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2005年01月14日

中教審中間報告「我が国の高等教育の将来像」への蔵原清人氏パブリックコメント

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 ∟●AcNet RSS [30836]より

中教審中間報告「我が国の高等教育の将来像」への蔵原清人氏パブリックコメント(20005/01/06)

抜書『蔵原清人(工学院大学教授・東京高等教育研究所事務局長) 私は私立大学の教員であるとともに、私立大学の教職員組合である東京地区私立大学教職員組合連合の設立による東京高等教育研究所の事務局長という立場から中間報告に関する感想と意見を申し述べたい。』

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1 審議の概要と比べて審議会の考え方が大変整理されわかりやすくなった。
2 この中間報告はこれまでの審議会の答申及び文部科学省の方針から重要な変更がされたように思われることに注目したい。その主な内容は次の通りである。

1)高等教育をめぐる国際的な動向について、これまで以上に注目し、それらの動向にそった方針にしようとしている点。特に、EUおよびアジア諸国の動向に注目している。21世紀の社会が「知識基盤社会」であるという分析、「21世紀型市民」の育成の提案、財政支出の強化の方針をとるようになったこともその結果であると考えられる。

2)大学の高等教育の中での位置づけを高めた点。特に大学を高等教育の中核としてとらえることを明確にしたこと、伝統的に一定の自主性・自律性が承認されているという認識を示したこと、高い専門性を持った人材を育成することを最も良く担う社会的な存在として確立してきたものが大学であるという認識を示したことは重要な指摘である。

3)高等教育費についての受益者負担主義の見直しをおこなった点。特に我が国での高等教育費の家計負担度が高いことを認めこれ以上の家計負担は限界に来ていることを認めたこと、高等教育の受益者は学生個人のみならず社会全体であるという視点を明確にふまえるとしたこと、したがってその費用は社会全体や産業界も負担すべきものであることを明確にしたこと等については高く評価したい。

3 しかしながら、21世紀の我が国の高等教育政策の基本を策定しようとするものとしては、基本問題において次のような大きな問題を含んでいることを指摘しなければならない。

1)高等教育をめぐる国際的動向にふれながらも、日本政府も参加してまとめられた、1997年ユネスコ第29回総会で採択された「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」および1998年に開催されたユネスコ高等教育国際会議で採択された「21世紀に向けての高等教育宣言ー展望と行動」および「高等教育の変革と発展のための優先行動の枠組み」について全くふれていない。これらの文書については各国が自主的に実施に移していくという性格のものであっても、全く無視していることは国際的信義に対する背任行為であるといわなければならない。

特に、大学の「自治は、学問の自由が機関という形態をとったもの」であり、高等教育機関の「必須条件」である(「勧告」第18項)、また「高等教育の教育職員を代表する団体は、・・・高等教育の政策決定に含まれるべき勢力」である(同第8項)、高等教育の使命として「人間の諸活動のあらゆる分野の必要に応じることができるよう、高度な資格を持つ卒業生及び信頼できる市民を教育する」、「人権と持続可能な開発、民主主義及び平和の強化のための教育」を行う(「宣言」第1条(a)、(b))等の規定が尊重されるべきである。

中間報告ではこうした国際的合意を無視した結果、「21世紀型市民」という規定は大変抽象的な規定にとどまっていて、教養教育の重要性を指摘しながらも具体的な教育内容構成の手がかりに欠けるものとなっている。

2)高等教育の「ユニバーサルアクセス」をいいながらも、それを憲法第26条に規定する教育を受ける権利としてとらえていない。さらに、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」第13条2(c)に規定する高等教育に関する「無償教育の漸進的な導入」を規定しているが、日本政府はそれを批准せず、またいまだに批准する姿勢すら見せていないことは大きな問題である。

本中間報告では先に指摘した受益者負担主義の見直しも、現状の負担レベルについては事実上肯定している。ヨーロッパにおいて学費は我が国と比べものにならないほど少額である上に奨学金は基本的に給付であることは基礎データに示されているにもかかわらず、本文でふれていないのは重大な問題である。また「現状では社会人学生、・・・パートタイム学生について量的に大幅な拡大は必ずしも見込めない」という。確かに現状の労働条件や生活条件ではその通りである。生涯学習のための大学の役割を強調し、高等教育費財源として「民間企業・・・からの寄付金」についても必要性を指摘しているのであれば、社会人の修学をIT技術の発展に依存するだけでなく、労働条件等の改善を求めること、特に有給の教育休暇の実施を企業に義務づける提案をしてしかるべきだろう。

また将来予測として2007年に大学・短大の収容率が100%になるという予測を示しているが、それは現状での進学率の増加で推移するならばという条件のもとでの計算であり、進学率として表現すれば約51%にとどまることになる。この方針は高等教育を受ける権利の大きな制限であるが、我が国の産業界にとっても重大な立ち後れをもたらすことになる政策であることを指摘しておきたい。

中間報告では、高等教育を構成する教育機関として専門学校をあげている。しかし我が国の学校制度ではその名称は「通称」というべきものであり、制度上は専修学校専門課程である。実態として大学教育に相当する教育を行っている学校が存在していることは承知しているが、制度論としてはあまりにその前提の検討がされていないといわなければならない。専門学校を高等教育として扱うことについて一律に反対するものではないが、そのためには大学等との共通の基盤を明確にしなければならない。専門学校の教員も学会に参加し研究活動を進めているものが少なくないが、専門学校を高等教育機関として位置づけるためには教員資格の一つとしてそれは必須条件の一つであろう。教育内容に関しては生徒の多くは青年期にあたっているのであり生徒の成長発達を支援するための教養教育を実施していることが重要な要件となるべきである。

3)「知的基盤社会」は、単に経済活動だけでなく社会のすべての活動が知識を基盤として行われるということである。そのためには高等教育は我が国の社会にいるすべての人を対象とした計画とすることが必要である。これを高等教育機関の側からのみ見るのではなく、社会の側、国民・市民の側から見ることが必要である。すなわち、国民、社会全体の知的水準をいかに引き上げるかという視点から高等教育政策の検討を行う必要がある。そのためには現在の審議会の委員任命の仕組みを改めて、学術会議、学会、大学等の教職員組合などからの代表を参加させて検討する方式とし、広く社会全体の意見を集約するとともに直接の大学関係者の意見を尊重すべきである。

また「知的基盤社会」において活動する「21世紀型市民」は高い教養を身につけるべきだという点は同意するが、そのための教育をもっぱら大学に求めることは実際的に無理がある。欧米の教育に照らしても高校までの教育を充実させることが不可欠である。現在のように入学試験のための細切れの知識の暗記を中心とした学習ではなく、現代認識、社会認識を深め、人間関係を築き力を合わせること、いろいろな人と一緒に考えることの経験を豊かに持つことが重要である。また具体的知識なしには物事の判断を下すことはできないことは自明であろう。教員の配置、財政的支出の増加などを積極的に進める必要がある。

4 中間報告で取り上げた個々の問題についても様々な問題がある。

1)質の保障と関わって、コア・カリキュラム作成や系統的な教育課程の編成が提案されている。これは教育の問題としては理解できるが、行政的に実施することになればかえって教育や学問の固定化につながり社会の変化に対応することへの制約になるおそれが強い。したがってこれはあくまでも個々の大学において教育課程の編成に努力する視点とすることが大切だろう。その努力は社会にも公表され、それぞれの教育方針を尊重しながら学会での検討の対象として経験の蓄積を進める必要がある。特に重要なことは、いわゆるスタンダードテキストの著作であろう。集団であるいは個々においてそのような教科書を作成する努力を進めていくことによって、わが国の大学教育の内容の充実が進められることになろう。行政的な支援としてはそのような努力を奨励することが重要であろう。

2)大学を教育や研究の組織に注目した整理ではなく、学位を与える課程(プログラム)を中心とした整理に変わるべきだとの提案がある。これは教育内容の検討という点では理解できる考えであるが、大学は一つの組織であることは事実であり、教員がどのような組織に属して教育や研究を進めるのかは大学のあり方として重大な影響を持っている。それを各大学の自由に任せるというのは国としてもあまりに無責任であるといわなければならない。特に教員の合議体である教授会について中間報告でふれていないことは重大な問題である。学校教育法第59条に規定する教授会を今後とも必置とすることは、大学の教育と研究をますます発展させる上で決定的に重要な条件である。

3)設置者別の大学の性格について、国立、公立大学はそれぞれ国や地方公共団体の政策にそった展開を求めていることは重大な問題である。これは国立に関しては事実上、戦前の大学令第1条に規定する「国家ニ須要ナル学術」の教育研究を行うという規定を彷彿させるものがある。これでは国立大学を法人化して独立性を高めたということとは矛盾するという他はなくなる。

中間報告がいっているように、大学は「伝統的に一定の自主性・自立性が承認されている」ということは、国の政策や社会の要求についても大学が自主的自律的自覚的に取り上げることを期待することであって、直接、行政が指示したり介入することを意味するものではない。行政や社会が大学への要望や期待を表明することは当然のことであるが、その際大学への信頼を深く持つことなしには両者の協力を発展させることは難しい。

4)大学卒業者、学位取得者の社会的処遇の改善を求めていることは当然のことであるが、このことは専門職大学院に限らず、我が国の社会において専門職というものをどう考え処遇するかという大きな問題を含んでいて、単なる教育に関する答申で解決する問題ではない。今日のような「総合職」中心の考え方では職種を越えた配置転換が安易に行われるのであって、そのような環境では専門職は育たない。これに関わって人材需給の予測を行うことが提案されているが、現在のような人事政策が広く採用されている環境では本質的に不可能である。1960年代のフランスにおいても同様の政策がとられてことがあったが成功なかった。そもそも人材需給の前提となる経済動向の予測すら不可能であることは理論的にも明らかなのである。このような政策に期待をかけることは、大学教育政策のみならず経済政策としても重大な錯誤であるといわなければならない。

5)財政的な支援に関しては定量的な提案を行うべきである。今日の経済状況の中では中間報告も認めているように学費の負担ができずに優秀な学生が進学をあきらめる事態が進行していくことは明らかである。このような事態になっては、社会にとって大きな損失であり、日本の経済を含む社会の発展にとっての重大な損害である。特に国立大学法人に対しては一般の独立行政法人と同様の国庫支出金の定率削減をやめるべきである。それとともにGDP比を当面直ちに1%まで引き上げるための計画を持つ必要がある。

その他の問題についても指摘すべき点が多いが、時間の制約もあり以上にとどめる。


投稿者 管理者 : 2005年01月14日 01:48

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