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2005年03月18日

横浜市立大学、最後の評議会

大学改革日誌(永岑三千輝教授)
 ∟●最新日誌(3月17日(2) )

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横浜市立大学の未来を考える
『カメリア通信』第33号

2005年3月17日(不定期刊メールマガジン)
Camellia News No. 33, by the Committee for Concerned YCU Scholars
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3月評議会私的報告

理学部 一楽重雄

 しばらく、評議会の報告をしませんでしたが、これまでの評議会には審議事項はなく、いつも報告事項だけで、その他の事項として教員説明会の報告などがありましたが、それらもほとんど議論になることもなく、ほとんど意味ある内容はありませんでした。

 昨日が、おそらくは横浜市大最後の評議会です。「学則の廃止」という審議事項がある旨前回の評議会で通告されていましたので、この件で少し議論しようかと思っていたのですが、実際には別なことで議論となりました。

 それは、小川学長の名誉教授の称号の授与という審議事項です。これは、今月の総合理学研究科委員会で、研究科長から推薦の提案があったけれど、多くの教員の意見によって、科長が提案を取り下げたと聞いていましたので予測していないことでした。今回は、各学部からそれぞれ名誉教授の推薦が出ていました。まず、それらが学長の議事のもとで「異議なし」ですべて認められました。そして、学長が退席しS副学長が議長となって学長への称号授与の審議が始まりました。推薦書として、いわゆる平評議員以外の管理職評議員(多分全員)の名前を連ねたものが出され、それを書いたS研究科長が内容の説明をしました。そして、質疑に入ったので私は2点質問しました。「通常なら教授会の推薦があるが、それがないのはどうしてか?」、「 推薦に名前を連ねている人たちには、肩書きが入っているが、教授会の決定ではないだろうと思うので、個人として推薦しているのか?」という2点です。これに対して筆頭の提案者でもあるS副学長が「総合理学研究科委員会では、研究者、教育者としては名誉教授としてまったく問題ないが、学長としての問題について主として議論がされてしまったので、研究科長が提案を取り下げたと聞いている。小川先生は学長としても難しいときに大変な努力をされ、研究者としては研究科委員会としても認めているように立派な方である、それらを総合的に判断して欲しい。名誉教授の称号付与に関する規程○条○号により推薦する。」というようなことが言われました。(記憶があいまいで、これらの内容の一部はもう少しあとの議論だったかもしれません。)O副学長からは「小川先生は、学者としても学長としても大変立派な方であるので、医学部の先生と話し合って推薦した」と立場のはっきりした言明がありました。

 私は「規程○条○号」の意味内容がよく分からなかったので、そこを質問したところ、この規定は学長のみに適用されるもので、教授会の推薦の有無に関係なく評議会で決められるという規程である旨の説明がありました。その後、多分このあたりのタイミングであったと思うのですが、T評議員から「そうであるとすれば、この推薦書には学長としての部分が最後の数行しか書かれていない。これが、学部教授会の決定をくつがえすに足るものとは思えない」といった趣旨の発言がありました。S副学長からは、「研究者・教育者としては研究科委員会も認めている、学長としても立派であった」というようなことが繰り返され、学長としての立派さの内容に渡ってまで説明されました。私は、「そこまで議論するの?」と不規則発言をしたりしましたが、その後、学長としてであれば問題があるという趣旨を少し述べたように思います。しかし、さすがに、私自身も評議会の場で学長としての行動が許されないものであったということを侃々諤々に議論しようとは思っていなかったので「4月以降に名誉教授にすることはできないのですか」と質問しました。これは、結局は「学則などがまだ確定していないので、どうなるか分からない、したがって、今日やりたい」ということでした。このとき、評議会のメンバーではない事務局員から「なぜ今日できないのか、むしろ、先送りするというならその必要性をまず言うべきだ」という発言がありました。「部長から先送りする理由について質問があったので言いますが、小川学長は、ある時期から教員の代表として行動していないと一般教員は思っている、そのようなことを考えると、これには賛成できない」と私が言いました。これに対して、S副学長から「学長に対して失礼だ」などと発言があり、私は評議会の議論として発言しているのであり、そのような発言こそむしろ私に失礼だと反発したりしましたが、それはそれほど意味のあることではなかったでしょう。

 このほか、授与に消極的な意見や質問が2,3あった後、O副学長から「私は反対する理由がわからない、先に進めてください」という発言があり、T評議員から「投票を提案します」ということで投票に移ることになった。

 議長は、まず「挙手で採決したい」と言ったのでしたが「私は投票を提案した」とか「教授会では無記名投票だ」という発言(あるいは不規則発言)によって投票となりました。そして、投票用紙が配られましたが用紙は白紙ではなく、そこには小川学長の名誉教授称号授与投票用紙とかなんとかきちんと印刷されているものでした。大きな投票箱も用意されていました。投票に先立って、議長から「退席ということもあるかと思うが、退席される方は退席してください」という発言が何回かありましたが、誰も退席せず22名での投票となりました。そして、規定によって22名の3/4の賛成によって可決であること、すなわち17名の賛成が必要なことが議長からこの時点で宣言されました。

 開票となったとき開票箱の鍵を用意していなかったことが判明し、事務局は非常に恐縮し、そこでしばしの時間が必要となりました。ご愛嬌でした。この間を利用して、O学生生活協議会議長から禁煙のポスターの話がされました。

 開票の結果は、賛成15票、反対5票、白票2票という結果でした。議長は否決されたことを宣言したのですが「白票は、3/4の分母にいれないのではないか」とM学部長とメンバーではない事務局員から発言あり、「(分母に入れるのは)市会でしょ、ここではここで決めなければ」とか、かなり食い下がったのですが、議長はとりあわず、結局否決となりました。

 私自身も否決されるとは思っていませんでしたが、3/4の壁は厚かったのでした。もともと、名誉教授の称号はほとんどの人が賛成する場合にしか授与しないということは十分理解できることで、妥当な結論となったと思います。教授会での推薦がないのに評議会で称号を授与するのは、外部から招いた学長の場合だけに限られてよいのだと思います。

 今回の最後の評議会は、少し波乱のあるものとなりました。このこと以外には、大きなことはありませんでした。学則の廃止は、本来なら教授会マターとは思いましたが、ここまで来て形式だけ踏むということですし、名誉教授の推薦の議題の後で少々疲れもしていたので、あえて議論を提起することはしませんでした。

 前後しますが、報告事項の報告が終わった最後に、私は「大学改革アンケートの情報開示請求、一部開示の決定、意義申し立て、全面開示ということがあったと思うが、報告して欲しい」と発言しました。これに対しては、学長も新聞で見て知っているとのことでした。予期していなかったようで事務局は誰が答弁するか少し顔を見合わせていましたが、総務部長が「それでは私が報告します」ということで、ごく簡単に流れを話しました。U課長も少し補足しましたが、事実経過のみでその持つ意味などについては何も言いませんでした。私は少しその点を議論したい気持ちもあったのですが、自分でしたことでもありますし、他の方からの発言もなかったのでそれ以上は何も言いませんでした。事務局は、この問題を重要なことだとは捉えていないように感じられました。今に始まったことではありませんが、民主主義の観点がやはり弱いのだと思います。

 この一年間は、私にとっては初めての評議員、そして大学にとっては最後の評議会というめぐり合わせになりました。最初は意気込み、緊張したものでしたが、残念なことに意味のあることがほとんど議論できませんでした。

 今回のことでも「ことをあらだてずに」、「まあ、名誉教授にはしてあげたら」、「名前を貸してくれと言われれば、ちょっと断れないな」というようなことで、多くの管理職は名前を連ねたのではないかと思います。これも人情としてわかります。

 しかし、私は公の議論を「まあまあ」と抑えたり、派閥的な連絡網でいつのまにか合意を得たりして、会議の中で実質的な議論をしないことは大学にはふさわしくないことだと思っています。

 4月以降は、一体どうなるのでしょう。大学の自治を基本的に否定した体制が進んでいるようです。私自身は「新しい」大学には授業以外のことは何も関係していないので、様子がまったくわかりません。しかし、人間の社会である以上、どんな枠組みであっても、民主的な運営ということを問題にできるのではないでしょうか。「新しい」大学に残る以上、少しでも民主的な運営がなされるように努力を続けたいと思っています。

 受験生の半減という恐ろしい事態に、誰が責任を取るのでしょうか。誰もとりそうにありません。今回の改革は、誰が責任を持って行ったのか、実際にリーダーシップを取ったのは誰であったのか、それがはっきりしません。こんな状態を許してしまった小川学長が名誉教授の称号を授与されなかったのも、当然と言えば当然だったのだと思います。(以上)

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編集発行人: 矢吹晋(元教員) 連絡先: yabuki@ca2.so-net.ne.jp
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投稿者 管理者 : 2005年03月18日 00:15

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