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2005年05月30日

横浜市立大学、5.26教員集会「法人化1ヵ月 何が起きているか? 労働条件をめぐる交渉の経過と今後の展望」の報告

大学改革日誌(永岑三千輝氏)
 ∟●最新日誌(5月26日)

5月26日 昨日は、法人化後初の労働組合としての教員組合の集会があった。労使協定という基本的な契約関係がいまだ締結に至らない点に関して議論となった。法人化への移行が行政主導で行われ(教員組合を正式の交渉相手としないという態度で3月末までやってきた)、諸規則案作成でいくつもの教員組合として受け入れられない「不利益措置」が盛り込まれていることがその理由として確認された。

 就業規則に関する教員組合意見書が示すように、「任期制」問題などに一体どのように対処するのか、およそ協定の合意にいたり得ないような問題点が積み残されたままである。大学教員任期法に基づくならば、まさにどのようなポストにどのような教員をあてるのか、その根本が大学の自治のもとで決定されていかなければならないだろう。違法・不当な労働基準法の適用も論外であろう。現状の定款や学則の下で、どのような自治的自立的議論・決定が可能となるのか、それが問われる。

 教員数という点では圧倒的多数を占める臨床系教員を抱える医学部の場合、これまでも3年とか5年で大学と病院等を往復していたという事情もあり、臨床系教員の場合、任期制には余り抵抗がない(抵抗してもあまり意味がないといった感覚)ということも、予想されていたことではあるが医学部からの参加者の発言でわかった(私の理解する限りで)。

 それに対して、医学部でも基礎系は「任期制」による流動化には抵抗が強いようであり、瀬戸キャンパスはもちろん圧倒的多数が任期制への移行には同意していないようである(教員組合に任せている人数だけで半分を超えるという)。

 研究教育に没頭し、まい進したい多くの教員にとって、法律的な問題、身分保障のこまごました問題は苦手であり、それにかかわることで精神的負担の大きくなることはつらい。そうした良心的教員の弱みを逆さに取ったような当局の態度に対しては、教員組合が連帯の輪を広げまた強固にしていくことが重要であると確認された、と思う。

 その点で重要なことは、3月末のあの「同意書」提出の意味合いであり、その今後の取り扱いである。3月段階において、条件が不分明ながら「同意書」を提出した教員の場合、撤回が可能であるということである。

 その同意は、制度そのものの非常に不確定ななかでの同意書であり、そうした漠然とした内容でアバウトでの同意に過ぎない。したがって、具体的な任期制の個別的契約の段階においては、当局が提示する条件が明確でない場合(いまだ明確になっていない場合)、同意書を撤回することは当然にも可能であるという点である。今後予想される契約提示とそれに対する個別同意の判断においては、非常に注意する必要があるということである。

 京都大学井上事件を見てもわかるが、「はじめに任期制ありき」の当局の姿勢で、再任しない決定を下しておいて外部評価を行うなど、社会的に説明できないような任期制の恣意的運用が現実に行われている。外部評価を行った研究者が、京都大学再生医科学研究所(その所長)のやり方を厳しく批判している文書(法廷・陳述書)が示すとおりである。

 したがって、任期制運用に関して、安心できる制度設計・合理的な制度運用のあり方が示されない限り、3月の同意はあくまでも、一般的な任期制なるものへの同意に過ぎないのであって、当局の提示する契約条件によっては(任期制の具体的制度保障・運用の合理的あり方の提示などが不十分であれば)、撤回可能だという点であろう。こうしたことも、一人一人の教員の判断ではきちんと対処できないことがある。教員組合とともに、大学の自治、学問の自由の確立を基準にして、教員が奴隷化しないように奮闘することとが求められている。

 多くの不安を持つ教員のために教員組合の正確で迅速な情報提供を求める声が、強かった。不安や危惧は、没頭すべき研究教育の質量を悪化させるものであろうから、当然の希望である。

 論点のひとつには、研究費配分をめぐる問題があった。教育研究審議会がこの間ある決定をしたようであり、それが学部長を通じて下に下ろされているようである。問題は、その教育研究審議会の決定の内容であり、その説明責任(合理性・妥当性)である。

 「評価」の問題が重要になってきていることひとつとっても、どのように研究のための予算が保障されるのか、どのような基準、どのような審査会において研究費が配分されるのか、この予算問題は研究の自由、学問の自由などと深く関わってくる。従来、ほとんど研究をしない人々(研究実績を公開していない人々)が予算配分をめぐっては力を発揮しているという噂も耳にした。内部で研究費を獲得する人と外部で研究費を獲得する人が二分化しているという噂も流れている。「内部ではあきらめている、外部だけが可能だ」と。

 集会での発言によれば、声の大きい人が大きな獲物を獲得する、という人がいるかと思えば、いやいやだまっていても、すっと大きな獲物を手に入れる人がいる、という人もいる。天網恢恢、粗にして漏らさず、とか。少なくとも多くの人の目は、なかなかに厳しそうである。教育研究審議会(そして経営審議会?)という狭い組織で重大決定したとすれば、そうした問題点の検証はどうなるのか?

 「上から」、「外から」任命された人々からなる教育研究審議会の予算配分に関する決定のあり方は、今後教員組合をはじめ各方面できちんと議論しなければならないであろう。


投稿者 管理者 : 2005年05月30日 00:17

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