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2005年04月18日

都立大、総長と人文学部長が最後に残した言葉

初見基研究室ホームページ
 ∟●たまらん【4月13日】

【4月13日】
 「世界」誌5月号に執筆した拙稿「ある大学の死―都立大学教員はいかに敗れていったか」に対しては、すでに何人かの方からご意見をいただいています。大方論旨を支持していただけているもので、真っ向からの反対意見はまだ耳に入りません。
 そのなかでひとつ、拙稿では組織の責任者である総長らに対する評価が甘すぎるというご批判がありました。たしかに、〈全体〉のなかに動員されてゆく教員たちのことを主として問題とした分、総長や人文学部長らへの〈責任追及〉は緩くなっています。
 もちろん〈総懺悔〉によって、責任者を免罪できるわけではありません。たまたま、〈玉音放送〉ならぬ、総長と人文学部長が最後に残した言葉を眼にしましたので、若干の感想を述べておきます。

●茂木俊彦元総長による2005年3月25日卒業式式辞より(http://www.metro-u.ac.jp/hiroba/essay/050331/index.htm

 意見を述べること、討議すること、一致点を見いだすこと、これらが無視されたり軽視されたりする経験が重なっていくと、人々は「もう何を言っても無駄だ、決めるのは自分ではなく、他の誰かが決めるのだ。結果が悲惨でも自分には責任がない」。このような心境になる危険性があるということです。さらに「今は何かを言う時期ではない。いずれ言うべき時、言える時がくる」。こんなことを口にするようにもなります。
 私に言わせると、これは思考停止、主体的判断、意見表明権の放棄です。それは、歴史上の幾多の事件、もっと言えば戦争の前夜にも人々の耳にささやかれた、いわば「悪魔の声」です。
 誤解しないようにお願いしたい。本学の教職員の圧倒的多数は、そのように考え、そのように行動したというのではありません。しかし、私を含む相当数のメンバーが、耳元のその「ささやき」を聞いたのではないか。聞いたけれども、それをはねのけて、それぞれの仕方で見解を表明し、行動し、さらには学生の学習権は最大限に守らなければならないという使命を自覚して、大学をつくる実務に携わってきたのであると、そう私は確信します。
 このような内心の状態、矛盾・葛藤、――それは何も今回のような事態においてだけ生きるのではありません。今後の社会・経済・政治・文化の、時に緩やかな、時に激しい変化の中で、一再ならず起こります。
[・・・]
 配給されている頭を使って考えてほしい。そして自分で判断すること、人々に語りかけ、面をあげて歩むこと、それがどれほどにできているかと自らに問うことを、卒業後にそれぞれが生きていく場で大切にしていただきたい。

 ほとんど注釈は不必要です。拙稿では教員の〈思考停止〉を指摘しましたが、はからずもその点で一致しているようです。そう言えばまだ8.1事件からそう間もない頃、学生を前に〈今は何かを言う時期ではない〉ともっともらしく教えを垂れている教師もいたということでした。(いまでは首大で陽の当たる場所を見いだしているようです。)
 《誤解しないようにお願いしたい》以下の一節は、総長という立場からしてこうでも言い抜けなくてはならなかった、というだけのことでしょう。

 お次は沈没船を誤導した末に我先に脱出しおおせた南雲元人文学部長のお出まし。
●南雲智「都立大の終焉と再生―最後の人文学部長として」(東京新聞2005年3月30日夕刊)より末尾部分

[・・・]誰もがこれを敗北というに違いない。しかし、そうだろうか。激しい攻防の末に根を土中深く残し、生き続ける力を喪失させなかったからである。凄まじい嵐に耐え抜いてきた優れた教員たちがまだ残っているではないか。伝統としての進取の気性と革新的な学問風土、そして権力主義を嫌う精神を失わぬ限り、やがて新たな枝を、緑溢れる葉を色鮮やかな花を咲かせる時は必ず到来するはずである。そのときこそ都立大学が、人文学部がふたたび蘇るときにほかならない。

 いよっ、いろおとこ! と声がかかるくらいの名調子。空疎なことをのべるときには修辞を駆使する、という原則に忠実な文章ですね。
 たしかに首大教員の多くはどんな体制下でも《生き続ける力を喪失させな》い、それどころかどんな体制下にあっても巧妙に生き続ける力を持った方々なのではありましょう。とはいえ、《権力主義を嫌う精神を失わぬ限り》なる前提文は、接続法二式の非現実話法で書かれていなければなりません。ですから結論部も、南雲氏の願望に過ぎません。もちろん夢を語ることは勝手ですが、首大発足後のこの〈現実〉に生きている者としては、いい気なもんだといった感慨だけでは済まされない怒りを抱かざるをえません。


投稿者 管理者 : 2005年04月18日 00:40

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