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2004年07月23日

任期制は大学教員の質を高めることにならない! 横浜市大、永岑三千輝氏

大学改革日誌(永岑三千輝教授)−最新日誌(2004年7月22日(3))

 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、札幌市立大学も「任期制導入」と。来年4月開学の「札幌市立大基本計画案、やはり任期制導入 実績に応じた給与体系」と。「質を高めるため、採用期間に期限を設ける任期制を導入」と。教育公務員としての身分保障があり定年まで勤める教員では「質が低い」「質を高めることができない」という認識のようである。はたしてそうなのか? 任期をつけて首切りで脅かしつつ、しかも給与は実績で支払う、ということで、質のいい教員が集まり、その質のいい教員が任期を更新することになるのだろうか? 

 テニュア(終身在職権)がつけられた大学にチャンスがあればさっさと移るというのは普通ではないか。チャンスがない場合に、余儀なくいるだけではないか。質の高い教員を引き止めておくほどの実績に見合った給与(体系)とは一体いかなるものか? 実績と給与との相互関係は、公開されないとわからない。合理的なものかどうかもわからない。また、それが人を引き止めておくインセンティブになるかどうかもわからない。大学の研究教育にたずさわるものに対する考えが、なにか本質的なところで間違っているという気がする。

 大学教員が真理探究を第一の基準にして、研究教育を自由に推進することができるための制度的保障が、憲法や教育公務員特例法や学校教育法の精神を貫いていたことではないのか? 身分保障があるからこそ、自由に、さまざまな権威や利権(学問外的な諸利害)に対しても批判的なことが言えるのではないのか? 任期ごとの首切りを恐れたら、ほとんどの人は何も言えなくなるのではないか?

Cf. 大学教員の任期制を考える引用集(長野大学・石川剛志氏作成):「韓国からの特報」(韓国大法院判決・その解説、新設ルール等)

 大学教員の「質を高める」ためには、科学・学芸の論理に従った自由で民主主義的な競争的雰囲気(自由な研究、自由な意見表明、事実と論理を提示する自由な批判)こそが必要なのではないか。3年、4年、5年と言った短期間で首切りを可能とするようなことを武器にして、本当に「質が高まる」のか? そうでなくても、論文の本数などばかりが「客観性」の基準となって、3年とか5年程度でまとまるようなテーマだけを選ぶ風潮になってはいないか。 「質を高める」ためという目的と「任期制」という手段は対応しうまく合致しているか? 任期制導入の模範とされる自由競争の大国アメリカにおいて、助教授クラスで80%以上、教授クラスで90%以上がテニュアを獲得している(与えている、与えられている)というのは、何を意味するのか?

cf.アメリカの現状(教授90%以上、准教授80%以上、cf『文部科学省白書』、『諸外国の高等教育』をどう読むか、p4,7-9行)


投稿者 管理者 : 2004年07月23日 00:16

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