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2006年08月22日

組合立大学、「ぎふ自由大学」

岐阜大学職員組合
 ∟●「ぎふ自由大学」

【ぎふ自由大学】
 現在日本では、株式会社立の大学まで登場しました。株主の利益のために、大学が存在し、高等教育が「産業」として社会に提供されているのです。それ自体を非難するわけではありません。いろんな形の大学が存在することが悪いわけではありません。
 でも、大学の誕生は、中世のイタリアのボローニャ大学で、各地から集まってきた学生が、「ウニヴェルシタス(組合)」を作ったのがはじまりといわれています。その起源に立ち会える意味も含めて、組合立「大学」があっていいはず。(ここでいう組合は「ギルド」的なものですが・・)
 また、「自由大学」としたのは、2年ほど前に産声をあげた、「京都自由大学」にも呼応する意図もあります。そもそも「京都自由大学」は、高等教育の無償化条項(国際人権規約・社会権規約は、第13条第2項Cで「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等な機会が与えられるものとする」)の批准への運動の中で生まれたものであり、岐阜の地でもそれにエールを送る意味もあります。
 この夏に1日だけの「ぎふ自由大学」がいま,生まれます。

【組合立「大学」とは】
 岐阜大学には労働組合があります。どこの事業所とも違うわけではありません。3年前に、法人化とともに、身分は非公務員になり、労働法の傘下になりました。しかし、大学の組合として、社会に開かれ、市民に受け入れられることもめざします。そのために、大学の原点でもある「知の伝承」に立ち返ります。
 ただし、切り口は組合らしく、熊沢誠のいう『ゆとり・なかま・決定権』で。
 労働界は能力主義・成果主義、経済原則も効率主義、教育も優勝劣敗が当たり前のように、みんなが、忙しくせき立てられるように生きています。アメリカ型自由主義が世界のスタンダードであるようにとらえてしまう現実を、欧州的な視点(ドイツ)を提示し、社会を考える軸を少しでも動かしたいと考えます。

投稿者 管理者 : 2006年08月22日 00:00

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