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2005年02月02日

首都大学東京の予告された没落

内田樹の研究室
 ∟●首都大学東京の予告された没落(2005年02月01日)より一部抜粋

「以上から次のことがわかった。
□ 首都大学東京の偏差値は,都立大学と比較してかなり下がっている。
□ しかし,受験者数はセンター試験で点を取れなかった学生が雪崩れ込むため,それなりの数になるかもしれない。
□ とはいえ,首都大学東京の評判は予備校でも悪い。
□ 首都大学東京がクビ大【kubidai】と呼ばれていることは,予備校関係者でも周知の事実のようだ
全国の受験生のみなさん,やはり受験校はくれぐれも慎重に選ぶのが良いのではなかろうか。」

「クビ大」というのは「イシハラの言うことをきかないやつはクビだい」というところからつけられた愛称とのことであるが、「シュト大」と「クビ大」とどちらが最終的に略称として定着するかもまた興味をもってみつめてゆきたい論点の一つである。

以上で首都大東京の出願状況についての中間報告を終えたいと思う。
この件についての論及は大学関係者以外からも多かった、その中で首都大東京が高等教育の「成功事例」となるであろうという予見をされる方は一人もいなかった。ゼロ。
教育というのはつねづね申し上げているように、ある種の「幻想」をビルトインするかたちでしか機能しない。
そこに行けば、何か素晴らしいことがあるのではないかという(しばしば根拠を欠いた)思い込みが若者たちをして教育の場へ足を向けさせる。
「数値」によってひとは学びを動機づけられるわけではない。「幻想」によって衝き動かされるのである。
その意味で首都大東京は十分に誘惑的な幻想の醸成には失敗したと私は思う。
この先、都がれほどの投資を行って教育研究環境を整備しても、一度失われた「ブランドイメージ」を回復するには最低10年を要するであろう。
その間も18歳人口は減少を続ける。
志願者減とそれによる教育水準の低下と市場による前代未聞の大学淘汰圧に10年間耐え続けるためには、大学人としての熱い理想と連帯感が必要である。
いまの首都大スタッフにそれが共有されているという判断に与することのできる人はおそらくほとんど存在しないであろう。


投稿者 管理者 : 2005年02月02日 01:26

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