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2005年04月28日

断たれた将来の夢 尼崎JR脱線 キャンパスに悲嘆

東京新聞(4/27)

 犠牲者が八十人を超える大惨事となった尼崎JR脱線事故。大学キャンパスに向かう学生たちの命が奪われた。マスコミ志望の新入生がいた。古代史をテーマに卒論の準備を始めた四年の学生もいた。将来に抱く夢が断ち切られた。遺体安置所となった兵庫県尼崎市記念公園総合体育館では、「事故車両に乗っていた可能性が高い」という五十二人の消息を求める家族らの姿が。大きな不安といちるの望みを胸に-。 

 「僕の乗っていた電車がグチャグチャになった」。京都の同志社大が、学生の異変を知ったのは男子学生から学校に届いた一通の電子メールだった。通学途中の女子学生二人が死亡、二十二人の負傷が確認された。

 亡くなった兵庫県宝塚市の榊原怜子さん(18)は今月、社会学部に入学。将来の夢はマスコミで仕事をすること。専攻もメディア学科を選んだ。

 二十五日は、「言語文化論」の講義に間に合うよう事故車両に乗った。

 高校二年のとき、哲学入門書をテーマに書いた読書感想文。「友情と愛情」「生きるということ」について十代のみずみずしい感性でつづり、県のコンクールに出品された。「本当に始まったばかりだったのに…」。高校の担任教諭(44)は、夢の実現に向け歩み始めた教え子の悲劇に肩を落とした。

 法学部二年の長浜彩恵さん(19)は、中高校通じて「サエちゃん」の愛称で友人らに親しまれていた。中学時代の担任、小野光良教諭(42)は「卒業しても、つい最近まで学校に遊びに来てくれた。一年前、『同志社』に行きますと報告に来たのが最後だった」。

 他大学でも、複数の学生が亡くなった。

 兵庫県三田市の京都女子大文学部四年の奥村容子さん(21)はエジプト史を熱心に学んでいた。

 二十二日のゼミナール発表。最も好きな古代エジプトの王について、文献を基に熱弁を振るった。新田一郎教授は「もちろんゼミは皆勤。卒論のテーマを絞り、熱心に勉強を始めていた」と無念そうに語った。

 兵庫県西宮市の近畿大二年浜端諒介さん(19)の母校県立西宮高校では二十六日に全校集会を開き、在学生が黙とうした。吉田和志校長は「サッカー部のレギュラー。三年生のとき、県大会でベスト4に。後輩たちに『努力すれば報われる』という言葉を残してくれた」。

 神戸市の近畿大三年下浦善弘さん(20)の自宅の弔問に訪れたかつての恩師藤本昌映さん(52)は「無口でまじめ。小学生だったころから柔道を教え、わが子のように思っていた」。


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投稿者 管理者 : 2005年04月28日 00:02

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