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2006年06月29日

新潟大学学長選考会議選考無効確認等請求事件、第4回口頭弁論記録

■「意見広告の会」ニュース350より

学長選考会議選考無効確認等請求事件・第4回口頭弁論記録

2006年6月26日 山下威士

1 新潟地方裁判所 民事部 訴訟番号 平成18年(ワ)第32号・無効確認訴訟
2 第3回口頭弁論 2006年6月26日(月) 11時―11時07分、第1法廷開廷
3 担当  外山勝浩・裁判官(単独)
4 原告  6名出席

5 原告側訴訟代理人 川村正敏・弁護士
  鯰越溢弘・弁護士(新潟大学大学院実務法学研究科教授)

6 被告 新潟大学
7 被告側訴訟代理人 桜井英喜・弁護士
           小田将之・弁護士(新潟青山法律事務所)
8 傍聴人  第1号法廷 55人収容 40名前後
9 公判状況

(1) 定刻開始直後に、今回より、新たに訴訟代理人として加わった鯰越弁護士から、被告側提出の第2準備書面の不備を厳しく指摘する原告側の第4準備書面を提出したこと、および、大学の自治における教員の地位について、教育法学の権威である成嶋隆・新潟大学大学院字t無法学研究科教授の意見書を提出したことの説明がありました。

(2) その弁論の中心は、被告側の第2準備書面が、ただただ「原告は、従業員であるが故に、原告適格がない」という議論に終始していることが、いかに的外れの議論であるかを証明するところにありました。添付した原告側の第4準備書面に詳しく論じられているように、私ども原告が、国立大学時代であれ、現在の国立大学法人時代であれ、あるいは、たとえ私立大学の教員であったとしても、それらが、すべて「従業員」であることは、自明の理です。したがって、従来の大学の自治は、そのような従業員性を認めたうえで、成嶋教授のことばを使えば、「従業員性があるからこそ」、大学の自治として、その運営に、教員が(さらには、学生、職員とともに)参画することを中心に構成されてきました。とりわけ、そこでは、人事の自治性が中心で、確立されてきました。このことをまったく理解しない、今回の被告側の第2準備書面は、大学という集団の特殊性をまったく理解しないものとして、従来の最高裁判所判例、学説にまったく反するものであり、検討にも値しないレベルのものです。

(3) そのような議論をへて、鯰越弁護士より、このような準備書面を提出するようでは、相手側の態度は訴訟遅延を狙っているとしか思えないので、裁判所としては、できるだけ速やかに本案の審理に入っていただきたいと申し上げました。

(4) これに対して、裁判官より、次回から、本審理を、単独から合議体制に移したいという発言がありました。

(5) 次回口頭弁論の日程は、裁判所から、近い内に提示されます。閉廷。

10 次回公判 日時不明(近日中に、裁判所より通知され、分かり次第、みなさんにお知らせします。)、内容は、裁判の更新手続きになります。
   
11 感想
(1) 今回も、多くの教員や学生、社会人が、傍聴に参加してくださり、まことに心強いことでした。
(2) 今回の第4準備書面(添付します)も、6月21日に行われた検討会、その他の多くの方々、とくに成嶋 隆・教授の英智をお借りして作成しました。この書面が対象にした被告側の第2準備書面は、その過半を制度の説明にあて、私どもの原告適格を否定するのは、ただ、「従業員である」という一点に求めたものでした。これは、大学に生きる者として、考えもつかないような、粗雑な議論です。今回ここに添付しておきました私どもの第4準備書面の最後に、法律論を離れて書いておきましたが、このような「従業員」論とも言うべき、貧しい議論を、相手側の学長以下の大学関係者が、目にされたのか、了承された上で、提出されたのか、本当に疑うようなものでした。
 また、いかに訴訟戦術上、自己の不利なことには触れないのが当然といいながらも、私どもが、この訴訟において当初から問題としている論点、例えば、今回の学長選考会議における「第二次意向投票の参考」の扱い方、あるいは、鈴木教授の辞退をめぐっての、その学長選考会議の構成の違法性も問題などには、まったく触れないという、まことにお粗末なものでした。
 このような準備書面に直面して、これに対する私どもの回答書に、また1ケ月の時間を費やすことは無駄ですので、今回、6月19日に提出されたこの被告側の第2準備書面に、ただちに反駁の私どもの第4準備書面を、川村先生、鯰越先生の御尽力で、6月23日には、裁判所に提出していただきました。このような事情を背景に、これ以上、形式審理(いわゆる「入り口」論)に時間を費やすのは、訴訟遅延行為であるとして、すみやかに本案の審理に入るように、口頭説明でも、鯰越先生が主張されました。
(3) 裁判所において、本件を「単独審理から合議による審理に移される」ということは、私どもにとっては、大きな前進です。もちろん、諸般の事情から、単独裁判官が判断されずに、合議の審理において却下(いわゆる「門前払い」)の判断をされるということは、可能性としてはありえます。しかし、通常の判断からすれば、「合議の審理に移行する」ということは、「もう、そろそろ『入り口』論から、内容の審理に入りますよ」という、裁判所の合図であろうと思われます。私どもも、そう考えて、これから、証拠調べの準備、とくに証人尋問の準備に入りたいと思っております。もし、私どもの予想する通りであれば、いよいよこれからが、本当の勝負です。これからも、宜しく。

以上


同 第4準備書面

平成18年(ワ)第32号
原  告  山 下 威 士 外6名
被  告  国立大学法人 新潟大学

新潟地方裁判所第2民事部2係御中

第 4 準 備 書 面

平成18年6月23日

原告訴訟代理人 川 村 正 敏

第1 学問の自由と大学の自治―大学の特殊性―について

 本件の争点は、学長候補者選考会議の学長選考が適法かつ適切に行われたか、否かについての確認を求めるものである。
 然るに、被告は、その点に関しては一切触れずに原告適格を問題とし、審理を空転させている。原告に原告適格がないとする被告の主張は、基本的には、「原告である教員たちは、大学の『従業員』であるが故に、原告適格なし」という主張に依拠している。
 このような主張は、大学という組織の特殊性を、まったく無視したものであり、国立大学法人法の趣旨とも全く異なるものであって、仮に国立大学法人法が被告の主張通りであれば、国立大学法人法が憲法に違反し、無効であることになる。
 被告の特異な見解について、以下、反論する。

(1)大学の特殊性について
 大学の存立目的は、自由で、創造性溢れた教育と研究の場であるということであり、そのために、大学の自治の保障、民主性の保持、説明責任の義務が、その運営の基礎におかれてきた(2006年3月10日提出の原告側の陳述書)。
 このことは、国立・私立を問わず、また、そこにおける教員が、公務員であろうと独立行政法人という団体職員であろうと民間従業員であろうと一切関わらず、いずこにあっても変わらない不変の大原則である。すなわち、2004年4月の新潟大学の国立大学から国立大学法人への転化にもかかわらず、まったく変更することのない大原則である。もし、この目的が失われれば、大学としての存在意義もないというほどの大原則である。
 この点で、被告側の第2準備書面が、公務員であれ、団体職員であれ、民間従業員であれ、当たり前というべき「従業員」性(就業規則にもとづいて、原告たちが、新潟大学の「従業員」であることは、自明のことである。)を、ことさらに強調して、その他のすべての論点を無視し、あるいは、見放して(ことばを換えれば、圧殺して)原告らには原告適格がないと主張するのは、大学の特性をまったく理解しないものである。

(2) 大学の自治について
 大学の自治は、既に「京大事件」「天皇機関説事件」等を通じて、戦前から強調され、戦後は、それらの先学の貴重な歴史的経験をふまえて、憲法上、23条(および、26条)において、明確に規定されている。この「学問の自由」は、ドイツでは「大学の自由」そのものを意味すらした。その主要な内容は、大学を、「学問研究と教育の任務にあたる教師と、みずから学問研究をし、かつ学問研究の先輩である教師の指導(教育)を受ける学生と、大学において学問研究と教育が行われる条件整備を責務とする職員との三者によって構成されるものであり、大学の自治は、その三者の連帯によって維持されていかなければならない」(永井憲一「大学の自治」『演習憲法』青林書院281頁、根森健『条解・日本国憲法』三省堂199頁)自治的組織として把握するところにある。
 その根幹が、具体的には、(1)学長・教授その他の研究者の人事の自治、(2)大学の施設管理の自治、(3)学生の管理の自治にあることは、現在では、学説・判例ともに、まったくの異論のないところである。とりわけ、(1)については、判例ですらも、「大学の自治は、とくに大学の教授その他の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断にもとづいて選任される。また、大学の施設と学生の管理についてもある程度で認められ、これについてある程度で大学に自主的な秩序維持の権能が認められる」(最大判昭和38年5月22日刑集17-4-370、いわゆる「ポポロ事件上告審」)(参照、種谷春洋「学問の自由」『大学双書 憲法II人権(1)』有斐閣)と認めている。
 このことは、一見、国立大学の経営性を強調したかに見える国立大学法人法(甲第1号証)においてすら自覚されているところであり、そのことは、衆議院および参議院の文教科学委員会における同法への付帯決議(甲第13号、14号証として提出済)において、「憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ」と明確に表現されている。この点で、被告側の第2準備書面は、これまで確立されてきた大学の自治の法原則を踏みにじるものであり、さらには、このように明確に表現された国立大学法人法の立法者の制定趣旨を無視するものである。
 更に、教授会の議を経ない学長選任の効力について判断を示した、京都地裁昭和48年9月21日決定(判例タイムズ301号235頁)は、大学学長の選任に関する直接の規定が存在しない事例であったにもかかわらず、学校教育法59条などの教育関係法令を総合的に勘案した上で「大学が学問研究と教育の府であり、教授は学問の研究、学生の教育と研究の指導にあたるもので、学長はそのような大学の校務を掌り、教授ら大学職員を統括する重要な地位にあることにかんがみると、・・・学長を選任するについては、まずその候補者が学長たるの適格を有するかどうか等について、教授らをもって構成する教授会に十分審議させ、その自主的な判断の結果をできるだけ尊重すべきものであって、・・・教授会の審議を経、その結果を尊重することが、学問の自由、大学の自治にもかなう極めて重要な事柄であることを考慮すると、右に違反する選任決議は無効である。」と判示している。更に、本件との関係で重要な点は、前記訴訟において、「教授会構成員」すなわち教授が大学の自治の担い手であるということだけで、原告としての当事者適格は当然に認められるとしていることである。
 被告に主張は、学問の自由・大学の自治に関する判例・学説を無視した暴論であって、理由がなく、単に訴訟遅延のみを目的とした主張であると強く非難せざるをえない。

第2 理事長と学長との区別、原告の第二次意向投票権の権利性の再確認

 本件において問題とされているのは、経営の長である「理事長の選任」ではなく、教学の長である「学長の選任」である。経営の観点が強調される私立大学においてすらも、教学の長である学長の選任が、教員の意向によることは、現在では必須の前提である。少なくとも、新潟大学程度の規模をもつ総合大学を念頭におく限り、学長の選任に教員の意向が反映されない学長選考の方法をとるところは、私立大学いえどもほとんどない。というよりも、学長選考については、大学の歴史から確立してきた原則として、実質的に、教員による選出以外の学長選考の方法を知らないというべきであろう。
 そのような歴史と大学の特殊性を理解するからこそ、新潟大学の学長選考においても、教員の「第二次意向投票の結果」が、学長選考におけるもっとも重要な要素として規定されたのである(学長選考規則14条)。このことからも、既に原告の主張するように、「第二次意向投票の結果」のもつ法規的拘束性が導きだされるのである(既にこのことは、説明した。参照、第3準備書面3頁(2))。

第3 「第二次意向投票の結果を参考にする」との規定の意義
 
 今回の被告側の第2準備書面においては、原告が確認を求めている点、すなわち、今回の学長選考が「第二次意向投票の結果を参考にして」(学長選考規則14条)という規定に違反するという論点について、原告側の立論を引用した13頁以外に、まったく触れるところがない。自己に不利な点には触れないのが訴訟戦術的とはいえ、あまりに主張としての体をなしていない。原告が、かねがね主張するように「参考」という文言をいかように理解するにせよ、学長候補者選考会議において「第二次意向投票の結果」を「参考」にすることは、そして、それのみを「参考」にすることが、同会議のみずから定めた法的義務である。もし、仮に、同会議が、「第二次意向投票の結果」をまったく「参考」にしていなければ、法規定に違反することになる。既に原告の第1準備書面4頁(3)、第3準備書面3頁、6において述べたように、原告の「第二次意向投票権者」たちには、自己の投じた「第二次意向投票」が、適法な学長候補者選考会議において、適切に「参考」にされるように求める権利がある。
 とすれば、本件の学長選考過程において、学外委員をも含めて学長候補者選考会議が、適法に構成されたのか、その議事が適切に遂行されたのか、「第二次意向投票の結果」が、質的・量的観点において、どのように「参考」にされたのかを明らかにすることは、本件についての核心的な論点である。まさに、その点について原告たちは、重大な疑義を、すなわち、「参考」のされ方について重大な問題性を主張し、また、選考会議の委員の構成について、鈴木佳秀教授の辞退をめぐっての重大な手続き的欠陥を主張しているのである(訴状8頁②)。もはや、このような被告側の準備書面で、ことを済ませようとする限り、裁判所としては、一刻も早く本案の審理に入り、上記の論点を明らかにする訴訟指揮をしていただきたい。

第4 被告の第2準備書面に対する反論

(1)鈴木教授の行動および処遇について問題性(8頁 オ)
 第二次意向投票に際して、「鈴木ら3名の氏名、略歴・主要業績、所信を公示した」とあるが、鈴木佳秀氏は、同投票からの辞退の意思を表明したものであり、その扱いについての被告論述は、曲解か少なくとも誤解を招く書き方である。この点ひとつとりあげても、本案審理において、鈴木教授の行動、および、大学側の扱いについて明らかにすることが緊急に必要である。

(2)学長候補者選考会議の構成、および、審議過程の問題性(9頁 カ)
「長谷川彰を次期学長候補者として選考の上決定した」とあるが、どのような選考過程をへたのか、これでは不明である。とくに、原告は、その選考会議の構成に疑義を呈し、その会議の選考過程に重大な疑義を呈しているのであり、これでは、まったく答えになっていない。そしてこの点は、同会議の議事録を通じて明らかにすることが、本件の問題解決にとって不可欠である。被告は早急に議事録を提出すべきである。

(3)選考経過の説明責任の不十分さ(上掲)
「本件選考終了後記者会見において、また被告は同議長の了解をえたうえで、・・・総務部長名で文書を配布、・・・それぞれ公表し説明した」とするが、既に原告の述べるように、同記者会見においては、同議長は、「混乱を避けるために一切説明しない」という「説明」を行っただけであり(甲第7号1証、および、読売新聞・平成17年12月7日、33面、朝日新聞・平成17年12月7日、31面)、また、上記総務部長名の文書には、「同議長の了解」などは、まったく表現されていない(甲第8号証)。原告のように今回の学長選考の経過について注目している者にとっても、「同議長の了解をえた」ということは、はじめて耳にしたことである。とすれば、この点について、同議長を招いて事態を明らかにすることが、緊急に必要である。

(4)引用判決の解釈の誤り
  原告たちに「第二次意向投票権」者として原告適格のあることは、既に第1準備書面、第3準備書面で繰り返し述べたところである。この点について、被告の今回の第2準備書面が、原告の「従業員」性を述べるだけで、原告適格を否定することの不当性は既に述べた。
 さらに、今回、14頁において、いわゆる「真宗大谷派の宗議会決議無効確認請求事件(最一判昭和62年3月12日金融・商事判例769号41頁)を引用して「人的構成要素である」ということが、訴えの利益を認めることにはならないと述べる。しかし、本件原告たちは、「人的構成要素」であることはもちろん、それに止まらず、「第二次意向投票権」者であり、さらに「参考」請求権者である。そのことからする限り、本判決の適用されるところではなく、逆に、本判決によっても、原告適格の承認されるべき事例となろう。とすれば、第2準備書面10頁 イ に述べる「収拾がつかなくなる」などの論は、まったく無用のものである。

(5)無効確認で、終局的解決にいたりうる
 第2準備書面15頁において、原告の請求する学長候補者選考会議の決議の無効確認では、「事案の終局的な解決にならない」とする点は基本的に誤りである。すなわち、同準備書面16頁は、無効確認の決定では、新たな学長選考が開始されることはないとして、学長(候補者)選考の行われうる場合を4つの場合に限定する。
 しかし、そのような4つの事例を挙げる以前に、そもそも法解釈の常識として、選考規定違反で実施された学長(候補者)選考によって、適法な学長(候補者)が選出されることはありえない。したがって、今回の学長(候補者)選考が、原告の主張するように規定違反の事例となれば、そもそも適法な学長(候補者)は、不存在とならざるをえない。したがって、新たな学長(候補者)選考が開始されるべきことは、当然の事理である。
 第二に、既に第1準備書面4頁(4)において、原告が主張したように、選考会議の決定が無効と確認されれば、それを前提にして構成された「大学の申出」も無効となり、文部科学大臣の任命の前提が存在しなくなる。したがって、ここでは、被告側の第2準備書面の述べる第3の可能性の「学長の欠員」が生じる。さらに、第三の可能性として、大学の学長は、国立大学法人法17条により、「人格高潔で、識見に富む者」である。とすれば、裁判所という公正な第三者による、選出行為の無効という判断が出された場合、当然、「人格識見に富む」学長ならば、みずから進退を判断でき、被告側の第2準備書面のいう「学長の辞任」という第2の可能性も生じる。これは、かねて原告の主張する大学の自浄能力の発現される場面である。具体的に、大学教員として長谷川学長を念頭においた場合にも、この自浄能力の発揮は、十分に期待できるし、裁判所によって原告勝訴の判決が下されたにもかかわらず、学長が、居座り続けるということになれば、解任手続を発動する根拠となる。付言するならば、被告も学長候補者選考決議の無効が確認されれば、それが当事者間で効力を持つことは認めているのであるから、学長が法的効果に即した行動をとることは、当然の前提にしているものと思われる。
 以上のいずれの可能性から考えても、原告の求める学長候補者選考会議の決議の無効確認で、本件においては、十分、終局的な解決にいたりうる。

第5 結論

 被告の第2準備書面は、今回の学長候補者選考に関して、「学長」と「理事長」との区別すら無視し、さらには、ただただ「原告たち教員が、従業員である」という側面からのみ即断するものであり、憲法上保障された大学の特殊性や歴史的経験をまったく無視している。しかも、加えて、本件におけるもっとも重大な論点である「第二次意向投票の結果を参考にする」という論点にまったく触れず、さらには、今回の学長候補者選考会議の不法な構成の論点(訴状8頁②)についてもまったく触れていない点からして、不当な引き延しを図ったといわざるをえない。
 このような準備書面が提出される限り、訴訟が遅延することは明らかである。よって、裁判所におかれては、すみやかに、適切に論点を明らかにするために、少なくとも、第二次意向投票における学長候補者辞退者で本来の学長候補者選考会議構成員の鈴木佳秀教授、学長選考の事務手続きを担当し、とくに鈴木教授の辞退を処理した菅原秀章・事務総括担当理事、選考の責任者であり、記者会見において「説明をしない」という「説明」をされた小林俊一・学長候補者選考会議議長等を、本法廷に召問して事態を明らかにすることが必要であると考える。

第6 付論

 被告第2準備書面は、被告側の大学関係者ですら認め難い主張に依拠した議論である。冒頭述べたように、この第2準備書面は、要するに、「原告たる教員たちは、大学の『従業員』にすぎないが故に、大学の構成や運営に関与しうる立場にない」という点に尽きる。原告らとしてはこれを、到底、看過できない。けだし、この第2準備書面で表明された見解が被告大学法人および長谷川学長の公式見解であるならば、あまりにも従来の新潟大学の慣行及び長谷川学長の考えと相違するからである。この書面が公開されれば、日本中の大学関係者は、驚愕するであろう。なぜなら、ここで述べられている大学教員「従業員」論は、従業員という当然の規定を、まったく異なるデメンジョンにまで押し及ぼすことにより、わが国の大学関係者の従来の常識、慣行、慣例を全面否定するからである。少なくとも、2002年1月までの長谷川学長の見解とも、真っ向から対立する。そのことは、昨年12月17日の評議会の席上において、原告のひとりが、直接に公式の場所において質問したことである。そこでは、長谷川学長は、大学が、教員、学生、職員からなる三者共同体であり、自治を根幹にすえる組織であるという信念については、従来と「まったく変わらない」という内容であった。ところが、この第2準備書面は、単純「従業員」論ですべてを押し切り、すべてを圧殺している。大学の特殊性をまったく理解しないこのような文書を、長谷川学長をはじめとするわが大学関係者が承認されたとは信じがたいし、もし、長谷川学長が承認されたとすれば、新たに同学長の責任問題が発生することになる。

以上


投稿者 管理者 : 2006年06月29日 00:02

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