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2004年09月22日

横浜市立大、役職者人事 上意下達の行政組織の原理 大学の自治は死滅同然

大学改革日誌(永岑三千輝教授)−最新日誌(2004年9月21日(2))より転載

 本学でも、副学長予定者、国際総合科学部の学部長予定者、国際総合科学研究科の研究科長が「指名」されたようである。今朝、「全国国公私立大学の事件情報」を訪問して知り、その後、文書ボックスの郵便物等を受取ってみたら、「横浜市政記者、横浜ラジオ・テレビ記者 各位」という対外発表用のA4で1枚の「記者発表資料」(9月15日・市立大学事務局・大学改革推進担当課長名)が入っていることを発見した。不在中の9月15日ないし16日に入れられたものであろう。

 このことは何を意味するか? 

 つまり、理事長、学長を市長が任命し、そのもとで新公立大学法人の二人の副学長、新学部(商・国際文化・理の3学部を統合した国際総合科学部)の学部長と新大学院の研究科長が、すべて上からの任命によってきまった、大学の普通の教員は一切それをしらされず、後から、しかも記者会見資料のコピーで知らされた、ということである。

 日本全国の大学人は、こうした事態をどのように考えられるだろうか?

 ここには、大学の自治(学問の自由を保障する制度)があるといえるだろうか? 単なる行政組織ではないだろうか?上意下達の行政組織の原理と大学の原理とは必ずしも一致しない。大学の使命に合致した組織原理こそが必要なのではないか?

 新学部・新研究科を発足させるならば、それらの教授会を発足させ、その構成員による選挙を実施すべきではなかったのか? その選挙結果を学長や法人が尊重して任命権を行使するという、ごく普通のこれまでの大学で確立した原則を適用すべきではなかったのか。学校教育法や憲法に従った学則では、これまでそのような手順が踏まれてきたのではないか? 本学でも新学部・新研究科の教授会(その準備組織、予定組織)がいまだ形成されてはいないが、、こうしてみると、東京都立大学に関する人見教授の問題点の指摘は、本学にも当てはまるのではないか?

 市議会で定められた定款に基づく任命権を、大学の独自の歴史やあり方を考慮することなく、抜き身で行使するという今回のやり方は、本学だけではなく全国の大学に今後非常に重大な影響を及ぼすのではないか?

 世界で自由と民主主義の大切さがますます認識され、ひとびとのなかに自由と民主主義の原理が広く深く浸透しているとき、現在の大学改革において、このようなトップダウンのやり方がまかり通ることはいったいどうしたことか?今回、上から指名された人々が、教授会・研究科の構成メンバーのどれだけの支持と共感を得る人々なのか、これを確認しておかなくていいのか? つまり、どのような人々、どのような割合・数の人々による支持を得た人々なのかが不明なままで、行政的に任命されたものが大学行政の執行権を掌握することは、大学の自由で活発な研究教育と相容れることなのであろうか?それは、独立性や、自律性を標榜して行われた独立行政法人化の大学において、公立大学法人の大学としてとるべきやり方なのであろうか? いったいその独立性、自律性は誰のものか?

 こうした本学の事態を考える比較素材として、上で言及した「首都大学東京」に関する設置審への緊急署名で公表されている意見、たくさんの人々が大学の命である「大学の自治」、「学問の自由」の見地から述べている意見にリンクを張っておきたい。本学で進行している事態といったいどこが、どのように違うのか?


投稿者 管理者 : 2004年09月22日 00:27

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