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2006年03月29日

富士大学解雇事件、勝利和解報告の集いを開催

■富士見ネット通信より

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勝利和解報告の集いを開催しました(1)概要
(3月25日、2時~4時半、盛岡内丸・県公会堂)
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富士見ネットの最後の集いとしまして、勝利和解報告の集いを、30人のご参加をいただいて、開催しました。用意した特別室が満員で、席が足らず、外におられた方もいらっしゃたそうです。埼玉県・青森県・宮城県をはじめ、県内では、盛岡・花巻・北上などからの参加者がおられました。ありがとうございました。

勝利和解報告の集いの次第
(1)開会のことば(国民救援会岩手県本部)と鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会からのお祝い電報の紹介
(2)経過報告 原告・川島茂裕
(3)弁護団報告「解雇を防ぐ「法と制度」」(菅原一郎弁護士)(あとでご紹介します)
(4)支援団体・個人からのメッセージ
・ゼミ卒業生(後でご紹介します)・岩手私教連・いわて労連・日本国民救援会岩手県本部・川島茂裕さんを支援し、大学教員の身分保障を考える会・日本科学者会議岩手支部
(5)会場からの発言
(6)主催:富士大学教育裁判を見つめる市民ネットワーク
共催:岩手私教連・いわて労連・日本国民救援会岩手県本部・川島茂裕さんを支援し、大学教員の身分保障を考える会・日本科学者会議岩手支部

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勝利和解報告の集いを開催しました(2)
弁護団報告「解雇を防ぐ「法と制度」」(菅原一郎弁護士)
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弁護団長をおつとめくださいました、菅原一郎弁護士から、ご報告をいただきました。その要旨をご紹介します。今後、あってはならない解雇事件の防止・救済のための貴重な報告でした。ぜひ、「六法全書」掲載の各法の条文とご対照ください。
菅原先生は、いまはほとんど死語となってしまいました「労弁」とお呼びするにふさわしい、労働者側に一貫して立って、弁護を引き受けてこられた弁護士さんです。川島との書面作りの相談のいっとき、「経営者からの依頼は、引き受けない」とおっしゃり、川島が、「そんなことをいわず儲けてくださいよ」と思わず申し上げてしまいました。

第1 はじめに
第2 解雇の規制
 1 法令による規制
  (1)労基法 3・19・18の2・20・104条
  (2)労組法 7条
  (3)雇用均等法 8条
  (4)育児休業法 10・16条
 2 就業規則による規制
  (1)解雇手続の定め 例、賞罰委員会の設置
  (2)解雇理由の定め
 3 労働協約による規制
  (1)解雇手続の定め 協議条項・同意条項
  (2)解雇理由の限定
 4 判例による規制
  (1)解雇権濫用論 民法1条3 労基法18条の2
第3 解雇を防ぐ制度
 1 自主交渉 団結力を背景とする団交・交渉
 2 第三者機関の利用
  (1)厚生労働省(労基署)
  (2)労働委員会
  (3)裁判所 調停・仮処分・本訴
  (4)労働審判制度の発足(本年4月より)
   http://www.courts.go.jp/saiban/wadai/1803_02_roudousinpan.html
   をご参照ください。

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勝利和解報告の集いを開催しました(3)
卒業生からのメッセージ
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当日、参加くださり、寄せられたメッセージのうち、特に参加者からの共感を呼んだ、卒業生からのメッセージの全文をご紹介します。
ご紹介にあたっては、本人からの了承をいただき、氏名が特定できてしまう部分は、伏字としました。

 皆さん、こんにちは。私は川島先生の教え子で平成○年度の富士大学卒業生の○○と申します。どうぞよろしくお願い致します。
 まずは、この度、富士大学教育裁判が「勝利和解」となりましたことを嬉しく思っております。長い裁判を戦い抜かれた川島先生!大変お疲れ様でした。そして裁判を勝利に導いてくださった弁護士先生方も大変お疲れ様でした。
 在学中、私は川島先生のゼミに所属しておりました、川島先生という素晴らしい指導者と、研究意欲あふれる良きゼミ生と出会うことができ、大変充実したゼミ生活、大学生活だったと思います。
 川島先生が理不尽な配置転換、そして不当解雇されたのは、私が卒業した後のことですが、それを聞いた時は大変ショックを受けました。言葉に出来ないほどの「悔しさ」、「怒り」、そういうのがこみ上げてきたのを覚えております。そもそも誰よりも教育熱心だった先生がなぜ、その教育方針を理由に解雇されなければならないのか?・・・疑問だらけでした。後で、川島先生にお会いして具体的な人権侵害などの真実を聞かされた時、「少なくともこんなことは教育機関のすることではない!」、・・・そう思うとともに、大学側に不信感が募りました。
 振り返ると、私が先生にお世話になり始めたのは、大学2年の時からです。1年生の時、教養ゼミで○○の調査をしていた私は、2年生になったら今度はその研究を経済学的な観点で掘り下げてみたい!・・・と思うようになりました。その頃から岩手県の「地域史」や「経済史」を専門としていた川島先生のゼミに入りたい!と思うようになり、当時教養ゼミの担当教官だった○○先生にも「あぁ!川島先生はすごく誠実な先生だよ。君の研究環境に合ってるんじゃないか?」というアドバイスを頂いておりました。
 また、川島先生のゼミは大変真面目で研究熱心な先輩方がおられるということも開いておりました。他のゼミですと「あのゼミは楽だぞ!」というような目先の楽だけで選んでいた学生も多かったようですが、その点、川島先生のゼミは、「大変だが本格的な研究が出来る環境だ」と理解しておりました。
 先生は、他のどの先生よりも増して、学生に対して非常に熱心に指導して下さいました。ですからゼミ生をはじめ、多くの学生から慕われておりました。
 普段から先生の研究室には、私達ゼミ生をはじめ、教員志望の学生、歴史の好きな学生が毎日のように訪問しておりました。ある時、研究室で「史料から日本史を読む」というミニ勉強会を開いたときがありました。その時、幕末の貿易や明治期の資本主義発達期についても学んだのですが、先生は詳しい貿易の実態を解説して下さいました。先生は、日本経済史の分野においてもかなり深い見識をお持ちだと思いました。
 私が4年間在学して思った富士大学の印象ですが、それは、「今の富士大は地域との関係が希薄だ」ということです。特に研究成果を地域に還元するような活動がほとんど見られず、またそういったことを実践できる研究者も少なかったと思います。川島先生は大学の中ではそういったことを実践できる数少ない研究者のひとりでした。先生が奥州藤原氏を研究テーマとしていたのも、「地方に根付く大学として、これからは、地域に密着した研究成果も果たさないと、地方の大学は生き残れない」・・という危機感から行っているものだと思います。
 私は卒業して、今は教育とは関わりの無い仕事に就いておりますが、4年間の大学生活と今回の裁判を通して私なりに考えたことがあります。私ごときが大学教育のあり方について申し上げるのは、大変おこがましいのですが、これからの大学教育では、「研究」とともに「教育」にもカを注ぐ研究者が必要だと思います。このことは一見当たり前のようで、実は実践されてこなかったように思います。今までの大学教員の評価はどちらかというと「自らの研究成果」のみに重点が置かれてきたと思います。学生への教育はそれほど重視されず、またそうしなくても学生の方から目的意織を持って付いて来てくれる時代が続いてきました。しかし、今は時代が変わりました。少子化で大学全入の時代を迎え、募集定員を割る大学が増えております。このためどこの大学も学生の確保に躍起ですが、一方では、「学生の質の低下」が叫ばれており、教員も講義内容や指導方法に創意工夫を凝らさないと学生がついて来なくなる時代が訪れたと思います。
 こうした背景を考えると、川島先生の姿勢は時代の流れに適っているはずです。
 川島先生は、この10年間で平泉研究の成果を着々と上げられ、また、学生の指導にも大変熱心でいらっしゃいました。現にその成果として、川島ゼミから特待生や大学院合格者を輩出し、卒業論文が認められ表彰される人もおりました。まさに「研究」と「教育」は大学教育にとって「車の両輪」のようなものであり、川島先生はまさにそれを地で行くような存在だったと思います。これからの大学教員のあるべき姿を早くから実践していたのです。
 にもかかわらず、川島先生をあのような形で大学教育の場から追い出してしまった富士大学の姿勢は、極めて閉鎖的な考え方だと言えます。時代の流れに応えた研究・教育、そして「学問の自由」を真っ向から否定したと言うことは、少子化時代を迎えた大学の生き残りを賭けた模索の道を自ら閉ざしてしまったことを意味するのではないでしょうか?
 今も揺らぐことの無い信念を持ちつづけ、裁判を闘ってきた川島先生の姿は、私が在学中もそして卒業した今でも様々な事を教えてくれます。
 おそらく、先生にとって一番辛かったであろうことは、受け持っていたゼミ生を配置転換により指導できなくなったことだったと思います。先生にとって、学ぶ意欲のある学生に指導できないことは、地位を失うことよりもどんなにか辛かったことでしょう。
 先生はこれからの「岩手の歴史教育」には無くてはならない存在だと思います。
 この広大な岩手の歴史には、まだまだ解明されていない部分も多く、また、21世紀にふさわしい新しい歴史観で岩手の歴史を捉え直す作業も必要になってきていることでしょう。先生には、その担い手として頑張って欲しいと思います。
 まさに「岩手の歴史研究に川島ありき・・」と言われる日が来ることを強く念願しております。
 また、裁判中、川島先生を応援しながら、一方では、卒業生として、母校でそのような人権侵害が起こったことは悲しく思っておりました。同様の事件が二度と起きないように、先生方には、「研究・教育環境の改善」ということでも、活動を続けていって欲しいと思います。
 最後になりましたが、これまで先生を支えてくださいました多くの皆様方に感謝を申し上げますと共に、今後とも応援して頂きますことをお願いいたしまして私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

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富士大学教育裁判を見つめる市民ネットワーク
(略称 富士見ネット)
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投稿者 管理者 : 2006年03月29日 00:01

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