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2005年04月30日

イラク派兵差止北海道訴訟、「何とか実質的審理に持ち込みたい」

自衛隊イラク差止北海道訴訟「徹底した実質審理を求める請願署名」
自衛隊イラク派兵差止訴訟の会・名古屋「実質審理を求める署名を集めています」

 これまで,本サイトではほとんど取り上げることがなかった私の住む北海道における自衛隊イラク差止訴訟について。

 自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟は,4月11日に第6回口頭弁論が開催された。その内容については,地元新聞もこれを報道として全く取りあげず,また訴訟の会HPも内容更新されていないので分からなかったが,4月29日発売の週刊金曜日のPR用HPにわずかに触れられていた。下記に転載する。

 北海道訴訟では,3月中に追加提訴を行い,箕輪訴訟との弁論併合を申し立てるとした弁護団の予告通り,3月23日,童話作家の加藤多一さん、詩人の矢口以文(よりふみ)さん、元国会議員竹村泰子さん、児玉健次さん、北海道原爆症認定訴訟で医学鑑定証人を務める福地保馬(やすま)さんら道内在住の文化人や元国会議員など32人が札幌地裁に2次提訴した。そして今回の第6回口頭弁論では合併審理が始まった。

 自衛隊イラク派兵差止訴訟は,いま全国的に展開されているが,どの訴訟においても,被告である国は請求原因事実及び準備書面で主張した事実に対して,一切認否・反論しないという態度を取り続けている。その理由は,裁判所法3条の「法律上の争訟」の要件を満たさない、すなわちイラク特措法に基づく自衛隊のイラク派遣は、原告らに向けられたものでないし、原告らの具体的な権利義務ないし法律関係に何ら影響を与えるものではないというものである(佐藤博文弁護士意見陳述より)。こうした態度は,北海道訴訟の今回の口頭弁論でも同じである。下記の記事によれば,弁護団の佐藤博文弁護士は「最初に始めた札幌で、何とか実質的審理に持ち込みたい」と話したとされるが,原啓一郎裁判長は,「裁判所が(自衛隊のイラクでの活動実態などを)認否するようにこれ以上求めても仕方ない」とあきらめているふうにも見える。

 とはいえ,札幌地裁の対応は,他の多くの裁判所とは違う。第5回口頭弁論で,被告国に対して「できる限り認否反論するよう求めた」からである。それに対して,他の裁判所と裁判官は被告国の一切認否しないという態度を容認してきた。つい最近,あからさまな形で被告国側寄りの対応を見せた名古屋地裁はその典型であろう[名古屋地裁4月22日開催「第5回口頭弁論」報告,および裁判長の訴訟指揮に関連する意見書(2005年4月27日)を参照のこと]。最初の訴訟の地,北海道でイラク派兵についての実質的な審理を実現するためには,この間に裁判所の対応を変えてきた「実質審理を求める請願署名」をさらに多く増やす必要あろう。これは私たちの差し迫った課題である。そして,数多くの署名の威力と裁判長の圧力の下で,是非とも実質審理に持ち込んでいってほしいと思う。その点で,この訴訟は、現在週刊金曜日の表題にあるように,まさに「正念場」である。

 国側の応訴態度とその批判については,北海道訴訟弁護士佐藤博文氏の意見陳述が最も分かりやすかった。これも下記に転載しておきたい。

派兵差し止め道訴訟 実質審理入りへ正念場

週刊金曜日(2005年04月29日発売)
 ∟●派兵差し止め道訴訟 実質審理入りへ正念場

 自衛隊のイラク派遣は違憲だと、元郵政相の箕輪登さん(81歳、北海道小樽市在住)が札幌地裁に提訴して1年3カ月。依然として自衛隊サマワ駐留が続く中、この3月には竹村泰子氏、児玉健次氏ら、北海道在住のほかの国会議員経験者を含む32人が2次提訴に踏みきり、今月11日から合併審理が始まった。

 シンプルな訴えだ。<(イラク派遣は)自衛隊員に本来の任務に反する行為を行なわせ、国民にイラク戦争への事実上の「参戦」を強いるもので> <明らかに憲法第9条、自衛隊法に違反する>(訴状)。

 車椅子に頼って法廷通いを続ける箕輪さんは、初回から欠かさず意見陳述しており、この日で6回目。だが、陳述席に立って約20分間話した直後、ふらついて医務室に直行せざるをえなかった。

 老いた原告のそんな必死な姿を目の当たりにしながら、被告側は「いつまでダラダラ(意見陳述を)続けるおつもりですか?」と門前払いを求めるばかりだ。実質審理を頑なに拒むその姿勢に、原啓一郎裁判長も「国の考え方がそういうことであれば、裁判所が(自衛隊のイラクでの活動実態などを)認否するようにこれ以上求めても仕方ない」と、あらがいきれない。

 この「箕輪裁判」を皮切りに、全国で次々に提訴された自衛隊イラク派兵差し止め訴訟は計一一。弁護団事務局の佐藤博文弁護士は「最初に始めた札幌で、何とか実質的審理に持ち込みたい」と話している。

第5回口頭弁論・意見陳述(2005年1月24日)より

3.国側の応訴態度に対する批判

(1)被告は、裁判所法3条の「法律上の争訟」の要件を満たさない、すなわちイラク特措法に基づく自衛隊のイラク派遣は、原告らに向けられたものでないし、原告らの具体的な権利義務ないし法律関係に何ら影響を与えるものではないとする。そして、今日に至るまで請求原因事実及び準備書面で追加的に主張した事実に対して、一切認否・反論をしないという態度を取っている。
 しかし、いまこの瞬間にも重大な憲法侵害行為が行われているときに、下位法に手続規定がないからといって、憲法上の基本的人権が侵害されたときに救済が図られないというのは、法の下刻上であり、子が親を食い殺す論理にほかならない。立憲主義にとって背理である。まずはこの問題が真剣に考えられなければならない。

(2)では、日本の裁判実務は、果たして被告国の言う通りなのか。
 すでに前回提出した準備書面及び今回提出した準備書面で述べているとおり、最高裁判所は決して憲法判断を避けているわけではない。議員定数不平等訴訟判決においては、選挙制度が民主主義憲法秩序の根幹であることを確認したうえで、本来自ら是正すべき国会がこれを放置している時、もはや国会に期待はできないから、憲法秩序の回復は違憲立法審査権のある裁判所に求めるほかない、だから裁判所は憲法判断を行う旨判示している。
 同じことはイラク派兵についても言える。国際法上明らかに交戦法規が適用される戦争状態なのに「非戦闘地域」だと強弁し、「安全確保支援」名目で米軍等の後方支援が行われ、これを「人道復興支援」と言ってカムフラ-ジュする、自衛隊の兵站活動は戦争遂行行為そのものであることが国際法上明らかなのにこれを否定する。今日ではアナン国連事務総長が米英の開戦が国連憲章違反であったことを認めている。
 これに対して、国会はその機能を果たしていない。昨年12月の派遣延長も、臨時国会の閉会後に閣議決定され、国会は事実上蚊帳の外に置かれ、政府に対するチェック機能が働かない。まさにいま、政府・国会がともに憲法秩序を破壊していると言え、国民は裁判所に救済を求めるしか手段がなくなっている。こうして、国民の6割が派遣延長に反対だと言っているのに強行されているのである。

(3)原告らの主張する「平和的生存権」は、具体性なく権利性が無いのか。あるいは法的保護に値する利益として認められないのか。
 我々の主張の柱の一つである「戦争に加担することを拒絶する権利」の本質は、再び「侵略した側」として歴史に刻まれたくないとする戦後平和憲法の下で培われてきた日本国民のまっとうな「平和を求める良心」である。この良心は、戦争体験の有無や年齢、宗教や職業など人によってバックボ-ンは異なっても、大多数の国民が共有する「公的良心」と言うべき性格を有し、その内容は明確である。
 被告国の主張によれば、国民の一部に生命や身体などの被害が生ずる場合には具体的権利性があるが、大多数の国民に被害が生ずるような場合には「具体的」でなく権利性が認められないかのように言うが、「公的良心」は逆に数が多いほどその内容の具体性を実証するものと言うことができる。

(4)今回のイラク派兵は、前述の「殺さない権利」「戦争に加担しない権利」に止まらず、「殺されない権利」「被害者とならない権利」も、現実的な問題であると我々は主張している。
 イラク派兵は皮肉にも、「殺さない」「殺されない」という、戦争における相互性を顕在化させたのである。このことは、マドリッドの列車爆破テロ事件の犯行声明(日本を名指しで標的に)にはじまり、日本人人質事件、殺害事件などから明らかである。ただ日本人であるというそれだけで、いつ、どこで攻撃されるか分らない。これが、従来の派兵と全く違う。
 それでも被告は、原告個人に具体的な危険性が生じたのか、そうでなければ権利侵害、法益侵害があったとは言えないと言う。ならば逆に問いたい。日本がアメリカと共に圧倒的な軍事力を持ち、他国を侵略し戦闘行為で多数死傷させても、侵略された他国に自衛権に基づく反撃能力がなく、我々日本人が日本に住んでいる限り安全ならば、日本国民は何ら法的に問題にすることができないというのであろうか。これは、力によるわが平和憲法の破壊を認めるものである。

(5)弁護団は、イラク戦争の凄惨な実態、その国際法違反性、憲法9条・自衛隊法違反、イラク特措法違反(特に「安全確保支援」活動の実態、「非戦闘地域」の該当性)、この間の国会審議の内容や政府の対応と現実とのギャップ、原告の「良心」が如何に侵害されたか等について、主張を尽くし、立証の準備をしている。これらはいずれも、それ自体の内容に加えて、如何に政府と国会がともに憲法秩序を破壊し、国民としては裁判所に救済を求めるしか手段がないか、裁判所は立憲主義の根本に立って、積極的に憲法判断を行うべきであることを明らかにするものである。これはすぐれて事実の認定の問題であって、被告国が言うような「外交政策の当否」「法律判断」に止まる問題ではない。
 被告は、原告の「求釈明」に対する釈明と併せて、認否・反論を行うべきである。


投稿者 管理者 : 2005年04月30日 00:48

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