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2006年06月27日

北陸大学、「雇用関係終了」は説明責任を果たしていない不当な整理解雇

北陸大学教職員組合
 ∟●ニュース235号(2006.6.26発行)

「雇用関係終了」は整理解雇そのもの
第1回団交で、法人理事会は明確に回答せず

 今年度第1回団体交渉は6月14日に行われました。解雇問題では、教職員組合の「質問書」に対し、法人理事会は文書回答ではなく労務担当理事が口頭で回答しました。弁明からは、背後には顧問弁護士との相談が窺えました。このこと自体、理事会の姿勢を示すものとして注目されます。

 先ず「質問書」の第1項、教育能力開発センターの役割を活性化するという学長指針と「雇用関係終了」の矛盾について、に対する回答は、センター所属教員の活性化云々は、未来創造学部の授業を担当しているセンター所属教員の資質を生かすことができればと願って学長が申し上げた、ということでした。それに対し、組合側は、現在担当がなくても将来担当はあり得るが、担当科目がなくなるので雇用関係が終了するというのは確定なのか、と質しました。理事会側から、「イコール解雇」という話が学長の文書の中から出てくるのか、と逆に質問がありました。それこそが組合が聞きたかったところです。

 そこで質疑は、「雇用関係終了」は解雇を意味するのか、という「質問書」の第3項に跳びました。労務担当理事は、そういうことが あり得る と留保を付けたものの、「雇用関係終了」は、「現段階では解雇」を意味するものであり、「質問書」第4項との関連で、就業規則第21条第7項及び第9項が適用される、と回答しました。当該条項は「規模の縮小等の事由」による解雇を規定していますので、これは整理解雇にあたります。

 組合側は留保部分について、解雇を回避するためにどういう努力が必要なのか、また、法人理事会はどういう努力をしたか、と質問しました。理事会側の回答は、未来創造学部の授業担当のお力をお持ちであるということを学長以下未来創造学部が認めれば、尊重しなければならない、但し、尊重は、そうするということではない、と焦点を何重にもぼかすものでした。しかも、この回答はそもそもの「新学部で担当科目がない」という雇用関係終了の理由からもズレています。そこで問題になるのは、「質問書」第2項の組合員差別問題であり、雇用者の回避努力ですが、その点に関しては、労務担当理事は、大学の長がお決めになったことだから学長本人に言ってもらう、と次回以降の交渉に回答を持ち越しました。

 今回の団交では、質問が核心に迫ると、理事会側は字義的説明をしたり、「質問書」提出以後2ヶ月以上にもなるのに、具体的なことは学長から伺っていないと弁明したりするなど、文書回答回避(本当は忌避?拒否?)も含めて、自らの意図をきちんと説明しようとしない無責任な回答に終始したと言えます。次回以降も理事会が誠実に説明責任を果たす保証はなく、従って、教職員組合は「雇用関係終了」は整理解雇と受けとらざるを得ません。

 整理解雇に至る経緯は本質的に経営の問題です。「雇用関係終了」を言い渡された教員は全員長年北陸大学の教育・研究に貢献してきました。理事会は自分たちの経営から生じた各人の「心の痛み」に道義的責任を感じていないのでしょうか。教職員組合は、世間の常識から言えば、理事会の責任が問われる事態なのだということを改めて指摘したいと思います。

 教職員組合は今後の誠実な対応を期待しつつ、第1回団交の翌日即座に第2回団交を申し入れました。改めて文書による回答と学長の出席を要求するとともに、説明責任を果たしていない不当な整理解雇の完全撤回を求めて行きます。

学部閉鎖の妥当性、新学部創設の正当性が問われる

 思い起こせば、当組合は1995年の結成以来、学内民主化を実現するために、学長・学部長の「公選制」運動を全面的に支援しました。幸いにも全学的支持を得て、1998年にその「公選」が実現し、2002年には2回目の学長選挙がありました。しかし、現学長の選挙の支持率は、2回目も初回同様、対立候補に大きく後れを取りました。その選挙直後に、学長を中心に関係者以外には正体不明の「ブレインストーミング」が開始されました。教職員組合はこのときから今回の不当な整理解雇問題につながった排他的学部改編構想が出てきたと考えています(『組合ニュース』194号)。

 一方、理事会は、その年の1月に学部に教育改革を指示しておきながら、外国語学部に関しては教育改革実施の結果(厳密には途中経過)を検証することもなく、法学部に関しては学部改革案を棚上げしたあげく、学長選挙後の12月、学部の意見をまったく聴くことなく、外・法両学部の学生募集停止を決定しました(『組合ニュース』203号)。翌年、申請していた法科大学院は不認可となりました。論理的に見れば、法学部教育に失敗しながら大学院を申請したということになり、世間的には不可解の謗りを免れなかったでしょう。先の学部閉鎖同様、大学のイメージが大きく損なわれたことは否定できないでしょう。新学部が成功しなければ、明らかに経営的な判断ミスと言われても仕方のない事態です。

 新学部については、カリキュラムは秘密裏に作成され(『組合ニュース』197号)、また、配属教員は抽象的かつ不明朗(『組合ニュース』199号)な基準で決定されました。加えて学長は、「雇用関係終了」を理由とされた新学部に「担当科目がない」という状態を故意に作り出し、教職員組合の再三の要求にもかかわらず、整理解雇につながることを承知の上で、カリキュラムは変えないとかたくなに主張(『組合ニュース』197号)しました。それも、同じ作為は新学部ばかりか薬学部においても同様でした。しかし、新学部開設後2年を経ずに、学内から選ばれた教員の約半数が退職しました。極めて異常です。学長は、この異常さを顧みることなく、理事会も、教員の活用を考えず事実上の整理解雇を通告しました。

 確かに、少子化は時代の流れで、多くの大学が入学者減少に悩んでいます。本学も理事会、教職員一体となって志願者増に取り組んできました。閉鎖された学部についても同様でした。しかし、志願者増が簡単でないことは、3年間の新学部志願者状況を見れば明らかでしょう。それにもかかわらず理事会は、『WITH』や『大学30年史』の論調に見られるように、学部閉鎖の責任を全面的に学部に帰しました。そして今、教職員組合に加入している教員にその責めを帰そうとしています。心を遺して大学を去った岡野前書記長の卒業生による送別会では、外語1期生だけで約40人が名残を惜しみました。これはある意味で学部に対する挽歌です。卒業生にとっては、大学に行っても既に多くの師はいなくなりました。学部消滅は師弟ともに何としても避けたかったはずです。

大学が今なすべきことは何か?

 未来創造学部が消滅する両学部を正当に引き継ぐものであるならば、どんなに現在が苦しい状況でも、道義に反する教員切り捨てではなく、みんなで痛みを分かち合い、協力し合って明るい大学を取り戻すことです。そのためには、理事会は教員に意識改革や責任を叫ぶだけでなく、自ら反省すべきは反省し、性根を据えて教員を信じ、教育を本当の意味で教育当事者に返すことです。信のないところに教育は成り立ちません。教職員組合は、今こそ理事会が大学創立の原点に立ち返り、真の協働関係が確立されることを待望します。不当な整理解雇撤回と大学正常化のために皆さんのご協力をお願いします。……


投稿者 管理者 : 2006年06月27日 00:00

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