« 教職員組合・学園側の対立深刻に 東和大の解雇問題 | メイン | その他大学関係のニュース(主に大学別) »
2006年10月11日
教育基本法「改正」に反対する北海道研究者、声明と賛同署名のお願い
北海道内の研究者に,以下のような教育基本法改定問題の声明とそれに対する賛同署名活動が進んでいる。道内研究者の皆様はどうか署名を!
道内研究者のみなさま
教育基本法「改正」に反対する下記の声明にご賛同ください。9月26日、臨時国会が招集されました。政府は今国会において、先の通常国会で継続審議となった「教育基本法改正法案」を最重要法案として位置づけ、成立をねらっています。
折しも9月21日には、都教委の「日の丸・君が代」の強制を違憲とする東京地裁判決が出されました。教育基本法「改正」を先取りするかのような東京の教育に対し、思想・良心の自由、教育の自由の保障をまっとうに突きつけた判決でした。教育の国家統制に道をひらき、教育の自由を破壊するような「改正」に、道内研究者の反対の声をあげたいと思います。ぜひみなさまのご協力をお願いいたします。
声明にご賛同頂いた方々のお名前等は、下記声明文、よびかけ人氏名と合わせ、一覧にして、新聞社、政府内閣、民主党、道教委に向け公表いたします。匿名を希望される場合は、人数のみ公表いたします。
ご賛同頂けます場合は、次のアドレスまで、下記1~5を貼り付け、必要事項をご記入の上、ご送信ください。件名は「賛同署名」として頂ければと存じます。なお、添付ファイルはご遠慮ください。集約期日:10月14日(土)正午
送り先アドレス:masubuti@sap.hokkyodai.ac.jp
件名:賛同署名
1. 氏名
2. ふりがな
3. 専門
4. 所属
5. 匿名の希望、その他コメントなど「声明」賛同署名・呼びかけ人代表
鈴木秀一(教育方法学、北海道大学名誉教授)呼びかけ人(五十音順)
姉崎洋一(高等継続教育学、北海道大学大学院教育学研究科)
粟野正紀(教育制度、北海道教育大学札幌校)
井上 薫(教育学・釧路短期大学)
内島貞雄(教育学・幼児教育学、北海道教育大学旭川校)
遠藤芳信(近代日本軍制史、北海道教育大学函館校)
大坂祐二(社会教育学・福祉教育論、名寄市立大学)
大崎功雄(教育史学、北海道教育大学旭川校)
大谷一人(教育史、藤女子大学)
大沼義彦(体育社会学、北海道大学大学院教育学研究科)
門脇正俊(教育制度・教育社会学、北海道教育大学岩見沢校)
倉賀野志郎(教育内容・方法、北海道教育大学釧路校)
庄井良信(教育学、北海道教育大学大学院教育学研究科)
進藤省次郎(体育方法、北海道大学大学院教育学研究科)
鈴木 剛(教育学、北星学園大学)
鈴木敏正(社会教育学、北海道大学大学院教育学研究科)
須田勝彦(教育方法学、北海道大学大学院教育学研究科)
高嶋幸男(教育方法学、北海道教育大学釧路校)
田中 実(理科教育学、北海道教育大学札幌校)
田中康雄(児童精神医学、北海道大学大学院教育学研究科)
千田 忠(教育学、酪農学園大学)
塚本智宏(教育学・教育史、名寄市立大学)
坪井由実(教育行政学、北海道大学大学院教育学研究科)
徳永好治(理科教育学、北海道教育大学函館校)
所 伸一(比較教育・教育史学、北海道大学大学院教育学研究科)
富田充保(教育学、札幌学院大学)
中山芳美(教育学、帯広大谷短期大学)
前田賢次(教育方法学、北海道教育大学岩見沢校)
前田輪音(教育方法学、北海学園大学)
松倉聡史(憲法・教育法、名寄市立大学)
松田光一(教育学、北海学園大学)
三上勝夫(教育方法学、北海道教育大学札幌校)
明神 勲(教育史、北海道教育大学釧路校)
武川一彦(教育行政学、札幌大学)
室橋春光(特殊教育学、北海道大学大学院教育学研究科)
若菜 博(教育方法学、室蘭工業大学)
声 明
私たち北海道の研究者は、教育基本法「改正」に反対します。政府・与党及び民主党は、2006年第164通常国会で、それぞれに「教育基本法改正法案」(政府案)、「日本国教育基本法案」(民主党案)を提案しました。政府案(4月28日提出)は、教育基本法を全部「改正」し実質的な新法をめざすものであり、民主党案(5月12日提出)は、政府案の対案として出されましたが、現行教育基本法を廃止し、新たな「日本国教育基本法」を制定しようとするものです。国会は、このことに関して、教育基本法特別委員会を設置し約50時間の審議を行いました。教育基本法「改正」問題は、国会内だけではなく、国会外においても、事柄の重要性から大きな論議を呼びましたが、最終的には、審議未了のまま、6月18日に国会は閉会となり、両案は次の臨時国会へ継続審議となりました。
私たちは、政府案と民主党案について、それぞれにニュアンスの違いはあるものの、立法の正当な根拠がないこと、いわゆる立法事実の不在を最初に指摘せざるを得ません。内容的には、両方の教育基本法「改正」案が、戦後の教育理念を180度転換させ、教育の自由な時空間の破壊と、教育の国家統制に道をひらき、子どもや教師、さらには国民の思想統制につながる危険な内容を含んでいるものと考えます。なぜ、私たちが、教育基本法「改正」案について反対なのか、以下政府案を中心に見解を述べたいと思います。
第一に、教育基本法「改正」案には、「伝統と文化を尊重」し「我が国と郷土を愛する」(政府案)「日本を愛する心」(民主党案)の強調が専らなされています。このような無前提で過度の自国愛の強調は、国際社会において日本国家が犯した戦争によってアジアの諸国に悲惨な惨禍をもたらしたことの反省がどれほどの深さであったのかが問われます。私たちは、現在の日本国憲法のかかげる平和、国民主権、基本的人権の尊重の理念は、教育基本法にも貫かれている共通の理念であると考えます。また、憲法を生み出した日本国民の「世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意」こそが、現行教育基本法の精神でもあり、「この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである」と世界の人々と歴史の未来に向かって宣言したものと考えます。従って、「真理と平和を希求する人間の育成」は、私たちの今現在も変わらぬ課題であります。
第二に、教育は法によって守られる側面と侵害される側面があります。政府案は、現行法第10条を「改正」し、教育が「国民全体に対し直接に責任を負って行われる」べき責務や教育行政が「必要な諸条件の整備確立を目標として行われ」るべき公教育の国家保障責任と条件整備原則があることを放棄しています。法によって守るべき原則が放棄され、代わりに登場した内容は、「教育は、・・・この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきもの」(政府案第16条)との文言です。このことは、法律によって何をしてもよいという考えの表明であり、教育における法律主義の著しい曲解であり、法の名のもとに教育を統制し侵害しようとするものです。決して認められるものではありません。
第三に、第一と関連しますが、「教育の目標」(政府案第2条)に多くの徳目を掲げ、国家が道徳の教師として国民の内面形成に介入することは、憲法に掲げる思想及び良心の自由(憲法第19条)に反し、国民の内心の自由にまで国家が干渉してくることを意味します。また、そうした国家道徳への忠誠を態度のレベルで評価しようとすることは、国民の思想統制であり、近代国家のありかたにも反し、憲法違反というべきものです。そして、このような教育の目標が、教育のあらゆる段階、いかなる場所においても強制されることは、国民の基本的人権の根幹を掘り崩すものと考えます。私たちは、国家道徳規範を強制的に内面化させる仕組みを導入する「改正」として危惧をいだくものです。
第四に、政府案は、学校及び教師の自由を奪い、国家統制を強めようとしています。現行法で学校の自律性や教師の教育の自由の根拠規定となっている「教員は、全体の奉仕者であって」(現行法第6条2項)や、「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」(現行法第10条1項)とする文言は、政府案では削除されています。このことは、公教育をみんなで主体的に創造していく自由、なかんずく教師の教育の自由を奪うものです。そして、学校と教師は、政府案第2条で細密に規定された教育目標を忠実に履行する機関へと変質させられることになることを意味します。
第五に、能力主義原理の徹底が図られる危惧を抱きます。政府案では、教育の機会均等を定めた現行法第3条の「能力に応ずる教育」を「改正」し、「能力に応じた教育」(政府案第4条)にするとしています。測定された能力・程度により提供する教育機会を限定する語感がある「応じた」に変えることで、能力主義に基づく教育上の差別が正当化されることになります。それゆえ、この枠組みのもとで講じられる障がいのある者への「教育上必要な支援」(政府案第4条2項に新設)は、障がい者の権利を保障するものとは到底なりえないといえます。
第六に、家庭教育及び幼児期の教育の新設と現行法の男女共学(第5条)の削除がもたらす問題です。現行法第5条の削除は、男女共学制度普及の結果ではなく、共学尊重に対する無関心、ひいては男女平等理念の後退をあらわすものです。保護者が子どもの教育の「第一義的責任」を有することを、あえてしつけ的側面に限定し強調した「家庭教育」(政府案第10条)と、幼児期への道徳教育拡充をはかる「幼児期の教育」(政府案第11条)の新設は、第5条削除と相まって、男女特性論の再興と戦前の家族制度の回帰へとつながる危険をはらんでいるといえます。
第七に、現行法第2条(教育の方針)の削除は、現行法第7条の「勤労の場所」、「教育の目的」の「あらゆる機会」「あらゆる場所」での実現、「学問の自由を尊重し」「実際生活に即し」の文言の削除と相まって、開かれた自由な教育空間で学習の展開という生涯学習の先駆的な表現を消し去るものといえます。代わりに、強調されるのは、個人の学習の機会と「成果を適切に生かす」(政府案第3条)、「個人の要望や社会の要請にこたえ」るという、個人主義的ないし社会の必要課題の学習の「奨励」と「社会教育の振興」にとどまり、国民の「自他の敬愛と協力」による「文化の創造と発展」という相互学習、共同学習の積極的な支援と条件整備の視点を欠如させているといえます。
第八に、「大学」(政府案第7条)と「私立学校」(政府案第8条)の新設です。この「改正」は、既に存在する個別法(学校教育法、私立学校法)に屋上屋を重ねるもので新設の必要性がないといえます。さらに、本来国家の干渉になじまず、独立性が保持されるべき大学の学問の自由、大学の自治を「自主性、自律性」(政府案第7条2項)のレベルに矮小化させ、また私立学校の「建学の自由」に対して「自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法」(政府案第8条)によって統制を加えることは、「教育の目標」(政府案第2条)の、大学、私立学校への適用と併せて、学問の自由、私立学校の教育の自由への侵害をなすものといえます。
第九に、教育に関する「総合的な」施策の策定・実施権限を政府に与え(政府案第16条)、政府に「教育振興基本計画」の策定権限を与えた(政府案第17条)ことは、国及び政府の教育内容統制決定権限を認め、重点的財政配分政策によって新自由主義的な競争原理での格差をもたらすものと考えます。このことは、国が教育内容の国家基準を設定し、その達成度の評価とそれに基づく財政配分を通して、教育内容を統制する仕組みを盛り込むものになるという恐れがあります。同時に、北海道のような過疎地域や小規模学校を多く抱え、財政基盤の脆弱な地域では、競争原理と達成度評価の機械的な適用は、教育の健全な発達、教育の機会均等の原則を根本から掘り崩すものになる危惧を強くいだくものです。
私たちは、以上のことから今回の政府案及びそれを補足する形での民主党案は、総じて、次のような性格を持つものと考えます。
①憲法との切断を強く意図するものであること、
②思想や態度を含めて、あらゆる場面で国民を統制しようとする法であること、
③教師像、研修、評価を含めて、教師を国家の道具とする教師統制法であること、
④能力による国民の差別をもたらし、障がい児・者や社会的不利益者の真の教育要求に応えるものではなく、結果として能力による社会的排除を追認する法であること、
⑤国家主義的地方統制法として、教育の地方自治原理を否定し、国の教育財政責任を放棄するものであること、
⑥「教育振興基本計画」の名のもとに、新自由主義的な財政誘導統制法であること、
⑦国・地方公共団体の国民に対する直接責任と条件整備義務放棄の法となること、今回の教育基本法「改正」は総じて、一方では、国家によるあらゆる面での教育統制を強め、他方では、市場原理型の競争原理と国民と自治体の財政負担を求め、国による公共的条件整備放棄をもたらす改革と考えられます。このような「改正」は、戦後国民の不断の努力によって築かれてきた、憲法のもとでの教育の民主主義原則を破壊していくものです。私たちは、拙速な教育基本法の「改正」がなされることのないよう、慎重な姿勢を求めると共に、その「改正」強行には共同で反対を強く表明します。
2006年9月26日
投稿者 管理者 : 2006年10月11日 00:01
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://university.main.jp/cgi4/mt/mt-tb.cgi/2444