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2005年06月24日

曖昧な首大成立の過程:裁かれるのは誰か?

だまらん
 ∟●曖昧な首大成立の過程:裁かれるのは誰か?(2005年06月22日)より一部紹介

曖昧な首大成立の過程:裁かれるのは誰か?[2005/06/22]

……

4. 都知事の無謀を許してしまったものは何か?
こと「都立大・首大問題」に限って見ても、最終的に責任を負うのは、石原慎太郎東京都知事であることは明白だ。がしかし、都知事の無謀な案を推進し、実現してしまったものは、都知事の考え方を先読みして、それを推進した周囲の人達ではなかったか?

その中には、最近の報道で実態が明らかになった浜渦副知事もいれば、高橋 宏理事長、西澤潤一学長、さらに、東京都大学管理本部での会議で、常に知事の意向を気にして、その先読みをして働いていた上層部の役人達と、それに同調して働いていた一部の大学幹部がいる。この人達あって初めて成り立ったのが、石原都知事の「首大構想」なのだ。

これで三役がそろった。一番上に、石原慎太郎東京都知事、その下の層に、先棒担ぎの人達、最下層には、(本当は政治そのものに無関心だが)石原都知事の行動類型が気に入って投票した都民がいる。 この三層構造こそが、石原都政を支え、「都立の4大学破壊」と、いびつな<新大学とは名ばかりの>「首大」を作り出した基盤である。裁かれるべきは、この人達だ。

何事もなかったかのように忘れてはならない。曖昧にして、放っておいてはならない。後々で、必ず放漫な態度でいた<ツケ>が回ってくるのだ。間違ったことをしようとしている指導者には、きちんと NO! と言わねばならない。それができなければ、この国の教育だけでなく、すべてのシステムが、やがて為政者の思うがままに変えられてしまい、引き返せないところまで進んでしまうだろう。為政者を怖がってはいけない。先棒を担ぐのは、もってのほかだ。御用学者も必要だろうが、学者のはしくれとして、きちんと NO! と言うべき時には、NO! といわねばならない。そして、国民として、政治の内容を監視し、間違ったことをやろうとしている政治家には、ストップをかけねばならない。


投稿者 管理者 : 2005年06月24日 00:27

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