個別エントリー別

« 京都大、総長選挙の実施規定を改訂 候補者の門戸を学外に開放 | メイン | 東京都立の4大学で何がおこっているのか 石原慎太郎東京都知事による"大学破壊" »

2004年05月20日

国立大学、トップダウンを旨とする法人役員会の管理意識の擦り込み現象

Academia e-Network Letter No 112 (2004.05.19 Wed)より転載

投稿:佐藤清隆氏(広島大学)

 国立大学の法人化後に起きた顕著なことの一つは、教員が役員会に直属するなんらかの中間管理職についたとたんに、あたかも自らが管理者であるかのごとくに、トップダウン的な意識が芽生えて、もしその役職についていなければ批判しているに違いない非民主主義的な管理運営などにたいする批判精神が、蒸発しつつあることです。トップダウンを旨とする法人役員会の管理意識の擦り込み現象が、一瞬の間に起きました。もちろんこの現象は、全ての中間管理職に当てはまることではありません。しかし、その方向に進む動きはあっても、その逆は見当たりません。

 一部の当事者は、「他人には分からない心の葛藤や煩悶があるのだ」とおっしゃるでしょう。しかしいずれの地位にあろうとも、管理者たる者は、その外的な行為が現実を動かし結果責任を負うのであって、内的な葛藤は醜い自己弁護でしかありません。人間にとっての最高の美徳は、上からの評価にあるのではなく、自己の信念を貫いたのかどうか、勇気をもってその信念を外的行動として示せたのかどうかであることを、今こそ自覚していただきたい。大学で教えることは、知識に加えてそのような美徳なのではないでしょうか。自らが試練に立たされてそれを実践できないでおいて、何を学生に伝授せよと言えるのでしょうか?

 上記の擦り込み現象は、「客観的存在が意識を規定する」という、まことに単純で滑稽な事例ですが、それが大学という現場で起きつつあることの影響は甚大と思われます。教職員組合などからの根底的な問いかけや批判がなければ、やがて国立大学法人は全体主義国家と等価になります。

 批判精神のメルトダウン。たった50日で発生し伝播しつつあるこの精神的ウイルスが、新たな感染を広げれば広げるほどに、まずは批判精神が希薄化し、そのうち批判精神を恐れ、やがて、批判精神そのものを押さえつける人々が管理する大学が、未来永劫、日本の高等教育を担う主流となるでしょう。

 これほどおぞましいことはなく、その結果は、日本のあらゆる階層の人々に災いとなって降りかかるでしょう。

広島大学 佐藤清隆


投稿者 管理者 : 2004年05月20日 00:03

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://university.main.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/996

コメント