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2005年03月31日
社説 学生無年金訴訟 狭量に過ぎる高裁判決
京都新聞(2005/03/29)国民皆年金の時代に無年金障害者がどんな思いで暮らしているか、裁判長はその訴えを真剣に聞いたのだろうか。
学生無年金障害者訴訟の初控訴審判決が東京高裁であり、一審判決が破棄されて原告敗訴となった。
同様訴訟では各地裁で原告救済を念頭にした勝訴が相次いだが、今回は一転、国の言い分を認めた。
控訴審判決は極めてしゃくし定規的に判断が下されており、原告らが上告するのは当然だ。最高裁には「血も涙も通う」判断を求めたい。
国民年金法は一九五九年施行で、八五年、八九年と改正。学生強制加入は八九年に決まった。
任意加入時代、同じ未加入学生で事故などで障害者となっても、二十歳以上なら無年金、二十歳未満なら支給される矛盾があった。
このため障害者の元学生らが「法の下の平等」を訴えて全国各地で学生無年金障害者訴訟を提訴した。
控訴審判決は、東京、新潟、広島の各地裁が、国が法改正の際に配慮を怠った不作為を認めたのに対して、これを真っ向から否定し、係争中の地裁には「冷や水」を浴びせる結果ともなった。
その判断には、国民年金法についての解釈をわざと狭め、こじつけたともとれる節がある。
八五年の改正で国が学生を強制加入としなかった点を「当時の社会通念上妥当な措置で、違憲といえない」と言い切った。
国民年金法が制定された当時の法の目的が八五年当時でも社会通念として生きていたというのだ。
国民年金法はもとは老齢年金が目的で、学生に被保険者資格を認めなかった。その趣旨が四半世紀後でも通用したというのだ。
法改正は時代の変化に合わせるために行われるもののはずだが、この判断には首をかしげざるを得ない。
大学進学はすでに裕福な一部エリート層から一般化し、借金での進学、アルバイトで生活費を稼ぐ学生も多かったはずだ。
そうした学生が不慮の事故で障害者となっても「障害で働けなくなることへの備えは本来各個人か扶養者がするべきだ」というのだ。
こんな時代認識とかけ離れた判断は反発を招くだけだ。
さらに二十歳前と二十歳以後の学生の取り扱い差は立法者裁量、学生の任意加入は1%で関心が低かったなどとの判断には、国の制度不備やPR不足を不問にして、「お上」に従えとまで言われているようだ。
これでは原告ならずとも「最初に結論ありき」だったのではと疑ってしまうのも不思議ではない。
東京地裁の勝訴判決で、国会はあわてて救済対策として無年金障害者の主婦も含めた特別給付金支給法をつくったが不十分だ。司法が行政、立法の不備をたださず、弱者を切り捨てるのは許されない。
投稿者 管理者 : 2005年03月31日 00:57
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