個別エントリー別

« 大分県立看護科学大・芸術文化短大 広瀬知事に法人化を答申 検討委 | メイン | 科学技術・学術審議会、「科学研究費補助金の在り方について」(報告) »

2005年02月04日

再発防止研修は良心への拷問

澤藤統一郎の事務局長日記(2005年02月03日)より

再発防止研修は良心への拷問

本日、服務事故再発防止研修命令取消訴訟の法廷に渡辺厚子さんが立った。原告の一人として、交代した新裁判長に対して、「日の丸・君が代」を押しつけられた立場からの精神的苦痛を切々と述べた。

渡辺さんは養護学校の教諭。ハートが鎖に縛られて涙を流している図柄のブラウスを着用して卒業式に臨もうとしたことがある。校長がこれを見とがめ、上着着用の職務命令違反を問われた「ハートブラウス事件」の原告でもある。

よく通る声で、経過を説明したあと、渡辺さんはこう結んだ。
「懲戒処分が良心への処刑であるなら
 再発防止研修は良心への拷問です。
 ぜひ、裁判所は良心の番人になってください」

服務事故再発防止研修とは、非行あった教員に対して、反省を求める研修である。飲酒運転を行った教員、セクハラをおかした教員に反省を求めるのは分かりやすい。しかし、自己の良心にしたがって処分された教員にいったい何を反省せよというのか。良心を捨てよ、ということと同義ではないか。処分を違憲違法として争っている教員に対して、セクハラと同じく「反省せよ」と迫ることは屈辱を与えること以外の何ものでもない。

宗教上の理由で不起立を通したものに反省せよと言うのは改宗を迫ること。歴史観・社会観に基づいて日の丸・君が代を拒否した者には、転向を強要すること。そして、教育者の良心に従って「日の丸・君が代」強制には屈することができないとした教員には、教員としての良心を捨てよと言うことなのだ。これが、石原慎太郎流教育改革の実態。

とは言え、これを拒否すれば、さらなる処分が待っている。良心を貫いて処分を甘受するか、処分を避けるために良心に妥協するか。二律背反の「良心の拷問」に対する慰謝料を支払え、というのがこの訴訟なのだ。

良心を貫くことにこだわる教員に対して、裁判官の良心を期待したい。


投稿者 管理者 : 2005年02月04日 00:32

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://university.main.jp/cgi311/mt/mt-tb.cgi/564

コメント