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2004年06月06日

九州大学教職員組合・大橋支部、声明「芸術工学研究院に大規模な任期制を導入することに反対します。」( 5月19日)

Academia e-Network Letter No 121 (2004.06.04 Fri)より

声明「芸術工学研究院に大規模な任期制を導入することに反対します。」( 2004年5月19日)

大橋支部は、芸術工学研究院に大規模な任期制を導入することに反対します。

1. 任期制とはきわめて強力な制度である

 任期制とは、失職させることを目的とする制度です。5年任期のポストに就くということは、5年後に自動的に失職することを法的に承認することを意味します。任期を定めて雇用された者はいかなる状況においても任期満了後には自動的に失職します。再任とは、失職によって空席となったポストに対して、あらためて新規採用を行う手続きを意味します。したがって再任において大学がとる手続きは、新規採用と法的には同等の手続きとなります。

 新規採用は、採用する側の都合で任意に行うことができます。新規採用においては、いかに能力・実績がある人といえども、採用されるとはかぎりません。したがって、再任を拒否された側が任期中の業績にもとづいて法的な救済措置を求めることはきわめて困難です。このことは京都大学の再任拒否事件に対する地裁判決で明確に指摘されています。裁判所は、再任を期待して業績を上げたとしてもそれはたんなる期待にすぎず、それに応えて再任する義務は大学にないと判決しています。任期制とは、雇用継続にかんする完全なフリーハンドを使用者に与える制度です。まずは以上のような任期制の法的本質を理解することが重要です。

2. 大規模な任期制の導入は違法の疑いがある

 任期制法は、こうした任期制の本質に鑑みて、任期制の導入を特殊な研究領域や研究形態に制限しています。任期制法は、任期付きのポストを意図して制限することにより、その全面的な適用を法的に回避しています。ところが九州大学の一部においては、研究院のすべてのポストに一律に任期をつけるような導入がなされています。こうした全面的な導入は、任期制法に関する文部次官通達や国会における議事録を読む限り、任期制法が意図したものではなく、むしろ回避しようとしたものです。

 研究組織の全構成員が労働権利上、防衛権を実質的に剥奪されるような組織形態は、きわめて異様です。違法の疑いのある任期制の運用によって、研究院はきわめて不安定で流動的な状態におかれることが予想されます。

3. 任期制は芸術工学を崩壊させるおそれがある

 芸術工学研究院以外の九州大学の基本的な組織は、講座制により、学問分野がそれぞれ独立していることにより成立しています。それゆえに任期制がその分野そのものの処分に直結することは一応避けられます。これに対して芸術工学研究院においては、各専門分野は、インターディシプリナリティの理念によって、はじめから固定化を避けるかたちで設計されています。

 かつての九州芸術工科大学は、その不安定さを教員の身分保障で補うことにより、相互に異質な学問文化が共存し、協力することを可能としてきました。教員は、同僚の異質さにときにはとまどい、ときには耐えながら、新しい学問と技術を生みだすことを課せられてきたのです。九州芸術工科大学は、各分野の相互協力をデザインの理念の中核に位置づけることで、全国にも例のない教育組織と研究組織を作りだし、類例のない学風を築いてきました。こうした利点を評価されて、われわれは伝統ある九州大学の一員として迎えられたのではないでしょうか。

 任期制により教員の身分保障が失われれば、芸工大の伝統は破壊されるでしょう。学問分野の存立が保証されないということは、再任拒否が教員の努力と全く無関係に行われる可能性を高めます。ある専門分野の中で教員がどれほど教育・研究に励んだところで、その分野自体が、その時々の研究院の執行部の戦略上(もしくは九大本部や文科省の戦略上)不要ということになれば、その研究分野は教員ともども廃止されるでしょう。そもそも任期制とは、そうした自由な処分を実現するためにつくられた、きわめて強力な法制度なのです。

 任期制の下で教員は、自分の努力とは全く無関係に、その時々の状況の中で自分の学問がいつ除外されるかもしれないという恐怖におびえながら、ひたすら再任という僥倖にすがるという精神状態を強いられるでしょう。そうしたいわば恐慌状態におかれたとき、おそらく研究院は、分野再編のヘゲモニーを奪い合う、生死を賭けた闘争状態に陥るかもしれません。こうした精神状態は、各学問分野の疑心暗鬼を招き、相互協力を難しくし、優秀な教員の離脱を招き、芸術工学の発展の障害になりかねません。

 九州大学の中期目標は、「学問分野の特質に応じて」任期制を導入することを定めています。芸術工学研究院は、その自らの特性を十分に考慮する必要があります。

4. 運用による任期制の形骸化は困難である

 現在の九州大学の一部に導入されている大規模な任期制は、再任を原則としており、著しい不適格者のみを除外するという運用がなされると伝えられています。またそうした条件で任期制が導入されたとも聞いております。芸術工学研究院においても、こうした運用を条件として大規模な任期制が導入される可能性があります。しかしながらこうした運用は、教員を定期的に失職させるという任期制の趣旨に矛盾しています。矛盾した制度の運用は、かならず、外部からの批判を浴びます。

 たとえば任期制において再任率が百パーセント近くであったとします。それは当然、任期制の形骸化として世論の批判を浴びるでしょう。そうした場合に、たとえば中期目標に再任率を数値目標として掲げるということになりかねません。そうなれば、誰でもいいから誰かを切らねばならないという状況すら生じるかもしれません。そのときに個々の教員にとりうる防衛手段はほとんどありません。

5. 任期制は自傷行為である

 教員のポストは大学の資産価値の中核を形成しています。九州大学全体の予算が一定である以上、任期制への移行により給与や待遇が大幅に向上することは考えにくいと思われます。待遇が同等のままポストに任期を付ければ、そのポストに対する評価は下がります。大規模な任期制への移行は、教員の労働条件だけでなく、大学の資産価値にとっても不利益変更となるのです。

 現在、任期制の大規模な導入は、決して国立大学全体の趨勢とはなっていません。九州大学は、全国の大学の趨勢に反して、自分の保有するポストの価値を一方的におとしめているのです。ポストの魅力が減少すれば、当然そこにリクルートできる人材の水準は低下し、学内の有能な教員はより価値の高い学外のポストに移動します。任期制は、人材の入り口に枠をはめ、有能な人材を選んで流出させる機能を果たします。

 九州大学は大学院大学です。大学院大学では、すぐれた教員による一貫した指導が必要です。教育の一貫性が保たれない大学に優秀な学生が入学するとは思えません。優秀な院生を獲得できるかどうかは、大学院大学としての評価にとって決定的です。人材の流動化が進めば進むほど、九州大学の教育機関としての評価は大きく損なわれます。今の時点で任期制を大規模に導入することは、大学間競争において、おそらく十数年のうちに、取り返しのつかない研究・教育水準の低下を引き起こす可能性があります。

6. 任期制は人と人とがつながる原理を変えてしまう

 旧芸工大から芸術工学研究院が引き継いだのは、異なった分野の教員が自分の専門に立脚しつつ、その枠を超えて自由に活動する伝統です。そうした伝統は、一人一人を尊重し、その人格を尊敬し、創意を引き出すいくつもの小さなチームによって支えられてきました。そうしたチームの中では、温かく励まし合う雰囲気の中で、今まで知ることのなかった同僚の新しい可能性を実感したり、自分の新しい可能性を見出すことが目指されてきました。事務員をも含む、そうした生き生きしたチームワークこそ、組織の活力の源となってきたのです。COE、科研費による研究、リサーチ・コア、FD、公開講座などの活動はすべて、こうしたチームワークを基礎としています。

 失職という脅しによって業績や労働を強制することは、陰鬱かつ陰惨な雰囲気を作りだします。というのもそうした手法は、魅力によってではなく、脅しによって、他者の行動を左右しようとするものだからです。失職という脅しが生みだすのは、創意や愛や喜びに裏打ちされたのびやかな活動ではなく、人間の主体性への不信であり、その自由への侮蔑であり、恐怖に支配された業績でしかありません。恐怖によって人を動かすことに慣れた組織は、教員だけでなく、事務員をも、いずれさらに弱い立場に追い込むことになるでしょう。

 非常勤職員、事務職員、技術職員、教員、そしてもっとも大切にすべき学生それぞれが、自由な発意と自己の良心にもとづいて活動することが最も重要であり、大学はその自由な状態を作りだし、擁護するための制度であるべきだと、九大教職組・大橋支部は考えます。そのためには、大学を構成するすべての人々の生活が、学問活動以外の利害によって左右されることがあってはならないと考えます。真理以外の価値に屈しないこと、人間の自由を信じること、自由のうちに人間の可能性を見いだそうと努力すること、そこにこそ、大学の価値があると考えます。

 九大教職組・大橋支部は、教職員のみなさんに、任期制への反対を訴えます。旧芸工大のように、大学を心を込めて育ててゆくために、人間を信じるみなさんの心に訴えます。


投稿者 管理者 : 2004年06月06日 00:16

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