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2005年03月29日

大学法人化1年、改革進展への工夫が足りない

世界日報(3/28)

 国立大学が法人化され、四月で一年になる。しかし、多くの国立大学で、学費の一律値上げが同月から実施されるなど、独自の経営の目的が達成できていないところが多い。建学の精神を明確にし、大学の特色を前面に出して工夫された経営が行われ、学究が強化されることにこそ、大学改革の進展があることを大学関係者は肝に銘じるべきだ。

財務面の手腕が見えない

 昨年末、政府は国立大授業料の基準となる授業料標準額を一万五千円引き上げることを決めた。これを受けて、大半の大学は「値上げしないと研究費に大きなしわ寄せがくる」と訴え、今年からの値上げを決定している。
 国は授業料値上げを前提として、その分の運営費交付金の減額を打ち出したことが横並びの値上げの背景にあり、法人化後の各大学の苦しい台所事情が浮き彫りになっている。

 この中で、東京大学は大学と大学院修士課程について一万五千円の値上げを決めたが、博士課程は据え置いた。一方、佐賀大学は大学、大学院ともに授業料据え置きを決定し、その分、経費を徹底的に削減することで賄うとする取り組みをすることになった。だが、おしなべて財務面の自由裁量的な手腕の側面が見えてこない。

 研究費を外部機関など政府以外からいかに調達するか――。大学の生き残りを懸け、法人化後二年目からの大きな経営課題である。その解決案の一つとして、思い切って大学の特色を前面に出し優秀な学生を集める手立てとすることだ。

 各国立大学には、歴史により培われた学問の伝統がある。教授陣も一つの国立大学の中で研究し、研鑽(けんさん)してきた学者が多い。また明治時代から、大学の中に製鉄、医薬品、合成繊維などの研究分野を設け、重要な技術が育てられてきた。これは各大学が競って一流の学者、産業人を集い合わせた結果で、その特徴を形成してきた。

 ところが、一九六〇年代から七〇年代の初めにかけ、大学のキャンパスを襲った左翼学生運動で学問の権威が破壊され、先導的な知識人らが大学を去り、大学の信用も地に墜(お)ちてしまった。それだけに、それぞれの大学が営々として積み上げてきた学問実績を学生にアピールすることが必要だ。

 もう一つは、法人化の目的の中に、教育機会の提供、地域の教育・学術文化・産業・医療への貢献を行うこと――があるように、本来の産学共同を育成し、とりわけ地方の大学には、地域の活性化のために共同で取り組む方針を明確に打ち出すことである。

 すでに東京大学は、産学協同を活発化させるとともに、規模の大きさのメリットを生かし、全学的に連係しながら学問の成果を有機的に連結させる取り組みを始めている。その実りを社会に還元し、社会貢献を行うことを目標に動き出しているのである。

 一方、法人化に伴い、予算・定員の学内配分、給与水準の決定、事務職員の人事などについて大学の権限と責任は拡大し、基本的には役員会で担うことになった。従来、基本的に、研究費の分配は研究者の業績とは無関係に、大学教員の間で年齢や地位などを勘案した上で、均等方式が取られてきたため、これに反する実績主義は、教員の間で戸惑いが大きい。

大学内部の一体化が重要
 学長と教授、助教授の関係は、いわば経営者と被雇用者の関係になりつつある。大学内部の一体化が重要である。


投稿者 管理者 : 2005年03月29日 00:21

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