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2005年02月05日

横浜市立大の全教員任期制、大学を死滅させる!

大学改革日誌(永岑三千輝教授)
 ∟●最新日誌(2月4日)

2月4日 本日誌読者から久しぶりにメールを頂戴した。昨日の教授会でも話題になった受験者数のデータに関してである。外部の人がどのように見ているか、昨日教授会で話題となった視角とほとんど同じであるが、以下にコピーしておこう。この客観的データをもとに、社会の反応をどのように分析し、どのように説明するか。市行政当局・大学改革推進本部は下記のような評価に、どのように反論するであろうか?[1] 

私は、任期制や成果主義賃金の導入に関しては、慎重にも慎重に検討を重ねる必要があると考えている。無理押しは、面従腹背の教員を多くし、今年度中にも、さらには来年度以降も引き続いて、脱出を試みる教員を増やすだけだろうと考える。それは、大学活性化とは反対の方向だろうと思う。

任期制の導入は、東大等でもやっているように、全教員(助手、講師、助教授、教授の多様な層がいるが)に対してではなくて、全ポストに対して(科目に関わりなく、すなわち科目による差別なく-思想信条・学問の自由に関わるのでいかなる科目でも可能性ありとするのは憲法にかなっている)可能にすることは制度として考えられる。その場合、具体的なあるポストをいつの時点で活性化のために優遇した条件にするか、そしてその特別優遇のポストに誰をつけるか、ということはしかるべき社会的評価(学界等外部の第三者による客観的評価の検証可能なもの・・・内部のお手盛り的評価は許されない)の上で行う、ということは考えられる。任期制に移行するときに、その担当ポストが時代の最先端を行くとか、しかるべき大学教員任期法が定める資格要件を満たす必要はあろう。それが大学教員任期法の趣旨であり精神だと考える。首切りの脅かしのための全員任期法などというのは(他方では、「普通にやっていれば」問題ないなどという曖昧な、どのようにでも解釈でき内部的な恣意がまかり通る可能性がある規定)、それを就業規則案として公にしたことすら、本学の大学教員全体に対する侮辱ではないかと感じる。

私の得ている情報に間違いがなければ、東大の場合、60歳定年の原則(慣行)が確立してきたため、任期制ポスト(5年任期)への就任は、55歳の時点であり、5年後の定年退職を見越した導入であったという。その後、傾斜的な定年延長があり、任期制導入時点が現在どうなっているのか(定年延長にあわせて、57歳、58歳となっているのかどうかなど)はつまびらかにしないが、こうした事例も参考にはなろう。 

ドイツでも、普通の教授に対して(たとえばA教授というのか?)、Cクラスの教授とか言うのがあるそうである。これまであまり興味がなかったので調べたことはなく、人が話しているのを耳にしただけである。たとえば、「あの教授は一番上のランクのCクラスで、月給はこれくらいだそうですよ、われわれと比べると・・・・」、云々と。ドイツの場合、教授にもランクをつけているのであり、教授になってたとえば5年間で、教授クラスの上の段階(Bクラス)に上がるかどうかを審査する、そしてさらに5年後に最高のCクラスになれる人がなるということで、業績を評価しているというわけである。それならば、活性化につながるかもしれない。助教授にも、3クラス(5年刻みで)くらい設定することも可能かもしれない。問題はランク別の給料などではない。経営の厳しいときに格差があまりないのは当然であろう。意味があるのはランクそのものの設定だろう。

人によっては、5年間に更なる大きな前進を遂げる人もいれば、種種の理由からそうでない人もいるであろう。しかしだからといってひとたび教授(あるいは助教授)になった人が特別の事情のない限り、解雇や差別の恐怖におびえる(同僚・先輩教授、非専門家の管理職教授の顔色をうかがわなければならない)というのは許されないであろう。5年間にしかるべき前進を示さず業績を積まない人(あるいはそれを種種の理由から対外的には示さない人)は、現ランクにとどまればいいのである。

本学の場合でいえば、「有期契約3年・5年」で示されたような差別(妥当かどうかは疑問だが)を維持するとすれば、博士号等の特別の資格を有する人は、理論上(実際の個別事例・個々の教員に関してははわからない)、他からの引き抜きや流出の可能性がそうでない場合よりも大きいという一定の合理的な推定が働くので、それを抑止するために60歳になった時点で他の同じ年齢の教授よりは一ランク上に位置付けその任期を5年とする、博士号等の特別の資格を持っていない人は(それがその人の学問的業績の水準とはまったくべつであるし、最近のように文科系でも博士号が多発される時代とかつてのように何十年かにほんのわずかの人が取得できたという時代とでは博士の重みがまったく違う、博士号はそれ自体としては今後ますます重みがなくなろう・・その限界を見据えた上で)、62歳になった時点で一ランク上の3年の任期制ポスト教授に移行するか、そのまま定年まで普通の教授にとどまるかを審査選択してもらう、というやり方も考えられるであろう。

以上は単なる思い付きに過ぎないが、いずれにせよ、具体的ポストに関するきちんとした大学らしい検討抜きの全員任期制は大学を本当に死滅させるであろう。現在示されている就業規則案は法の精神と法体系を無視し、大学教員任期法の適用を回避するための労働基準法適用も姑息な手段だと考える。


投稿者 管理者 : 2005年02月05日 01:21

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