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2005年12月22日

横浜市立大、教員組合緊急企画「横浜市大は立ち直れるか?」の報告

大学改革日誌(永岑三千輝氏)
 ∟●最新日誌(12月21日)

12月21日 昨日夕方の教員組合集会に、用事でちょっと遅れたが出席した。非常に有意義な会合だったと思う。委員長挨拶、及び第一報告の前半(?)はきくことができなかったが、その後は終了まで議論を聞くことができた。

第一報告は、現在の教員がどのような精神状況にあるか、教員の置かれた状況にどのように反応しているかが、緊急アンケートなどを紹介しながら、総括しようとするものであった。ほとんどが「改革」の現状を否定的に感じていることが印象的であり、当局が表向きに言っていることとの落差はひどいものだと感じた。

第二報告は英語(トッフル問題)であった。英語担当教員の現状で可能な改善努力も、制度設計そのものの根本的問題から、ほとんど実りのないことが衝撃的なデータ(うわさでは知っていたことだが)で紹介された。小手先の手直しではなく、メジャーな変更、制度の変更が必要だ、英語クラスにおける担当教員の単位認定を、通常のすべての大学と同じように、行う制度とするべきだ、といった総括は、あまりにも当然に思えた[1]。

第三報告は、非常勤講師組合からの報告であり、冬休み直前の現時点になっても、来年度、非常勤講師に委嘱されるのかどうか不明の状態の講師の人々がいるようで、身分と生計が不安で苦しんでいる専業非常勤講師のこと、「非常勤講師を人間扱いしていない」、「使い捨ての態度」など、報告はわれわれでも知らないようなひどい状態があきらかとなった。現在のシステムは、非常勤講師に対して実に破廉恥な対応となっている、と[2]。

委員長挨拶と3報告の後、報告者と会場参加者との総合討論となった。

教員の発言も印象的なものが多かった[3]が、なんといっても今回の討論会で一番印象的で有意義だと思われたのは、学生・院生の参加であり発言であった。英語授業に対する不満(トッフル高得点を目指す意欲的学生の立場、大学案内をそのまま信じて裏切られた、騙されたと感じている学生の見地)が、「ディープインパクト」だった。院生も、日常的な「事務当局の無理解、不感症」を述べたが、文字情報でなく直接の発言のインパクトは大きいものだった。

勇気ある学生・院生諸君に敬意を表したい。怒りや不満を持っている学生・院生は多いであろうが、それを文章化したり発言したりすることには、大変な勇気がいるのではなかろうか?

現在の大学の中で、自主的自立的な組織は数少なく、そのなかで教員組合、非常勤講師組合は数少ないそうした自立的組織である。そうした組織が今後も討論の場を設定し、学生や院生の声も合わせて、真の意味での改革を推進していく必要があるだろう。会場発言からも、そのような期待の発言があった。
いずれ、教員組合ニュースで、会議の模様は報告されるであろう。

[注]
[1] 大学教員の講義課目における単位認定権を否定する現在のシステムが、合法的であるかどうか、これを文部科学省は検討しているのであろうか?

 行政当局任命のカリキュラム編成委員会で「トッフル500点制度」(進級要件としてのトッフル=外部試験、3コマの英語授業は開設しても、そこでは単位認定は行われない、否定されている)

[2] 「全員任期制」などという制度もまた、大学教員任期法(明確な制限条項を規定)に反し、したがってそれを直接適用できずに、その「精神」を活用するものとして(論理的脈絡なく)、労働基準法改正条項を適用するというやり方も、「あり方懇」路線に従う「役人の論理」として、専任教員の精神を冷え込ませている。

教授会の権限(人事権)を剥奪した上での「任期制」は、恐るべき結果をもたらすことになる。それは、専任教員の身分を不安定化(その不断の脅かし)することを通じて、専任教員のいろいろな意味での従属性を強めることになる。それが、さまざまの教授会決議・抗議声明に反して、今回の公立大学法人の「就業規則」にも盛り込まれている。いかに、市長諮問委員会「あり方懇」の路線が現在の大学を縛っていることか。

 こうした専任教員の置かれた状況(ある種、追い込まれた状況、無権限化の状況)からして、非常勤講師の現状に対する認識と連帯感が、普通の教員サイドにも希薄になっていたのではないか、その点を鋭く指摘されたような感じを持った。

[3] 大学教員の研究と教育のための時間の使い方にまったく無理解な事務当局の姿勢、普通の事務職のような勤務時間でないことへの無理解が、今でも繰り返されているようである。

 大学教員が、講義担当において、演習指導や論文指導において、さらに、論文や著書の発表、学界(学会や研究会)活動、地域貢献の活動などにおいて、自らの名前・自らの責任で、どのように時間を使っているか、そうしたことにまったく無理解な発言が、教員組合との折衝などで繰り返されているようである。

大学とはなにか、大学教員とは何かについて、しっかりした認識を持っている経営者と事務職でなければ、いたずらに教員の精神を逆なでするだけであろう。そうした基本的訓練さえも行われない人間が、大学の外から送り込まれてくるのが現状のようである。

 大学教員は、匿名・無名の陰に隠れて行動しているのではないことが、意図的に隠蔽され、「理解されない」。


投稿者 管理者 : 2005年12月22日 00:01

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