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2005年02月08日

大学の授業料に時代を見た(けいざい楽校)

日本経済新聞(2/07)

 一九七〇年代初めから三十年ほどで、四十倍以上に値上がりしたものがある。以前は「ただ同然」と言われていた国立大学の授業料だ。今年四月からは、年間授業料の標準額が一万五千円(二・九%)増の五十三万五千八百円となる。
 私立大学の年間授業料は二〇〇三年度平均が八十一万八千円。それに比べると国立大学は安いが、親の負担は少なくない。「子供が国立大に入れば楽」なんて思っていると当てが外れる。
 授業料の歴史は、明治の初めまでさかのぼる。「生徒から毎月金を取るということ」は「慶応義塾が創(はじ)めた新案」であり、「今では授業料なんぞは普通当然のようにあるが、ソレを初めて行うた時は実に天下の耳目を驚かしました」(福沢諭吉『福翁自伝』)
 天野郁夫著『学歴の社会史』によると、国立大学の授業料は必ずしも安くはなかった。一八九二年に帝国大学の年間授業料が二十五円だった。帝大より高いのは三十円の慶応ぐらいで、東京専門学校(現在の早稲田大学)は十九円、明治法律学校(現在の明治大学)は十円だった。
 福沢は「学問教育も一種の商売品」と割り切り、慶応に富裕層の子弟を集めた。「官学を廃止すれば、私学は自由に授業料を高くして、教育レベルを上げられる」とも考えていた。
 これと対照的に、東京専門学校の授業料が安かった理由は、建学の精神だけではない。学生たちの気質がかなり違っていた。
 例えば、東京専門学校は一八八六年に授業料を引き上げた。滞納者には停学を命ずることにしたが、学生の三分の一は依然として払わない。そこで、二百人の滞納者を停学処分にすると、学生たちが激高し、「幹事をたたき殺すなどというような騒ぎ」になった。
 伝統は引き継がれる。八十年後の一九六六年、早稲田の学生たちは授業料引き上げに反対して、全学共闘会議を組織した。機動隊が出動する場面もあったが、百五十日間のストライキを打った。これは、六〇年代後半に日本中で起きた「大学闘争」の先駆でもある。
 もっとも、九三年に早稲田の学生自治会が同様なストを構えた際は、すでに多くの学生が「授業料は親が払うから関係ない」といった感じだった。
 もはや、「授業料スト」は死語。キャンパスは集会もデモもなく静かだ。福沢の言う「一種の商売品」として、高い授業料に見合う教育が行われているなら、それでもよいのだが……。

投稿者 管理者 : 2005年02月08日 00:24

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