院の可決、貴族院の可決を経たあと、十一月三日に発布された。四日付には宮崎市での発布記念式典、延岡市での発布を祝う二千人の仮装行列などから県内の各層代表者の喜びまでが紙面に広がっている。都市部ではまだまだ食料も十分でない時代だった。新しい時代にかける県民の期待が伝わってくる。確かに、ここには戦後宮崎の原点があった」

◇朝日、日経=「戦後日本の平和主義」を直接論じた部分はありません。しかし、朝日は「東アジア共同体」の創設、日経は国際協調主義に基づく「明智ある国際国家」をめざすことを提言しています。いずれも「戦後日本の平和主義」を肯定する立場で立論したと思えます。

 以上のように「平和主義」を座標軸にして分類してみると、現在の新聞界の思想状況が、浮き彫りになります。政界では「否定派」が多数派になろうとしています。肯定派の新聞は「憲法を改定して、海外での武力行使、集団的自衛権の発動を可能にし、専守防衛の枠を超えた装備の開発へ向けた動きが活発です。同時に国家権力を強化する法律も着々と。小泉政権の延長線上には、必要なら米国と連携して武力行使をという国のあり方がちらちらします」(東京)と心配します。

 では、2005年以降の「日本の針路、国家像」はどうあるべきでしょうか。やはり、否定派と肯定派では描き出す国家像が違っています。

 否定派の読売は「脱戦後」論です。集団的自衛権の行使について「『行使』は、憲法を改正するまでもなく、首相の決断による憲法解釈の変更次第で、直ちに可能になる性格の問題だ。首相および政治全体が、『戦後民主主義』的な軍事アレルギー感覚と一線を画す時である」と主張します。

 また、読売は教育基本法の改定を求め、「教育基本法策定の過程で、GHQは、日本側が主張した『伝統を尊重して』という部分を削除させ、『個』の尊重に力点を置く基調のものとした。 伝統の尊重の否定=愛国心の否定は、公共心の希薄化につながり、今日の教育の乱れを招いている。『個』の尊重が、ともすれば児童・生徒の自主性の名のもとに放任へと傾き、規律心の低下、さらには昨今の学力低下にもなっているのではないか」といいます。

 同じ否定派の産経も「悪しき戦後からの脱却」です。「『戦後の終焉』を告げる象徴的ゴールとしての、あるいは究極の構造改革としての憲法改正(および教育基本法改正)がある。戦後進歩派が金科玉条とした聖域の変革もいよいよ流れの先にみえてきた、と判断して大きな間違いはない」といい、「高い道徳性と倫理観を備えた教養ある保守主義者を育成すること」を求めています。

 一方、肯定派は60年前の敗戦という「原点」に立ち返って考えることを主張します。「六十年前、敗戦の反省から歩き始めた道をかなりはずれてしまったようです。ここは還暦の年、出発点に立ち返って考えてみます」(東京)。「戦後六十年―。いま時代の十字路に差し掛かっている。構造改革、少子化、食料、環境、自然災害…。戦後の日本は『還暦』とはいえ、まだひと山、ふた山越えていかなければならい。私たちは暮らしの中に残るそれぞれの戦後の原点を紡ぐ努力をしながら、この時代を見据えていけば希望の明日がきっと見えてくる」(宮日)

 実は、私は元日社説では「日本の針路、国家像」について「夢」が読みたかったのです。その点、朝日社説は日露戦争から現在の日朝、日中問題までに触れて、日本とアジアの関係を考え、「東アジア共同体」の創設を主張しました。朝日は「EUのように、とは言わない。アジアの実情にあった緩やかな共同体の実現に向けて、まずは夢を追い求めたい」と結びました。同感です。

 朝日以外では正面から「夢」を追った文章は、読めませんでした。「夢」を語るのが許されないのが、「還暦を迎えた戦後日本」の現実なのでしょうか。

(小田原敦)


投稿者 管理者 : 2005年01月04日 01:43

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