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2005年12月07日

京大職場フォーラム2005、セッションA討議報告

京都大学職員組合
 ∟●京大職場フォーラム2005 セッションA討議報告

京大職場フォーラム2005 セッションA討議報告

 参加人員は学外者も含め7人で、少し淋しいセッションでしたが、以下のような有意義なものでした。

 最初に若林委員長から、専門であるマーケティング論になぞらえて大学経営を考えてみればどうなるかという報告がされました。

 現代社会では企業の存在価値は社会に貢献することで評価される。企業は誰のものかといえば、法的には株主であるものの、利害関係者、具体的には従業員・顧客を含む社会全体のものという考えにたつ。それをどう統治(ガバナンス)・チェックするか、21世紀の新しい理論が要求されている。大学も同様であり、教育機関として公共財と考えられる。国家戦略上や各地方社会経済などに直接役立つ存在である一方、教育の成果として教養人、技術者、学問的な専門家を世に送り出すことが要請されている。財界からの出資がすすむ米国では科学技術の資本主義化が問題となっている。大学としては社会から求められているものを、自由に、つまり自律的・自発的・創造的に選択することが説明責任を果たすことにつながる。社会からの批判の対象たり得るのは当然であるが、コントロールされる形であってはならない。組合は大学に対するガバナンスのひとつといえよう。大学の場合、利害関係者はだれか。納税者も視野に入るが、国民がどう評価しているかという点に関し京大としての独自の"尺度"を持って自身のアイデンティティを保っていくことが重要である。この点、法人化にあたり京大としてきちんと議論された節がない。

 以上の報告をもとに議論が進められました。・戦略的な京都大学のあり方をだれがどう決めるか。・大学は異文化の集合体であり、企業流のマネージメントは不適当である。・大学全体の緩やかな方向性はトップが舵取りインフラ整備などにはリーダーシップを発揮すればいいが、「大学は『部局』に存在する」が基本。・部分的には最適化が必要な場があるが、全体の最適化は大学にはなじまない。・自己収入として寄付を受けるには、社会から寄付に値するものとの評価の確立とともに「寄付の文化」も必要。説明責任ということには多様な要素がからみあっている。・その他、事務改革は人減らしのみ、管理職の役割は何か、部局長が組合員の場合の交渉、最近の学生の気質などにも及ぶ多岐な話題が出ました。

 最後に、法人化のメリット・デメリットも議論しましたが、マネージメントの独立化という一般論としては良いが、現状を論ずる段になるとさまざまな論点で、法人化により本当にどこまで何が可能となったのかが厳密には不明の点が多いことに気づき、真の壁がどこかという調査の必要性にも気づかされました。


投稿者 管理者 : 2005年12月07日 00:10

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