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2005年04月06日

「開かれた大学改革を求める会」、西川 直子氏「代表を辞するに当たってのご挨拶」

「開かれた大学改革を求める会」
 ∟●「代表を辞するに当たってのご挨拶」(2005年4月1日)

代表を辞するに当たってのご挨拶

2005年4月1日
西川 直子

「開かれた大学改革を求める会」の皆様

 春は別れと再出発の季節といわれますが、3月も慌しさのうちに終わり、早くも新年度が始まりました。私は3月31日をもちまして、定年まで1年を残して東京都立大学を退職いたしました。したがいまして、「開かれた大学改革を求める会」(以下、「会」とも「求める会」とも略称)の代表の座も辞したことになります。本日は、今までの「会」の歩みを振り返りながら、現実には叶うことがなかったとはいえ、悲願であった「開かれた協議にもとづく大学改革」の実現に向けて寄せられた皆様の熱意溢れる尊い活動に心からの敬意を表し、非力の私にいただいた身に余るご協力・ご厚情の数々に感謝申し上げるとともに、「求める会」の新たな門出の無事をお祈りし、お別れのご挨拶を申し上げさせていただきます。

 「開かれた大学改革を求める会」の誕生は、2003年10月16日ということになっているようです。同年8月1日に突如発表された都知事主導による「大学改革」案の、研究・教育の普遍的理念を否定し学問的蓄積を無視する内容と、現場の声をいっさい聞こうとしない強権的手法とに反対して人文学部教員が署名運動を開始した際に、「求める会」はきわめて緩やかな母胎組織として結成されたのでした。私が代表を務めることになりましたのは、たまたまメンバー中の最年長であったという偶発的理由からであることは、皆様ご承知のとおりです。それゆえ、運営委員の方々の創意と発意を基にした合議制によって、文字通り「開かれた」形で運営が行なわれてきたことは、「会」の特徴の第一として挙げられるでしょう。

 署名運動は「開かれた協議にもとづく改革」と「在籍学生の学習権の保障」の2点を主要な要求項目として展開され、その間に「求める会」の会員は、法学部・工学部の教員、全学部・研究科にわたる学生・院生にまで広がってゆき、70余名を数えるまでに至りました。一方、全国からはもとより海外からもいただいた署名は最終的に3万筆にも及びましたが、2点の要望は署名を添えて陳情とし、さらに「今までの学問的蓄積を生かす改革を」という請願を含めて合計5点の陳情・請願を、2003年12月に東京都議会に提出いたしました。これが、私たち「開かれた大学改革を求める会」の活動の原点だったといえます。

 この陳情・請願に対して都議会文教委員会多数会派が取った対応(2004年2月)は行政への無批判的追随というべきものであり、不採択4点・保留1点となった結果には、東京都による「改革に名を借りた大学破壊」に反対する私たちの主張が都議会・都民にはなかなか通じないという、厳しい現実を突きつけられた思いを深くしました。

 その後、4大学教員の過半数の賛同を得た「4大学声明」(2004年1月)や「緊急4大学教員集会」(同6月)への参加をはじめとして、4大学教員や学内各層の方々と共同歩調をとりながらも、「会」の活動は、都議会への訴えと、都民や周囲の方々への広報という二つの柱を中心として行われてきました。都議会各会派議員への事情説明が状況に応じて行われる一方で、2004年度からは独自の取り組みとして都民・学生の方々へ向けた「ニュース」の発行・配布が開始され、現在まで12号を数えています。これらの活動の歩みは、折々に発表された各種の声明類とともに、下記ホームページに詳しく記録されています。
http://www.geocities.jp/hirakareta_daigakukaikaku/

 1年前の2004年3月末における、きわめて不透明な問題を含む「意思確認書の提出」をおそらく決定的な転回点として、大学側は敗北への道を自ら進んで選択したのではないかというのが、相当数の方々のお考えと同様、個人としての私自身の感想でもあります。その道は、4大学教員多数による「就任承諾書」提出(同7月)、文部科学省大学設置・学校法人審議会による新大学設置認可答申(同9月)、その後の新大学開学へ向けての協力体制という形を取って、新大学入学式を目前に控えた今現在にまで至っています。しかしながら、その間も「求める会」は、活動原点のスローガンである「開かれた協議に基づく改革」、「在籍学生の学習権・学習環境の保障」、「研究・教育の蓄積を活かす改革」の3項目が依然として実現されていない現状では、この要望を掲げつづける必要があると考え、訴えの声を挙げつづけてきました。

 多くの重要点が明確化されないにもかかわらず就任承諾書提出者・非提出者に分かれることを余儀なくされるという事態に追い込まれたとはいえ、しかし立場を異にしても、提出者・非提出者の繋がりは、無力感が次第に教員を呑みこんでゆく困難な状況のなかで、危機に瀕しながらも辛うじて維持されてきたように思われます。以下に述べるような「求める会」の声明に賛同された方々が、提出者・非提出者の双方に跨っていたという事実そのものが、「開かれた大学改革を求める」という原点に依拠する限り、立場の相違は克服できるだろうという可能性を提示していたのではないでしょうか。

 「求める会」有志が呼びかけ人となって発表された声明、「新大学発足は一年延期を東京都の進める新大学構想と今後の方向についての緊急意見表明」(同8月9日)は、多くの問題点を解決できぬまま準備不足の状態で開学へ向けて突っ走っている現状の危険を指摘し、勇気ある開学延期を訴えて、学内各学部・各層の数多い方々の賛同を得ることができました。10月には、新法人の定款・学則を研究・教育の府にふさわしいものとするよう要求した新たな陳情「都立4大学を統合する法人の設立,新大学・大学院の設置に関する陳情」を、東京都議会議長に提出しました。12月定例議会で審議される予定のこの陳情に関連させて発表された緊急意見表明、「来年度以降の東京都立大学においても現行学則の適用を強く要求する」(同12月7日)は、現都立4大学学生の学習権と教育環境の破壊の阻止、大学の自律性の確保を要望したものです。都立大学5学部と科学技術大学の教員(助手を含む)、院生・学生、総計130余名の方々の賛同署名に加えて学外からの賛同をもいただいた声明は、署名とともに都議会文教委員会各委員に送られました。しかし、12月13日の文教委員会の議論は与党主導に終始して、至極簡単に都立大学条例等の廃止と新法人定款の成立を認める結果となり、「求める会」が10月に提出していた陳情も実質的審議がなされることなく、他の請願・陳情とともに一括不採択となったのでした。

 この12月の緊急意見表明をいわば最後の抵抗として、以後、残念ながら「開かれた大学改革を求める会」は、目立った活動を行っておりません。開かれた協議に基づくどころか、上意下達の強権的システムが相変わらず幅をきかせるなか、そして教学上や運営・雇用上の死活的問題に関する対立・軋轢を数多く抱え込んだまま、いよいよ新法人が発足し、新大学の入学式も間近いという状況にある以上、大多数の教員は新大学へ移行するか旧大学に残留するかを問わず、深い無力感に囚われており、学内には回復不能の荒廃の気分が漂っていると形容せざるを得ません。そのような中で、8月と12月の上記二つの声明を「会」の基本姿勢として依然ホームページに掲げ続けているとはいえ、「開かれた大学改革を求める会」は現在、一時的であるにせよ、活動の方向性を見出せないで足踏みしているというのが、偽らざる事実といえるでしょう。

 しかし、そうしている間にも東京都側からは、学内での集会や文書配布を許可制にし、法人の名誉・信用を失墜させる行為や秩序・規律を乱す行為を禁止するという条項を盛り込んだ(当初は、「その怖れがある場合」も禁止対象とされていた)、怒りを通り越してアナクロニズムと呆れるしかないような「就業規則案」が示されています。また外部評価委員に任命された他大学人たちは、都知事構想にお墨付きを与えることに狂奔するかのように、新大学院での研究を「首都」と「大都市」の関連分野に限定することを提言するなど、大学をその名に値しない行政御用機関に成り下がらせるための、唖然とするような迎合発言を行っています。これらの典型例にみられるように、東京都は、研究・教育を心底から侮辱し、大学自治の原理に平然と挑戦する姿勢を強めこそすれ、変えようとはしていません。「首都大学」が発足しても、それで終わりなのではなく、今までの数多い対立点に加えて、さらに一層不見識な学問・教育破壊が、数々と目論まれてゆくことは確実なようです。

 それらの問題点の一つ一つを指摘し、抗議の声をあげつづけてゆくことが、研究・教育を本分とする大学教員にとって、さらには学業を本分とする学生・院生にとって、どんなに不幸なことであるかは、言うまでもありません。けれども、それをし続けなくてはならない厳しい局面に、あの8月1日以来、教員も学生・院生も追い込まれてしまっているのです。抵抗に疲れて抗議の声が黙した途端に、勝ち誇った独裁者はさらなる屈辱を強いる、という事態はどこにでもある真実でした。

 在籍学生・新入学生の学習権と学習環境を守り、研究・教育の尊厳と自由を擁護するべき立場においては、新大学教員も旧大学教員も、違いはありません。「求める会」が当初から希求していた、そして叶えられていない3項目、「開かれた協議に基づく改革」、「在籍学生の学習権・学習環境の保障」、「研究・教育の蓄積を活かす改革」を掲げつづけるならば、たとえその人数は少数であろうとも、所属の新旧を問わぬ教員たちの連携と共闘は可能であるはずです。新法人が発足したからには恐らく今まで以上に困難な作業になるでしょうが、しかし自棄にも幻想にも走ることのない、そして初心を忘れないと同時に他者への敬意を忘れない誠実な心同士であれば、所属の新旧の相違は決定的な相違ではないという稀有な実感を、自らのものにできるのではないでしょうか。少なくとも、連携と共闘の成立の可能性に賭ける側に、私は立ちたいと思いますし、皆様にもそうであってほしいと、念願してやみません。「求める会」の出自そのものが、専門と階層を異にする学内人の緩やかな連帯であったことを振り返れば、その賭けも無謀とはいえないでしょう。

 昨年7月、就任承諾書提出・非提出の時期に際して、私は「所属先は異なっても、思いを一つにして連帯してゆくことが可能であってほしいと祈って」いると述べました。新大学と旧大学の二重状態が実際に発生した初日である本日、格段に荒廃した風景が学内にも心中にも広がっているという印象を持たざるをえないと、認めなくてはなりません。そのなかで、それでもやはり私は、まったく同じ祈りをこめて、皆様にお別れを告げたいと思います。

 これからの皆様のご苦労をお察ししますと、胸の詰まる思いでいっぱいになります。その困難な状況にあっても大学人の寛容と叡智を発揮されまして、楽観にも悲観にも囚われることなく、どうかこれからもご健闘くださいますようお祈り申し上げます。そして新大学・旧大学併存という新しい状況のなかで、「開かれた大学改革を求める会」が新たな船出を無事に果たされますよう、心より祈念いたします。

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 これは、別の機会にすでに述べたことではありますが、あの8月1日以降の許しがたい事態の連続のなかでも思いがけない喜びがあったことは、私にとって救いとなりました。一つは、教え子の一人が署名運動をおこなう過程で生涯の伴侶との出会いを得たことでした。もう一つは、4大学の垣根と学内の学部・専攻の枠を越え、専門や世代や階層(教員・学生)の相違を超えて、平常であったらお会いできなかったであろう方々、親しくお話することもなかったであろう方々と親交を結べたということです。「求める会」の皆様との貴重な出会いは、大きく深い闇のなかでの小さくとも温かく輝く灯火との遭遇、ともいうべき安堵をもたらしてくれました。

 ポジティヴな副産物に恵まれたとはいえ、教え子が石原都知事を縁結びの神として崇めることはないでしょうし、都知事主導の「大学改革」を肯定することも絶対にないでしょう。得がたい出会いをいただいたとはいえ、だから今回の「大学改革」は良かったなどと言えないことは、誰の目にも明らかです。しかし、えてして歴史は転倒をもたらしもするようです。8月1日以来の強権的手法による「大学改革」、東京都による実質上の「大学乗っ取り」を、容認するような倒錯が将来とも生じないことを切に願いつつ、皆様との出会いに、そして皆様が与えてくださいました友情に、心からの感謝を捧げます。御交誼、まことにありがとうございました。大学を去りましても、変わらぬ気持で皆様を陰ながら応援させていただく所存です。

 「開かれた大学改革を求める会」の皆様のご健康と、研究・教育面でのさらなるご活躍を、そして学生・院生の皆様には学業の豊かな実りを、心よりお祈り申し上げます。

投稿者 管理者 : 2005年04月06日 00:01

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