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2005年10月31日

横浜市立大、破綻だらけのカリキュラム 無責任集合体としての当局

■横浜市立大学大学院『思惟と聯流』第4号(2005年10月15日付)より

横浜市大、破綻だらけのカリキュラム 無責任集合体としての当局

昨年一〇月から一年間、国際文化研究科院生自治会の活動を総括したい。
 新学年と同時に配布された封筒の中には、履修ガイドが無い。コピー枚数は二千枚に削減、など数々の不当な待遇に加え、『紀要』問題で自治会総体の怒りはピークに。事務との頻繁な交渉が続いた。
 今年度入学の新入生は、コースが以前の四つから二つに統合。多様性を切り捨てたカリキュラムに、さすがに事を覚悟して入学してきた新入生も耐え切れない。例えば半期・二単位の細切れ科目を増やし、土曜や夜に参加させられる過密スケジュール、理不尽な選択肢の強要。加えて指導教官の異動、穴あきの科目に教員を補充しないという笑えない異常事態である。そもそも例年通り年間約五十二万円の学費を払って学ぶ学生に対し、当局は何の関心もない。
 一年間の事務とのやり取りを通し、当局全体が、学生の状況を想像する力や、心や気を配る力、実態を把握して全体を見る知的総合力全般に欠けるということ、事なかれ主義、学生の泣き寝入りを望む無責任集合体であることがわかった。ちなみに、昨年の十一月七日、市長が学祭期間中市大にきた際、一部の院生の展示物である雑誌百冊前後と長机一式が当局に無断撤収、消去させられた。こういうことには異様に迅速な行動力である。亡国寸前の横浜市大、風雲児きどりの政治家の尻拭いの裏に、どのような利権が渦巻いているのか。徐々に学生にも明らかになる。自治会のこれからの課題も山積み。

横浜市立大学、院生にも非常勤招聘枠を 他大学院では制度化も

 いくつかの国公立大学では院生に非常勤講師招聘枠というものが設けられている。院生の要望に基づいて大学が講師を招き、授業を開講するシステムで、院生が何を考え、学びたいと思っているのかを反映させる機会となっている。
 現在、市大では教員の転出が相次ぎ、歴史や文学など大学を支えてきた分野の教員も定年等を迎えようとしている。しかし、大学側は後任人事や欠員補充に無関心だ。実際問題として、開講可能な授業は激減し、魅力的な授業は失われつつある。入学当初学べることになっていた科目も、担当の専任教員とともに消え、研究活動にも深刻な影響を及ぼしている。学部学生は研究の入口で足止めされる気分だろう。このままいけば大学の質的な崩壊はますます進行する。そもそも歴史や文学を学べない大学があるだろうか。
 こうした背景には、大学改革で中期目標として定められた経費削減を教員の人件費削減で計ろうという浅ましい意図があるとの話もある。事実ならば、「学生中心・教育重視」が聞いてあきれる。
 しかし、あきれてばかりいられない。なされるまま崩壊に身を委ねるような意志で研究に臨んでいる院生ではない。研究を深く豊かにする土壌を崩壊する動きがあるならば、私達はそこを耕そう。開かれた研究には開かれた場と関係がある。中味のない改革意識を振り回す現大学経営企画管理者たちは無知蒙昧に右往左往しているが、院生による非常勤講師招聘枠の実施は、院生の要望と意志によって授業が開講されるという画期的で魅力ある提案と言えるだろう。
 公募による公正な人事や後任人事について、今後当然声を挙げ続けていかねばならないが、院生と大学側との共同作業的な非常勤講師招聘枠を作ることは、現状において実現可能で、創造的だ。こうした主体的な提案の実現と積み重ねが、大学の本当の中味を作っていくことにつながるのではないだろうか。

大学改革日誌(永岑三千輝氏)-最新日誌(10月27日)より

10月27日 大学院生が発行する『思惟と聯流』第4号(10月15日付)が掲示板に張り出され、研究室にも配られた。その『主張』には、傾聴し検討すべき論点がたくさん含まれていると思われる。また、非常勤講師招聘に関する院生の発言権の要求にも、切実なものがある。「大学の自治」の見地からすれば、まさに大学自治の当局側の担い手としての学長以下の執行部が真正面から受けて立つ必要があるように思われるが、さてどうだろうか。学費に見合ったサービスをきちんと受けていないという院生の声に関して言えば、学長以下を上から任命している理事会の責任も問題となる。

毎月一回、代議員会は開催されているというが、代議員会はどのようにこうした学生・院生の声をくみ上げるであろうか。

理事長・副理事長などが市長・市当局により任命され、理事長によって学長が任命され、学長選考においてはその選考委員もすべて理事長・副理事長などによって決められるとすれば(選考委員会の発足はどこでどのように決められたのかさえ、われわれ一般教員にはまったく不明、結果だけが新聞報道で知らされる)、このトップダウン体制のもとで、学生や院生の声を吸収するシステムはどうなっているのか。

院生の「自治会総括」によれば、「一年間の事務とのやり取りを通し、当局全体が、学生の状況を想像する力や、心や気を配る力、実態を把握して全体を見る知的総合力全般に欠けるということ、事なかれ主義、学生の泣き寝入りを望む無責任集合体であることがわかった」という。

そして、「昨年の11月7日、市長が学祭期間中、市大にきた際、一部の院生の展示物である雑誌百冊前後と長机一式が当局に無断撤収、消去させられた」という驚くべき事実も書かれている。本当か?一体事実関係はどうなっているのか?学園祭の展示物を当局が無断で撤収するとは?


投稿者 管理者 : 2005年10月31日 00:01

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