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2004年11月13日

衆議院憲法調査会、第1回公聴会「日本国憲法に関する件」 暉峻淑子氏の意見

第1回公聴会「日本国憲法に関する件」 埼玉大学名誉教授  暉峻淑子氏

暉 峻 淑 子君

・ 人権保障、福祉、環境の保護等が不十分ながらも達成されてきたのは、平和憲法があったからであり、人権保障と9条は一体をなすものである。こうした考えに対しては、一国平和主義との批判があるが、北欧諸国のように国民の人権保障レベルが高い国ほど、国際紛争解決や外交の能力は高い。自国の平和と人権を守れる国こそ、他国への貢献ができる。

・ 政府は、国民の自立を援助すべきであるが、競争をあおり、その結果、失業者やホームレスの増大、フリーターと正規雇用者との賃金格差の増大等が生じ、社会の格差が広がっている。また、教育では、人格の全体的発達が目指されるべきであるにもかかわらず、市場原理に基づく過度の競争が持ち込まれ、序列化が進み、考える力が育っていない。また、子どもの人格を抑え込むような管理主義的道徳教育が行われている。

・ 24条で両性の本質的平等が定められ、女子差別撤廃条約の成立、男女雇用機会均等法の制定等がなされるなど、女子差別撤廃は国際的流れである。自民党憲法改正プロジェクトチームの「論点整理」は、家族や共同体の価値を重視する観点から24条を見直すべきであるとしているが、家族は、本来、自立した人間の愛情と信頼に基づくものであり、同「論点整理」の方向性は、差別撤廃の流れに反し、時代錯誤である。

・ 「公共の福祉」とは、個人の福祉の増大のためのものである。同「論点整理」は、これを「公共の利益」に改めるとしているが、「利益」は、短期的なものとなりがちであり、権力に都合よく解釈されるおそれがある。

・ 9条は空洞化しておらず、我が国が米国とともに世界の至るところで戦争することを阻止している。力によって解決しようとする「軍事文化」は、情報を隠そうとし、競争による弱肉強食へとつながっている。他方、「人権文化」は、情報公開、対話、政治への参加を進めるものであって、9条はその結実である。

・ 戦争と差別は表裏一体である。また、9条が改正されると、自衛隊に対するシビリアン・コントロールが失われるという危惧がある。


投稿者 管理者 : 2004年11月13日 01:45

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