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2005年08月05日

卒業式でのひと言を「不規則発言」として指導-ここまできた都教委の強権行政-

■「意見広告の会」ニュース295

卒業式でのひと言を「不規則発言」として指導
~ここまできた都教委の強権行政~

醍醐 聰

(以下は、7月30日、阿佐ヶ谷の産業商工会館で開かれた「物言える自由・報告・交流・音楽&(裁判準備)会に参加した私のレポ-トです。)

卒業式のあいさつまで監視する都教委の強権行政

 「おめでとうございます。色々な強制がある中であっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていってください。」

 これは、今年3月12日(土)に行われた、前任校(都立豊多摩高校)の卒業式に出席した池田幹子教諭が、来賓あいさつの中で語った言葉です。ところが、都教委はこの「ひとこと」を問題にし、7月20日、池田教諭を「指導」と称して処分しました。

 そこに至るまでの間、都教委は2名の指導主事を池田さんの現任校に派遣して「聞き取り調査」を行おうとしました。池田さんは、何についての聞き取りか説明を求め、弁護士の立会いを要求しましたが、主事は理由も話さず、これを拒否したため、調査に入らないまま引き上げました。つまり、「指導」処分は、事実認定がないまま、前任校と現任校の校長が都教委に提出した報告書だけを手がかりに行われたのです。

「不規則発言」とは?

 7月30日の集会で、池田さんの経過報告を聞いて、私が驚いたのは、前任校・現任校の校長が都教委に提出した報告書の中で、池田さんのあいさつを、示し合わせたように「不規則発言」と表現し、それを「不適切」、「大変遺憾」と記していたことです。
 また、豊多摩高校の校長の報告書は、池田さんのあいさつ言葉を記載(実はこれは不正確)したあと、「卒業生は若干ざわついたが、大きな影響はなかった」と記しています。

 (注) 卒業式に参列した同僚教師、保護者の証言によれば、池田さんの前記の言葉はほとんど聞き取れず、卒業生が「ざわついた」形跡は全くなかったとのことです。

 この校長報告書は池田さんご自身が情報公開請求で入手されたものだそうです。しかし、「不規則発言」とはいったい、どういう意味でしょうか? この用語には人を裁くに足る、法的に定着した意味があるのでしょうか?
 ちなみに帰宅して、広辞苑で「不規則発言」を引いても該当する用語はありませんでした。
 しかし、普通、「不規則発言」といえば、議場等で正規の発言者が発言中に、他の議員が飛ばすヤジのことです。

 念のためインターネットでキーワード検索してヒットした「地方議会の用語集」
(http://www.interq.or.jp/neptune/waxn/council/index.htm)によれば、「不規則発言」の定義は、次のとおりでした。

  「いわゆるヤジのことを議会用語で「不規則発言」といい,帝国議会以来の長年の慣習で,怒鳴っても叫んでも,会議録の中では「○○と呼ぶ者あり」と記載されます。」

 もっとも、「不規則発言」という言葉は、実際には、議場でのヤジに限らず、法廷や株主総会などの場でも、正規の発言者以外の者が飛ばす議事妨害発言や、不穏当な発言も含めて使われていることは皆さん、ご承知のとおりです。

二重の意味で理不尽な処分の理由

 となると、池田さんの前記の「ひとこと」を「不適切」あるいは「遺憾な」「不規則発言」とみなした校長の報告書をよりどころにして、「指導」処分をした都教委の措置は二重の意味で理不尽なものであったと私は考えます。

 ひとつは、そもそも「不規則発言」なる言葉は通称であり、人を裁く法的根拠とするに足る厳格な定義を欠く用語だからです。
 ちなみに、「高裁判例集」と「下級裁主要判決情報」で「不規則発言」を検索すると、前者では1件、後者では8件がヒットしました。このうち、1件は他人の名誉を傷つける発言という意味で用いられていますが、その他はすべて、上の「ヤジ」に相当する言葉として使われた言葉でした。

 ここからも、「不規則発言」なる言葉は、法律用語として定着したものではないこと、まして、人を裁く根拠となる用語などといったものではないことは明らかです。

 かりに、「他人の名誉を傷つける言葉」というなら、池田さんの前記の「ひとこと」で誰のどういう名誉が傷つけられたのでしょうか? 念のため付け加えますと、現天皇自身も「強制はいけない」と発言していますから、「自分の力で判断し、行動できる力を磨いてほしい」と生徒に呼びかけて、名誉を傷つけられた人には当たらないはずです。

 もうひとつ。かりに、「不規則発言」を問責等の処分の対象にするとしても、池田さんの前記の「ひとこと」は、「不規則」どころか、「規則的な」発言だったのではないでしょうか? なぜなら、池田さんは、来賓として出席し、式次第にそって指名を受けた上で発言されたからです。

 また、その発言内容も、前任校の「自主・自律を重んじる校風の中で、伸びやかに育ってきた生徒たちに、・・・・・・・・・・はなむけの言葉」(池田さんの手記より)として語りかけた言葉でした。
 こうした教育者の心をこめた言葉を捉えて、みせしめ的な調査・指導がフレームアップされたのでは、「物言えば唇寒し」の時代の再来にほかなりません。

物言える自由を持ち続けるために ~裁判に向けた池田さんの志~

 集会の中で、池田さんは、「今回起こったことは、たまたま、ある個人を襲った不運ではない」、「物言えば唇寒しと黙らせてゆく萎縮効果の広がりが恐ろしい」と語り、裁判で争う決意を示されました。

 参加者の中からも、「教員が新聞に匿名で投書をしても身元を割り出す調査がされる」、「学校行事の感想文で日の丸・君が代のことに触れたら、校長から、その部分を削るよう指導された」といった実態が報告され、「こういう現状を放置してはいけない、裁判で争うべきだ」という意見が出ました。

 提訴については、今後、弁護士と相談のうえ、最終判断されるとのことでした。裁判となれば、ご本人の意思が第一とはいえ、周りの物心両面の支援が不可欠です。
 集会では、裁判を想定した支援の体制についても報告がありました。私も微力ですが、池田さんの志を支援したいという気持ちになりました。皆さんもぜひ、支援の輪に加わってくださるよう、お願いいたします。
 以上

  

投稿者 管理者 : 2005年08月05日 00:39

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