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2007年01月16日

APU常勤講師解雇事件、大分地裁の決定に対する弁護士見解

立命館教員ネット
 ∟●大分地裁の決定に対する弁護士見解~古田弁護士

大分地裁の決定に対する弁護士見解~古田弁護士

(2006年12月16日 市民集会の報告より)

 11月30日に地位保全の仮処分の決定が却下という形ででました。仮処分決定の中身についてはいまから説明しますけれども、皆さんがたは勿論のこと代理人をつとめている弁護士の立場からみてもあまりにも法律を事実にてらすというよりも、便宜的につかうというかパズルのような、そういう形で決定をしているのではないかと憤りをもっています。

 まず決定の枠組がどのようになっているかについてご説明いたします。

 この仮処分決定は争点を5つ設定しています。

 われわれが争い、APU 側が争っていた一番の問題は、O教授が1999年10月24日の説明会の際に、これは「日本語講習会」と名打っているのですけれども、その講習会の場においてどういう説明をしたか、ということなんです。むこうは「更新できる」とか「定年まで働ける」とかまったく言っていない、ということで全面的に争っていたわけですけれども、この点についての判断は原告が主張している通り、O教授が説明したと認められました。多くの方々が、とったメモを証拠にもだし陳述書もだしたわけですので、これは当然だと思います。

 次の争点は、ではAPUは講習会に先立って雇用期間を更新できるように決定していたのかどうなのか。むこうが決定していないというものですから、そのことをO教授に説明させて雇用更新を契約の中身として説明したり付加したりしたかどうか、という事が2番目の争点。3番目が、そうでないとしても「表見代理」の法理の適用によってAPUにその効果を帰属させることができるか、ということ。4番目が、全体として解雇権乱用法理の類推適用によって雇い止めが無効であると言えるかどうか、ということ。5番目が、旧労働法14条という法律に、4年と期間を定めた雇用期間というのは違犯するかどうか。この5つの争点です。

 全部まとめていいましたけれども、2番目についてはAPUが意思決定した事実はないと認定して、3番目は説明したのは事実行為であって法律行為ではない、そもそも講習会の目的やプログラム等に照らしても労働契約の追加や変更は予定されていないんだ、書面もつくられていないじゃないかと認定した。だから法的効果の発生を意欲する旨の意思表示とは評価できない、ということになった。解雇権乱用法理の適用については、O教授の発言以外に積極的にみとめる事情はない、一度の軽率な発言だけなんだと、それで期待はできない、と判断したわけです。

 それで、こういう判断が正しいのかということで、我々も議論しまして、即時抗告の申し立てをしました。期限も限られてまして、2週間です。決定が出た場合は、相手方は保全異議という形で異議の申し立てをするわけですけれども、却下の場合はこういう手続きになる。

 われわれが即時抗告をする理由として、決定がおかしいと主張している点は、いまから説明する内容になります。
 
 まず、O教授の発言が軽率な発言ということはありえないということです。

 そもそもこの決定は「日本語講習会」という名前とか「懇談会」とかその場の名称、APUが勝手につけたものなんですけれども、そういう名称にとらわれて中身を十分考えていない。なぜ日本語講習会というものがわざわざ開かれたのか。たとえば英語の教師も同じくらいいたわけですが、英語の教師については講習会は開かれていません。なぜわざわざ質問リストをつくって、「4年後の更新について知りたい」と書いて、それに対して答えるようなことをしたのか。

 というのは、APUは半分は外国からくる学生なわけです。普通の大学というのは、日本から留学する場合もそうなんですけども、まずその国の言葉をマスターしてくださいということで、語学学校とかに入って、アメリカにいく場合でも語学をマスターして授業を受けられる状態になってから、大学に入るのが一般的だと思います。このAPUは、日本語を勉強しながら大学に入れる、という新しいシステムなわけですから、その日本語の教師というのは、APUにとっては絶対に必要な、教育の根幹をなす役割だったわけです。そうした中で応募があって採用するという通知もだしたんだけれども、4年間というふうに応募には書いてあるのですが、その後のことは書いていない。それでみんなから4年後はどうなるのかという質問があり、みんな疑問をもっていた。そんななかでこの会合で4年後の更新がどうなるのかということを説明することによって、やはり日本語教師を引き止めたい、赴任を確実にさせたいという目的があったと考えざるを得ないと思います。
 
 そうした目的で開かれたわけですから、O教授は1人でそういうことを決めることができるはずがないんです。だから、すくなくとも理事会とか常任理事会とかの意向をうけてO教授は説明をしたんだ、としか考えられないと思うんです。

 原告もいろんな人に陳述書づくりを頼んだりしていますが、O教授を以前から知っている先生はOさんはそういうことを勝手に発言したりするようなタイプの人間ではないと言っています。そういうことからも、軽率な発言という裁判所のとらえ方があやまったとらえ方であるということを、高裁には是非わからせようと思います。

 決定書の24ページに「O教授の軽率な発言についてはこれに起因する損害について主張立証がなされた場合には債務者が使用者として損害賠償責任を問われる余地が理論的にはありうる」という記載がありますが、APUが使用者として損害賠償責任を負うようなことを軽率にするようなことがあったと、これが軽率な発言だと、裁判所が決め付けること自体が問題だと思います。

 それから、他にも、説明会では更新の問題だけでなくて労働条件の問題がいろいろ話されている。だから労働条件の説明も予定されていたんです。裁判所は予定されていないと言っているけれども、予定されているからこそ事前に質問リストまでつくられているわけですから、これは予定されていたと考えるべきです。それから公式な場で質問リストの回答としてなされているわけですから、軽率な発言がとっさにでた、ということではまったくないんだ、ということです。
 
 それから、説明しただけで承諾を求めていない、という屁理屈を言っているんですけども、説明を受ける立場として「更新できる」という説明をうけて、更新したくなければ断ればいいわけですから、承諾を求める必要もないし、求めるはずもない。非常に杓子定規な考え方であると思います。

 それから書面にしていない、と言っていますけれども、もともと不安定雇用にしようと思っている会社がすぐ書面にするかというと、しないわけです。しないからこそ、これまでも1年ということで更新してきているのに、しないとき問題になる。書面にしていないけれども実態はこうだから、ということで労働法の判例は築かれてきたわけで、そういうことをこの決定は考慮していないと思います。

 それで、大学側の何らかの決定が、書面にはなっていないけれども、なされたうえで、更新ができることをO教授に説明させたと、いうのが本来であろうと思います。いつO教授が指示されたのかなどは説明できないにしても、表見代理と法理によってこういう場合は認めるべきだ、という理屈で救えるのではないかと思います。

 つぎに、今言った理屈が認められない場合の理屈として、解雇権乱用の法理というのも掲げています。

 期限の定めのない契約について、O教授の「軽率な発言」以外に積極的にこれを認めるべき事情はないと言っているんですが、O教授の説明というのは、みなさんが赴任しようと決めた決定的に重要な事柄でした。それだけでも本来「更新がされていくであろう」と期待したと認めるべき事情になると思うのですが、それ以外にも、原告が着任した時にも更新のことを確認したところ、形式的に応募という形をとるけれども大丈夫です、という説明が事務方の方からあったようですし、勤務内容自体がAPUのもっとも重要な役割をさせられているわけですから、今後も自分を必要としているであろうという期待は働いたであろう。原告以外の参加者は形は応募という形式をとっていてもみんな再任されてきた。これは期待をするべき事情として十分にとらえるべきではないかと思います。あるいは、原告を再任拒否した後も様々な形で日本語教師を採用している。就職した際の条件というのは説明会が開かれた理由にもなるのでしょうけど、原告らが応募した時点から考えると2年かもっと先になってAPUに雇われるという、原告の場合は2002年ですから4年以上の期間後にはじめてAPUに赴任する。説明会以前から新大学開設のために調書をだしたり、開設のための協力をさせられてきた。そのような今すぐ雇うという契約ではないわけです。そうした中で他に就職をするという人生の選択もありえたにも拘らず、更新があるんだったらここで定着しようと決めて赴任していった。人生にとって大事な決断を説明会の説明によって決めたということになっているわけです。そういう事情を考慮すると裁判所の言うように説明会のことだけという割り切り方は到底できない。

 そうした意味からも解雇権乱用法理についても適用すべきだ。この決定の中身として、常勤講師の廃止など制度改革として守ろうと、何人かの常勤講師の人生とかクビよりも、大学の計画を変更させるわけにはいかないという判断がところどころにでていますが、別に原告を更新しても日本語教師の必要性はあるわけですし、どんどん他の人を雇用している状態をみれば、労働者の犠牲のもとにそういう制度を守ることがそれほど重要なのか。全然重要でない、という根本的なとらえかたの問題もあると思っていますので、追及していきたいと思っています。……


 

投稿者 管理者 : 2007年01月16日 00:00

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