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2005年03月16日

広島大学学長選挙における教職員組合アンケートへの佐藤清隆候補の回答

■Academia e-Network(3/15)より

問1. 広島大学への入学志願者を増やすために、どのような方策をお考えでしょうか。とりわけ、授業料や教育環境の整備に言及してお答えください。

まず、教員が個性豊かで優れた研究を行える環境を整備し、それを通じて学生が広島大学を選ぶ魅力を高めることです。また、単なる知識の提供でなく、学生一人ひとりの個性と主体性を伸ばす教育を重視し、学生が広島大学の主人公であることを明確にします。現在提案されている「教育プログラム制」では、学生の個性を伸ばすことが難しいので見直します。学生が自主的な活動のできるスペースを、全学、各部局に創ります。また、一定の範囲で、学生の創意による諸活動を緊急に支援できる財政的用意を行います。その上で、本学の教育研究上の魅力と目標をわかりやすく社会へ発信します。

問2 財政支出の透明性を実現するために、どのような方策をお考えでしょうか。

現在、予算策定の不透明性が顕著ですので、抜本的な改革が必要です。まず、予算分配のルールが十分に議論されて決められたものになっていません。たとえば部局長裁量経費(教育)が博士課程後期の志願者数や入学者数で決められていることを知っている人がどのくらいいるでしょう。また、各副学長と、その下に置かれた「室」にどの程度の予算が配分されているのかも、予算書からではよくわかりません。それゆえ、予算書を支出権限に応じて記載する形式に改め、また、予算案を審議する役員会は詳細な議事録を残し、基本的にこれを公開することとします。予算案に対しては、学内公聴会を開いて広く意見を述べていただけるようにします。決算についても、責任の所在を明確にしたうえで、構成員による事後評価を行う制度を作ります。

問3 法人化の中で、学問の自由や大学の自治をいかなる形で実現されるおつもりなのか、お考えをお聞かせください。

法人化後の広島大学は、「カネ集め」を至上の美徳とする「アカデミックビジネス体」への道を歩み始めています。しかし、大学が大学であるためには、真理探究が最高の理念とされねばなりません。時流や経済的要請に流されることなく、真理にのみ仕え、教員が各自の信念に従って真理を探究し、学生が真理を見極める目を養う共同体が大学であり、そのための環境を用意することが、学長の最大の任務です。

真理を最優先するために人類が到達した理念が「学問の自由」であり、それを守る制度的な保障が「大学の自治」です。この「大学の自治」は、単なる「教授会の自治」ではなく、大学を構成する全員による自治であり、あらゆる場面で教員のみならず、職員や学生の意見を聞き、参加を促すことを通じて実現されます。教授会はもちろん「大学の自治」の重要な担い手であり、教育研究に関わるあらゆる事柄は教授会の発案によるか、教授会の承認を得て遂行すべきものと考えます。しかし、「大学の自治」はそれにとどまるべきではないと考えますので、教員以外の職員や学生による自治的組織に対しても、当然に大学運営への参加を促します。

学長は、「全構成員自治」の結節点として、学内各層の意見を集約した形で大学としての意思決定を行い、学問の自由を全力で守るべき地位にあると思います。

問4 学長のリーダーシップをいかなる形で発揮したいとお考えでしょうか。その際、いわゆる「ボトム・アップ」をどのような形で実現したいとお考えですか。

広島大学長に求められるリーダーシップは、広島大学がおかれた状況を前提にして、独自の明確なビジョンを構成員に与え、それを達成するための具体的な道筋を提示することです。抽象的な夢物語や、思いつきの個別策だけでは、リーダーへの信頼は生まれません。

広島大学は、研究ポテンシャルの高い教員を多く持ち、潜在的可能性を秘めた個性ある優れた学生を惹きつけています。したがって、広島大学は、「基礎研究力の高い、人を育てる大学」というビジョンを掲げるべきです。しかし、実際にこの理念を実行するのは各部局です。その中で学長は、大局を見失わない視野の広さを持ち、的確な状況判断によって各部局、各個人の活動を調整し、必要な場合には自らの責任を明確にしたうえで決断し、それを実行するべきでしょう。これが学長に求められるリーダーシップであると思います。

一方で、学長のリーダーシップを独善に導いてはなりません。そうしない保障は、「大学の主人公は、学生と教職員である」ことと、「教育と研究の現場である部局等を重視する」ことを、大学運営の基本精神に据えることです。そして、学長の「決断」は、常にこの基本精神に照らして批判されるようにしておくことと、決定者に説明責任を課すことです。これがボトムアップの本質であると思います。

問5 理事会の役割、理事会と副学長の関係をどのようにお考えでしょうか。さらに副学長の数はどの程度がのぞましいとお考えですか。また、副学長の権限との関係で、事務局長の役割をどのようにお考えですか。
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法人化後の本学では、理事を兼ねた副学長が学長を取り巻くことによって、学長が大学全体を見渡せなくなったのではないかと思います。理事が学長の直属の部下であれば、そこから大学経営に関する建設的な意見が出てくることは期待できません。副学長が理事を兼ねるということは、したがって役員会が建設的な場になりえないということを意味します。それゆえ、理事は副学長として執行権限を委嘱されるべきでなく、最終的な責任を負うのは学長であるにせよ、学長と対等な立場で経営にフルタイムで専念すべきものと考えます。また、理事の任命に当たっては、ブロック別意向投票等、学内の意向を反映した方法での任命が必要であると思います。

これに対し、副学長は学長のブレーンとして、現在の半数以下の人員で十分機能すると思います。現在は、各副学長に直結する執行組織が、教員や事務職員を含めた縦割り型の行政機関となり、それぞれの機関が横の意思疎通を欠いたまま、各部局事務に重複した命令や不要不急の仕事を押し付ける形になっています。各副学長も、何かしなければ責任を問われるので、無理やり仕事を作っている、これが多くの教職員の印象です。

事務部門については、法人化以前にもどし、事務部門の一体化を回復します。また、事務部門の長には、広島大学の事務組織を熟知した職員を就けます。

問6 部局長支援グループ・教育研究活動支援グループ・学生支援グループなどの括り方について、望ましいとお考えですか、あるいは望ましくないとお考えですか。

このグルーピングは、部局長のリーダーシップを発揮させるために導入されたのでしょう。しかし、実際にはわずかな部局長裁量経費の下で、部局レベルの事務機構を細分化しただけに終わり、結果としてどの業務をどのグループが担当するのか、現場はおろか本部事務局ですら混乱したと聞いています。現場を無視した事務機構再編の典型例の一つと思いますので、部局長支援グループと教育研究活動支援グループを統括するなど、事務機構全体の整合性に対応した、現場が働きやすい、そして聞けば誰でもその機能がわかる名称を持った組織に変更すべきであると思います。

問7 全教職員の3 割以上を非常勤職員が占め、雇用不安にさらされ、待遇面で劣悪な状態におかれていますが、事務機構の中で非常勤職員が果たす役割について、どのようにお考えですか。また、非常勤職員の経験年数やキャリアップをどのように待遇に反映させようとお考えでしょうか。

非常勤職員は、事務分野では全体の4割を占めるに至っており、全産業平均(約2割)と比較しても、非常勤職員なしには本学の運営は成り立たない水準に達しています。それほど重要な役割を果たしているにもかかわらず、一人ひとりの非常勤職員の方々は、毎年の雇用が更新されるか否かという不安を抱えておられます。近年ではいわゆる「日々雇用」の新規採用がなくなり、「時間雇用」の方々(パート職員)が増加しています。「時間雇用」の方々は、時間外労働・休日労働の対象にすらなっておらず、「不払い労働」の深刻な犠牲者になっておられるケースもしばしば見られます。

非常勤職員の方々の多くは、異動がないため、仕事を熟知した、かけがえのない職員です。広島大学の構成員全てが非常勤職員の方々に対して公正に接しなければなりません。また、常勤、非常勤を問わず、「同一価値労働・同一賃金」の原則に立った処遇を行い、経験年数の給与への反映、さらには希望者には常勤化への道を広く開く必要があります。

問8 教員研究費の配分方式について率直なご意見をお聞かせください。

多様な分野を包含する本学の文系・理系の基礎科学分野の高い実績とポテンシャルを洞察した、広島大学独自の主体的な研究領域を推進することは、次代の新しい重点研究分野を用意するために不可欠な研究戦略です。それを実現するための最善の施策は、個人レベルの基盤的研究費の充実です。現行の教員の基盤的研究費はあまりにも少額すぎるために、分野ごとの均衡の取れた形での研究水準の向上や、優秀な人材の確保に齟齬をきたし始めています。同時に、過度に大学院生数に依拠する教育費配分制度では、院生を確保するための教員間の競争やそれに伴うハラスメント、院生の集め過ぎによる研究指導の不足や不十分な就職保証などのマイナス面が生じています。学長がヒモ付きでない研究費を確保し、十分な基盤的研究費を保障するべきであると考えます。

そのためには、学術全体の水準向上を図るための財政基盤の確立を政府に求めると同時に、外部資金の獲得のために、本学の研究者・グループ等が、その特長を生かして主体性をもって獲得できる体制を整備します。ただし、外部資金への過度の依存には注意が必要です。なぜなら、外部資金は文字通り広島大学の外部の判断によって与えられる資金であり、そこには広島大学による研究の評価(ピア・レビュー)の余地がないために、場合によっては、「学問の自由」に対する介入を制度的に許容する一穴としてすら機能する危険があります。

問9 給与水準や給与体系についてどのようにお考えでしょうか。また、いわゆる「成果主義賃金」の導入についてはどのようにお考えでしょうか。

国立大学法人の教職員の給与は、私立大学と比べても高い水準にはありません。また、近々予定される公務員給与の5%低下に連動して、国立大学法人の職員の賃金にも引き下げ圧力がかかるでしょう。

その中で平成18 年度からの導入が予定されている「成果主義賃金」とは、教育活動や事務の職務遂行に対する評価結果を給与に反映するシステムですが、その導入には以下の理由で反対します。

第1に、優れた学生を育てるために多くの教員による協力と相互援助でなし得る高等教育を、根底から崩壊させる危険があります。第2に、公平性を期するために行う評価者の膨大な作業実務と、それに伴う精神的苦痛は、数値で表すことは出来ません。同僚による評価は、それが学問のレベルにとどまらないならば、無用な混乱と軋轢を生じさせ、かつ公正を期すためには多大の労力・時間を要するのではないでしょうか。第3に、上からの一方向評価では、評価されるものが同僚や下部組織とは協力せずに、上司に気に入られるため点数を上げることに専念する事態が懸念されます。第4に、限られた財源で、昇給と賞与で厚遇する人を作るためには、多くの冷遇者が必要となり(ゼロサム・ルール)、全体として士気が低下するに違いありません。第5に、教員以外の職員については、サービス残業の根絶が達成されておらず、このような状況で成果主義賃金を導入すると、無限のサービス残業競争に陥ってしまう危険性があります。

教職員の業績の反映は、基本的にはサバテイカル待遇や研究教育費の上積み、業務効率改善のための研修者の選定などの範囲にとどめるべきです。また、誰の目にも明らかな優秀者には、昇進で応えるべきで、現行の、地元採用職員の昇進に事実上の限界があるような慣行こそ、直ちに止めるべきです。

問10 いわゆる「サービス残業」について、それを生む原因とそれへの対策を、どのようにお考えですか。

法人化後の混乱時期が終わっても、多くの職場で長時間残業が続いていますが、「手当てを丸ごと要求すると、大学がパンクする」という気兼ねから、ほとんどの職員がやむなくサービス残業を受け入れている実態が解消されていません。私は本学の教職員組合執行委員長として、この問題に真剣に取り組んできましたが、ここでは、改めて以下の3原則を表明いたします。

(1) 残業なしでもこなせる仕事と、生活できる給与を保障することが経営の基本である。この観点から、仕事の無原則な創出は慎まれねばならない。仕事を創出する場合、実際に現行の人員でこなせるかどうか、十分な検討を行う。

(2) 残業を含む労働には必ず対価が支払われるべきこと。財源のあてのない残業は行わせない。仕事は労働時間管理者が基本的に把握し、各職員に命じるという形態をとる。職員に仕事を「請け負わせる」ような形は早急に解消する。

(3) 残業を認める前に、残業をなくす、あるいは減らすために必要な人員配置を速やかに行うこと

現行では、あふれかえる仕事をどうにか「こなす」ことに職員は「働きがい」を求めざるを得ない、いわゆる「ワーカホリック」状態になっています。そうではなく、上司による仕事の全体としての把握、その各職員への伝達を通じ、広島大学を自分がどのように機能させているか、どうすればもっと機能させられるか、が考えられる、もっと高い水準の「働きがい」を一人ひとりの職員がもつことができるように、そのために、メリハリのついた労働と勤務時間管理が行われるべきであると考えます。


投稿者 管理者 : 2005年03月16日 02:47

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