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2005年02月02日

守山キャンパスで学ぶ権利等の確認を求める訴訟、第3回口頭弁論

平安女学院大学守山キャンパスの存続を守ろうの会
 ∟●守山キャンパスで学ぶ権利等の確認を求める訴訟(確認訴訟)

1月31日 第3回弁論
 被告側は私だけが統合の中止を求めている学生であると主張していますが、私以外の多くの学生も守山キャンパスの存続を強く望んでいます。その中の2名が陳述書1陳述書2を大津地裁に提出しました。
 次回の公判で終結の予定です。 

次回は3月3日(木)16時から大津地方裁判所 法廷(公開)にて行われます。
たくさんの方々が傍聴に来て下さる事を期待しております。 

2005年1月28日

陳述書1

大津地方裁判所 御中

 私は、高校時代に電車に乗り通学していました。でも、電車に乗ると人に酔い気分が悪くなり遅刻してしまうことから、電車に乗らないで通学できる高校へ途中で転校しました。その学校の進路指導の先生は、「電車で通わんでいい学校へ進学しなさい」と守山市にある平安女学院大学の受験を勧めてくれました。学生数が1学年100人ほどの女子だけの小さな学校ですが、色々な人と仲良くできることが私にとって大きな意味を持ちます。全学生数が400人ほどなので、ほとんどの人の顔は知っています。教職員はとても親切で、先生の研究室におしゃべりに行ったりして、私は一日の長い時間を学内で過ごしていました。

 私は、三回生になったとき、「卒業まであと2年頑張ろう」と決意していました。そこへ突然「統合」の話が出てきました。私は最初「うそやろー」と思っていました。はじめ統合するかもしれないというような感じから、いつの間にか統合決定になっていました。

 私はこの学校が大好きです。それを学校の経営がうまくいかないからと追い出されるのは勝手すぎます。「高槻やったら通えんこともないやん」と言う人もいますが、そういう問題ではありません。私は一度高校を途中でやめているので、「この大学だけは続けるぞ!!」と決めていました。キャンパス内の建物の配置などにも満足し、いまはどこに何があるかもわかるほど慣れて、あと少し(2年間)だと思っていたのに、高槻に行くということが許せません。私は、このびわ湖守山キャンパスが気に入って入学したのです。ここで働く職員さんや守衛さんや食堂の職員さんは、地元の人たちなので大好きです。

 私は、統合が決まってからの大学のやりかたに腹が立ちます。「決まったことやし、卒業したかったら従え」という感じの対応で、教員に相談に行っても、教員は給料をもらって雇われている身なので何も言ってくれないし、助けてももらえませんでした。統合の話が出てから今まで本当に嫌な気持ちで過ごしました。この一年を返してほしいです。私はもう一年ここのキャンパスに通えることを強く望みます。今は、自分の家を急に奪われて住むところが無いのと同じ気分です。

 学校はお金が無いし、あと3年間も運営できないと言うわりには、4月から高槻に学生が通うための交通費を補助したり、宝ヶ池プリンスホテルなどという豪華なホテルで創立記念日のパーティーをやったり、先端技術センターにするなどと言ったりして、「お金があるやん」と思います。もし、高槻にキャンパスがなかったら私たちはどこへ行かされていたのでしょう。沖縄や北海道に行けとでも言われたのでしょうか。または、学業を諦めて働けとでも言われたのでしょうか。経営が無理だとわかっていて今春一回生を入学させたのは矛盾しています。責任をとって、今の一回生が卒業するまで、借金を作ってでも存続させるのが筋だと思います。下級生もどんどん辞めていくので辛いです。契約違反です。経営に失敗しているのは学校なのだから、学生に迷惑がかかることはおかしいことです。そのことを当然のように、学校は偉そうにしていることに腹が立ちます。統合することを理事会とかだけで決めるのはおかしいし、学生の意見はまるっきり無視して統合を強行に進めている学校はおかしいです。

 私は三回生ですから、卒業まであと一年です。学校からは、最初の説明会のときに、統合によっていろいろな授業が取れるなどのメリットがたくさんあると聞かされました。でも、私たち三回生は高槻に行くときは四回生で、授業はあまり取れません。保護者に対しての説明会では、統合は「給料が高くても良い先生を保ち教育の質が落ちるのを防ぐため」などのさまざまな言い訳をしておいて、あげくの果てに、「このまま進めば学校自体がつぶれて、君らの行き場が無くなるよ」と脅すような状態でした。私の大好きな先生と過ごせるなら統合も仕方ないと思っていましたが、先生はどんどんと辞めていきます。さらに学校は新しい守衛の女の人数名を雇っています。中庭もきれいに整備したりしています。私は「えっ!お金あるやん!」と思いました。説明会で学校が言っていたことと矛盾していることがたくさんありすぎて、何を信じればいいのか分かりません。経営困難というわりには、私たちの授業料などのお金の使い方が間違っているのではないかと思います。 

 私は、大学がここにあるから頑張ってこれました。最後までここで勉強したいです。守山キャンパスは本当に素晴らしいです。この良さをいつまでもいつまでも残したいし、下級生にもここで学んで卒業してほしいです。私たち学生が卒業するまでこのキャンパスを守ってください。お願いします。

以上

2005年1月26日

陳述書2

大津地方裁判所 御中

 私は、平安女学院大学びわ湖守山キャンパス,国際コミュニケーション学科2回生の学生です。昨年、突然の「びわ湖守山キャンパス撤退、高槻キャンパス移転」という学校側からの一方的な決定から、慣れ親しんできたキャンパスでの順調だった学生生活が奪われることに対して精神的にとても苦痛を感じてきました。私達学生の、守山キャンパスで学んで卒業したいという、ただそれだけの願いも訴えも理事会の方々に無下に扱われ、さらに苦痛に感じてきましたが、ようやく、キャパス移転について納得はいかないものの、理事会側が移転後に最善の環境で学習させてくれることを信じて、なんとか気持ちを整理し高槻キャンパスで学業に励もうと思いはじめました。しかしそれすらも裏切るように、移転後も学びたいと思っていた教員の人数は減り、楽しみにしていたゼミの数は昨年のゼミ数の半数以下になりました。これが最善の学習環境といえるでしょうか。ゼミ数の削減や教授が少なくなっていっていることに対しての不安や怒りを感じているのは私だけではなく、多くの学生が思ってはいても学校側には言えずにいるだけです。キャンパス移転だけでも、私達学生からすればとても納得しがたいものなのに、その上学業まで制限されてはどうすればよいのでしょうか。他大学への編入も考えられますが、大学進学時に考えに考えて決めた私はそんな簡単に編入を考えることはできません。ですが、学校側にこんなにも理不尽な態度をとられ続け、それでも信じていってよいのか不安でいっぱいです。

 私は大阪に住んでいるので高槻キャンパスになったら通いやすくなりますが、あらゆるものを失うことになります。私は、守山キャンパスで守山市の小学校のボランティア活動を1回生の頃からしてきました。守山キャンパスだからこそできたことです。しかし、今年4月からは高槻キャンパスに移転していますので活動が大変しにくい状況になります。でも、私はキャパスが高槻になってもボランティアを卒業するまで続けていくつもりです。2年間で築いた守山市の小学校との関係を可能な限りつづけていきたいと思っています。

 先日の裁判での学校側の準備書面などを読んで、学生に対する思いやりの無い態度が昨年から全く変わっていないことに対してものすごく残念に感じ、また、とても悲しく思いました。

 私はただ、守山キャンパスで勉強し卒業したいというそれだけのことを望んでいます。

以上

平安女学院大学守山キャンパス移転問題記事一覧については,こちらを参照のこと。

投稿者 管理者 : 2005年02月02日 01:29

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