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2004年04月22日

なぜ、イラク人質問題と大学問題と関係があるのか

Academia e-Network Letter No 99 (2004.04.21 Wed)において編集者の方が上記の問に答えておられる。ここにそれを紹介したい。その前に,少しだけ私見。

 私はイラク人質問題に関わり今展開されている政府筋とそれに扇動された「自己責任論」の大合唱は,個人の自由な思想・言論,およびそれにもとづく行動に対する恫喝であると捉えている。事実,本人および家族たちはイラク派兵反対を自由に主張することができない状況に追い込まれた。しかも,この恫喝は全く見知らぬ者からの肉体的暴力の恐れにも注意しなければならないほどの社会ヒステリー現象を伴うものであった。
 しかし,こうした恫喝は特殊な状況においてのみ存在するものではない。私たちの職場である大学の世界においても無縁ではないし,事実存在する。例えば,解雇等の処分事件がそうである。大学で発生する不当解雇事件は解雇された当事者のみならず,いや当事者以上に大学のやり方に異議を唱えてきた者やその周りの者に対して恐怖を植え付けるものである。当然,解雇をちらつかせた恫喝は批判者たちを萎縮させる。自由にものが言えなくなり,その結果,権力をもつ者の大学支配は貫徹するのである。裁判で敗訴することが分かっていながら,当局側があえて不当な処分を断行する理由も実は多くの場合ここにある。そして,実際,解雇事件に至らないまでも,それと同様の状況下におかれた大学(教職員)は多いのである。
 イラク人質問題は,いわゆる狭い意味での「大学問題」の側面のみならず,基本的人権と言論の自由,ひいては学問の自由を守るという今われわれ大学人に突きつけられた課題,その一点でもってこれほど密接な関連をもつものはないと考えている。

 それともう1つ,これは多くの説明を要しない。以下の私の4月17日付ブログ記事に対して書き込まれたコメントをご覧いただきたいと思う(上から下へ向かって新しくなる)。
http://university.main.jp/blog/archives/000804.html

 上から6番目の佐賀大豊島先生より下にあるコメントは,4月19日深夜0時より突然に殺到したものです。かかるコメントには,「自己責任論」に疑問を呈しているものもあるが,大多数は「自己責任論」を展開しているものです。おそらく,大半は若者であると推測される。これらの若者が,もし自分の眼前にいる大勢の受講生とするならば,そして彼らがかかる意見を一斉に浴びせかけてきたならば,どのような意見を対峙すべきか。彼らの論理的かつ心性的な内面に分け入って,何を問い,何を一緒になって考えるべきか。「授業科目とは関係ない」として,一蹴することはできないのである。(ホームページ管理人)

Academia e-Network Letter No 99 (2004.04.21 Wed)編集人より

読者の方からのお便り【5】の中で「なぜイラク人質問題が大学問題と関係あると考えるのか」をもっと詳しく説明すべきではないか、という意見がありましたので、少し説明をしておきます。

大学教員は、大学に通う多くの若者の知識形成だけでなく精神形成に、プラスの影響もマイナスも影響も与えると思いますが、影響を与えないでいることはできません。もしも大学教員がマスメディアの意見を鵜呑みにして学生との雑談のときにでも言及することが普通であれば、大学もまた、一部のマスメディアと同様に、世論操作機構の一部として機能していることになります。

旧国立大学関係者は、独立行政法人化への過程で、マスメディアが事実に反する報道したり(*)、重要なことを記事にしなかったり、種々の方法で情報操作をすることを実体験しました。真実を知ろうとする精神的習慣を学生に伝えることも使命としているわたしたちは、マスメディアの情報に距離を置いて接することを種々の機会に伝えるべきであリ、それには、マスメディアが伝えないことを知る機会が少しでも増えることが必要ではないか、という思いが、AcNet Letter発行をしている理由の一つです。ついでながら、マスメディアの情報を眉唾で聞くことを習慣とする「メディアリテラシー」は、大学での教養教育の必修科目とすべきようにも思います。マスメディアが情報操作をした過去の例を取り上げることで、方法的懐疑の習慣を学生が学ぶ良い機会ともなり、専門教育にも効果があるように思います。(*) http://ac-net.org/dgh/99c13-yomiuri.html

この文脈で、今回のような、一部のマスメディアの目に余る暴走を大学界が看過することは、教育の現場にマイナスの影響を次第に与えることが懸念されますし、また、今回の問題は、日本社会における言論の自由が劇的に劣化するクリティカルな様相もありますので、取りあげています。

しかし、もう一つ、別の文脈もあります。高遠さん達が展開してきた活動は、創造性と普遍性に満ち満ちたものです。それに対し政府や一部のメディアが展開しているネガティブキャンペーンは、創造性への鈍感さを端的に示すものであり、大学における研究・教育の諸活動を支えている創造性を劣化させつつある最近の「大学改革」を推進している諸勢力の精神構造の特性と深いつながりがあると思います。

また、教育の現場では、生徒や学生が自分自身で考え判断するように、と種々の工夫をするわけですが、こういったことを、つまり自分自身で考え判断し行動することができる人たちを挙国一致して圧迫するようなことが放置されるとすれば、今後、教育ができるのだろうか、という懸念です。

以上が、高遠さんたちを圧迫する世論を煽動している政府高官や一部のメディアについての意見を、AcNet Letter で取り上げている主な理由です。(編集人)

投稿者 管理者 : 2004年04月22日 00:05

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