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2004年08月03日

大学教員の任期制、螺旋的悪循環の連鎖−横浜市大 永岑三千輝氏最新日誌

大学改革日誌(永岑三千輝教授)−最新日誌 2004年8月2日(2)

 「全国国公私立大学の事件情報」(8月2日)によれば、長崎県立の二つの大学においても、全員任期制が検討されているという(新首都圏ネットワークにも関連記事あり)。恐るべきムード的な事態[1]が全国化しつつあるといわなければならない。こうしてみると、多くの国立大学で熟慮しないままでたくさん部局に導入された任期制(どれだけの人がそのポストに移っているかはわからないが)が、東京都の「任期制」「年俸制」導入宣言に飛び火し、さらに本学に関する「ありかた懇」答申に伝染し、さらに悪いことに、センセーショナルに新聞報道された「大学像」において「全員任期制」の言葉が「はじめて」打ち出されるというふうに、この螺旋的悪循環の日本全国の大学と社会に与えたマイナスの影響ははかりしれないものがある。

 大学を活性化するための任期法は、いまやいたるところで悪用され、誤用されようとしている。国公立大学は、法人化を契機に、競って自分で自分の首を締め、優秀な教員をテニュアを付与した私学に追いやっている、優秀な教員を追い出すことに狂奔している、というべきではないか。法人化は、大学の独立性・自立性を高めるものから、逆に任期制による大学教員の奴隷化の推進手段になってはいないか?

 その行き着く先は、乱暴な私学経営の跋扈ということではないか。私学の経営がいかにひどいものであっても、経営陣は、任期制の不安定雇用におびえる教員を抱える国公私立大学との競争では、有利に経営できるということではないか。私学内部の多くの教員も、いずれ国公立以上の不安定雇用によって、ひどい状態に陥れられることになるのではないか。それは、わが国の大学の研究教育の自由で創造的な発展の筋道とは逆行するものであろう。「地獄への道は善意で敷き詰められている」。

 本学でも、内外からの幾多の批判を受けて、中間案においてテニュア制度(定年までの終身在職権)が明確に打ち出されたが(その不十分さ・不明確さに関しては教員組合の批判がある[2])、それがまだ最終的に確たるものとして提示されないために、本学の検討の到達点はいまだ全国では知られていないようである。常に模範とされ追随されるアメリカにおいて、テニュア制度が確立し、しかも、準教授で80%以上、教授では90%以上がテニュア取得(テニュア付与)であることの実態と意味は、周知のものとなっていないようであり、熟慮されてはいないようである。

 長崎県立の公立大学法人化の議論で、「各委員からは「優遇措置がなければ、任期制に移行する教員は数%ではないか」などの意見が出た」という。もっともな意見である。

 しかし、いったいいかなる優遇措置が、「首切り」を超えるほどの優遇措置だろうか? 任期制は、いずれにしろ、任期がくれば雇用は終了する、という制度であり、「首切り」合法化である。新たに採用される場合、新規採用と同じである。とすれば、そうした決定的な不利益・不安定雇用条件を超えるような魅力ある優遇制度とは何か?

 いくつかの国立大学で任期制が導入された場合、定年5年前での任期制ポスト(5年任期)への移行、ということがあるようである。これなら、すくなくとも実質的にはマイナス措置とはならないだろう。いやむしろプラスにすることが可能であろう。その場合に、任期制は名誉に値するものとして(最先端の仕事をしている、総合的な仕事をしているなどの審査とその基準クリア)、ワンランク上の給与条件などを与えるものとすれば、任期制に選ばれた教員は、それだけプラス評価されたことになろう。これならば不利益ではないだろう。それならば、競争化・活性化にも、ある程度(審査が公明正大で、透明性をもち社会的説明責任を果たすものならば)、役立つことにもなろう。

 あるいは、定年数年前に割愛願いが出る(た)ような有名教授をひきとめておくために、定年を数年間延長するような任期制教員として採用する対抗措置をとる(引き抜き防止措置)なども考えられるであろう。これも、それだけの実績と社会的説明責任の力のあるものならば、プラスの効果をもつであろう[3]。

 他方、「数年後」に任期終了とともに首切りが当然となっていても、当面なんとか就職できればいい、という無職の若手研究者の場合なら、「無職よりはいい」と、任期制でも応募することになろう。無職で苦労するよりは、任期制(数年後の問答無用の首切り)でもいいから助手ポストをたくさん増やしてほしい、という博士課程・オーバードクター・ポストドクターの若い人々は多いだろう。「余剰博士」はいまや大変な社会問題になりつつある。彼らも、もちろん、任期制でない安定したポストにも応募しつつ、「任期制ポスト」にも、余儀ない選択肢として応募するであろう。

 任期法によって「助手」ポストを任期制にすることは法律的に可能となった。これこそは、任期法制定のもっとも重要な背景(理由)なのではないか。それはそれとして(すなわち任期法による限定的なものとして)、積極的に活用すべきではないか。


投稿者 管理者 : 2004年08月03日 00:43

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