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2005年03月13日

横浜市と27大学連携へ、14日 パートナー協議会設立

伊豆利彦氏のホームページ
 ∟●新掲示板2

朝日新聞(第2神奈川版)2005.03.11

横浜市と27大学連携へ
14日 パートナー協議会設立

横浜市は、市内にある27大学(4月時点の見込み数)と連携するため、14日に各大学の学長らでつくる「大学・都市パートナーシップ協議会」を設立する。大学の知識や人材を生かして市や市内企業が抱える課題の解決につなげるほか、大学にとつても地域貢献をアピールし、志望者増に結びつけるなどの利点が期待できるという。
市内27大学では、経済や文学などの文系学部のほか、医学、理工、芸術など幅広い分野が研究されている。その「知的資源の蓄積」を生かし、経済活性化や教育、医療福祉、スポーツ振興施策などに活用するのがねらいだ。
学生グループに商店街活性化のイベントや広報物デザインを企画してもらったり、小中学校の授業や部活動をサポートしてもらったりできないかも探る。行政や企業にとっては、学生の若い感性や講師陣の知識を生かせる利点があり、教育現場で少人数教育などに活用が期待できる。大学にとっても、学生が実践的な経験を積め、それが志望者を集めるPRにもなるとみている。
市都市経営局は「単に大学があって学生が多いだけの『学園都市』ではなく、市民や行政がいろいろなことを大学と一緒にやり、街をつくっていきたい」としている。

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1995.「奉仕」「貢献」そして「還元」
名前:連帯舎 日付:3月11日(金) 12時7分

かつてハイデッガーは悪名高き『総長就任講演』(一九三三年)において国家への奉仕(勤労奉仕(Arbeitsdienst)、国防奉仕(Wehrdienst)、学術奉仕(Wissensdienst))を強調した。
今日においては、「国家」を「地域」に、「奉仕」を「貢献」に、置き換えてコンテキストをよく読む必要を感じる。

「公立大学法人横浜市立大学中期目標の大枠について」には上の新聞記事と同じ趣旨の文章がある。

「地域貢献は、大学が果たすべき基本的責務であり、全教職員の職務として位置付ける。学部・大学院教育を通じた人材育成、研究を通じた研究成果や知的財産の産業界への還元、診療を通じた市民医療の向上による地域貢献のほか、大学の知的資源の活用による高度な学習の場の提供や施設開放等をさらに推進し、積極的な地域貢献を果たす。」
http://www.yokohama-cu.ac.jp/new/chuukimokuhyou1124_2.pdf

ここには、上記以外にも「地域貢献」という言葉がばらまかれている。
問題はその「地域貢献」が、いかなる性質のものかということである。
市長の選挙運動や、官僚の実績や、一部の産業界(「産業界への還元」)のための「地域貢献」なのか、または(教員・職員・学生自身も含めた)市民のための「地域貢献」なのか。
しかし、そもそもすべての学問領域が「地域貢献」へ短絡できる性質のものではない。たとえば、「商店街活性化のイベントや広報物デザインを企画」ができなければ「基本的責務」を果たしていない職務や研究(分野)と評価されるのであろうか。
まず第一に学費を払っている者たちへの「貢献(奉仕)」ないしは「還元」ができなくなりつつある大学自体へメスを入れる「医療の向上」が急務ではあるまいか。その意味において、「市内にある27大学と連携する」必要があると思われる。

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1998.自己の腐敗
名前:伊豆利彦 日付:3月12日(土) 1時15分

<地域への貢献><国家への貢献>とはそもそも何なのか。それが問題なのだろう。
それを自明のこととして、行政の目標に大学を協力させようとするのが市当局の狙いなのだろう。

宮沢賢治の作品には<本当の幸福>という言葉がしばしば出てくる。
それがわかりさえすれば、命を犠牲にしても、そのために働きたいというのだ。
しかし、それがわからない。
それを知ろうとする限りない努力、それが学問なのだろう。

安易に市民を美しい理想に動員するな。
ましてや、大学を動員するな。

戦争の時代を生き、いまを生きる老人には、そんな言葉が欺瞞としか見えない。

大学の腐敗というような言葉も安易に使いたくない。
そんなことをいう人間が、はたして腐敗していないかどうかが問題だ。

大学は腐敗しているだろう。
私たちは腐敗しているだろう。
しかし、なお、そこから新しく出発していくことが必要だ。

自己の腐敗をこそ問題にする必要がある。
自己の腐敗を自覚し、それを直視するところに、わずかに再生への道が開けるのではないか。
http://amaki.cocolog-nifty.com/


投稿者 管理者 : 2005年03月13日 01:09

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