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2004年11月19日

「日の丸・君が代訴訟(2)―憲法上の問題

法学館憲法研究所
 ∟●「日の丸・君が代訴訟(2)―憲法上の問題」(2004年11月18日)より

「日の丸・君が代訴訟(2)―憲法上の問題

T.O.記

 現在、都立高校の教員に対し、「君が代」斉唱時の起立を義務付ける通達が都教委(東京都教育委員会)から出されたことについて、東京地裁で裁判が行われています。原告である教員たちは、この起立義務の不存在についてさまざまな主張をしていますが、今回は、憲法上の問題点について解説したいと思います。

 憲法第19条は、次のように定めています。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。この規定は、精神的自由に関する包括的・原則的な保障条項であり、信教の自由、表現の自由、学問の自由といった精神的自由の諸規範の根本条項であるとされています。

 良心の意味については、学説上も議論がありますが、西原博史教授によって、良心は主観的なものであって一人ひとり異なること、良心は行動に影響するため、良心が命ずる行動の規制は良心の自由を侵害するということが指摘されています(西原博史『良心の自由〔増補版〕』)。

 では、このような良心の自由を保障するとはどういうことなのでしょうか。学説は次のように指摘しています。第一に、思想を告白させたり推知したりすることや、交友関係・読書傾向などの調査が禁止されること(沈黙の自由)。第二に、政府は何が「正当」かについて中立でなければならないこと(一定の思想の強制・排除の禁止)。第三に、思想・良心に基づく差別が禁止されること。

 以上のことと、教師に対して「君が代」斉唱時に起立を義務付ける通達との関係についてはどう考えられるでしょうか。まず、不起立や斉唱しないことにより、思想・良心を推知せしめることになります。これは、沈黙の自由との関係で問題となります。第二に、「君が代」については、歴史認識の問題として、思想・良心の対象となる問題であり、国民の間でさまざまな見解が成立しています。したがって、国家の側から一定の立場を「正当」なものとして提示することは、一定の思想の強制の禁止との関係で問題となります。以上のように、教師に対して「君が代」斉唱時に起立を義務付けることは、憲法19条で保障された良心の自由を侵害すると考えられます。教師は公務員なので憲法上の権利の制約は許されるとの主張もあります。しかし、公務員であっても、日本国民である以上、憲法の保障が及びます。権利を制約する場合には、その目的の正当性、および目的と手段の関連性が厳格に問われ、それらが示されない限り、憲法に違反すると考えられます。なお、日本国憲法が範としたアメリカでは、教師に対して国旗敬礼を強制することは、合衆国憲法に違反するとされています。

 また、起立の義務づけの影響は教師だけにとどまらず、生徒にも影響すると考えられます。都教委は、生徒が起立しないことは自由だと言っています。しかし、起立しない生徒が多かったクラスの担任教師は、指導力不足教師として、都教委から「厳重注意」などの処分を受けています。自分が起立しなかったことで、担任が処分されると生徒が知ったら、その生徒は、起立をしないという選択を、自由に行うことができるのでしょうか。もし生徒が起立しないという選択を自由にできないとすれば、それはやはり良心の自由を侵害すると考えられます。

 過去の同種の裁判では、上記のような主張は認められていません。しかし、原告団・弁護団は、この主張を認めてもらえるよう、精一杯がんばっています。次回期日は、「解雇訴訟」が12月9日午後3時半、「予防訴訟」が12月20日午後1時半からです。興味ある方は傍聴に行かれてはいかがでしょうか。なお、原告らのホームページURLは次のとおりです。http://homepage3.nifty.com/yobousoshou/index.htm

「日の丸・君が代訴訟(1)―事実経過を中心として」

投稿者 管理者 : 2004年11月19日 01:52

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